徳仁親王妃雅子
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徳仁親王妃雅子(なるひとしんのうひまさこ、旧名:小和田 雅子(おわだ まさこ)、1963年12月9日 - )は、日本の皇族。皇太子徳仁親王の妃。勲等は勲一等、学歴はハーバード大学経済学部卒業。学位はB.Econ.。また、日本赤十字社名誉副総裁。印はハマナス。皇室典範における敬称は殿下。英語、フランス語、ドイツ語に堪能といわれる。
皇室典範第23条では、敬称を「殿下」としているが、実際には「雅子妃殿下」もしくは「妃殿下」と呼ばれる。 報道等では「皇太子妃雅子さま」と称されたり、単に「雅子さま」とされることもある。
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経歴
- 1963年、外交官の小和田恆・優美子の長女として東京都港区虎ノ門病院で生まれる。
- 1976年に、田園調布雙葉小学校卒業。3年後、田園調布雙葉中学校卒業。1981年に、留学先のボストンのベルモントハイスクールを卒業する。
- 1985年、ハーバード大学経済学部卒業。在学中は、フランス語のサークルで精力的に活動する。帰国後、東京大学法学部に学士入学するが、外務公務員I種試験に合格し、外務省入省が決まったため1987年に中退、同年外務省入省。経済局国際機関第二課に配属する。
- 帰国後、徳仁親王との交際では鴨場のデートなどが話題となる。
- 1993年、結婚が決まったために外務省を退官。1月には、皇室会議で皇太子妃に決定される。
- 1999年12月に懐妊が発表されたが、稽留流産の手術を受けた。
- 2001年4月に2度目の懐妊が発表され、同年12月1日に長女の敬宮愛子内親王を出産。
- 2004年5月訪欧を前に記者会見した徳仁親王の人格否定発言は、外務省出身で国際派と見られていた雅子と伝統と慣習に厳格な宮内庁とで葛藤があることを示唆した。また、雅子が2003年末以来、精神的なストレス(適応障害と診断される)で長期間静養している事実も公表された。
年譜
- 1963年
- 1976年
- 3月:田園調布雙葉小学校卒業
- 1979年
- 3月:田園調布雙葉中学校卒業
- 1981年
- 6月:ボストンのベルモントハイスクール卒業
- 1985年
- 6月:ハーバード大学経済学部卒業 成績優秀者に贈られるマグナクムラウデ賞を受賞
- 1986年
- 4月:東京大学法学部に学士入学し3年に編入
- 10月:外交官試験に合格
- 1987年
- 1990年
- 北米局北米二課に配属 市場開放・規制緩和を担当となる
- 1993年
- 1月:皇室会議で皇太子妃に決定 外務省へ辞表を提出
- 4月:父・恒、母・優美子とともに新潟市泉性寺の先祖の墓碑に墓参り
- 6月:成婚
- 2001年
- 12月:愛子内親王を出産
参考文献
- 桜井大子『雅子の「反乱」 大衆天皇制の〈政治学〉』社会評論社、2004年11月、ISBN 478450558X
- 『娘・雅子が決意した日』小和田恒・優美子 「文藝春秋」1993年3月特別号
- 『雅子妃四十歳の試練と決断』 奥野修司 「文藝春秋」2004年5月号
- 『確信証言 雅子妃その悲劇の真相』 「文藝春秋」2004年7月号
なお、題材とされた小説に韓国の金辰明が書いた「皇太子妃拉致事件」(2001年)があるが、日本では出版されていない。
関連項目
外部リンク
- 皇太子妃雅子さまゆかりの地村上
- 2004年5月10日東宮御所・檜の間での皇太子記者会見全文 (宮内庁/「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」)