有事法制
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有事法制(ゆうじほうせい)とは、有事(主に武力衝突や侵略を受けた場合など)の際に、軍隊(日本では自衛隊)の行動を規定する法制のことである。
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[編集] 有事法制とは
有事法制の意義及び目的について以下に概説する(※いわゆる有事法制について保有する国は先進国の中にも多く存在するが、いわゆる有事法制という表現は多くの場合、日本の法制がその対象である。よって、以下では主に日本の有事法制について概説する)。
[編集] 有事法制の意義及び目的
1978年、有事法制研究に参画した竹岡勝美元防衛庁官房長(当時)によれば、有事法制とは「いずれかの国が日本と周辺の制空権、制海権を確保した上で、地上軍を日本本土に上陸侵攻させ、国土が戦場と化す事態を想定した法制」であるとされる(2002年2月8日、参議院『第154回本会議における答弁』第7号7頁より)。
[編集] 有事法制の意義は国民保護にある
有事法制は立憲主義を基調とする国にあって、国及び国民にとり、急迫不正の侵害があり、通常の憲法秩序では国及び国民の安全を確保できない非常事態に際して憲法の一部または全部を停止し最終的に国及び国民の安全、憲法秩序の回復を図る国家緊急権の思想の中から生まれた非常事態立法のひとつである。とりわけ、有事法制は近代立憲主義の前提である憲法に定められた国民の基本的人権の尊重を条件つきとはいえ一部に制約がかれられることになる。今日、有事法制をめぐっては様々な見地から賛否があるが、とりわけ立憲主義の肯定的見地に基づく場合における有事法制の正当性及び使命は有事からの国民の保護にある。
[編集] 有事法制の憲法上の論拠
では、具体的に有事法制が憲法上認められる根拠がいずれにあるのか。 有事に際して憲法の停止をするかどうかは国にもよるが、国によっては憲法上に国家緊急権を明記する場合、或いは慣習的に認めている場合、規定していない場合とがある。日本などでは規定していない部類に属する。
有事法制の整備に際しては、あくまで憲法の枠内法制整備が実施された。即ち、日本の有事法制は憲法の一部または全部を停止する権能を許容しておらず、またそのような措置を予定していない。ちなみに憲法の枠内で非常事態に対処する権能を憲法学的には非常事態権、非常措置権ともいうが、日本においては憲法上、非常事態権の保有すら明記していない。このため、有事法制の憲法上の根拠は公共の福祉に置かれる(それらの概念については個別の関連項目を参照されたい)。
[編集] 有事法制の構成及び基本的性格
日本における有事法制の具体的な有事法制は防衛庁所管の法令を第1分類、防衛庁以外の省庁の所管の法令を第2分類、所管省庁が明確でない事項に関する法令を第3分類として3つに分類されてきた。これらの分類の意義は第一分類が自衛隊及び米軍の行動に関する法制、第二分類が国家としての基本的な対処要領に関する法制、第三分類が国民の行動に関する法制である。
[編集] 有事法制の概要
日本では、有事への対処を優先するために私権を制限することや憲法の平和主義との整合性で長年にわたり論議があったが、2003年6月13日に武力攻撃事態対処関連三法が成立し、有事法制の基本法である武力攻撃事態対処法が施行されたことで法制の枠組みが整備された。
その際に制定が先送りされた国民保護法等は、翌2004年6月18日に公布され、同年9月17日に施行された。これにより有事の危機対応における基本的法整備がなされ民間防衛の実施体制に向けた環境整備を進めるための足掛かりを築くことになった。さらに、こうした有事法制と自然災害やヒューマンエラーをも包括した、いわゆるマルチハザード型の法体系を確立すべくそれら緊急事態の法体系整備に向けた取り組みとして自民党、民主党、公明党の与野党3党は2005年以降の通常国会にて緊急事態基本法の成立に向けて調整を行うことで一致した。また、さらには安全保障基本法の策定やそれらの基本法、或いは法体系そのものの整備には憲法改正論議において国家緊急権、即ち有事法制発動の要件として事前承認に留めるべきか、または弾道ミサイルが発射された場合、7分から10分で日本が被弾するといわれ、こうした国会承認に基づく防衛行動が困難なケースに際して、国会におけるミサイル防衛の容認をはじめ自衛隊による防衛行動の国会における承認手続きをめぐっては今後とも与野党の中でおおいに議論となることが想定される(実際に弾道ミサイルが発射された場合、現在の技術では飛行中撃墜は不可能)。
[編集] 日本の有事法制
[編集] 成立経緯
- 初期段階 北朝鮮有事への対応のために検討された有事法制
有事法制の研究は戦後、防衛庁が設置されて以来、長年の懸案であった。戦後、未だ自衛隊の合憲性を問う声や賛否をめぐる議論が根強かった時代にあって、1968年に防衛庁内において第3次朝鮮戦争の勃発が懸念されたことを契機に防衛庁内において非公式かつ非公開な形で有事法制の研究が行われた。この研究は「昭和38年総合防衛図上演習」といい、陸海空の三自衛隊が結束してあたるため、毛利元就の三本の矢の故事に倣い三矢研究と名づけられた(研究の詳細は三矢研究の項目を参照のこと)。この研究が「国会爆弾男」の異名を持つ日本社会党の岡田春夫により、国会にて暴露され、社会党及び日本共産党からクーデターの研究だという批判までなされた。当時の佐藤栄作首相は社会党の指摘を受けるまで把握していなかったことから「事実なら許せない」と答弁するも、後に前言撤回し、首相が感知していれば問題ないと再答弁した。これにより、一応において有事法制研究そのものは違法ではないという体裁は保てたものの、非公式な形で三矢研究がなされたことへの批判までは払拭できず、研究に従事した自衛官を「文書管理不備」で罰した。つまり、研究に従事した自衛官の罰則も研究そのものではなく、文書管理として処理することにより研究の正当性だけは保った。しかし、当時有事法制をめぐる情勢はあまり国民の理解を得るには困難が伴い、政府としても想起の法制化はあきらめ、結局研究は頓挫することとなった。
- 第2段階 ソ連軍侵攻の懸念から再燃した有事法制
さらに1978年、栗栖弘臣統合幕僚会議議長による発言の中で、現行では有事に際して自衛隊は超法規的措置をとらざるを得ないという超法規的措置を許容する趣旨の発言が波紋を呼び、栗栖の発言撤回がなかったため、野党の批判を呼び、罷免されるという栗栖事件が起き、このときも賛否両論を招きながらも世論の中ではまだ時期尚早の感があった。
- 第3段階 周辺事態に飛躍する日米同盟と有事法制をめぐる情勢の変化
しかし、冷戦崩壊後、有事法制をめぐる動静は少しずつ進展を見せるようになる。日米同盟において対ソ連から冷戦後の新たな脅威に対する抑止力として再定義することが検討されたのである。1994年には日米両国の間で、ソ連崩壊後も極東において共産党による一党独裁による軍事優先の政治を行う北朝鮮情勢が大きな懸念として残っており、朝鮮半島有事に際しての日米協力のあり方を明確にすべきだという議論が起きた。この議論を契機として1996年には日米両国において日米防衛協力の指針(日米ガイドライン)見直しが検討された。
見直しが進められた背景としては
- 平素から並びに日本に対する武力攻撃及び周辺事態に際して、より効果的かつ信頼性ある日米協力を行うための堅固な基礎を構築すること
- 平素からの緊急事態における日米両国の役割並びに協力及び調整のあり方につき、一般的な大枠及び方向性を示すこと
とされた。これは、世界的な武力紛争が発生する可能性が遠のいたという認識のもとに、しかしながら今日における日米両国の将来と繁栄がアジア・太平洋地域の安定的で繁栄した情勢を維持するためには、日米安全保障条約を基盤とした日米両国間の安全保障面の関係が基礎となるという日米双方の認識により進められたものであり、日本による国際秩序に対する安全保障上の貢献をより強く打ち出すことが大きな目的とされた。特に冷戦後、南アジア以西から油田地帯である中東、アフリカに軍事力をシフトさせたいアメリカにとって、日本が極東の安全保障に一定の役割を果たすことで、アメリカの極東での防衛負担を軽減させ、不安定ながらも油田の豊富な中東に対する戦略を強化させることが大きな目的であった。日本にとっても、中東への石油依存度が高く、日本と中東をつなぐ地域の安定化は不可欠であり、そうした両国の国益から日米同盟を極東から地理的に限定されない周辺事態において協力する体制へと変化していった。 この新ガイドラインの見直しに先立ってジョセフ・ナイ国防次官補による「東アジア戦略構想」(ナイ・レポート)の中で日米両国の安全保障協力を地球規模の同盟として位置付けられたことにより同ガイドラインは旧来の対ソ連を軸とした極東地域における同盟関係の域を超えて、より広域な国際秩序の安定のための協力関係の構築が検討されたのである。 1998年、日米新ガイドラインに基づき、周辺事態における日米両国の具体的な協力について規定した周辺事態法が成立し、日米同盟は極東地域に限定された協力関係からより広域な同盟関係へと大きく変化を遂げることとなった。この法李は周辺事態に対応して日米が共同作戦により後方支援活動を実施できる体制を整えるものであったが、この共同作戦を日本国内で実施できる環境が必要とされてきた。 2000年にはリチャード・アーミテージ米国防副長官が対日外交の指針として作成した「アーミテージ・レポート」において日本に対して、有事法制の整備を要求する文言が盛り込まれた。これを契機に日本の政府与党は有事法制の整備に向けた検討を開始していく。
- 最終段階 テロを契機に整備に至った有事法制
しかし、有事法制は長年、タブーとされてきた分野であり、依然と反対論の強いものであった。しかし、2002年まで続け様に北朝鮮の不審船事件が発覚、さらにはニューヨーク同時多発テロ事件の発生により、世界的に国際テロの脅威が認識されるようになった。これにより、国内における有事法制の議論もにわかに高まった。これにより、政府与党においても有事法制の整備に向けて本格的に法制に向けて本格的に動きだすことになった。2002年、小泉純一郎内閣の下で有事法制の基本的枠組みである武力攻撃事態対処法をはじめとする武力攻撃事態関連3法が提出され、法案が審議入りすることとなった。こうしたテロの不安の高まりと、小泉人気といわれる与党の自民公明優位の情勢、さらに野党第一党の有事法制への賛同もあり、2003年、大多数の議決をもって有事関連3法が成立を見た。もともと、防衛上の観点から要請された有事法制はテロという新たな脅威によって成立をみたのである。
この有事法制の持つ性格は主に3つある。第一に「国家として基本的な対処要領に係る法制」、「自衛隊が行動することに係る法制」、「米軍が行動することに係る法制」である。これらの法制の柱を第1分類から第3分類に分け、整備されることとなった。この有事法制の第一段階ともいうべき有事関連3法で成立した法律の柱が有事の基本法ともいうべき武力攻撃事態法である。この2003年の法制では、有事の国民保護を定める武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律の提出、即ち国民保護法制は与野党の調整がつかず先送りされた。 有事法制の基本法をなす武力攻撃自体法法第14条では内閣総理大臣が兼務する武力攻撃事態対策本部長は地方公共団体の総合調整権に基づき、地方、民間(指定公共機関)により協力を求めるものである(但し、法律上の服務義務を持たないとされる)。この調整権に基づく措置が実施されない場合は、指示権を行使し、地方公共団体の首長に対処措置の実施を指示できる。この内閣総理大臣の指示権は服務義務のともなうもので、大規模な武力攻撃災害にも対応を可能とするため、政府の強い関与を確立するものである。また、武力攻撃事態法では内閣総理大臣は避難誘導、避難住民の受け入れ等で直接執行権を行使を可能とし、避難が確実に実施されるための措置をも定めている。
[編集] 有事法制への反対論
有事法制は戦争時の法律であり、憲法第9条をめぐる個別的自衛権の是非、或いは国民(外国人を含む住民)の基本的人権の制限をめぐる懸念から反対を唱える声も一部ある。憲法を研究している大学教職員の中でも賛否が別れ、日本共産党、社会民主党、新左翼、反戦平和団体や一部の労働組合、が反対声明を出すケースも見られる。
[編集] 有事関連法
[編集] 武力攻撃事態対処関連三法
2003年6月6日に可決、成立した武力攻撃事態対処関連三法は以下の通り。
- 安全保障会議設置法の一部を改正する法律
- 武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律
- 自衛隊法及び防衛庁の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律
[編集] 武力攻撃事態関連三法の背景
武力攻撃事態関連3法は有事法制の第一段階として法制の基本的な概念及び枠組みを整備することを目的として成立した法律である(法制の詳細は有事法制の項を見よ)。 武力攻撃事態関連3法は政府が有事法制の基礎的な枠組みを整備するため、有事法制における基本理念及び有事の定義、国及び地方公共団体の責務などを定めるものとして整備された。そもそも、有事法制は1968年の三矢研究以来、長年の懸案であった。しかし、日本国憲法第9条において戦争の放棄をしていながら有事を想定するという法的な論理矛盾、或いは戦前の国家総動員体制を想起させるとの批判から、その法整備は事実上凍結されたままとなっていた。
ところが、ニューヨーク同時多発テロ事件を契機として、テロに対する不安が国内に高まったことを受け、政府与党を中心に有事法制の整備に向けた取り組みが加速したのである。しかし、一方で政府には法制に対する国民の理解を得られるという確信が十分ではなかったとされる。よって、政府与党は慎重に法制を実施することに念頭がおかれたのである。本来、有事法制においては国民の安全を確保するため、国民保護法制を中心に進めることが重要とされた。ところが、政府の側には国民保護法制よりも武力攻撃事態に対処するための法整備の方が困難をきわめるという懸念があり、国民のテロに対する不安の高い間に、有事法制の基本的な枠組みを整備することを優先した結果、武力攻撃事態関連3法が成立した(個々の法律の内容については各法律の項目を参照のこと)。
この武力攻撃関連3法案の中では、民主党から国内における武力攻撃に対する自衛隊や米軍の行動要領についての規定が中心であり、有事法制最大の使命であるはずの国民保護法制が先送りされているという批判が強くなされた。民主党は当初、国民保護法制も同時に進めることを主張していたが、与野党の修正協議の末、この武力攻撃事態関連3法成立の後、2年以内の法整備をすることとして、ひとまずこの関連3法を成立させた。この関連3法の成立跡、政府与党及び民主党はすぐさま国民保護法制を含む有事の具体的な対処を定める事態対処法制の整備に向けて武力攻撃事態関連7法の審議をはじめることとなった。
[編集] 有事関連七法
2004年6月14日に可決、成立した有事関連七法は以下の通り。
[編集] 法律(内閣提出)
- 武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)
- 武力攻撃事態等におけるアメリカ合衆国の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律(米軍行動円滑化法)
- 武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律(特定公共施設利用法)
- 国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律(国際人道法違反処罰法)
- 武力攻撃事態における外国軍用品等の海上輸送の規制に関する法律(外国軍用品海上輸送規制法)
- 武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律(捕虜取扱法)
- 自衛隊法の一部を改正する法律(改正自衛隊法)
[編集] 関連性のある法律(議員立法)
- 特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法(主として北朝鮮船舶を想定したもの)
[編集] 条約
- 日米物品役務相互提供協定(ACSA)改正
- ジュネーブ条約追加議定書I(国際的武力紛争の犠牲者の保護)
- ジュネーブ条約追加議定書II(非国際的武力紛争の犠牲者の保護)
[編集] 参照文献
- 参議院『第154回本会議における答弁』(平成14年2月8日)第7号
- 森本敏『有事法制』PHP.2003年
- 郷田豊『世界に学べ!日本の有事法制-普通の国になるために』芙蓉書房.2002年