有田鉄道線
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有田鉄道線(ありだてつどうせん)は、かつて和歌山県有田郡吉備町(現在の有田川町)の藤並駅と金屋口駅とを結んでいた有田鉄道の鉄道路線。2002年12月31日限りで廃止された。
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[編集] 路線データ
[編集] 歴史
有田鉄道は、沿線で穫れた木材や蜜柑(有田みかん)などの農産品を、積出港である湯浅港まで運搬する目的で、1913年2月に設立された。1915年5月28日に海岸駅~下津野駅間、1916年7月1日に下津野駅~金屋口駅間が開業した。
1926年8月8日に紀勢西線(1959年に紀勢本線と改称)が藤並駅まで開通し、有田鉄道も藤並駅を新設して紀勢西線との連絡を行った。藤並駅から国鉄線を通して、蜜柑を満載した「蜜柑列車」が全国へ運行されるようになった。紀勢西線と並行していた海岸駅~湯浅駅~藤並駅間は「不要不急路線」として1944年12月10日に休止されレールが撤去された。1950年4月から紀勢西線湯浅駅まで乗り入れるようになり、藤並駅~海岸駅間は1959年4月3日に廃止された。なお、廃線敷の一部は後年紀勢本線の複線化の際に転用されている。
蜜柑などの輸送は次第にトラック輸送に置き替えられようになり、1984年2月1日に貨物営業は廃止された。大きな収入源を失ったことで、人員の大幅削減、車両保守を近くの自動車整備工場に委託するなどの合理化が図られた。紀勢本線への乗り入れは、信楽高原鐵道の正面衝突事故(信楽高原鐵道列車衝突事故)の後の1992年12月に廃止された。
この頃から利用客は沿線の高校への通学生のみに限られたため、1995年3月6日から、第2・第4土曜日と日曜・休日(つまり学校の休日)は全列車運休して並行する道路を走る路線バスで代替するようになり、1日の運行本数も次第に縮少した。駅舎や軌道はとても現役路線とは思えないほど荒廃していた。一部の踏切は遮断棹が下りず、列車通過のたびに係員が車を制止していた。乗車券についても、定期券以外は発売されなくなった。
2001年11月1日からは運転本数が1日2往復(最終列車は藤並12:00発)に減らされ、公共交通機関としての使命を放棄したような状態になっていた。この事は、「最も運行本数の少ない私鉄路線」として全国にて有田鉄道の名を知らしめる事になった。晩年期の利用者数は1日平均29人(輸送密度5.17人/キロ)で、有田鉄道が鉄道廃止の意向を示した時も、鉄道線の定期券でも並行する同社バスの利用が可能だったため、さほど本数の減少及び廃止による影響はなかったらしく、地元から廃止反対の声はほとんど上がらなかった。このため、2002年10月に、2003年10月31日限りという予定で路線廃止の申請を行なったが、廃止を早めても影響は全くないと判断されたため、10ヶ月繰り上げた2002年12月31日限りで廃止となった。
現在も藤並駅にあったきっぷ売り場や近辺の線路などは朽ちながらも廃止当時のまま残されている。保存目的ではなく撤去費用が出せず放置している状態であるという。また、在籍車両の内数両は金屋口駅の車庫奥に留置されているが、錆などの損傷が目立ってきていながらも、(静態・動態のいずれの状態でも)整備・保存のめどが立っていない状況が続いていた。が、2006年6月からようやく「ふるさと鉄道保存協会」の手によって駅舎・路線跡・車両の整備が始められている。
一方、廃線後間もなく一部踏切が撤去・舗装化されつつも、本線は殆どレールが引かれたまま放置されていたが、2006年夏頃からレール・枕木の撤去が始まり、2007年1月現在、自転車・歩行者専用道路として生まれ変わるため、本線跡のほぼ全線で舗装工事が進められている。
[編集] 在籍した車両
- ハイモ180(ハイモ180-101)
- キハ58(キハ58 001~003)
- 山梨県の富士急行より譲渡された車両で、同社が中央本線との直通用に投入した国鉄キハ58系のコピーである。国鉄にはない両運転台車(キハ58 003)があり、単行で走ることができることから有田鉄道では重用された。なお、有田鉄道入線時にエンジンを1台取り外しているので実質はキハ28型相当の性能である。また、車籍はないが他にもJRからキハ58を譲渡されており、部品取り用にしていた。→富士急行のキハ58系
- 現在は「ふるさと鉄道保存協会」に引き取られ旧金屋口駅で保存中である。
- キハ605
- 同じ和歌山県の紀州鉄道より譲渡された車両で、1952年に宇都宮車両で製造された。以来常磐炭鉱→岡山臨港鉄道→紀州鉄道→有田鉄道と流転の歴史をたどり、在籍した4社のうち実に3社が廃線の憂き目にあっている。直前に在籍した紀州鉄道では試運転で振動が激しく使い物にならないと判断し、一度も営業運転に就くことなく紀伊御坊駅の側線で放置されていた。その後有田鉄道に無償で譲渡されたが、当線でも営業運転に就くことはなく路線と運命をともにした(廃止後に保存展示する目的で譲渡を受けたとの説もある)。
- 廃止後しばらくは旧金屋口駅の車庫奥で眠っており、その後「ふるさと鉄道保存協会」という団体に引き取られ蒲原鉄道の木造貨車などとともに整備中である。しかしながら、部品取り車として使われていたため機関の状態は劣悪で、今後は移動可能な静態保存車両として整備される予定である。
- キハ07206・07207
- 元国鉄キハ07 206・207。
- キハ250
- 山鹿温泉鉄道の注文流れ。湘南窓と客用扉の2段ステップが特徴。
- キハ210
- キハ202・205・206
- キハ201
- 元国鉄キハ40001。一畑電鉄立久恵線を経由して入線。
[編集] 駅一覧
海岸駅 - 湯浅駅 - 吉川駅 - 藤並駅 - 明王寺駅 - 田殿口駅 - 下津野駅 - 御霊駅 - 金屋口駅
- 海岸~藤並間は1944年休止、1959年廃止。
- 有田鉄道湯浅駅は紀勢西線の湯浅駅(当時は紀伊湯浅駅、1965年3月1日改称)とは別地点にあった。
- 明王寺駅は1935年3月29日開業、廃線以前に廃止。
[編集] 接続路線
- 藤並駅:紀勢本線(きのくに線)