松坂屋
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種類 | 株式会社 |
本社所在地 | 名古屋市中区栄3丁目16番1号 |
設立 | 1910年2月1日 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店 |
代表者 | 代表取締役会長 岡田邦彦 代表取締役社長 茶村俊一 |
資本金 | 97億6,500万円 |
売上高 | 3,001億900万円(2006年2月期) |
従業員数 | 3,063人(男性1,855人、女性1,208人)(2006年2月28日現在) |
主要株主 | 松坂屋ホールディングス |
外部リンク | http://www.matsuzakaya.co.jp/index.html |
特記事項:1611年創業 |
松坂屋(まつざかや)は、日本の百貨店の一つ。中京圏に拠点を置き、とりわけ名古屋では圧倒的なブランド力を持っている。イメージフラワーとしてカトレアを古くから採用している。戦後の一時期三越・高島屋などを凌ぎ日本一の売上を誇る百貨店企業であったのみならず、現在の三菱東京UFJ銀行の前身の一つ伊藤銀行(東海銀行・UFJ銀行を経て今日に至る)、名古屋の帝国ホテルと呼ばれた名古屋観光ホテル、名古屋商工会議所の設立にも関連した近代名古屋の名門企業であった。
業界他社に先駆けてエレベーターガール、制服の完全洋装化を採り入れた。
本店(名古屋市中区栄)の他に名古屋市中村区、岡崎市、豊田市、上野(東京都)、銀座(東京都)、静岡市、高槻市にある。
また子会社「横浜松坂屋」の店舗は横浜市。過去には札幌市、大阪市、枚方市など、また海外にもパリに店舗があった。
本店は売り場面積(86,758m²)が日本一である。
名古屋の有力企業四摂家の1社。(他の3社は中部電力・東邦瓦斯・名古屋鉄道)
目次 |
[編集] 沿革
- 1659年 - 祐道の遺児・祐基が名古屋茶屋町に呉服小間物問屋を開業。
- 1736年 - 呉服太物小売商に転業。
- 1768年4月5日(5月20日) - 江戸・上野の松坂屋を買収して、いとう松坂屋と改め、江戸へ進出。
- 1875年 - 大阪のゑびす屋呉服店を買収して、ゑびす屋いとう呉服店として新町通に進出し開業。のち1925年に松坂屋と改称した。
- 1964年 - 松坂屋CMソング誕生(作詞 永六輔、作曲 中村八大)。この曲は、現在でもCBCラジオの提供番組「カトレアミュージック」でインストゥルメンタルで聴くことができる。関東ではかつて日本テレビのNNN昼のニュース、NNNニュースプラス1、皇室日記に提供していて、これらの番組でも聴くことができた。
- 1972年 - 名古屋店北館開店(リビンザ)。
- 1973年 - 株式会社丸久(山形市)と資本提携を締結(株式会社丸久松坂屋となる。1982年、株式会社山形松坂屋に改称)。
- 1974年 - 札幌松坂屋開店。
- 1979年 - 株式会社札幌松坂屋が大幅な赤字を解消するためイトーヨーカ堂と提携し、株式会社ヨークマツザカヤとなる(1994年、ロビンソン百貨店札幌店に改称し、完全に松坂屋グループを離脱)。
- 1991年 - 名古屋店南館開店。
- 1999年 - 市川店閉店。
- 2000年 - 山形松坂屋閉店。
- 2001年 - 四日市店(三重県)閉店、豊田店(豊田そごう跡)開店。
- 2004年3月31日 - くずは店(大阪府枚方市)が閉店。同年5月5日天満橋店(大阪店)(大阪市中央区)が閉店。
- 2005年 - 豊富な含み資産に目を付けた村上ファンドに株式の約10%を買い占められ、経営混乱。
- 2005年8月31日 - パリ松坂屋が閉店。
- 2006年9月1日 - 持株会社「松坂屋ホールディングス」を設立し、株式移転方式で持ち株会社体制に移行した。
- 2007年3月14日 - 大丸との経営統合を決定。9月3日に新たに株式移転方式で共同持株会社を設立予定。完全子会社となる松坂屋ホールディングスは共同持株会社に2007年度中に吸収合併し、松坂屋を直接の子会社とする予定。
- 2007年4月9日 - 大丸との共同持株会社の名称を「J.フロント リテイリング株式会社」にすると発表した。
[編集] 屋号について
三重県にある「松阪市」と混同して、しばしば松阪屋と誤表記される。また、マークが松阪商人の三井家の家紋と酷似している事も一因である。
もともとこの百貨店の屋号は創業者・伊藤蘭丸祐道の苗字から採ったいとう屋であった。この伊藤蘭丸祐道の祖先は織田信長の小姓をしていたとされる。
1767年、江戸郊外の上野にあった呉服店・松坂屋を買収した際、江戸の屋号はそのまま「松坂屋」を使用したが、これは既に江戸市中に松坂屋の名前が知れ渡っていたため、本来の「いとう屋」に変更するよりも得策と判断したからである(同様の例に、横浜発祥の松屋がある)。
「松坂屋」のそもそもの由来は、上野の店が1707年に(現在の松阪市中心部に当たる)伊勢松坂出身、つまり松阪商人の太田利兵衛の手により開業した事によるもの。当時の松坂は木綿(松阪木綿)の主要な供給地でもあり呉服とは無関係ではなかった訳である。大阪進出の際も同様の理由により買収した「ゑびす屋」をそのまま使用してきたが、全店舗で屋号を統一する事となった際、東京で使用されてきた「松坂屋」が採用される事となり、現在に至る。名古屋発祥であり、現在も名古屋に本拠を構えている同社であるが、敢えて由緒ある「いとう屋」の屋号を封印したのは全国チェーン化を睨んだためである。
[編集] 国内店舗
- 名古屋本店(1910年に開店 愛知県名古屋市中区栄、店舗面積86,758m²)
- 岡崎店(1971年に開店 愛知県岡崎市、店舗面積11,429m²)
- 名古屋駅店(1971年に開店 愛知県名古屋市中村区名駅、店舗面積16,521m²)
- 豊田店(2001年に開店 愛知県豊田市、店舗面積18,220m²)
- 高槻店(1979年に開店 大阪府高槻市、店舗面積20,642m²)
- 上野店(1768年に開店 東京都台東区上野、店舗面積35,213m²)
- 銀座店(1924年に開店 東京都中央区銀座、店舗面積25,352m²)銀座初のデパートで、デパートしては初めて土足入店を試み、東京の名所として映画の舞台となった。
- 静岡店(1932年に開店 静岡県静岡市葵区御幸町、店舗面積25,452m²)
[編集] 関連会社の店舗
- 横浜松坂屋 詳細は、横浜松坂屋の項目に記載。
[編集] かつてあった店舗
[編集] 国内店舗
- 市川松坂屋(正式には上野店市川分店。千葉県市川市、現オリンピック市川店。閉店後ギフトショップを設置)
- 四日市店(現アピタ四日市店)
- くずは店(くずはモール内、現くずはモール西館
- 札幌松坂屋(すすきの、現ロビンソン百貨店札幌店)
- 山形松坂屋
[編集] 国外店舗
[編集] 松坂屋大阪店(天満橋)
1966年、京阪天満橋駅の地下化に伴って建設された駅ビルに、ゑびす屋以来の日本橋(現・高島屋別館のビル)から移転してきた。1996年、長堀鶴見緑地線の京橋~心斎橋間の開通により、多くの人が心斎橋に流れた。これを受け、若者向けに改装し増客を図ろうという方針がとられたが、心斎橋や梅田、隣の京橋に比べて場所としての魅力が少なく、若者客の獲得は失敗に終わった。
立地面では「桜の通り抜け」でも有名な大川沿いに位置し、ガラス張りの休憩室や飲食店からの展望を売りとしていた。都心から外れた落ち着きの有る店という評判も有ったものの、いわゆる展望スポットとしての集客力には欠けた。総面積は市内の主要百貨店と比べ狭く、また川沿いの立地が災いし、売場の増床も事実上不可能であった。
そのような厳しい状況のなか営業を継続してきたが、結局天満橋へ移転後ただの一度も黒字化を果たせず、2004年5月5日で閉店した。
閉店後の跡地は、京阪電鉄の所有物ということもあり京阪主導で大規模な改装工事を行い、著しく老朽化した建物外観なども一新され2005年5月27日に「京阪シティモール」としてグランドオープンを果たした。
[編集] 横浜松坂屋
横浜松坂屋(よこはままつざかや)は、1864年に茂木惣兵衛が横浜市中区弁天通に創業した「野澤屋呉服店」を前身とする。1910年、伊勢佐木町にデパートメントストアとして支店を設立。1921年に「株式会社野澤屋呉服店」となった。
創業時より松坂屋・伊藤家、タキヒョー・滝家の支援でスタートした。その関係で戦後、1968年に松坂屋と共同配送を開始。商品券の交換など元来松坂屋とは友好関係を築いていた。その後、横浜西口の繁栄にともなう伊勢佐木町の地盤沈下で業績は年々低迷。遂にグリーンメーラー(仕手屋)として知られた横井英樹が株式買い占めを行い、乗っ取り騒動となる。この時松坂屋がホワイトナイトとして防戦買いに協力した結果、松坂屋が筆頭株主となり、1974年に店名を「ノザワ松坂屋」と改称。松坂屋グループに入り、この時伝統の「入り九」マークは外され、松坂屋のいとうマークに代わった。1977年に松屋横浜店の撤退に伴い、これを買収し西館として、社名及び店名を「横浜松坂屋」とした。
2003年に松坂屋の100%子会社となった。
プロ野球・横浜ベイスターズを長年応援し、1998年の日本シリーズ優勝時には大型のクジラの模型が飾られた。また、店頭では異例ともいえる「神奈川新聞」優勝号外の再発行・再配布が行われた。
フォークソングデュオのゆずがアマチュアの無名時代、長年店頭で路上ライブを行っていた。2003年の第54回NHK紅白歌合戦に出場した時は、この横浜松坂屋前より生中継を行った。
[編集] 京都仕入店
1745年、室町姉小路に開設。1749年、現在の新町六角通下ル(京都市中京区)に移転。この界隈が呉服の問屋街であることからわかるように、京都店は呉服を仕入れるために設けられた店舗である。
現在は染織デザインの研究所(京都事業所)になっているが、昔ながらのたたずまいを見ることが出来る。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
日本の大手百貨店 |
伊勢丹 | 西武百貨店、そごう(セブン&アイ系) | 大丸 | 高島屋 松坂屋 | 三越 |阪急百貨店(阪急百貨店グループ系) 日本の百貨店のページで「全国的に展開」とされているものを掲載。 |