植木通彦
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植木 通彦(うえき みちひこ、1968年4月26日 - 、福岡県北九州市出身)は、日本の競艇選手である。養成第59期、登録番号は3285、福岡支部所属。166cm、52kg、O型。「艇王」「不死鳥」の異名で知られる。
1993年から2002年まで、10年連続で賞金王決定戦に出場。全SG競走を制覇する「グランドスラム」に最も近いといわれる。
輝かしい成績を残しているにもかかわらず、いまだに完全優勝の経験がないのは意外である。
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[編集] 経歴
福岡県立小倉商業高等学校時代は野球選手であったが、2年生時に中退して全国モーターボート競走会連合会本栖研修所(現在は、やまと競艇学校に移転)に入所。1986年 福岡競艇場でデビューした。
選手生活3年目の1989年1月16日、桐生競艇場でのレース中に転覆した際、後続艇のペラで顔面を切り刻まれ、全治5ヶ月、傷の縫合に75針を要する重傷を負う。この時、救急車の中で、付き添いの競艇場職員に「スタートが正常だったか否か」の確認を求めたという逸話が残っている。半年後、レースに復帰するが、負傷した競艇場での復帰を避ける選手がほとんどの中で、自身を奮い立たせる意味を込め、復帰戦の場として桐生を選んだ。この経緯から「不死鳥」の異名が植木に与えられる事となる。
- 1992年 - 福岡競艇場で開催された地区選手権競走(九州地区選手権)で初のGIを獲得。
- 1993年 - 戸田競艇場で開催された総理大臣杯でSG初優出・初優勝。
- 1994年 - 自身初の賞金王に輝く。
- 1995年 - 住之江競艇場で開催された第10回賞金王決定戦で優勝、連覇を狙った中道善博との艇史に残る死闘は今なお語り継がれる名勝負となった。
- 1996年 - 戸田競艇場で開催された第11回賞金王決定戦競走で連覇達成、2年ぶり2度目の賞金王に。
- 2002年 - 住之江競艇場で開催された第17回賞金王決定戦で優勝、6年ぶり3度目の賞金王に。
- 2005年 - 常滑競艇場で開催された笹川賞で優勝。SG通算優勝回数が10回(歴代2位タイ)となる。
- 2006年 - 尼崎競艇場で開催された「競艇ニュース杯」(一般戦)で優勝し通算1,500勝を達成。
- 2007年 - 平和島競艇場でのSG第42回総理大臣杯の予選で豪快なイン逃げで誰も捲ることが出来なかったため、アナウンサーに『ウエキング』という愛称を名付けられるも同大会優勝戦、フライング返還欠場。(以後、1年間SG全て(賞金王決定戦競走を除く。ただし、フライング休み後はSG/G1戦は出場できないため賞金王決定戦の出場は困難だという見方が強い)とフライング休みが明ける2007年6月15日から6ヶ月間のG1には規定に基づき、選出除外となり出場できなくなることが決まった。よって、笹川賞競走のドリーム戦に出場が決まっていたが、取り消されることとなった)
[編集] 主な勝利
[編集] SG
10勝
競走名 | 優勝回数 |
---|---|
総理大臣杯 | 1勝(1993年 戸田大会 第28回) |
笹川賞 | 2勝(1997年 第24回、2005年 第32回・共に常滑大会) |
グラチャン | 1勝(2001年唐津第11回) |
オーシャンカップ | 1勝(2002年若松第7回) |
MB記念 | 未勝利 |
全日本選手権 | 1勝(1994年常滑第41回) |
競艇王CC | 1勝(2002年津第5回) |
賞金王決定戦 | 3勝(1995年住之江第10回,1996年戸田第11回,2002年住之江第17回) |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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