武士道
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武士道(ぶしどう)とは、近世日本の武士が従うべきとされた規範をさす。
今日、この言葉が指し示すところは二つである。
- 歴史的に実在した日本の中世・近世の思想としての「武士道」
- 近代以降に日本のアイデンティティの拠り所の一つとして再創造された「武士道」
である。
後者の「武士道」は、“君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす”という態度を念頭に置いていることが多い。さらにこれに、常在戦場を以て心構えとした武士の意識を重視して、日本特有の「死の美学」を付けくわえることもある。とはいえ、実証的な思想史研究の立場からは、こうした態度が社会集団としての武士の内部に発生したのは17世紀初頭を遡らない、すなわち江戸幕府がその支配体制を確立し、武士が合戦を行わなくなってからであると考えられている。
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[編集] 士道
[編集] 武士道の観念
武士の発生以来、武士道の中核とされる主君に対する倫理的な忠誠意識は低かった。これは中世期の主従関係が、主君と郎党との間の契約関係であり、「奉公」は「御恩」の対価であるとする観念があったためである。少なくとも室町末期ごろまでは、後世に言われるような「裏切りは卑怯」、「主君と生死を共にするのが武士」、「君、君たらずとも、臣、臣たるべし」といった考え方は主流ではなかった。
元和年間(1615-1624)以降になると、儒教の朱子学の道徳でこの価値観を説明しようとする山鹿素行らによって、新たに'士道の概念'が確立された。これによって初めて、儒教的な倫理(「仁義」「忠孝」など)が、武士に要求される規範とされるようになった。
万延元年(1860年)、山岡鉄舟が『武士道』を著した。それによると「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎(鉄舟)これを名付けて武士道と云ふ」とあり、少なくとも山岡鉄舟の認識では、中世より存在したが、自分が名付けるまでは「武士道」とは呼ばれていなかったとしている。
一.世世の道、背くこと無し 一.万に、依怙の心無し 一.我事において後悔せず 一.身一つにして美食を好まず 一.道において死を厭わず 一.老身に財宝を持ちゆる心無し 一.仏神は尊し、仏神は頼まず 一.世の役に立たぬ事する事無し 一.邪な考えを持つこと無し 一.物事の利害損得、真実を見極め、宇宙の 道理に適う行いをすべし
[編集] 明治時代以降の武士道の解釈
明治維新後、「四民平等」の布告により武士は事実上、滅び去った。実際、明治15年の「軍人勅諭」では、武士道ではなく「忠節」でもって天皇に仕えることとされた。ところが、日清戦争以降「武士道」が再評価されるようになる。
[編集] キリスト者による武士道の流用
例えば井上哲次郎に代表される国家主義者たちは武士道を日本民族の道徳、国民道徳と同一視しようとした。また、内村鑑三、新渡戸稲造らキリスト者による武士道の流用も見逃せない。山折哲雄によれば、新渡戸は渡米時に自らに向けられた人種差別に苦しみ、自分を差別しなかった一部のキリスト者の倫理観に感銘を受け、それに相当するものを日本思想史に探した時に「武士道」を発見したのだとされる。これが新渡戸の著した『武士道』(Bushido: The Soul of Japan)の成立の背景である。本書は1900年に刊行され、広く海外で読まれた後、逆輸入され日本語版が出版されて「武士道」ブームを起こした。
この本の中で新渡戸は武士道と騎士道を比較し、武士道が日本人の倫理思想の核になっていると主張した。ただ、山折によれば新渡戸の武士道は実際の武家の思想よりもキリスト教倫理の影響が強く、いわば「伝統の創造」であったとされる(『さまよえる日本宗教』)。
新渡戸の著作の影響もあり、Bushidoは、世界でそのまま通じる言葉となっている。
[編集] 参考書籍
- 『さまよえる日本宗教』山折哲雄 中央公論社 2004年
- 『武士道の逆襲』 菅野覚明 講談社現代新書 ISBN 4061497413
- 『武士の成立 武士像の創出』 髙橋昌明 東京大学出版会 ISBN 4130201220
- 『戦場の精神史 武士道という幻影』 佐伯真一 NHK出版 ISBN 4140019980
- 『BUSHIDO:THE SOUL of JAPAN』 新渡戸稲造
- 矢内原忠雄訳『武士道』(1938年)岩波文庫 ISBN 4003311817
- 奈良本辰也訳『武士道』(1997年)三笠書房 ISBN 4837917003
- "Bushido", Nitobe Inazo 電子テキスト全文(Project Gutenberg)
- 『江戸三〇〇年「普通の武士」はこう生きた―誰も知らないホントの姿』八幡和郎、臼井喜法 ベスト新書 92 ベストセラーズ ISBN 4584120927
- 『『葉隠』の武士道 誤解された「死狂い」の思想』山本博文 PHP新書 PHP研究所 ISBN 4569619401