武幸四郎
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武幸四郎(たけ こうしろう、1978年11月3日 - )は、日本中央競馬会(JRA)栗東所属の騎手である。滋賀県栗太郡栗東町(現在の栗東市)出身。騎手時代「ターフの魔術師」と呼ばれ、現在調教師として活躍している武邦彦の四男で、男4人兄弟である。3男は武豊。叔従父は武宏平調教師ではとこの武英智もJRAの騎手。身長173.9cm。
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[編集] 来歴
初騎乗は1997年3月1日、阪神競馬第1競走のメイショウユリヒメで、13頭立ての6着に終わる。翌3月2日、マイラーズカップ(GII)でオースミタイクーンに騎乗し、11番人気という低評価を覆し快勝。初勝利が重賞制覇という快挙を成し遂げた。ちなみに、ほぼ同時間帯に中山競馬場では弥生賞が行なわれ、兄・武豊騎乗のランニングゲイルが勝利。兄弟同日重賞制覇となった(兄・豊も幸四郎の快挙に「恐れ入りました」とコメントしている)。オースミタイクーンとのコンビでは、同年のGIIIセントウルステークス(9月28日)も制覇すると、年末の第42回有馬記念(12月21日)ではシルクジャスティスの5着と好走した。同年のJRA賞で最多勝利新人騎手を受賞した。なお、兄・豊も1987年に最多勝利新人騎手を受賞しており、史上初の兄弟受賞である。
穴男として有名で、2000年10月15日の第5回秋華賞では10番人気のティコティコタックに騎乗し、初のGI勝利。2着に7番人気のヤマカツスズランが入り、大波乱となった。GI2勝目は第8回NHKマイルカップ(2003年5月11日)。このときの騎乗馬のウインクリューガーは9番人気で、2着には5番人気のエイシンツルギザンが入り万馬券となった。そして2006年10月22日の第67回菊花賞では8番人気のソングオブウインドに騎乗して3.02.7のレコードタイムで快勝。待望のクラシック初制覇を果たすが、これも大本命の二冠馬メイショウサムソンを破る大金星であった。さらに2007年のすばるステークスでモンテタイウンに騎乗し13番人気ながら勝利、2着に12番人気のスズジャパンが入り京都競馬場の最高配当額を記録した。
兄と同じ様な歴史的名馬との出会いは現在のところまだ無いが、90年代後半から2000年代初頭にダート戦で怒涛の追い込みを武器に活躍したブロードアピールは武幸四郎が素質を開花させた。それまでは中団からのレースが多く、重賞タイトルに今ひとつ届かなかった同馬を、最後方からの競馬を試したのが武幸四郎だった。このコンビでシルクロードステークスと根岸ステークスに勝利した。特にダート戦ながら上がり3ハロン33秒台の末脚を繰り出し、直線で全馬を抜き去った根岸ステークスの競馬は、2000年のベストレースの一つとして名が挙げる。
同期には秋山真一郎や勝浦正樹(テレグノシスで2002年NHKマイルカップを制覇)などがいるが、競馬学校で1期上の先輩である福永祐一と仲が良い。また最近は5月の新潟開催をはじめ関東のローカル開催にも積極的に足を伸ばしている。特に小島太厩舎からの騎乗依頼が多い。
2007年には、調教師転身により引退した本田優の後を受けて、前年の二冠牝馬カワカミプリンセスの主戦騎手を任されることとなり、今後その手綱捌きに多くの注目が集まる事だろう。
[編集] 成績表
年 | 勝利数・連対率 | 備考 |
---|---|---|
1997年 | 37勝 (.154) | JRA賞(最多勝利新人騎手) |
1998年 | 31勝 (.120) | |
1999年 | 62勝 (.196) | |
2000年 | 59勝 (.181) | |
2001年 | 47勝 (.192) | |
2002年 | 49勝 (.180) | |
2003年 | 49勝 (.157) | |
2004年 | 61勝 (.182) | |
2005年 | 28勝 (.149) | |
2006年 | 59勝 (.190) |
[編集] 記録
- JRA史上最年少重賞勝利(1996年マイラーズカップ オースミタイクーン) - 18歳3か月27日
- JRA初勝利が初重賞勝利(同上) - 1996年3月2日
- JRA賞最多勝利新人騎手 - 兄弟受賞はJRA史上初
- 親子2代菊花賞制覇(父・邦彦1973年タケホープほか3勝 幸四郎2006年ソングオブウインド) - 兄・豊に次いで2組め
- 兄弟菊花賞制覇(兄・豊1988年スーパークリークほか4勝 幸四郎同上) - JRA史上初
[編集] GI競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別)
- 2000年
- 秋華賞(ティコティコタック)
- 2003年
- NHKマイルカップ(ウインクリューガー)
- 2006年
- 菊花賞(ソングオブウインド)
[編集] エピソード
- 小さい頃から兄・豊に憧れ、小学生ぐらいから兄の応援に競馬場に駆けつけていた。また、部屋には兄が騎乗してる競馬ポスターを貼りまくっていて、兄・豊はテレビや雑誌などで度々その時の感想を冗談交じりに「気持ち悪かった」と語っている。
- 騎手としては長身の173.9cm(公式)で、その長身を活かした美しいフォームが特徴。長身の割には体重が51kg(調整ルームで過酷な減量を行ってると公言してることや、負担重量54kg未満での騎乗が稀であることを考えると、騎乗時以外の普段はもっと重いと思われる)と非常にスリムな体型で、肋骨が浮き出て見えるほどである。この痩せすぎが災いして、サウナに入っていた時にのぼせかけ、一緒に入っていた中年男性に「お前、何がしたいんや!?」と心配されたことがある。
- 兄・豊も170cmと騎手としては長身である。
- 過酷な減量と体型のせいで「骨年齢が70代近い」と診断されたことがある。しかし、本人は「体型を維持しないといけないから仕方がないこと」と納得している。
- 競馬マスコミ以外に出演機会が多いため、芸能プロダクション・シンクバンクに所属している(JRA騎手田中勝春も同事務所に所属している)。
- フジテレビの『ジャンクSPORTS』では合コン好きが定着し準レギュラー化している。また飄々としたキャラクターであるせいか司会のダウンタウン浜田雅功の突っ込みが多い。
- 武幸四郎にナンパを教えたのは福永祐一であり、「栗東トレーニングセンターの合コン部部長」が福永で「副部長」が武幸四郎であるらしい。
- 2003年には当時スーパー競馬で司会を務め、同番組から親交があったフジテレビの高島彩アナウンサーとの熱愛が写真週刊誌に報じられ、撮影された日が体調不良で騎乗をキャンセルしていた日曜日であったことがわかり大問題となったが、処分は無かった。
- サバアレルギーを持っており、かつて出演した『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「食わず嫌い王決定戦」でサバ寿司を食べた際に悶絶した事がある(対戦相手は山口もえ)。
- 幸四郎の誕生直前の菊花賞において、父・邦彦が3度目の勝利(1978年インターグシケン)を挙げていた。このため名前の候補として「菊三」という名が挙がっていたが、却下され現在の名前に落ち着いた。以上の秘話がスポーツニッポン紙面の武豊によるコラムの中で明された。
- 「天才」の弟としては、現状物足りない成績ではあるが、晩成型であった「魔術師」父邦彦のように、今後の大活躍が競馬ファンから期待されている騎手である。騎手としては兄同様の規格外れの長身を持て余した騎乗フォームも年々修正され、冒頭にある「美しい騎乗フォーム」が完成されつつある。また父や兄と違う「穴男」としての魅力もあり、ブロードアピールでの根岸ステークスにおける全馬を抜き去った追い込みやアサクサキングスでのきさらぎ賞における不意をついた先行圧勝劇といった思いもがけない走りをする度胸もある。