毎日放送千里丘放送センター
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毎日放送千里丘放送センター(まいにちほうそう せんりおかほうそう - )は、大阪府吹田市千里丘北1-1に所在するスタジオである。かつて毎日放送(MBS)の本社およびスタジオであったが、本社機能は1990年9月1日に大阪市北区茶屋町へ移転した。ただ、老朽化などから、2007年度を目処に閉鎖されることが決まっている。
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[編集] 施設概要
茶屋町に本社が移転するまでは、大阪市北区堂島1丁目の毎日大阪会館北館に登記上の本社(総務、営業、経理など企業運営部門)を、千里丘にテレビ・ラジオのスタジオと送出マスターを置いていた。別名:『毎日放送千里丘スタジオ』・「MBS千里丘スタジオ」と呼ぶ。JNN系・TBS系列局で本社演奏所以外にこの様な放送施設を所有しているのはTBSの緑山スタジオ・シティとMBSの千里丘放送センターの2つであったが、現在はMBSのテレビ制作の殆どが茶屋町本社と大阪市此花区のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)にある『MBSスタジオ in USJ』に移行しており、現在千里丘放送センターはスタジオとしては殆ど機能していないが、茶屋町本社が万が一送出不能になった場合に備えた予備系として残している。
[編集] 歴史
MBSの専務だった高橋信三(後に社長・会長を歴任)が、1950年代後半に4カ月間、アメリカの放送局を視察し、ワシントンD.C.の郊外にあるNBCの放送センターにヒントを得て、日本にも市街地の郊外に放送センターを作ろうと、大阪市郊外の千里丘陵にスタジオを建設することを計画。当時の千里丘陵は、草や木が多く繁っていたが、千里ニュータウンの建設や日本万国博覧会(1970年開催)の会場にも内定していたことから、新たな街づくりが進んでいた。千里丘放送センターは1960年に完成、鉄筋コンクリート2階建てで、事務所棟とスタジオ棟(スタジオ数:テレビ4、ラジオ8)からなり1961年から運用を開始した。大阪市内にあったMBSの殆どの部署が移転し、実質的な本社としての機能を持っていた。完成当時は、教育局だった日本教育テレビ(NETテレビ。現・テレビ朝日)とネットを組んでいたことから、自らキー局となって発展しようとした将来展望を見据えて設計され、在阪局では東京キー局に勝るとも劣らない規模と最新鋭の設備を誇った(完成から14年後の1975年3月31日に腸捻転解消によりTBS系列にネットチェンジした)。
[編集] 番組に対するあて先
茶屋町本社へ移転するまでの番組に対するあて先は「大阪吹田千里局区内 毎日放送 OO係」と知らせていた。但し、「アップダウンクイズ」のあて先は千里丘では無く、スポンサーのロート製薬の本社のある「大阪生野局区内 ロート製薬 アップダウンクイズ係」だった。
[編集] 広大な敷地内
敷地内には、スタジオ・事務所棟以外にも、公開ホール兼収録スタジオだった「ミリカホール」(閉鎖)や「MBSミリカスポーツ」(ミリカプール、テニスコート、ミリカゴルフセンターから構成されていたが、ゴルフセンター以外は2006年末で閉鎖)、民放初の放送資料館だった「放送文化館」(閉鎖)などの施設があった。開設当初はTBS緑山スタジオに現存するような巨大なオープンスタジオスペースも設けられていた。最近は敷地内の一部が売却されて、その土地にイオン系列のスーパーマーケット「マックスバリュ吹田千里丘店」が新たに建てられた。また、敷地内の野球場で1990年、ボーリング調査を行った際に温泉が湧き出し、1995年、「ミリカ天然温泉 千里の湯」として一般向けに営業を開始したが、2006年末で閉鎖された。スタジオ周辺には千里丘陵、エキスポランド(日本万国博覧会会場跡地)、太陽の塔(岡本太郎作)、吹田インターチェンジ、JR千里丘駅などがある。千里丘駅と阪急茨木市駅からそれぞれ送迎バスを運行している。
[編集] 制作された番組と現在の状況
「アップダウンクイズ」、「がっちり買いまショウ」、「ヤングおー!おー!」、「突然ガバチョ!」といった名番組を生み出し、MBSの黄金時代を築いた場所として使われてきたが、2001年4月、大阪市此花区のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に「MBSスタジオ in USJ」が完成、「痛快!明石家電視台」や「ドラマ30」など千里丘で制作されていた番組の殆どがUSJに移転した。その後、千里丘のテレビスタジオはMBSのテレビ番組で使われたセットの倉庫として使われた。ラジオスタジオは、茶屋町に移転後はラジオドラマの録音などで使用された。労働組合の事務所など一部の部署は暫くの間は千里丘に残っていた。
[編集] 中継車は大阪ナンバー
テレビ・ラジオの中継車の車庫は、現在も千里丘にある(そのためナンバープレートの地名表示は北摂・東大阪地域で登録される大阪ナンバーとなっている)。
[編集] 今後
現在はラジオの収録や記録保存業務以外では殆ど使用しておらず、一時はリニューアルされる計画もあったが、年間の管理費高騰の問題と建物の老朽化のため、2007年度をもって閉鎖されることになり、2007年1月9日に行われたMBSの山本雅弘社長の年頭会見で、千里丘放送センターの土地約13haを売却したことを明らかにした。買い手は、大京、長谷工コーポレーション、東京建物など大手不動産メーカー5社の企業連合で、跡地には大規模なマンションが建設される予定。
[編集] 将来
売却後の敷地内は、MBSのグループ企業「ミリカスポーツ振興」が運営するゴルフ練習場「ミリカゴルフセンター」はそのまま残る予定。
また、売り残した土地には「毎日放送千里丘中継車庫他新築計画」が進行中。事業区域面積8074m2、高さ9.40m、2階建てで、中継車庫、倉庫、事務所が入る予定。
また、2007年4月から6月までの間、「ありがとう浜村淳です」や「MBSヤングタウン」などが放送されたラジオスタジオを開放するなど、閉鎖に伴うイベントと特別番組も放送予定。
テレビ用の最後の収録は「ちちんぷいぷい (テレビ番組)」で放送された坂田藤十郎 (4代目)と角淳一との対談 (2007年4月9日放送)。満開の桜のもとで撮影された。
[編集] 千里丘で制作された番組
☆は茶屋町移転後も引き続き千里丘で収録もしくは生放送。
★は茶屋町移転後に放送が開始された番組。
[編集] テレビ
- アップダウンクイズ
- がっちり買いまショウ
- ヤングおー!おー!
- 八木治郎ショー
- 八木治郎ショー・いい朝8時
- ☆すてきな出逢い いい朝8時(1998年9月まで千里丘から放送)
- ダイビングクイズ
- 突然ガバチョ!
- ☆あまからアベニュー
- ☆あどりぶランド(1990年9月26日まで千里丘から放送)
- ☆乾杯!トークそんぐ
- MBSナウ(1990年8月31日まで千里丘から放送)
- MBSニュース(1990年8月31日まで千里丘から放送)
- ☆痛快!明石家電視台(現在はUSJ制作)
- ★たかじんONEMAN(現在はUSJ制作)
- ほか。
[編集] ラジオ
- MBSヤングタウン
- ありがとう浜村淳です
- ごめんやす馬場章夫です
- ★MBSドラマの風(一部の作品を除く)
- ほか。
[編集] 補足
- ミリカとは、千里丘放送センターを建設する際、敷地内に立っていたヤマモモの木に由来しており、ミリカ(Myrica)はヤマモモの仏記表記及び学名。
- 吉本新喜劇の島木譲二は、芸能界に入る前に千里丘放送センターの警備員として働いていた。