河村たかし
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生年月日 | 1948年(昭和23年)11月3日 |
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出生地 | 愛知県名古屋市東区 |
出身校 | 一橋大学商学部卒業 |
学位・資格 | 商学士 |
前職・院外役職(現在) | 会社役員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆・法務委員会委員 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
愛知1区 |
当選回数 | 5回 |
所属党派(現在) | 民主党 |
党役職(現在) | 中小企業局次長 愛知県総支部連合会顧問 |
会館部屋番号 | 衆・第1議員会館537号室 |
ウェブサイト | [1] |
河村 たかし(かわむら たかし、1948年(昭和23年)11月3日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。本名の表記は、河村 隆之(読みは同じ)。
目次 |
[編集] 概要
- 1948年11月3日に生まれる。家業は古紙回収業の河村商事株式会社。愛知県立旭丘高等学校を経て、1972年一橋大学商学部を卒業後、実家の会社に勤務しながら(2002年退社し長男が継ぐ)、司法試験を8回受験するも不合格。
- 次第に政治への関心を強め、時の民社党委員長春日一幸の秘書となる。
- 名古屋市長選挙に出馬しようとしたが、党公認を受けられず無所属での立候補を願ったが、これも春日一幸の圧力で断念、民社党を離党する。
- 1990年 - 愛知1区(旧)から保守系無所属・宏池会新人候補として立候補するが落選する。
- 1993年7月 - 第40回衆議院議員総選挙に日本新党(1992・5-1994・12)公認で愛知1区(旧)から立候補し当選する。
- 同年8月の党役員人事で山田宏立法調整委員長(国会対策委員長に相当)の下で立法調整副委員長に就任し国会対策や議院運営で奔走する。
- 1994年12月 - 日本新党解党により新進党(1994・12-1997・12)に参加する。
- 早速、新進党のNPOパートナーズ(1995年3月)の座長を務め、新進党NPO法案作成の実質的主導者として、1998年3月19日「特定非営利活動促進法」成立に尽力。NPOの財政基盤強化のため必要不可欠な寄付金控除を認める税制改正は、与党の反対で実現できなかった。
- 1998年1月6日結成の自由党 (日本)(1998・1-2003・9)に参加するが、1998年3月19日「特定非営利活動促進法」成立を区切りに1998年4月に離党し無所属
- 1998年12月に民主党 (1996-)(第一期1996・9-1998・4 第二期1998・4-)に参加する。
- 1999年7月22日 - 衆院本会議の国旗国歌法案の採決では反対票を投じた。
- 2002年9月 - 民主党 (1996-)代表選挙では、菅直人、鳩山由紀夫の二枚看板(いわゆる「鳩菅体制」)に危機感を覚え、世代交代を図るため野田佳彦、前原誠司、松沢成文らと「第二期民主党をつくる有志の会」を結成する。
- 2005年9月 - 民主党代表選挙に名乗りを上げたが、推薦人20人を確保できず(18名まで確保)、立候補を断念した。
- 2006年3月31日 - 前原執行部の総辞職を受けて民主党代表選挙に立候補を表明し、朝からテレビに出演し政策をアピールし、推薦人確保に奔走したが締切りである4月7日10時までに20人に達せず断念。
- 小沢代表の続投が規定路線だった2006年9月12日の民主党代表選挙に出馬意欲表明。8月29日、小沢代表が初めて出馬表明した翌日に記者会見。この時点での確保推薦人数は5人ぐらい(本人談)であった。
- 当選以来、一貫して非自民党である、自身が所属した政党が自民党と連立をした事がない。
- この間、2005年4月の名古屋市長選挙に出馬を表明。再選を期す現職市長との事実上の一騎打ちは、久々の本格選挙として注目を集めたが、断念した。今でも出馬断念を悔やむ市民がいる。
- 2006年10月6日 - 自民党の筒井タカヤ愛知県議会議員を名誉毀損で愛知県警に告訴。内容は「宮沢派を標榜している、名古屋市長選では仲間の議員は誰も推薦人になっていない、売名行為」などの中傷の言葉が筒井タカヤ愛知県議会議員のホームページに並べられていたため。
- 「議員の一番大事な仕事は、減税の実現」と声高に吼え続ける庶民政治家
- 2007年1月19日に放送された文化放送の番組内で、番組の放送開始当初から誓約していた通り、赤坂の議員宿舎には入居せず、地下鉄千代田線沿線の自身で賃貸契約したマンションに“自腹”で入居した事を告知した。この告知でリスナーから高い評価を受ける。
- 2007年2月25日現在の【健康保険証不正使用問題・医療機関による不正請求】の詳しい内容は山木陽介#政治活動を参照
[編集] 人物
- 名古屋弁丸出し(ただし、わざと大袈裟に名古屋弁を使っているという意見もある)で、自ら「名古屋から総理を狙う男」と公言している。選挙期間中は街宣車を極力使わず徒歩や自転車による街宣活動(本人曰く「自転車での街宣活動は自分が最初」と言っている)を行い、庶民型政治家をアピールしている。メディアへの出演が多いため、知名度も高いといえる。
- 河村の親友である西村眞悟があるテレビ番組で語ったところによると、河村は春日一幸の秘書時代に、春日自身から夫と死別した愛娘と結婚する様に勧められたという。既に妻子があった河村が固辞したところ、春日は「そんなことは関係ない!」と語ったとされる。
- テレビに出演した際の最初の挨拶は、必ず「ご厄介になります。」という。これはどの番組に出演した際も同じである。
- 国会議員は原則無償であるべきと考えている。
- また、議員年金廃止活動では民主党内で最も熱心である。
- クイズ$ミリオネア「現役政治家大会」に登場。総理になる身として1千万円獲得は当たり前と豪語したが、ライフラインを中盤で使い切ってしまい、あえなく脱落した。
- 民主党代表選挙に出馬すると明言しながらいつも推薦人20人を確保できないことから、ビートたけしのTVタックルでは浜田幸一に「代表選にでると言っておきながら推薦人20人確保できないのはお前だけだと」苦言を呈された。
- 民主党代表選挙で毎回推薦人20人を確保できないことについて、ムーブ!にゲスト出演した時に「永遠の総理候補」と言われてしまっている。
- ビートたけしのTVタックル、たけし・逸見の平成教育委員会、日本を救うのは私だ!大改革!!法案ファイト!、スーパーモーニング、たかじんのそこまで言って委員会、みのもんたの朝ズバッ!などの政治討論番組の他にもクイズ$ミリオネアなどのクイズ番組にも出演していることから幅広い層から知名度が高く、第44回衆議院議員総選挙では民主党は記録的な大敗であったが、自身の選挙区(愛知1区)では自民党候補などを大差で下した。
- また、平沢勝栄とも親しい。
※支持者からテレビに出るときはなるべく標準語で喋ってくれと懇願され2006年11月初旬頃よりテレビ・ラジオ等で標準語を意識して喋り始める
[編集] 著書
- 『国破れて議員あり』 徳間書店 2004年7月 ISBN 4-19-861883-6
- 『おい河村!おみゃあ、いつになったら総理になるんだ -- 反骨のサムライ世直し十番勝負!』 KKロングセラーズ 2006年9月 ISBN 4-8454-2099-6