添田線
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添田線(そえだせん)
- 初代:1943年5月1日、小倉鉄道の戦時買収により誕生した鉄道省(→日本国有鉄道)の鉄道路線。日田彦山線の前身で、2.の区間を含む。1956年3月15日、日田線に改称。
- 2代:1960年4月1日、日田線の一部を区間分離して誕生した日本国有鉄道の鉄道路線。1985年4月1日廃止。本項で詳述。
添田線(そえだせん)とは、福岡県田川郡香春町の香春駅から同郡添田町の添田駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。北海道の美幸線と並び称された赤字ローカル線の横綱格で、1980年の国鉄再建法施行により第1次特定地方交通線に指定され、1985年に廃止された。
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[編集] 路線データ(廃止時)
[編集] 歴史
1960年に、日田線(現在の日田彦山線)の一部を分離したものである。もともとは、石灰石や石炭を輸送するため小倉鉄道が建設した鉄道路線であったが、1943年に戦時買収され国有鉄道添田線(初代)となった。
添田線(初代)は、戦後、城野付近及び香春付近のルート変更並びに延伸が行なわれ、日田線に改称されたが、沿線の中心都市である田川市の市街地(伊田、後藤寺)を経由しなかったことから、実際の運転系統にあわせて1960年に田川線の一部を編入するとともに、本路線を添田線として分離し、現在見られる日田彦山線の線形が完成した。
添田線は日田線の内、前述の通り田川市の中心市街地を経由しない閑散区間を分離して成立したこともあり、完全に旅客・貨物の流れから外れ、営業係数(100円の収入を得るのにかかる費用を表す数値)ワーストワンを北海道の美幸線・深名線・白糠線などと争う常連線区となっていった。1976年度のそれは3,376という有様だった。
- 1915年4月1日 【開業】小倉鉄道 (東小倉~)上香春~大任~上添田(24.5M) 【駅開業】上香春、上伊田(停留場)、今任、梅田、伊原、上添田
- 1922年12月1日 【停留場→駅】上伊田
- 1931年~1934年頃 【駅名改称】上添田→彦山口
- 1933年10月23日 【駅新設】上今任(停留場)、柿原(停留場)
- 1935年4月1日 【駅新設】一本松(停留場)
- 1936年12月30日 【駅新設】豆塚(停留場)
- 1942年6月10日 【駅廃止】一本松(停留場)、上今任(停留場)、柿原(停留場)、豆塚(停留場)
- 1942年8月25日 【駅名改称】彦山口→添田(2代)
- 1943年5月1日 【買収・国有化】添田線(初代)の一部 東小倉~添田(27.3km) 【駅名改称】上香春→香春、梅田→大任
- 1956年3月15日 【線名改称】日田線の一部 東小倉~大任~夜明(68.5km。添田線(初代)に田川線添田~彦山間及び彦山線を編入し改称)
- 1960年4月1日 【区間分離】添田線 香春~大任~添田(12.1km。日田線から分離)
- 1981年9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認
- 1985年4月1日 【廃止】全線(-12.2km)。バス転換(西鉄バス→添田交通→西鉄バス筑豊)
[編集] 駅一覧
香春駅 - 一本松停留場 - 上伊田駅 - 今任駅(いまとう) - 上今任停留場 - 柿原停留場(かきばる) - 大任駅(おおとう) - 伊原駅(いばる) - 豆塚停留場 - 添田駅
[編集] 接続路線
- 香春駅:日田彦山線
- 添田駅:日田彦山線
[編集] 廃止後の状況
日田彦山線と並走して、分岐した後田川線(現平成筑豊鉄道)と交差する箇所までは路盤が残るが、レールや橋梁は撤去されている。残りの廃線跡はほぼ全線道路化されている。
上伊田駅跡はその位置さえ分からなくなっている。この上伊田駅と現在平成筑豊鉄道田川線にある上伊田駅とは別の駅である。 今任駅跡は公園になっているが、やはり駅跡を示すものはない。大任駅跡も交通公園になっており、腕木式信号機や車輪などが設置されている。また、駅があったことを説明する看板があったが、現在は撤去されている。伊原駅跡は駅の痕跡を示すものはない。