渡辺晋
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渡辺 晋(わたなべ しん、1927年3月2日 - 1987年1月31日)は、実業家・芸能プロモーター。ベーシスト。
日本の芸能事務所の草分け的存在である渡辺プロダクション(通称:ナベプロ)の創業者。妻は、渡辺プロダクション代表取締役会長の渡邊美佐。ワタナベエンターテインメント代表取締役社長、渡辺プロダクション副社長の渡辺ミキは長女。トップコート代表取締役社長の渡辺万由美は次女。
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[編集] 来歴・人物
東京都出身。早稲田大学法学部在学中の1951年、松本英彦、中村八大らと『渡辺晋とシックス・ジョーズ』を結成。リーダーの渡辺はベースを担当して人気を集めた。やがて渡辺はプロダクション経営を考え始め、1955年4月、妻・美佐、松下治夫とともに渡辺プロダクションを設立。当時、芸能人の地方公演はそれぞれの土地の興行師が実権を握り、不明朗なことが少なくなく、それをタレントを抱えた自分のプロダクションの手で行い、利益と権利を確保しようという狙いがあった。それまではレコード会社の専属抱えだった歌手・作詞家・作曲家を渡辺プロの傘下に集結させ、芸能界初の月給制を導入。さらにこれまでレコード会社で行われていた原盤制作を系列の渡辺音楽出版の手で作らせ、プロダクションに莫大な利益をもたらすようにした。こうして巨大化した渡辺プロはナベプロ帝国と呼ばれ、渡辺は芸能界のドンとして君臨するようになった。政財界にも強力なコネクションを持ち、マスメディアがナベプロを批判することはタブーとなった。
しかし、日本テレビ系列で始まったオーディション番組『スター誕生!』によるホリプロや数年間提携していたジャニーズ事務所など、更に吉本興業、バーニングプロダクション他のプロダクションの台頭、伊東ゆかり、森進一、木の実ナナ、布施明など人気タレントの相次ぐ独立もあり、1970年代後半から徐々にナベプロ帝国の影響力に陰りが見え始めた。それに合わせるかのように、ナベプロ帝国を築き上げた渡辺自身も体調を崩すようになり、1987年1月31日、59歳の若さで急逝した。
[編集] 渡辺晋を扱った作品
[編集] 文献
- ナベプロ帝国の興亡(軍司貞則著・1992年3月・文藝春秋) ISBN 4163460101
- 「芸能ビジネス」を創った男 ナベプロとその時代(野地秩嘉著・2006年3月・新潮社)ISBN 410414102X
[編集] テレビドラマ
- フジテレビ系ザ・ヒットパレード~芸能界を変えた男・渡辺晋物語~
- 2006年5月26・27日放送
[編集] 演じた俳優
- 中丸忠雄 - 『シャボン玉の消えた日』(日本テレビ) - キャストのクレジットでは「プロダクション社長」
- 柳葉敏郎 - 「ザ・ヒットパレード~芸能界を変えた男・渡辺晋物語」(2006年5月、フジテレビ系)
- 原田泰造 - ミュージカル「ザ・ヒットパレード~ショウと私を愛した夫~」(2007年7月、ル テアトル銀座で公演予定)
[編集] 関連人物
[編集] 外部リンク
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