浜村淳
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浜村 淳(はまむら じゅん・JUN HAMAMURA、1935年1月10日 - )は、日本のタレント、パーソナリティ、映画評論家、司会者。本名塩浜 真(しおはま まこと)。
京都府京都市出身。京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部卒業。MBSラジオの「ありがとう浜村淳です」のパーソナリティを30年以上担当している。
所属事務所は渡辺プロダクション→吉本興業→昭和プロダクションである。
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[編集] 来歴・人物
「さてみなさん(聞いて下さい)」(みにアクセント)等のフレーズと、独特の「浜村節」でお馴染み。関西地方で毎朝流れるラジオ番組、MBSの「ありがとう浜村淳です」の司会を1974年から続けており、朝の8時からほとんどCM無しで喋り続け、驚異的な聴取率を誇っている。1980年代からは大平サブローが緻密なものまねを披露しており、人気を得ている。浜村の物真似の定番は、スパンコールで派手な1970年代を思わせるジャケットに、派手な装飾の色眼鏡(決してサングラスではない)に、色カツラである。
また映画解説でも水野晴郎の様に高い評価を得ている。浜村の映画解説は独特で、映画の内容を詳細にわたって関西弁丸出しで熱演し、ラストシーンはおろかエンドロールに至るまで言及してしまうほど勢いのある物である。これから映画を観ようとする人にとって「観る前にストーリーを明かされた」と思わせるほど、ストーリーを理解している。アクション映画の解説の際には、邦画洋画を問わず「必殺飛燕一文字五段蹴り!」という掛け声を入れるなどの特徴がある。解説はあらかじめ用意された台本などを読んでいるのではなく、完全なアドリブである。これらのことから浜村の映画解説は映画ファンのみならず多くのラジオファンからも熱烈に支持されている。それは通常の解説の域を越え、ひとつの芸と見なされてCD化もなされている。
新聞からの記事を紹介するときには、芝居の節回しや連呼が使われ(「スゴいんです、スゴいんです。何がスゴイかと言いますと…」等)、捲くし立てる様に連呼の後に「…と、いうような」と、緩急のつけ方も巧い。そのとき出てくる言葉にちなんだネタ(映画に関するものが多い)が出てくるなど、豊富な教養と大仰な煽りを駆使して「遠回りしながら」の解説が多く、「○○でしょうか?いえ、そんな事はありません!」等という反語的言い回しも多用する。映画に極めて詳しい一方で芸能関係では、年配の芸能人には詳しいが若手芸能人には詳細に踏み込まず、知識不足を露呈することがある。上岡龍太郎の喋りの師としても知られる。
ディベートの巧みさに関しても筆舌に尽くしがたい技術を持っている。かつて「最後の晩餐」というテレビ番組で、出演者の日頃の言動に対する視聴者からのお叱りのはがきを読むコーナーがあり、浜村に対しては「映画解説の内容に嘘がある」という内容のクレームが届いていた。他の出演者は軒並み平謝りだったのに対して浜村は、「なぜ、私の映画解説に『嘘』があるという噂が立ったのか。それはおすぎが言ったのです。おすぎがラジオで『浜村さんは脚色している』という噂を流したのです!!」と言い切って、出演者の中で唯一人クレームを言い負かしたというエピソードがある。
星座は山羊座、血液型はA型。阪神タイガースの吉田義男元監督、俳優の山城新伍、元サッカー選手(日本代表)の釜本邦茂、MBSアナウンサーの野村啓司は、高校の後輩である。また、オリコン創業者で前社長の小池聰行(故人)とは大学の同じゼミナールに所属していた。
東京の渡辺プロ所属時代は一生懸命東京弁を覚えたりとかの苦労も味わったものの、事務所の後輩であるザ・ピーナッツ達と同様、渡辺晋社長宅に下宿しながら司会業をこなしていた。
今でも関西の古いバンドマン・シンガーからは、本名をもじった「まこチャン」と呼ばれることがある。
「人に年齢を尋ねるのは無粋」とのポリシーから、人に年齢を聞かないと同時に自らの年齢についても進んでは語らない。ラジオで年齢を言うときは決まって38歳である。人から年齢を聞かれると「アラン・ドロンと同じです」とだけ答える。相手がなおも「アラン・ドロンっていくつでしたっけ」と聞いてくる場合は、「私と同じです」と答えるのである。
2006年、徳川夢声市民賞を受賞。授賞式と記念講演は12月10日に島根県益田市で行われた。
[編集] 作品
[編集] アルバム
- 浜村淳の実話怪談「大幽霊屋敷」(1998年)
- 甦る心の名画座(2004年)
[編集] 出演
[編集] テレビ番組
- クイズホントにホント(1975年~1981年、NHK総合テレビ)
- 浜村淳の人・街・夢(関西テレビ)
- かんさい珍版・瓦版(毎日放送テレビ)
- 上方漫才まつり(毎日放送テレビ)
- シェフにおまかせ!(1981年~1983年、毎日放送テレビ)
- 最後の晩餐(2000年~2002年、よみうりテレビ)
- 2時のワイドショー(1979年~1992年、よみうりテレビ)
- 浜村淳の大阪夢散歩(関西テレビ)
- 全日本有線放送大賞(1968年~1991年、よみうりテレビ)
- 夕やけニャンニャン(1985年~1987年、フジテレビ)
- また又・三匹が斬る!(1991年4月 - 9月放送)~新・三匹が斬る!(1992年7月 - 1993年2月放送)ナレーター、また又・三匹が斬る!の1話に出演。仁兵衛役
- 映画へようこそ・解説(毎日放送テレビ)
- 健康手帖(テレビ大阪)
[編集] ラジオ
- ヒットでヒット!バチョンと行こう→サタデーバチョン(~1991年、ラジオ大阪)
- ありがとう浜村淳です(1974年~、MBSラジオ)
- 浜村淳の日曜夢語り(~2006年、MBSラジオ)
- 浜村淳の茶屋町チャ・チャ・チャ(2006年4~9月、MBSラジオ)
- 浜村淳のなんばでルンバ!(2006年10月~MBSラジオ)
- かんさい土曜ほっとタイム(1995年~、NHKラジオ第一、第4土曜日のみ出演)
- お待たせしました 浜村淳です! (TBSラジオ)
- 古今東西 浜村淳! (TBSラジオ)
- ストリーム(TBSラジオ) ※金曜日のリスナーズ・チョイス「小西克哉のブラボーシネマ」の映画紹介で不定期出演。
- ヤンタンスペシャルサンデー 浜村淳の茶屋町クスクス(1991年~1992年、毎日放送ラジオ)
- 毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク
[編集] 映画
- 続・新悪名(1962年)のど自慢の司会役
- GREEN BOY グリーンボーイ(1989年)
- 風、スローダウン(1991年)踏切の男
- ビリケン(1996年シネカノン)
- PiPi とべないホタル(1996年)※声のみの出演
- 大阪物語(1999年)
- かぞくのひけつ(2006年シマフィルム)性病科の医師役
[編集] CD
- 大阪でもまれた男/THE BOOM(1999年)
- ハッピー ラッシュ!/BLACK BOTTOM BRASS BAND(2003年)
- ハロー!プロジェクトラジオドラマ大阪編 Vol.1(2004年)
- ハロー!プロジェクトラジオドラマ大阪編 Vol.2(2004年)
[編集] CM
[編集] 書籍
- 淳のしゃべりしにものぐるい (ラジオ大阪編・ブック社発行、1975年5月26日第一刷発行 860円)
- 浜村淳の話し上手を心でつかめ(1984年、ひかりのくに)
- 星影の飛鳥(1989年、羊書房[素人社])
- 淳ちゃんの名作映画をありがとう(1992年、イグザミナ)
- 源氏物語 花はむらさき(1994年、プラザ[青心社])
- 浜村淳のお話大好き(1999年、毎日新聞社)
- さてみなさん聞いてください 浜村淳ラジオ話芸(2003年、西日本出版社)
[編集] ゲーム
- 大幽霊屋敷(だいおばけやしき)~浜村淳の実話怪談~(プレイステーション、1998年、ヴィジット)
[編集] 備考
- 芸能人としては初めて、国立大学(和歌山大学経済学部)の講師となったことで話題になり、1994年、追手門学院大学文学部講師として再び教壇に立った。
- ユニバーサルスタジオジャパンがオープンしたとき、関西では「浜村淳は連れて行かない」というテレビCMが放映された(机に大金を積まれて行くことを断念させられそうになるが、「何でですねん?」と問い返すという内容)。オープン後、彼が初めてUSJに行く模様が毎日放送テレビのバラエティ番組で実況中継された。
[編集] 外部リンク
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