湧網線
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湧網線(ゆうもうせん)は、日本国有鉄道が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道紋別郡上湧別町(網走支庁管内)の中湧別駅で名寄本線から分岐し、サロマ湖、オホーツク海、能取湖等の沿岸を巡って網走市の網走駅に至る。1960年代より沿線の過疎化やモータリゼーションの進行で利用者が減り、国鉄再建法の制定にともない第2次特定地方交通線に指定され、国鉄民営化直前の1987年に廃止された。末期の列車本数は1日5往復まで減らされていた。
数あるローカル線の中でも、屈指の車窓風景を誇る路線として知られ、廃線敷はサイクリングロードとして活用されている。
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[編集] 路線データ(廃止時)
- 管轄:日本国有鉄道
- 路線距離(営業キロ):中湧別~網走 89.8km
- 駅・仮乗降場数:27(起終点駅を含む。駅:16、仮乗降場:11)
- 軌間:1067mm
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:タブレット閉塞式
- 交換可能駅:3(計呂地、佐呂間、常呂)
[編集] 歴史
名寄本線の中湧別と網走本線(現在の石北本線)の網走を短絡する鉄道として計画されたもので、改正鉄道敷設法別表には第146号に「北見国中湧別ヨリ常呂ヲ経テ網走ニ至ル鉄道」として規定されている。
建設は網走側、中湧別側両方から進められ、1935年からそれぞれ湧網東線(ゆうもうとうせん)、湧網西線(ゆうもうさいせん)として順次開業した。太平洋戦争により中断したが、1953年に全通した。
1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化直前の1987年に廃止された。
- 1935年10月10日 - 【開業】湧網東線網走~卯原内(13.2km) 【駅新設】二見ヶ岡、卯原内
- 1936年10月10日 - 【延伸開業】卯原内~常呂(17.1km) 【駅新設】能取、常呂
- 1949年10月20日? - 【仮乗降場新設】北見平和
- 1952年12月6日 - 【延伸開業】常呂~下佐呂間(13.5km) 【駅新設】北見共立、北見富丘、下佐呂間
- 1953年10月22日 - 【延伸開業・全通】佐呂間~下佐呂間(16.7km) 【駅新設】知来、仁倉 【線名改称】湧網東線を湧網西線に編入→湧網線 【駅名改称】中佐呂間→佐呂間
- 1954年1月1日 - 【仮乗降場→駅】北見平和
- 1955年12月25日 - 【仮乗降場新設】福島、志撫子、興生沢、紅葉橋、大曲
- 1956年1月7日 - 【仮乗降場新設】土佐、常呂港、中能取
- 1956年5月1日 - 【仮乗降場新設】東富丘、二見中央
- 1956年8月20日 - 【仮乗降場新設】浜床丹、若里
- 1956年12月20日 - 【仮乗降場新設】堺橋
- 1958年7月1日 - 【仮乗降場新設】五鹿山
- 1963年10月1日 - 【駅名改称】下佐呂間→浜佐呂間
- 1972年2月8日 - 【仮乗降場廃止】土佐、常呂港、中能取
- 1984年6月22日 - 第2次特定地方交通線として廃止承認
- 1987年3月20日 - 【路線廃止】全線。バス転換
[編集] 駅一覧
中湧別駅 - 五鹿山仮乗降場 - 福島仮乗降場 - 芭露駅 - 志撫子仮乗降場 - 計呂地駅 - 浜床丹仮乗降場 - 床丹駅 - 若里仮乗降場 - 佐呂間駅 - 堺橋仮乗降場 - 興生沢仮乗降場 - 知来駅 - 紅葉橋仮乗降場 - 仁倉駅 - 浜佐呂間駅 - 北見富丘駅 - 東富丘仮乗降場 - 北見共立駅 - 土佐仮乗降場 - 常呂駅 - 常呂港仮乗降場 - 能取駅 - 中能取仮乗降場 - 北見平和駅 - 卯原内駅 - 二見中央仮乗降場 - 二見ヶ岡駅 - 大曲仮乗降場 - 網走駅
[編集] 接続路線
[編集] 代替バス
網走バスが網走~中湧別・佐呂間・常呂、佐呂間~中湧別を運行している(時刻表)。 しかし、沿線の過疎化がさらに進んだことや、運賃が鉄道時代と比べて大幅に値上がりしたことなどから、乗客数は減少の一途を辿っており、今後代替バスの存廃問題が浮上する可能性がある。
[編集] 関連項目
- 湧別軌道(下湧別・丁寧間廃線)