熊本城
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本丸 | |
通称 |
銀杏城 |
城郭構造 |
梯郭式平山城 |
天守構造 |
連結式 |
築城主 |
出田秀信 |
築城年 |
1469-87年頃 |
主な改修者 |
加藤清正 |
主な城主 |
加藤氏、細川氏 |
廃城年 |
1874年 |
遺構 |
現存櫓・門・塀、石垣、堀 |
位置 |
熊本城(くまもとじょう)は、熊本県熊本市にある城。日本三名城、日本100名城の一つ。特別史跡。別名、銀杏城、カラス城。
目次 |
[編集] 概要
室町時代に原型である隈本城(くまもとじょう)が築かれる。
現在の熊本城は豊臣政権下で肥後入りした加藤清正の築城と言われている。
江戸時代は熊本藩の藩庁であり藩主の居所であった。広さ約98万平方メートル。反りが特徴的な「武者返し」と呼ばれる石垣を持ち、難攻不落を誇る。大坂城、名古屋城と並んで、日本三名城に数えられる。
明治維新後は熊本鎮台がおかれた。このため西南戦争では政府軍の重要拠点であると同時に西郷軍の重要攻略目標となる。田原坂の戦いを含む激しい攻防が行われたが、熊本城は谷干城指揮の下よく攻撃に耐え、ついに撃退に成功した。
西郷軍の総攻撃2日前1877年(明治10年)2月19日午前11時40分から午後3時まで原因不明の出火で天守(同時に30日間の米、民家約千件)を焼失したが、宇土櫓をはじめ監物櫓(長岡図書預櫓)、平櫓、五間櫓、北十八間櫓、東十八間櫓、源之進櫓、四間櫓、十四間櫓、七間櫓、田子櫓の各櫓、長塀(全長約242m)、不開門は現存。それぞれ国の重要文化財に指定されている。また1960年(昭和35年)に大小の天守が再建された。
2007年(平成19年)は清正による築城400周年にあたり、現在復元事業が進行中である。
[編集] エピソード
- 銀杏城(ぎんなんじょう)という名の由来になっているのは、城内に植えられた銀杏の木。万一、籠城戦になった時の食料確保のため、築城時に加藤清正がこの銀杏を植えたという。また清正は、城内の畳床を食用になる里芋茎で作り、籠城戦に備えたとされる。
- 本丸御殿の最深部には、中国の故事に出てくる王昭君の絵画(襖絵とも屏風絵ともいわれる)のある「昭君之間(しょうくんのま)」と呼ばれる部屋があった。この部屋には鴬張りの廊下や外へと通じる隠し通路があったといい、藩主の居間として使われていたようだが、一説によると、豊臣家の有事に際し秀吉の子秀頼を密かに匿うために造られた部屋であるといわれている。“しょうくん”=“しょうぐん”(将軍)の意であろう(当時は濁点を打たないので、仮名で書けば同一になる)。表面上は天下人の徳川家康に恭順しながらも、秀吉への恩を忘れない清正の忠義を示しているのだという。
- 江戸時代、長きに渡って熊本藩を治めたのは細川氏だった。しかし、西南戦争で天守が焼失する様を地元の人は「清正公(せいしょこ)さんの城が燃えている…」と悲しんだという。
- 西南戦争の際、官軍の守る熊本城を攻め落とすことができなかった西郷隆盛は「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と言い放ったという。
- 城の北東、立田山の中腹には清正が秀吉を祀った豊国廟跡がある。また、城の南西、花岡山の麓の妙解寺跡には細川家の霊廟がある。この二つを結ぶ直線上に天守閣が位置している。
[編集] 形式
大天守は地上三層六重。五層に見えるが、五層と見た場合に二層目にあたる部分と四層目にあたる部分のものは屋根ではなくひさしである。
[編集] 沿革
- 室町時代の文明年間(1469年~1487年)に菊池氏の一族出田氏が茶臼山に築城。
- 1587年(天正15年)豊臣秀吉の九州征伐が一段落すると、佐々成政が城主となる。
- 1601年(慶長6年)加藤清正が大規模に築城する。
- 1607年(慶長12年)完成、「隈本」を「熊本」と改める。
- 1632年(寛永9年)加藤忠広除封後細川忠利が入封。以後細川氏の居城となり明治維新に至る。
- 1871年(明治4年)城内に鎮西鎮台が置かれる。
- 1877年(明治10年)西南戦争の際に西郷軍総攻撃直前に原因不明の出火により天守など建物の多くを焼失。
- 1884年 場内に午砲台が設置され、空砲による報時業務が始まる(1941年廃止)。
- 1933年(昭和8年)「熊本城」(種別:城郭 - 宇土櫓や監物櫓など計13棟)として国宝(現重要文化財)に指定される。
- 1933年(昭和8年)「熊本城跡」として国の史跡に指定される。
- 1955年(昭和30年)「熊本城跡」として国の特別史跡に指定される。
- 1960年(昭和35年)築城350年を期に天守が再建される。
- 2007年(平成19年)築城400年に際し、本丸御殿をはじめ、西出丸の塀、戌亥櫓、元太鼓櫓、奉行丸の塀、未申櫓、南大手門などの建造物を復元の予定。
[編集] 城下町
城下町は西南戦争における戦闘で焼失し、その跡には一般的な市街地が形成されたため、現在では殆ど面影は残されていない。
[編集] 熊本城築城400年祭
[編集] 交通
- 熊本市電 熊本城前電停より 徒歩約3分
- 熊本交通センターより 徒歩約5分
- 熊本交通センターより 九州産交バス「熊本城周遊バス(しろめぐりん)」で約8分 130円(8:30~17:00)
- JR熊本駅より 九州産交バス「熊本城周遊バス(しろめぐりん)」で約18分 130円(8:30~17:00)
[編集] 関連項目
- 日本の城一覧
- 水前寺公園(細川氏の時代に設けられる。)
- くまもとアートポリス