牧野良三
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牧野 良三(まきの りょうぞう、1885年5月26日 - 1961年6月1日)は、日本の政治家。
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[編集] 人物
旅館主・牧野伊平の三男として岐阜県高山市に生まれた。総選挙に通算12回立候補し10回当選した。
戦前は立憲政友会に所属した。政友会内にあっては自由主義の立場に立ち、1939年の政友会の分裂に際しては自由主義的な正統派(総裁・久原房之助)に所属し、翌1940年に反軍演説による斎藤隆夫除名問題に際しても同じ政友会正統派所属の芦田均や宮脇長吉らとともに斎藤除名に対し反対票を投じた。政党解消後も翼賛議員同盟には所属せず興亜議員同盟に所属したが、翼賛選挙に際しては大政翼賛会と妥協し、翼賛政治体制協議会の推薦候補となる。このことが原因となり戦後は公職追放された。
政治家としての業績は第3次鳩山内閣の法務大臣を務めたことや政友会総務、自由党・日本民主党・自由民主党の顧問等を歴任した事があげられる。
法学者の牧野英一は兄。兄弟そろって法学博士号を取得しており、英一・良三ともに高山市名誉市民である。
[編集] 略歴
- 1911年:東京帝国大学法科大学独法科卒業、逓信省に入省する。
- 1913年:逓信省為替貯金局証券課長に就任。
- 1914年:退官し大阪商船に入社。
- 1915年:大阪商船を退社。
- 1916年:弁護士登録。
- 1918年:中橋徳五郎文部大臣の秘書官兼文部参事官となる。
- 1920年:故郷から政友会公認で第14回衆議院議員総選挙に出馬し初当選。
- 1927年:田中義一内閣の商工参与官。
- 1934年:齋藤内閣の逓信政務次官。
- 1939年:政友会の分裂に際し、久原房之助や鳩山一郎らとともに正統派に所属する。
- 1940年:反軍演説による斎藤隆夫の除名に反対票を投じる。
- 1942年:翼賛選挙で翼賛政治体制協議会の推薦候補として当選。
- 1945年:日本自由党の結成に参加、常任総務となる。
- 1946年:公職追放。
- 1950年:公職追放を解除され、全国選挙管理委員会長に就任。
- 1951年:欧米に出張し各国の選挙制度を視察。
- 1952年:自由党公認で第25回衆議院議員総選挙に出馬し当選、政界復帰を果たす。
- 1954年:『競争入札と談合』で法学博士号を取得。
- 1955年:衆議院予算委員長に就任。第3次鳩山内閣に法務大臣として入閣。
- 1958年:第28回衆議院議員総選挙に落選し政界引退。
- 1961年:5月に高山市名誉市民となるが、1ヶ月後に76年の生涯を閉じる。
[編集] 著書
- 『所謂談合に關する研究資料』(1937年)
- 『欧羅巴から日本を見る』(1939年)
- 『競争入札と談合』(1953年)
- 『投票用紙事件の表裏』
- 『談合研究資料』
- 『逓信特別会計の研究』
- 『中橋徳五郎―伝記・中橋徳五郎』(上巻・下巻)
[編集] 所属政党
- 公職追放前:立憲政友会→政友会正統派→興亜議員同盟→翼賛政治会→大日本政治会→日本自由党
- 公職追放解除後:自由党→鳩山自由党→日本民主党→自由民主党
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