神戸市立博物館
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神戸市立博物館(こうべしりつはくぶつかん、Kobe City Museum)は、神戸市中央区にある人文科学系博物館。神戸市立南蛮美術館と神戸市立考古館が統合して神戸の旧居留地エリアに1982年開館した。「国際文化交流-東西文化の接触と変容」を基本テーマにしている。
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[編集] 概要
国宝を含む考古学資料や古地図、中学高校の教科書等にも載っている「聖フランシスコ・ザビエル像」や「織田信長像」、「豊臣秀吉像」といった著名な美術品、および金山平三や小磯良平ら神戸ゆかりの芸術家の作品等、約4万点を所蔵・展示している。
[編集] 旧南蛮美術館
神戸市立博物館の前身の一つは神戸市立南蛮美術館である。この南蛮美術館のさらに前身は、神戸出身の池長孟(いけながはじめ、1891 - 1955)が自らの収集品を展示して1940年(昭和15年)に開館した私立池長美術館であった。池長は育英商業学校(現・私立育英高等学校)の校長を務め、植物学者牧野富太郎に経済的援助を与えたことで知られる富豪である。彼は昭和時代初期に南蛮紅毛美術の収集を始めた。南蛮美術とは、近世初期、日本へのキリスト教伝来に伴って制作された南蛮屏風、キリシタン絵画等の美術であり、紅毛美術とは、鎖国時代以後、日本が唯一通商関係を保っていたオランダの文物に影響を受けて制作された西洋美術の様式・技法を取り入れた美術作品のことである。彼はこれらの収集品を展示する「池長美術館」を1940年(昭和15年)、神戸市葺合区(現・中央区)熊内町に開館したが、当時は戦時色の濃い時代であり、美術館は数回の展示を行った後、第二次大戦中の1944年(昭和19年)に休館。大戦後、コレクションの散逸を恐れた池長は建物とコレクションを神戸市に譲渡した。神戸市ではこれをもとに1951年(昭和26年)、「市立神戸美術館」として開館。「神戸市立南蛮美術館」と改称するのは1965年(昭和40年)のことである。長年親しまれた南蛮美術館は神戸市立博物館の開館とともに発展的解消。旧南蛮美術館の建物はその後神戸市文書館として活用されている。
[編集] 建物
1935年に竣工した新古典主義様式の堂々たる建物は、旧三菱銀行本店や丸ビル旧館などを手がけた建築家・桜井小太郎最後の作品で、横浜正金銀行神戸支店として建設され、戦後は後身の東京銀行神戸支店として使用されたものである。同行神戸支店の旧警察署跡地への移転に伴い神戸市の所有となった。神戸市立考古館から神戸市立博物館へ転用するにあたって1982年に大規模な増改築が行われたが、国登録有形文化財として登録されている。
日没から22時までライトアップされる。
[編集] 主な収蔵品
- 国宝
- 桜ヶ丘町出土銅鐸・銅戈(どうか)
- 袈裟襷文銅鐸 11口 - 11口のうち2口(桜ヶ丘4号・5号銅鐸)は表面に画像を鋳出した「絵画銅鐸」である。
- 流水文銅鐸 3口
- 銅戈 7口
- 重要文化財(国指定)
- 紙本着色泰西王侯騎馬図 四曲屏風一隻
- 紙本着色四都図・世界図 八曲屏風一双
- 紙本金地着色南蛮人渡来図(南蛮屏風) 狩野内膳筆 六曲屏風一双
- 絹本着色織田信長像
- 紙本着色相州鎌倉七里浜図 司馬江漢筆
- 紙本着色フランシスコ・ザビエル像
- その他の文化財・美術品
[編集] 施設
- 展示室1~5
- 講堂
- 図書室
- 学習室
- 喫茶室「エトワール」
- ギャラリー
- ミュージアムショップ
[編集] 建物概要
- 設計- 桜井小太郎
- 増改築設計- 神戸市、坂倉建築研究所
- 竣工- 1935年
- 増改築竣工- 1982年
- 延床面積- 10,073m²
- 所在地- 〒650-0034 神戸市中央区京町24
[編集] 交通アクセス
- JR神戸線および阪神本線 元町駅 徒歩8分
- 阪神本線 三宮駅 徒歩8分
- 阪急 三宮駅 徒歩10分
- JR神戸線 三ノ宮駅 徒歩10分
- 神戸市営地下鉄海岸線 旧居留地・大丸前駅 徒歩5分
- 神戸市営地下鉄山手線 三宮駅 徒歩10分
- ポートライナー 三宮駅 徒歩10分
- 山陽新幹線 新神戸駅 車10分
[編集] 周辺情報
- 旧居留地
- 旧居留地十五番館
- 旧居留地38番館
- 商船三井ビルディング
- 神港ビル
- 海岸ビル
- チャータードビル
- 神戸らんぷミュージアム
- 大丸ミュージアム神戸
- 海岸ビルヂング(旧日濠会館)
- 神戸郵船ビル
- 神戸ドールミュージアム