筑波高速度電気鉄道
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筑波高速度電気鉄道(つくばこうそくどでんきてつどう)は、昭和初期に存在した鉄道建設・運営を目的とした鉄道事業者である。または、当事業者が敷設を予定していた鉄道路線(未成線)である。
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[編集] 概要
元々、免許だけ収得しておいて他社に売却することを目的に設立された投機会社であり、1928年3月に日暮里駅を起点にして流山を経て田井村(今のつくば市)・筑波山までの免許を収得した。
同社では他に支線として、1928年9月に西新井駅手前の梅島付近で分岐し、亀有・柴又・国分を経由して松戸に至る路線と、国分から分岐して船橋に至る路線の免許、更に10月には上野駅地下への路線延伸免許も申請し、船橋延伸線については北総鉄道(初代、今の東武野田線)との競合を理由に却下されたが、1929年2月には上野延伸線、6月には松戸延伸線の免許をそれぞれ収得した。
しかし前述のような経緯で設立された会社でもあり、自社で建設するだけの資金はなかった。また、現在の常磐線やつくばエクスプレスも同様であるが、終点の近く(今の石岡市柿岡)に気象庁地磁気観測所がある関係で周辺では直流電化が認められず、技術的に建設する目処も立たなかった。
このため免許を売り込むべく、まず東武鉄道に話を持ちかけたが断れらたたため、今度は京成電鉄に話を持ちかけた。当時の京成電鉄は押上駅がターミナルであり、浅草乗り入れが頓挫するなど都心へのルート確保に苦悶していたため、この話を二つ返事で受け入れている。
1930年10月に、上野進出を図る京成電気軌道(現:京成電鉄)と合併して会社は消滅した。現在の京成本線千住大橋駅付近~京成上野駅間は、もともとはこの鉄道会社が鉄道敷設を許可された(免許を所持していた)区間であり、この免許を利用し京成電気軌道が当区間を敷設し、現在の京成本線となっている(当時の京成は軌道法に準拠していたため、正確には同区間の免許と引き替えに下付された特許で敷設)。また、千住大橋駅付近~青砥駅までの区間は先の松戸支線のルートを一部変更した上開通させたものである。
京成にとっては余程有り難い合併話であったようで、筑波高速の取締役は京成に取締役として迎えられている。なお、東武が合併話を断ったのは筑波高速を安く買い叩く腹積もりがあったためで、当時東武と対立していた京成との合併話が決まると激怒したという。
なお、建設目的を失った梅村(千住大橋)~田井村間の免許は、1931年12月11日に失効した。青砥~松戸の支線も同様に失効している。なお、同支線の構想を代替する形で戦後になって新京成電鉄が松戸~柴又間の免許を取得し、一部では用地の買収も行ったが、地元の反対もありこの計画も断念している。
その後、紆余曲折はあったもののつくば市方面へはつくばエクスプレスが、松戸市方面へは北総鉄道が開業し、昭和初期の筑波高速度電気鉄道の構想は最終的に実現したともいえよう。
[編集] 設置予定駅一覧
- 本線
- 松戸支線
- 船橋支線
[編集] 参考文献
- 森口誠之『鉄道未成線を歩く 私鉄編』(JTBキャンブックス、2001年) ISBN 4533039227 p21~p26
- 白土貞夫「つくばエクスプレス前史 双峰を目指した幻の筑波高速度電気鉄道」
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2006年1月号 No.770 p80~p86
[編集] 関連項目
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