松戸駅
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松戸駅西口。JR東日本のロゴしかないが、新京成線ホームにも行ける。東口も同様(2007年2月8日撮影)。
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松戸駅(まつどえき)とは、千葉県松戸市松戸にある東日本旅客鉄道(JR東日本)・新京成電鉄の駅である。
目次 |
[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
- 出口は西口と東口がある他、ボックスヒルに直結する改札口(駅ビル北口)もある。西口・東口から入れるメインの改札口は、JRと新京成は別である。きっぷうりばがないボックスヒル改札口(駅ビル西口・JRのみ)も存在する。また、JRの中央改札は入場改札と出場改札が分離されており、3・4番線ホーム行階段と5・6番線ホーム行階段の間に入場改札が、1・2番線ホーム行階段と3・4番線ホーム行階段の間に出場改札がある。なお、1994年にJRと新京成が別々になる前は、両社で改札口を共用していた。
- 自動券売機は入場改札から直進した先にある(みどりの窓口の奥)。この他、JRと新京成の間には2ヶ所の乗り換え改札口がある。なお、駅ビル北口から新京成のりばへは一旦JR改札内を経由して乗り換え改札を通る。これはかつて同一改札内であった名残りである。また、ここには乗り継ぎ精算機も設置されている。
[編集] のりば
JR東日本
1・2 | ■■常磐線(列車・快速) | 柏・取手・成田・土浦・水戸・いわき方面 |
2・3 | ■■常磐線(列車・快速) | 北千住・日暮里・上野方面 |
4・5 | ■常磐線(各駅停車) | 新松戸・我孫子・取手方面 |
5・6 | ■常磐線(各駅停車) | 綾瀬・北千住・代々木上原方面 |
- 2番線は上下待避線及び下り始発電車。
- 5番線は下り終着・上り始発用(折り返し含む)、平日朝ラッシュ時は下り専用。
- 朝ラッシュ時の利用状況及び3・4番線ホームの構造から、朝ラッシュ時は4番線を使用せずに下りの各駅停車を5番線から発車し、この時間帯の当駅止まりの折り返し列車は緩行線の取手寄りの留置線に回送された後6番線からの都心方面行始発になる(7時06分~8時37分の合計20本(松戸止まり5本を含む)、そのうち松戸始発列車は7時38分~8時36分までの5本)なお、6番線からの始発の場合は少し金町寄りに停車する。
- なお、構造上の都合により1・2番線と3番線、4番線と5・6番線では同じ編成でも停車位置が異なる(それぞれ約1両分)。また、次の上り快速が2番線からの発車となる時間帯にはよく「今度の上野行は2番線から発車します」というアナウンスが流される(現在はほぼ16時台以降のみ)。
新京成電鉄
7・8 | ■新京成線 | 八柱・新鎌ヶ谷・北習志野・京成津田沼・京成千葉線(千葉中央)方面 |
[編集] 利用状況
JR東日本
2005年度の乗客数は1日平均101,602人であり、千葉県内で第6位である。
各駅停車しか止まらない北松戸駅~南柏駅間からJR山手線方面へ向かう乗客が当駅で快速電車に乗換えて日暮里駅・上野駅へ向かう乗客に加え、新京成から常磐線を利用し都心へ向かう通勤客も多い。
新京成線
乗降客数は1日平均109,265人であり、同社で第1位である。
[編集] 案内放送
JR東日本
- 当駅は先行的にATOS式放送を使用していた(当駅以外に取手駅やひたち野うしく駅でも使用していた)が、2004年3月に正式にATOSが導入され、到着放送の後に乗り換え案内放送などが流れる。
- 1番線(女声)と2番線下り(男声)は「北松戸、馬橋、新松戸方面は4番線」(特別快速の場合はこの放送の前に「我孫子・天王台には停車致しません」と案内が流れる)。
- 2番線上りと3番線(共に男声)は「金町、亀有、綾瀬方面は6番線(5番線)」(特別快速の場合はこの案内放送の前に「北千住、南千住、三河島には停車致しません」という案内が流れる。なお、特別快速は当駅で特急待避を行わないので、この案内が流れるのは3番線のみとなる。但し、遅延時などに当駅で待避が行われる事がある。快速の特快待避のみならず、特快が特急待避で2番線に入線する事もある。)
- 4番線(平日朝7時~8時台以外、女声)と5番線(平日朝7時~8時台・当駅終着、男声)は「取手(各駅停車取手行の運転がある時間帯は案内はない)、土浦、水戸方面は1番線」
- 6番線(女声)は「常磐快速線」と他のホームの乗り換え案内放送より簡易的である。
- 全ホーム共通で、その後に「新京成電鉄はお乗り換えです」という案内放送が流れる。なお、このような放送は、一般的に「常磐ATOS」と呼ばれている。
- なお、上記の放送は車庫から出庫して来た車両がホームに到着した際にも流れる(無意味)。
- また、当駅では長い間JRの全番線でオカリナ奏者の宗次郎が作曲した曲のアレンジが発車メロディーとして使われていた。とりわけ4番線の曲(「四季~愛しき子供達へ~」のアレンジ)は曲調が非常に暗く、ファンの間では「マトヨン」(マト(松戸の電略)の4番線が語源)と呼ばれ親しまれてきたが、2004年8月25日をもって全番線が違うメロディーに変更されてしまい、ファンに大変惜しまれた。この「マトヨン」が最後まで残っていた馬橋駅も著作権関係上翌2005年春から違う曲に変更され、同曲の発車メロディーは消滅してしまった。
[編集] JRの輸送上の特徴
- 常磐線(快速のE231系・各駅停車)の車両基地(松戸車両センター)所在駅である。このため、出・入庫を兼ねた始発・終着の電車がある。
- この他、一部の上り快速が北千住で特別快速に抜かれるため、階段や3番線ホームの時刻表などには特別快速の通過駅及び北千住での追い抜きを図に表した張り紙が数多くある。
- 1986年11月1日のダイヤ改正から特急「ひたち」の一部列車が停車していたが、2005年7月9日のダイヤ改正以降に停車する特急は朝8時20分発の「スーパーひたち7号 仙台行(下り)」のみとなっている。
[編集] バス路線
- 停留所名は、西口が「松戸駅」、東口が「松戸駅東口」である。
- 流山市や市川市、埼玉県三郷市と言った市外方面の路線が乗り入れる一方、市内路線は市内に複数ある鉄道駅と住宅地などを結ぶフィーダー路線が主体となっているため、当駅からバス路線が延びる市内の地区は限られている。
- 矢切経由で市川駅を結ぶ路線(京成バス市川線)は、日中でも5~8分間隔で運転される頻発路線であり、利用客も多い。
[編集] 西口
[編集] 東口
東口に関するバス停留所は2ヶ所あるが、いずれも駅構内(駅前広場)にない。
- 「松戸駅東口」停留所 - イトーヨーカドー/プラーレ前にある屋外型バスターミナル。松戸新京成バスが使用する。定期券発売所がある(乗り場案内)。
- 「松戸駅東口聖徳大学」停留所 - 前述の相模台(イトーヨーカドー/プラーレ5階出口経由)にあり、歩いて6分は掛かる。平日と土曜日(祝日除く)の朝のみ聖徳学園行が運行される。
- 松戸駅東口停留所
- 松戸新京成バス
- 松戸駅東口聖徳大学停留所
- 京成バス(松戸営業所)
- 国分線 - 聖徳学園 [松53]
[編集] 駅周辺
かつて旧水戸街道の宿場町、水運で栄えた松戸の町は、江戸川に沿う様にあり、当駅は「相模台」と呼ばれる台地と旧来の市街地の狭間にできた。駅開業後、商業などの中心は駅周辺に移行し、現在の駅周辺は松戸市の実質的な中心市街地を形成している。このエリアには、駅ビルからデパート・商店街・飲食店・進学塾などがあり賑やかではあるが、東葛飾地方北部の商業の中心は既に柏に移行し、柏市街と比べれば人出は少なめである。また一部区画には風俗店なども存在する。
周辺道路は駐車マナーの悪さ、中途半端な区画整理、江戸川と台地に挟まれた地形的な問題などもあり、慢性的に混雑している。駅東西両方にペデストリアンデッキがある。駅自体も東葛飾地方北部・JR常磐線沿線では柏駅に次ぐ乗降客数であると共に、行政面に於いては同地区の拠点的な役割を果たしているため、相応に賑っている。なお、西口駅前にあったバンダイミュージアムは2006年8月31日で営業を終了した。
南方数キロ先にに東日本旅客鉄道の車両基地「松戸車両センター」がある。
[編集] 西口
旧来の市街地側、江戸川側
[編集] 東口
[編集] 歴史
- 1896年(明治29年)12月25日 日本鉄道の駅が開業。
- 1906年(明治39年)11月1日 日本鉄道買収・国有化。
- 1909年(明治42年)10月12日 国有鉄道線路名称制定で「常磐線」となる。
- 1949年(昭和24年)6月1日 日本国有鉄道(国鉄)が発足。
- 1955年(昭和30年)4月21日 新京成線の駅が開業。
- 1971年(昭和46年)4月22日 国鉄常磐線複々線化と同時に緩行線と営団千代田線の相互直通運転開始(現在の番線に)。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄が分割民営化され、JR東日本が発足。
- 1994年(平成6年)3月 JRと新京成の改札分離及び中間ラッチの設置。
[編集] 隣の駅
- 新京成電鉄
-
- ■新京成線
- 松戸駅 - 上本郷駅
- ■新京成線
[編集] 構想
[編集] その他
1971年4月22日に常磐線の緩急分離による複々線化がなされて緩行線電車が地下鉄千代田線に直通して間もない頃はマスコミに報道されるほど当駅は酷く混雑していた。(当時柏駅に快速が停車せず、緩行電車でここまで来て乗り換える客が多かったため)その直後に営団でストライキが発生し、綾瀬駅~北千住駅間の緩行線は当時の帝都高速度交通営団管轄であり尚且つ綾瀬駅に快速が停車しなかったため、当時の国鉄では綾瀬駅及び亀有駅・金町駅の乗客は松戸駅に一旦戻って都心方面へ向かう様な特例を設けて対処していた。しかし、当駅自体が朝夕に大変混雑する状態になっていたため、営団がストになると本来無関係のはずの当駅に於いて、1kmもの乗り換え客による行列ができるという事態も起きた。