茨城県立下妻第一高等学校
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茨城県立下妻第一高等学校(いばらきけんりつしもつまだいいちこうとうがっこう)は、 茨城県下妻市下妻乙に位置する県立高等学校。
茨城県立下妻第一高等学校 | |
過去の名称 | 茨城県尋常中学校下妻分校 茨城県下妻中学校 茨城県立下妻中学校 茨城県立下妻高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 茨城県 |
設立年月日 | 1897年4月25日 |
創立記念日 | 4月25日 |
校訓 | 誠実・剛健・進取 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
学年制 | 学年制による教育 |
学科 | 普通科 |
所在地 | 〒303-0025 |
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電話番号 | 0296-44-5158 |
FAX番号 | 0296-43-9172 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
学校創立より100年以上の歴史を持つ 県内有数の伝統校であり、茨城県県西地区屈指の進学校。通称は「下妻一高(しもつまいちこう)」。下妻市内や校内では単に「一高(いちこう)」と略される場合も多く、県内の他の「一高」と区別するために「妻一(つまいち)」と呼ばれることも多い。伝統行事となっている茨城県立水海道第一高等学校との定期戦などにおいては「下高(しもこう)」とも称し、生徒や教員、同窓会(為桜同窓会と称する)の会員などの間では「為桜学園(いおうがくえん)」とも呼ばれる。また、為桜体操と呼ばれる、学校独自の体操も存在する。
県西地区トップクラスの進学校との評価に違わず、私立大学の合格者も500人前後(延べ人数)と多いが、国公立大学に毎年100名を超える合格者を出しており、堅実な校風を現す一端ともなっているとされる。
生徒の部活動への加入率は6割超であり、また音楽科を有さない公立高においては数少ないオーケストラ(弦楽部)があるなど、特徴的かつ活発な活動を行っている。
[編集] 沿革
- 1897年4月 - 茨城県尋常中学校下妻分校として開校。
- 1899年4月 - 茨城県中学校下妻分校と改称。
- 1900年4月 - 独立し茨城県下妻中学校となる。水海道分校(現水海道一高)設置。
- 1901年4月 - 茨城県立下妻中学校と改称。
- 1948年4月 - 茨城県立下妻高等学校となる。全日制普通科、定時制普通科設置。
- 1948年5月 - 上山川分校(現結城一高)設置。
- 1949年4月 - 茨城県立下妻第一高等学校に改称。
[編集] 学校施設
- 本館
- 為桜学習館
- 第一体育館
- 第二体育館
- プール
- 柔剣道場
- 運動部部室(2棟)
- 文化部部室
- 為桜会館(合宿所)
- 為桜図書館(図書室)
- 弓道場
[編集] 学校行事
- 定期戦 - 水海道一高との運動部対抗戦。
- クラスマッチ 球技〈テニス・サッカー・バスケットボール・バレーボール〉と学年別クラス対抗リレー
- 修学旅行
- 為桜祭(文化祭)・為桜オリンピック(体育祭) - 毎年交互に開催。
- 芸術鑑賞
- 踏破会 など
[編集] 定員
男女共学 1学年280名
[編集] 主な出身者
[編集] 卒業生
- 海老沢泰久 - 小説家。直木賞受賞。
- 市村緑郎 - 彫刻家。埼玉大学名誉教授、崇城大学教授。日展理事。日本芸術院賞受賞。
- 磯山和司 - プロサッカー選手。アルテ高崎所属。
- 斉藤学 - 福岡ソフトバンクホークス育成担当。元プロ野球選手。
- 大塚博紀 - 空手家。和道流開祖。
- 薗部博之 - ゲームクリエイター。パリティビット創業者、代表取締役。
[編集] 元生徒
[編集] 関連高校
- 茨城県立土浦第一高等学校 - 旧 茨城尋常中学の兄弟分校として同期設立。
- 茨城県立水海道第一高等学校 - 定期戦実施。旧 下妻中学水海道分校。
- 茨城県立結城第一高等学校 - 旧 下妻中学上山川分校。