葡萄園
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葡萄園(ぶどうえん、葡萄畑、英:Vineyard、仏:Vignoble)は、ワインの原料となるブドウを生産する農場。ワイン醸造用以外の加工用・生食用ブドウや、ブドウ狩りに供するためのブドウを生産する農場を指すこともある。
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[編集] 歴史
葡萄園は、ブドウ栽培とともに発祥伝播していったものと考えられる。
ブドウ栽培の歴史は古く、紀元前3000年頃、カフカス地方から地中海東部沿岸地方にわたる地域で、セム族(セム語派)あるいはアーリア人によって始められとされる。最初の栽培種はヨーロッパブドウ(ヴィニフェラ種、Vitis vinifera)で、ワイン醸造も同時に始められた。その後、セム族はエジプト(古代エジプト)方面へ、アーリア人はインド方面へ、それぞれブドウ栽培とワイン醸造を伝えた。
なお、旧約聖書(創世記9章20節)には、ノアがアララト山に葡萄園(葡萄畑)を作ったと記されている。
[編集] テロワール(Terroir)
葡萄園(葡萄畑)の土壌、地形、気候、風土など、ブドウの生育環境を総称してテロワール(Terroir)という。
ブドウは、比較的痩せた排水と保水が共によい礫を含んだ重い土壌を好み、生育期に降雨が少ない土地で良好な果実が得られる。世界各地のブドウ生産地では、垣根仕立て、棒仕立てが多いが、日本では多雨多湿な気候に適する棚仕立てとし、木を大きく育てる。
[編集] 日本の葡萄園
伝承では、日本にブドウが渡来したのは奈良時代のこと。原産地からシルクロードを経て、唐から渡来したとされる。718年(養老2年)、各地を行脚した高僧・行基が、甲斐国勝沼(山梨県甲州市(旧・勝沼町))の柏尾山大善寺に薬種園を設け、そこでブドウ栽培を始めたという。
また、平安時代末期の1186年(文治2年)、同じく甲斐国勝沼の住人、雨宮勘解由(あめみやかげゆ)が、山中より珍しい果樹を見いだして育てたことが、ブドウ栽培の始まりとも伝えられる。
いずれにしても、日本の葡萄園は、現在の山梨県甲州市付近で、ヨーロッパブドウの一種である「甲州」種の栽培を行ったことに始まる。勝沼周辺の農家では鎌倉時代からブドウ栽培が広まり、江戸時代には甲州ブドウの名声が高まった。
明治時代に入ると政府の奨励もあって、1874年(明治7年)頃から、勝沼周辺でワインの製造が始められた。しかし、ワインが日本人の嗜好に合わなかったためか、醸造高・消費量ともなかなか増えなかった。ようやく第1次世界大戦後になって、ブドウの作付け面積、ワインの醸造高も増加し始めた。第2次世界大戦中には、電波探知機に用いるロッシェル塩(酒石酸カリウム-ナトリウム、KNaC4H4O6)の原料となる酒石酸を採るため、ワイン醸造が奨励された。戦後、洋食化の拡大に伴い、ワインの醸造量も激増し、各地で生産されるようになった。
平成18年(2006年)産のブドウ生産量は20万9,800tで、作付け面積は1万8,900ha。都道府県別にみた収穫量割合は、山梨県が全国の26%、長野県が14%、山形県が10%となっており、この3県で全国の約50%を占めている。
世界では、生産されたブドウのおよそ1割が生食用で、8割が醸造用、残りがその他の加工用とされる。これに対して、日本では、生産されるブドウのおよそ8割が生食用で、1割が醸造用、残りがその他の加工用とされている。
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