藤波行雄
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藤波 行雄(ふじなみ ゆきお、 1951年4月26日 - )は静岡県静岡市葵区出身。昭和後期から末期(1970年代後半~1980年代)のプロ野球選手。
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[編集] 来歴・人物
静岡商業高校、中央大学を経て1973年ドラフト1位指名(外野手登録)で中日ドラゴンズ入り。1974年、90試合出場・114打数33安打・1ホームランで新人ながら好成績を挙げてチーム20年ぶり2度目のセントラル・リーグ優勝に貢献。新人王受賞。
その後は代打で活躍。1978年に主力選手がケガで欠場してチームのモチベーションが下がる中、代役を務めたことはよく知られている。1982年のリーグ優勝でも主力メンバーとして活躍したが、1977年のシーズン前クラウンライター・基満男との交換トレード(藤波と竹田和史=基の2:1で内定していた)を言い渡されるもそれを任意引退も辞さない構えで拒んで球団から罰金を受けたことがあった。その際、背番号も3から40(前年まで大島康徳の番号だった)に降格となった。
なお、このトレード話が表に出た際、一部ファンは残留を求める署名活動を行ったという(「月刊Dragons」より)。結局竹田だけが松林茂との交換でクラウンに移籍した。
ちなみに、基は中日への移籍を早々に快諾していて、「早くウンと言ってくれないかなぁ、オレは中日に飛んでいくのに、いつまで待たされるのか」と言っていたという。(ベースボールマガジン社『プロ野球トレード史Ⅱ』より)
1987年限りで引退(最後の試合で、落合博満が感動のあまり涙を流したと言われる)。現役引退後は東海テレビ放送、東海ラジオ放送、三重テレビ放送、JSPORTSの野球解説者。一時期はキー局・フジテレビの解説者も兼務し、『プロ野球ニュース』やフジテレビ及び系列局制作の中継などで中日戦以外にも登場する事があったが、現在はラジオ解説をメインとしており、テレビは本数出演である。2005年からはNPB12球団ジュニアトーナメントの、中日ドラゴンズ ジュニアチームのコーチを担当。
[編集] 現在の出演番組
- 三重テレビナイター
- 東海テレビ解説者でもあるが、ごく稀にしか担当せず、三重テレビでの解説が多い。
- 東海ラジオ ガッツナイター
- J SPORTS STADIUM
[編集] 通算成績
- 実働 14年
- 出場試合 1146
- 通算打数 1976
- 通算打率 .272
- 通算安打 539
- 通算本塁打 24
- 通算打点 513
[編集] 関連項目
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