蛯名正義
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蛯名 正義(えびな まさよし, 1969年3月19日 - )は北海道出身のJRA所属の騎手。同会の調教師・蛯名信広は遠縁にあたる。夫人はテレビ東京の土曜競馬中継(現在のウイニング競馬)の司会者だった石森一枝。同期に武豊・塩村克己(引退)がいる。ちなみに、後藤 浩輝ジョッキーも3月19日生まれである。
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[編集] 来歴
1987年に美浦の矢野進厩舎所属でデビュー。初騎乗は同年3月1日中山第5競走のアイガーターフで15頭立ての14着だった。初勝利は同年4月12日中山第4競走のダイナパッション。その年30勝を挙げ民放競馬記者クラブの関東新人騎手賞を獲得(ちなみに同期では武豊の69勝、塩村克己の33勝に次ぐ記録)。
デビュー4年目の1991年にはシャコーグレイドとのコンビで皐月賞2着になるなど活躍した。重賞初勝利は1992年のフェブラリーハンデキャップのラシアンゴールド。ラシアンゴールドとのコンビで当時は中央交流競走の1つだった帝王賞も制する。
1995年の天皇賞(春)ではステージチャンプに騎乗し、ライスシャワーを差し切ったと思いガッツポーズを出したがハナ差の2着で涙をのむ。同期の武豊も1999年の有馬記念で2着ガッツポーズを行っており、(負けているのに気づかず)ガッツポーズをしてしまった世代となっている。この年は七夕賞、中山記念を制していたフジヤマケンザンとのコンビで香港国際カップ(現在の香港カップ)に勝利した。この勝利は1959年のワシントンバースデーハンデキャップを制したハクチカラ以来36年ぶりの海外平地競走制覇であった。
1996年にバブルガムフェローとのコンビで天皇賞(秋)を制し、初めてのGI制覇となる。この時の騎乗は、同馬の主戦騎手であった岡部幸雄がタイキブリザードとのコンビでブリーダーズカップクラシックに出走する事による代打騎乗であった。
1998年にエルコンドルパサーとのコンビでジャパンカップを制覇。自身2つめのGIタイトルを獲得。このコンビで翌1999年、フランスのサンクルー大賞典を制し、凱旋門賞でも2着に入る。またこの年はウメノファイバーとのコンビで優駿牝馬(オークス)、エアジハードとのコンビで安田記念、マイルチャンピオンシップを制した。1998年は136勝、1999年は129勝を挙げ、前述の活躍とともに勝利数を一気に上昇させて、大きな飛躍を遂げた。
2000年にはアメリカ合衆国の東海岸地方への遠征を敢行。一方でファストフレンドに騎乗するため帰国し、帝王賞や東京大賞典を制した。
2001年にはトロットスターで高松宮記念、スプリンターズステークスを制覇。さらにマンハッタンカフェで菊花賞や有馬記念を制し、また133勝を挙げてJRA最多勝利騎手、最多賞金騎手の2冠を獲得した。翌2002年にはマンハッタンカフェとのコンビでジャングルポケットやナリタトップロードらを退けて、天皇賞(春)を制した。マンハッタンカフェでは、自身2度目となる凱旋門賞に騎乗した。
2005年有馬記念当日に怪我をし、2006年は2月25日が初騎乗となった。中央GIタイトルは2002年のトウカイポイント(マイルチャンピオンシップ)以来勝ち星を挙げていなかったが、同年12月10日の朝日杯フューチュリティステークスでドリームジャーニーに騎乗して4年ぶりの勝利を挙げた。
2007年2月10日、東京2Rをサウスヒューマー鞍上で勝利し、現役騎手では4人目となる通算1500勝を達成。
[編集] 騎乗成績
[編集] GI競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別)
(斜字は統一GI、太字は海外GIを指す)
- 1996年
- 天皇賞(秋) - バブルガムフェロー
- 1998年
- ジャパンカップ - エルコンドルパサー
- 1999年
- サンクルー大賞典 - エルコンドルパサー
- 優駿牝馬 - ウメノファイバー
- 安田記念 - エアジハード
- マイルチャンピオンシップ - エアジハード
- 2000年
- 帝王賞 - ファストフレンド
- 東京大賞典 - ファストフレンド
- 2001年
- 高松宮記念 - トロットスター
- スプリンターズステークス - トロットスター
- 菊花賞 - マンハッタンカフェ
- 有馬記念 - マンハッタンカフェ
- 2002年
- 天皇賞(春) - マンハッタンカフェ
- マイルチャンピオンシップ - トウカイポイント
- 2006年
- 朝日杯フューチュリティーステークス - ドリームジャーニー
以上JRA・GI12勝(海外GI1勝、交流GI2勝)
[編集] 通算成績
- JRA通算1486勝、重賞72勝(2006年終了時点)