誉田駅
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誉田駅(ほんだえき)は、千葉県千葉市緑区誉田町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)外房線の駅である。
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[編集] 駅構造
千葉市内のJR駅では最後まで地平駅舎をもっていたがついに2004年度より橋上駅舎の新築工事が行われ、2006年3月に、橋上駅舎の供用を開始した。工事中は駅前の駐輪場に仮駅舎が同居した形となっていた。
ホームは島式ホームと片面ホームで3番線まである。
[編集] のりば
1 | ■外房線 | 上総一ノ宮・勝浦・安房鴨川・ ■東金線経由 成東方面 |
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2 | ■外房線 | 上下兼用待避線 |
3 | ■外房線 | 千葉・ ■総武線経由 東京・横浜・久里浜・ ■京葉線経由 東京方面 |
- 1日上下1回ずつの分割・併合は2番線で行われ、上りは勝浦始発(6両編成)の到着後すぐに成東始発(4両編成)の通勤快速(土休日快速)が到着し併合して10両編成で、下りは成東行が先発で、勝浦行が後発で発車される。
- 当駅始発京葉線直通快速東京行が平日朝に1本設定されている他、平日朝に千葉~誉田間の普通列車が1往復設定されている。以前には、夜に京葉線東京発着の普通列車(京葉線内快速運転)が設定されていたが、2007年3月18日改正で廃止。夜の快速電車は上総一ノ宮まで延長される形になった(土休日も運転)。
- 以前は一部の特急列車が誉田駅に停車し、緑区内の快速停車駅も誉田駅のみだった。しかし、鎌取駅・土気駅は駅周辺の宅地開発により、利用者が急増、誉田駅の地位は相対的に下がった。誉田駅の乗車人員は外房線の千葉市内の駅でもっとも少なくなり(快速通過駅の本千葉駅以下)、誉田駅の特急停車には異論・反対意見(特に鎌取駅・土気駅利用者から)が多かった。2005年12月10日のダイヤ改正で緑区内の特急停車駅は土気駅に統一され、全特急誉田駅通過となった。
尚、上記以外にも夕方の一部の各駅停車は当駅で特急待避を行う(上り2本、下り3本)。上下合計5本と少ないのは上りは茂原駅(一部上総一ノ宮駅)で、下りは蘇我駅で特急の待避をすることが多いため。
当駅はみどりの窓口・自動改札機設置駅である。改札外にNEWDAYSがある。北口と改札、南口と改札、改札と各ホームを結ぶエレベーターおよび上りエスカレータがある。改札内と北口階段下に多機能トイレが設置されている。コンコースとホームに電光案内板がある。
なお2008年度中に北口改札付近を改築する模様。
- 現在、南口駅前広場の大規模な改修工事を行っている。
[編集] 駅周辺
駅を南側に出るとすぐ大網街道である。注意しないと南口駅舎を撮影するのは大変危険である。南側は商店街が続き、中規模程度のスーパーなどはある。 北側は、2006年に出口が完成。しかし、バス停がない。タクシー乗り場、コインパーキングなどはある。
[編集] 利用状況
- 2005年度の乗車人員は1日平均7,158人である。
[編集] 歴史
開業当初は野田駅といった。野田は旧誉田村の地区名である。
- 1896年(明治29年)1月20日 - 房総鉄道の蘇我駅から大網駅までの開通に伴い野田駅として開業。
- 1907年(明治40年)9月1日 - 房総鉄道が国有化となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称の設定により房総線の駅となる。
- 1914年(大正3年)12月1日 - 誉田駅に改称。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 千葉駅から茂原駅をへて安房鴨川駅までが房総東線とされる。
- 1972年(昭和47年)7月15日 - 房総東線が外房線に改称となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により東日本旅客鉄道の駅となる。
- 2006年(平成18年)3月23日 - 橋上駅舎の供用を開始。
[編集] 発車メロディー
- 1番線 南風の行方
- 2番線 南風の行方
- 3番線 スプリングボックス
1・2番線のメロディ「南風の行方」は、当駅が最初の使用駅。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
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