谷口博之
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谷口 博之(たにぐち ひろゆき、1985年6月27日 - )は、神奈川県横須賀市出身で、川崎フロンターレ所属のサッカー選手。ポジションはMF。
強靭なフィジカルが武器のボランチ。当たりの強さはディフェンスだけでなくセットプレー時など攻撃面でも発揮される。また、強烈なミドルシュートを放つ事もある。目標とする選手はロイ・キーン(元アイルランド代表)。
2008年に行われる北京オリンピックへの出場が可能な、いわゆる「北京世代」であり、若い世代の日本代表選手として将来を担う若手有望株の1人である。
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[編集] 略歴
友人の影響でサッカーを始め、小学生のころ地元のサッカーチームに入団。中学時代を横浜F・マリノスジュニアユース追浜、高校時代を横浜F・マリノスユースで過ごす。ユース時代はキャプテンも務めており、トップチームへの昇格も有力視されていたが採用に至らず(この年ユースからの昇格は0人だった)、事前にオファーを受けていた当時J2の川崎フロンターレに入団した。
入団1年目の2004年にディフェンダーとしてシーズン半ばから起用され、11月23日のヴァンフォーレ甲府戦で初得点をヘディングにより挙げる。
2005年、シーズン序盤にボランチとして抜擢され、そのままレギュラーに定着し25試合に出場。2006年シーズンは攻撃面で才能を開花させ、チーム3位の13得点をマーク。チームはリーグ戦を惜しくも2位で終えたが、谷口は同シーズンの優秀選手賞・ベストイレブンに輝いた。また同年のヤマザキナビスコカップでも優れたプレーを見せ「ニューヒーロー賞」を受賞した。
2006年6月に行われたツーロン国際トーナメントのU-21日本代表メンバーに選出され、試合に出場。同年11月のドーハ・アジア大会、対U-23パキスタン代表戦では2ゴールを挙げる働きを見せた。
韓国の試合では、財布を忘れて、携帯電話で電話をしていた。
[編集] 所属クラブ
[編集] 個人タイトル
[編集] 個人成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
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J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2004年 | 川崎 | J2 | 29 | - | 11 | 1 | - | 2 | 0 | ||
2005年 | 川崎 | J1 | 29 | 25 | 5 | - | 4 | 1 | 2 | 0 | |
2006年 | 川崎 | J1 | 29 | 33 | 13 | - | 8 | 0 | 1 | 0 | |
2007年 | 川崎 | J1 | 29 | - | |||||||
通算 | 58 | 18 | 11 | 1 | 12 | 1 | 5 | 0 |
[編集] トリビア
実兄の谷口浩嗣は、横浜光ボクシングジム所属の現役プロボクサー(スーパーフェザー・B級)。
川崎フロンターレ - 2007 |
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1 川島永嗣 | 2 伊藤宏樹 | 3 佐原秀樹 | 4 井川祐輔 | 5 箕輪義信 | 6 河村崇大 | 7 黒津勝 | 8 フランシスマール | 9 我那覇和樹 | 10 ジュニーニョ | 11 マギヌン | 12 サポーター | 13 寺田周平 | 14 中村憲剛 | 15 原田拓 | 16 鄭大世 | 17 落合正幸 | 18 飛弾暁 | 19 森勇介 | 20 養父雄仁 | 21 相澤貴志 | 22 植草裕樹 | 23 久木野聡 | 24 大橋正博 | 25 鈴木達矢 | 26 村上和弘 | 27 都倉賢 | 28 杉山力裕 | 29 谷口博之 | 30 木村祐志 | 31 西山貴永 | 32 大久保将人 | 33 薗田淳 | 34 杉浦恭平 | 35 田坂祐介 | 監督 関塚隆 | クラブ | |
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