金炳賢
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キム・ビョンヒョン | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김병현 |
漢字: | 金炳賢 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
キム・ビョンヒョン |
ラテン文字転写: | Kim Byeong-hyeon |
本人表記: | Kim, Byung-hyun |
[[Image:||金炳賢]] |
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愛称 | BK(ビー・ケー) |
国籍 | ![]() |
出身地 | 韓国光州広域市 |
出身校 | 成均館大学 |
誕生日 | 1979年1月19日 |
身長 | 179 cm |
体重 | 78 kg |
血液型 | A型 |
守備位置 | 投手 |
打席 | 右 |
投球 | 右 |
背番号 | 49 |
年俸 | US$2,500,000(2007年) |
デビュー年 | 1999年 |
キャリア | アリゾナ・ダイヤモンドバックス (1999-2003.5) ボストン・レッドソックス (2003.5-2004) コロラド・ロッキーズ (2005- ) |
所属球団 | コロラド・ロッキーズ |
前所属球団 | ボストン・レッドソックス |
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金 炳賢(キム・ビョンヒョン、 1979年1月19日-)は大韓民国出身のアメリカ・メジャーリーグの投手。右下手投げ。フリスビーと呼ばれる斜め上へ伸び上がるスライダーを投げる。
1999年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスでメジャーデビュー、2001年に78試合に登板し19セーブ(23セーブ機会)、2002年には72試合に登板、8勝3敗36セーブ(42セーブ機会)、防御率2.04とリリーフ投手として2001年からの2年間は安定した成績をおさめた。特に2001年のアリゾナの優勝に貢献したといえる。しかし、ニューヨーク・ヤンキースを相手にしたワールドシリーズでは第4戦、第5戦と連続して9回2死まで好投しながら2試合連続で最終打者にホームランを浴びて救援に失敗するという歴史的にも例のない失態を演じ、ヤンキースファンから登板を乞われるほどだった。なお、大接戦となった最終戦では前日先発して勝利を挙げたランディ・ジョンソンが9回表にクローザーとして登板し、優勝投手となった。
内気な性格で、英語も試合中監督やキャッチャーとの意思疎通に必要なくらいで済ませるため、普段チームメートやメディアとのコミュニケーションに貧しく、おまけにまるで「(チームの勝敗にかかわらず)自分の仕事をしっかりしていたら、それでいい」というようなひょうひょうな態度と、決定的な瞬間にホームランを打たれても苦笑いで済ます仕草がよく見られるため、他人には「チームの勝敗には興味がないのに、プライドは非常に高く、高慢な性格の持ち主じゃないか」と認識される。負けず嫌いで知られてるカート・シリングが彼のこのような性格を嫌って、チーム・メートとして一緒にワールドシリーズで戦ったにも関わらず二人の仲はまるで犬猿の仲という噂もある。
2003年10月のディビジョンシリーズの第1戦で9回の裏、4対3のリードした状況でクローザーとして登板したが、不安定な投球で四球と死球で2死1,2塁の危機を作って降板。後続のピッチャーがタイムリーを打たれ、試合は延長にもつれ込んだ。結局チームは延長12回でサヨナラ負けを喫し、取れた試合を逃した一因として取り上げられた。短期決戦での手痛い1敗だっただけに、ホームで開かれた第3戦における試合前の選手紹介で、本拠地のボストンファンからブーイングで迎えられた。その際、中指だけ表に出るように帽子のツタを挟んでつかんで挨拶することで応じた。この一連の仕草の中で帽子を取る右手を、中指を突き立てて帽子に持っていく姿が写真に取られ、ファンに対する侮辱行為として強い非難を受けた[1]。
おまけに、そのシーズンオフ、韓国滞在の時、よく通うスポーツクラブの前でその記者が潜伏していて、取材および写真撮影拒否の意思を記者に伝たえたにもかかわらず、ネタ欲しさに記者が無理やり写真を取って、そのカメラを取り上げる途中でもめごとになってしまい、軽傷を負った記者が暴力行為で金を告訴した事件が発生した。これについては、韓国ではむしろ記者として守るべき事を無視したその記者とその記者の擁護に徹底した彼の所属新聞社の非常識を非難する声の方が大きかった。
この一連の事件で一時は他チームへの移籍も噂されたものの2年10億円の契約を結んでレッドソックスにとどまった。
2004年のシーズンは怪我の影響などで長くマイナーリーグで調整、メジャーではわずか7試合の登板に終わった。翌2005年、ボストンが年俸の大半を負担する条件でコロラドにトレード。ボストンGM(当時)のセオ・エプスタインはトレードに際して「あの契約は間違いだった。今回はその責任をとったということだ」というコメントを残した。コロラドでは敗戦処理を中心とした中継ぎ、あるいはローテーションの谷間を埋めていたが、シーズン後半にはローテーションに定着した。ただし、チーム自体の不振も手伝って5勝12敗防御率4.86と成績は振るわなかった。
2006年、ワールド・ベースボール・クラシック第1回大会に出場。準決勝の日本戦で3番手として登板、福留孝介に先制2点本塁打を浴びた。さらに、小笠原道大への死球と暴投でピンチに陥ると、里崎智也にエンタイトルツーベースを浴びて降板。韓国敗退のきっかけを作ってしまった。さらに同年5月28日には、既に通算ホームラン数でベーブ・ルースの持つ歴代2位の記録に並んでいたバリー・ボンズ(サンフランシスコ・ジャイアンツ)に対し、単独2位となる通算715号2ランホームランを許し、またもやここ一番でホームランを献上してしまう投手という不名誉な印象を強めてしまう結果となった。
[編集] 獲得タイトル・記録
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 勝利 | 敗戦 | 防御率 | 試合 | 先発 | セーブ | イニング | 被安打 | 失点 | 自責点 | 被本塁打 | 四球 | 奪三振 |
1999 | ARI | 1 | 2 | 4.61 | 25 | 0 | 1 | 27.1 | 20 | 15 | 14 | 2 | 20 | 31 |
2000 | ARI | 6 | 6 | 4.46 | 61 | 1 | 14 | 70.2 | 52 | 39 | 35 | 9 | 46 | 111 |
2001 | ARI | 5 | 6 | 2.94 | 78 | 0 | 19 | 98.0 | 58 | 32 | 32 | 10 | 44 | 113 |
2002 | ARI | 8 | 3 | 2.04 | 72 | 0 | 36 | 84.0 | 64 | 20 | 19 | 5 | 26 | 92 |
2003 | ARI/BOS | 9 | 10 | 3.31 | 56 | 12 | 16 | 122.1 | 104 | 55 | 45 | 12 | 33 | 102 |
2004 | BOS | 2 | 1 | 6.23 | 7 | 3 | 0 | 17.1 | 17 | 15 | 12 | 1 | 7 | 6 |
2005 | COL | 5 | 12 | 4.86 | 40 | 22 | 0 | 148.0 | 156 | 82 | 80 | 17 | 71 | 115 |
2006 | COL | 8 | 12 | 5.57 | 27 | 27 | 0 | 155.0 | 179 | 103 | 96 | 18 | 61 | 129 |
Total | ' | 44 | 52 | 4.15 | 366 | 65 | 86 | 722.2 | 650 | 361 | 333 | 74 | 308 | 699 |
2006 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表 |
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1 孫敏漢 | 3 朴鎮萬 | 6 金在杰 | 7 李鍾範 | 9 李炳圭 | 11 崔熙涉 | 12 宋志晩 | 14 金敏宰 | 15 具臺晟 | 16 金鍾國 | 17 吳昇桓 | 18 金東柱 | 20 陳甲龍 | 21 鄭大炫 | 22 洪性炘 | 25 李承燁 | 26 徐在応 | 27 朴明桓 | 28 全炳斗 | 33 朴龍澤 | 35 李晋暎 | 36 裵英洙 | 41 鄭載勳 | 44 趙寅成 | 45 奉重根 | 49 金炳賢 | 51 金善宇 | 52 金泰均 | 55 李机浩 | 61 朴賛浩 | |
81 監督 金寅植 | 70 金在博 | 75 柳仲逸 | 76 柳志炫 | 80 曹凡鉉 | 90 宣銅烈 | 項 | |