鎌倉街道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鎌倉街道(かまくらかいどう)は、鎌倉に至る道の名称である。古道としての鎌倉街道のほかに、かつて鎌倉に至る道の全部又は一部について鎌倉街道の通称をつけて呼ぶ例も見られる。
目次 |
[編集] 古道としての鎌倉街道
上道(信濃・越後街道)、中道(奥州街道)、下道(千葉方面へ)があると言われる。1333年に新田義貞が京都での後醍醐天皇の挙兵に応じて本拠地の上野国新田(群馬県新田町・太田市)から鎌倉攻めのため、駆け上った道は、たつ道と呼ばれ上道ではないと伝承されている。
鎌倉時代当時に「鎌倉街道」と呼ばれていたわけではなく、江戸時代以降「これは昔からの道で鎌倉に向かう道だ」として「鎌倉道」「鎌倉街道」と呼ばれたものらしい。
上記の上道・中道・下道以外にも鎌倉街道と称する道は各地にある。京都から鎌倉へ向かう道筋も鎌倉街道と呼ばれているようである。古今の軍勢は鎌倉街道を経由して京に攻め上ったり、関東に攻め入った。小栗判官と照手姫の伝説を絡めて小栗街道とも呼ばれているようである。
[編集] 上道
上道(かみつみち)は「武蔵路」とも呼ばれ、鎌倉から境川左岸沿いに北上し、多摩,武蔵府中・堀兼(現・狭山市)を経て入間川に至り、入間川付近で上野国方面に向かう上道上野線と下野国方面に向かう上道下野線に分岐する。上野線は下野線と分かれてからは、笛吹峠・菅谷(現・比企郡嵐山町)・児玉を経由して上野国に至り、信濃国に向かう道である。下野線は上野線と分かれてから、高坂・村岡(現・熊谷市)・太田・足利を経て小山に至り、小山で中道と合流する。他にも各所で分岐する。なお、上道は、おおむね東山道武蔵路のあとをたどっており、古代官道との関連も捉える必要があろう。
[編集] 中道
中道(なかつみち)は「奥州大路」とも呼ばれ、鎌倉から戸塚方面に向かい、横浜市港北区・日吉、中山を経由し、現在の港北ニュータウンのあたりより東急田園都市線に近似したルートで二子玉川、渋谷へと進み、そこから新宿、赤羽、川口、岩槻、栗橋、古河、小山、宇都宮と北上していくルートが想定されている。
[編集] 下道
下道(しもつみち)は、鎌倉から朝夷奈切通(朝比奈切通)を越え、六浦津より房総半島に渡り、東京湾沿いに北上して下総国府、常陸国に向かうとされているが、房総半島に渡らず、武蔵国側の東京湾沿いを北上する道筋をこう呼称する場合もあるようである。現在鎌倉街道と呼ばれるもののうち、神奈川県道21号横浜鎌倉線(後述)は、小袋谷付近まで中道をほぼ踏襲しているが、それ以遠のルートは中道から大きく外れて横浜市中心部へ北上しており、六浦津方面より北上してきた下道への間道に沿った道筋に由来するものかと考えられる。
[編集] 現況
- 東京都道18号、3号、52号、神奈川県道52号の鎌倉街道(後述)は、自動車用に拡幅され、あるいは付け替えられており、昔の面影は留めていない。
- 市道として断続的に名前が残っている箇所もある。(例:東村山市・小平市内の鎌倉街道は、府中街道に添うような形態で残っている。その他関東各地に名称が残る)
- 一部には、未舗装のまま残り、かつての雰囲気を偲ばせる箇所もある。
[編集] 主要道としての鎌倉街道
- 現在鎌倉街道と呼ばれる道には以下のものなどがある。
- 東京都道18号府中町田線 - 東京都道3号世田谷町田線 - 神奈川県道・東京都道52号相模原町田線
- 経由地: 府中本町-関戸橋-乞田新大橋-小野路-(井の花)-新袋橋-薬師池-今井谷戸-菅原神社-森野駐在所-鵜野森-国道16号
- 神奈川県道21号横浜鎌倉線
- 経由地: 吉野町-日野-公田-小袋谷-鶴岡八幡宮
- ※上記の2路線は、連続したものではない。
- 東京都道18号府中町田線 - 東京都道3号世田谷町田線 - 神奈川県道・東京都道52号相模原町田線
カテゴリ: 道路関連のスタブ項目 | 街道