関門連絡船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関門連絡船(かんもんれんらくせん)とは、鉄道省(国鉄の前身)がかつて運航していた鉄道連絡船の一つ。
瀬戸内海を挟んで本州と九州の間が最も近くなっていた所を結んでいたものであったため、特に貨物では荷物の積み替えが煩わしいことから、貨車自体を線路を引いた船に載せる「鉄道車両渡船」が古くから使われる事になった。
本州と九州の鉄道間を結ぶ重要航路であったが、関門鉄道トンネルの開通に伴い鉄道連絡の意味合いは薄れた。ただし、すぐには廃止にならず、関門鉄道トンネルが通らない門司港駅付近と下関付近とを行き来する地元住民の便を図る目的で運行が継続されたが、関門国道トンネル(1958年3月9日開通)を通るバスへの旅客移行が進んだことから廃止になった。
なお、関門海峡を挟んで下関港~門司港間を結ぶ定期航路については関門航路を参照のこと。
[編集] 航路概要
- 下関~門司港間(旅客) 営業キロ(1940年10月)15.0km・(1961年10月)0.8km
- 1940年10月当時 53往復 所要15分
- 1961年10月当時 20往復 所要18分
- 下関~小森江間(貨物)
[編集] 沿革
- 1898年(明治31年)9月1日 山陽鉄道子会社の山陽汽船により下関港~門司港間の定期航路を運行開始。
- 1901年(明治34年)5月27日 山陽本線全通により下関駅に着岸地を変更。
- 1906年(明治39年)12月1日 鉄道の国有化に伴い国有化。
- 1911年(明治44年)10月1日 国内初の鉄道車両航送を実施。同時に貨物便は九州側の発着地が門司に代わって小森江駅近くになったことから「関森航路」と呼ばれるようになった。
- 1919年(大正8年)8月1日 前後左右対称の自力で航行する鉄道車両渡船(第1関門丸、第2関門丸)が就航。
- 1942年(昭和17年)7月1日 関門トンネルが開通し、鉄道車両渡船を廃止。
- 1950年(昭和25年)8月 貨物による鉄道車両渡船復活。
- 1964年(昭和39年)11月1日 航路廃止。