麗江
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麗江(れいこう、ピン音: Lijiang)は中華人民共和国雲南省西北部の地級市(地区クラスの市)。旧市街「麗江古城」が世界遺産として登録されている。
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[編集] 概要
麗江(れいこう、ピン音: Lijiang)は中華人民共和国雲南省西北部の地級市(地区クラスの市)。面積7,648平方キロ、人口約111万人。麗江古城は少数民族のナシ族の王都で、今でもナシ族の人々が多く住んでいる。麗江にはナシ族のほかにリス族、プミー族、白族、イ族の人々が住み、漢族より少数民族の多い地域となっている。古城区の旧市街は世界遺産に登録されている。日本語では「レイコウ」と呼ぶが、現地語の発音は「リージャン」あるいは「リーチァン」と聞こえる。
[編集] 地理
雲南省北西部の横断山脈南方、長江上流金沙江の屈曲部付近の谷に位置し、街の周りを丘に囲まれる。中国の都市には大理のように城壁があるのが普通であるが、旧市街の周囲には城壁がない。言い伝えによると、はじめ麗江を治めたとき、当時の皇帝の名“朱”から兜を取った“木”という名前を与えられた当時の頭首阿甲阿得は木氏と姓を改め街を治めた。麗江も異民族の脅威があったが、木氏は占いより「木が治めるこの街を、城壁で囲んだらどうなるか?“木”が“困”になってしまう。」といって城壁を造らなかった、という言い伝えが残っている。 実際には、麗江には細かな水路が入り込んでいるため、城壁の建設が困難なうえに効果が少なく、治水の面でも不安があったからであろう。
街は、旧来の建物がギッシリと立ち並び、丘からの眺めには屋根瓦があたかも湖のように広がる。
[編集] 歴史
旧石器時代以降、新石器時代や青銅器時代、鉄器時代の遺跡が残り、古くから人類が生存してきたことを示す。戦国時代には秦の勢力がこのあたりに浸透して、その蜀郡に属した。 漢代にはこの地に遂久県が置かれたが、唐代以降は吐蕃や南詔、大理の支配下に置かれた。
1271年明軍が元朝に隷属していた大理国を征服すると、この地の領主に「麗江宣慰司」号を与え、麗江の名が始まった。宣慰司とは、中国周辺の諸民族で、統一国家を樹立せず、その民族内の有力者たちが個別に中国王朝と交際、通称する場合に、その民族の有力者たちが中国王朝より授かる土司というカテゴリーに属する官職名で、麗江では、ナシ族の木氏が代々宣慰司号をうけることとなった。 その後、明代に麗江軍民府と改称され、清代には流官(中央任命官)が支配する麗江府となり、民国時代には麗江県が設置された。
1949年7月人民解放軍が入城して麗江県人民政府が成立し、1961年4月には麗江ナシ族自治県となった。さらに2003年6月8日、周辺地区を合わせて地区クラスの麗江市が成立。
[編集] 行政区域
- 古城区
- 永勝県
- 寧蒗(草冠に浪)彝族自治県
- 華坪県
- 玉竜納西族自治県
[編集] 文化
ナシ族は独自の象形文字であるトンパ文字を持つ。
[編集] 世界遺産
[編集] 日本との友好関係
[編集] 外部リンク
- 雲南省の行政区画
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