兵庫県立柏原高等学校
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兵庫県立柏原高等学校 | |
過去の名称 | 兵庫県立柏原中学校 兵庫県立柏原高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 兵庫県 |
設立年月日 | 1897年4月26日 |
校訓 | 進取創造、質実剛健、敬愛和協 |
創立記念日 | 4月26日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース | ベーシックサイエンスコース |
所在地 | 〒669-3302 |
兵庫県丹波市柏原町東奥50番地 | |
電話番号 | 0795-72-1166 |
外部リンク | 公式サイト |
兵庫県立柏原高等学校(ひょうごけんりつかいばらこうとうがっこう)は、兵庫県丹波市(旧氷上郡)にある公立の高等学校。
1897年(明治30年)4月26日創立。旧制中学時代には、柏原中学校、柏原高等女学校の2つがあったが、1948年(昭和23年)に兵庫県立柏原高等学校として統合される。当初は、普通科、商業科、家政科、定時制普通科があったが、1987年(昭和62年)からは普通科のみの進学校として現在に至る。また以前は氷上郡(現・丹波市)内に3つの分校があったが、2つは廃校、1つは兵庫県立氷上西高等学校として独立した。
愛称・略称は柏高(はっこう)。応援歌においても「はっこう」と歌われるなど、親しまれている。
目次 |
[編集] 沿革
- 1897年(明治30年)4月26日 前身の「兵庫県柏原尋常中学校」として創立し、開校式を執り行った。県下4番目の創立だった。初代校長は土井亀之進。
- 1899年(明治32年)4月 兵庫県柏原尋常中学校から「兵庫県柏原中学校」と改称。
- 1901年(明治34年)4月 兵庫県柏原中学校から「兵庫県立柏原中学校」と改称。
- 1902年(明治35年)5月 柏原町立崇廣(そうこう)尋常高等小学校内に女子補習科設置。初代校長は近藤九市郎。
- 1903年(明治36年)4月12日 「柏原町立柏原女学校」を設置し、開校式を執り行った。
- 1908年(明治41年)4月 柏原町立柏原女学校から「氷上郡立柏原高等女学校」と改称。同年5月8日に開校式を執り行った。
- 1914年(大正3年)3月 柏原高等女学校が「氷上郡立実科高等女学校」と改称。
- 1918年(大正7年)3月 実科高女制を廃止し、高女制に改める。
- 1922年(大正11年)4月 「兵庫県立柏原高等女学校」に設立変更。
- 1941年(昭和16年)1月 柏原中学校の校舎大改築。本館その他を竣工。
- 1944年(昭和19年) 夏以降、両校ともに学徒勤労動員へ。
- 1948年(昭和23年)4月 両校ともに高等学校へ昇格。柏原中学校は「兵庫県立柏原高等学校」、柏原高等女学校は「兵庫県立氷上高等学校」と改称。
- 1948年(昭和23年)9月 両校が統合し、「兵庫県立柏原高等学校」となる。同時に、定時制高等学校を併置。中心校を本校に、分校を成松(氷上町)と佐治(青垣町)に設置し、それぞれ「成松分校」「青垣分校」とした。
- 1948年(昭和23年)10月 初代校長として後藤英太郎が就任。
- 1952年(昭和27年)1月 校歌(後述)制定。
- 1952年(昭和27年)4月 吉見村(市島町)に定時制「山東分校」設置。
- 1956年(昭和31年)10月 創立60周年並びに普通科校舎増築落成記念式典挙行。
- 1961年(昭和36年)3月 第33回選抜高等学校野球大会に出場。現在のところ、最初で最後の甲子園出場。初戦の作新学院戦で0-2と敗退。
- 1962年(昭和37年)4月 青垣分校が全日制に移行。
- 1963年(昭和38年)3月 山東分校を廃校。
- 1966年(昭和41年)4月 ワシントン州ケントメリディアン高校との交換留学制度が始まる。
- 1966年(昭和41年)10月 創立70周年記念式典挙行。
- 1972年(昭和47年)3月 成松分校を廃校。
- 1976年(昭和51年)4月 青垣分校が、「兵庫県立氷上西高等学校」として独立。
- 1977年(昭和52年)10月 創立80周年記念式典挙行。
- 1978年(昭和53年)10月 定時制閉校。
- 1983年(昭和58年)4月 家政科募集停止。
- 1985年(昭和60年)4月 商業科募集停止。
- 1985年(昭和60年)10月 校訓を制定(後述)。
- 1986年(昭和61年)4月 普通科に理数コースを設置。
- 1986年(昭和61年)6月 創立90周年記念式典挙行。記念庭園,校訓碑完成。
- 1989年(平成元年)1月 西オーストラリア州パース市オーシャンリーフ高校と姉妹校提携。同8月には、短期交換留学制度が発足。
- 1995年(平成7年)4月 制服として、現制服のブレザーが制定される。
- 1997年(平成9年)4月 創立100周年記念式典挙行。柏陵会館竣工。
- 2003年(平成15年)4月 理数コースをベーシック・サイエンスコース(BSコース)に改組。
- 2005年(平成17年)4月 ケント市・柏原高校高校生交流40周年記念式典。
[編集] 校歌
兵庫県立柏原高等学校・校歌
- 作詞:富田砕花
- 作曲:山田耕筰
1~3番からなる。公式Webサイト内の「校歌」で、歌詞の閲覧をする事が出来る。また環境によってはメロディーが自動的に再生され、聴く事が可能である。生徒が実際に歌う際には、もう少し速いテンポで歌われる。
[編集] 生徒・卒業生状況
- 生徒数 866人(男子436人 女子430人)
- 学級数 22学級(うち3学級がBSコース)
- 卒業者数 36,146人(旧制2校を含む)
(2005年5月1日現在)
[編集] 進学状況
卒業生のうちの9割程度が大学・短大・専門学校等に進学する。
[編集] 部活動
部活動も盛んであり、時折、全国大会にまで出場する部が現れるほどである。特に、ワンダーフォーゲル部、ソフトテニス部はここのところずっと近畿・全国大会に出場している強豪といえる。以下、主に2001年以降の成績である。
- 体育部(高校総体=全国高等学校総合体育大会)
- 野球部 1961年、第33回選抜高等学校野球大会に出場(前述)。
- 陸上競技部
- 剣道部
- サッカー部
- ワンダーフォーゲル部-2005年度の「高校総体」全国大会に出場。1999年の出場以来6年ぶり。近畿大会は常連。
- 少林寺拳法部-2003年、組演舞の部で「高校総体」全国大会に出場。
- ソフトボール部
- 男子バスケットボール部
- 女子バスケットボール部
- 男子ソフトテニス部-2001年~2003年、団体の部で「高校総体」近畿大会出場。2002年、個人の部で全国大会出場。
- 女子ソフトテニス部-2001年、2002年、2005年に個人の部で,2004年,2005年に団体の部で「高校総体」近畿大会出場。
- 男子バレーボール部
- 女子バレーボール部-2001年、2003年と「高校総体」近畿大会出場。
- 水泳部
- 男子ハンドボール部
- 女子ハンドボール部
- 卓球部
- ダンス部
- 文化部
[編集] 出身者
- 芦田均 第47代内閣総理大臣。政治家,外交官。旧制柏原中学校出身。
- 大西瀧治郎 旧日本軍の海軍中将。神風特攻隊を編成したことで、「特攻生みの親」と呼ばれる。旧制柏原中学校出身。
- 藤原岩市 旧日本軍の陸軍中佐。特務機関(F機関)長として、INA育成、インド独立に寄与した。旧制柏原中学校出身。
- 大木道則 東京大学名誉教授。有機化学の基礎的研究で世界的に知られ、ノーベル化学賞の候補にも挙がる。旧制柏原中学校出身。
- 有田喜一 政治家。佐藤栄作内閣における文部大臣など、3度の入閣を果たした。
- 佐々木恭介 元プロ野球選手・監督、野球解説者。
- 山名靖英 公明党所属の前衆議院議員。2005年引退。
- 中野貴志 大阪大学教授。2003年、SPring-8を用いてペンタクォークの存在を実証し、日本物理学界の最高賞 「仁科記念賞」を受賞した。
- 岩槻邦男 東京大学名誉教授。日本植物園協会名誉会長。1994年、日本の学術賞としては最も権威ある賞「エジンバラ公賞」を受賞した。5回卒。
[編集] 関連人物
[編集] シンボル
校門を抜けてすぐ、グラウンドの隅に「クスノキ」の大樹がたっている。旧制柏原中学校の第1期生の卒業後に、一人の教諭が校庭の隅に植えたものだという。以来100年以上に渡って、本校を見守り続けている、まさに本校のシンボルである。
[編集] アクセス
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
「沿革」「生徒・卒業生状況」「進学状況」執筆の参考文献とした。
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