北の国から
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北の国から(きたのくにから)は、北海道富良野市(主に麓郷地区)を舞台にしたフジテレビジョン制作のテレビドラマ。1981年から2002年にかけて放送。
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[編集] 概要
東京都から故郷の北海道に帰郷して、大自然の中で暮らす一家の姿を描く。脚本家倉本聰の代表作。北海道の雄大な自然のなかで繰り広げられる人間たちのドラマは多くの視聴者の共感を呼び、連続シリーズの放映終了後、8編に及ぶスペシャルが放映された。さだまさし作曲・スキャットによる主題歌も広く愛されている。
連続シリーズで、主人公となる黒板家3人の子役として「純」と「蛍」の兄妹を演じた吉岡秀隆と中嶋朋子は、その後の続編でも、父親役の田中邦衛とともに成長した彼らを引き続き演じ続けた。「黒板」という苗字は、作者の若い頃の恋人の苗字から採った。
高い視聴率に支えられ、21年間に渡って放送された人気ドラマだったが、制作スタッフの高齢化による定年退職や長期ロケによる高額な制作費などにより続編の制作が困難になってきたことから、2002年秋に放送した「北の国から 2002遺言」をもって制作を終了した。
企画は、映画『キタキツネ物語』と『アドベンチャーファミリー』が大ヒットしたから、似たようなものをとういうことで、フジテレビから脚本家の倉本聰に話が持ち込まれたことから始まる。 ドラマのコンセプトはアメリカ合衆国のテレビドラマシリーズ『大草原の小さな家』をヒントにしたものといわれる。
フジテレビの系列局北海道文化放送が初回から番組制作に協力して、毎回、長期に渡る北海道ロケによって制作が行なわれた。富良野の美しい自然や祭りなどの風物の中でドラマは織り成され、本作によって富良野市は日本中に知られるようになり、第1作の放送終了直後から、休日に数百人の観光客が過疎の村だった麓郷地区に見物に訪れることとなった。最終作が放送された2002年度には249万人が訪れている。[1] 富良野は北海道の観光名所となり、ドラマに使われた丸太小屋が再現された他、富良野駅近くに、富良野市駅前農業協同組合4号倉庫を改造した「北の国から資料館」が設けられた[2]。さらに、連続ドラマ第1回で黒板親子が降り立った布部駅の入口脇には倉本の筆による「北の国から ここに始まる」と書かれた碑が建てられるなどした。
この成功により、フジテレビは「北の国から」初回シリーズの放映終了後、同作のスペシャル版を放送するとともに、この路線を継続して、別の脚本家によるアメリカを舞台にしたドラマ『オレゴンから愛』を制作・放映した。
[編集] シリーズ
[編集] 連続ドラマ
番組タイトルは、『北の国から』。1981年10月9日から1982年3月27日)にかけて全24話が放送された。1年2ヶ月に及ぶ長期ロケは民放では異例だった。金曜日22時からの1時間番組で、人気脚本家山田太一のTBS『想い出づくり』を裏に回して、一時は一桁になった視聴率は尻上がりに上がり続け、最終回の放送日には新聞の朝刊にお礼の広告を出稿して、最終回でついに20%を突破した。平均視聴率は14.8%。テレビ大賞を受賞し、視聴者からの投書も1万通を超える好評ですぐに再放送がなされ、翌年からのスペシャル版に繋がっていった。
吉岡秀隆の演じる黒板家の長男の純が、東京のガールフレンドに話し掛ける口調で物語の語り手となっている。この純の「今日、僕は…な訳で」「…しており」「…と思われ」のセリフも有名であり、よく物真似される。この純のナレーションは、倉本聰が脚本を担当したドラマ「前略おふくろ様」での萩原健一の成功を受けて使用されたものである。以後の続編でも、ガールフレンドへ語りかける設定ではなくなったもののこれは踏襲されている。
[編集] スペシャル
連続ドラマ版の好評を受けて、10年単位で子役の成長を追う大河ドラマというコンセプトで当初から長期シリーズとする予定で開始された。このスペシャル版から20%台の高視聴率を獲得するようになり、『北の国から'89 帰郷』からは30%台に。『北の国から'98 時代』では数字を落としたものの、『北の国から2002 遺言』の前編から38.4%と、FIFAワールドカップのサッカー中継を除くと、2002年の視聴率では、『NHK紅白歌合戦』に次ぐ成績となっている。
『北の国から2002 遺言』では、共演を通じて、吉岡秀隆と内田有紀は2002年に結婚したり[3]、中嶋朋子の実子が息子役で出演するなどの話題もあった。さらに倉本聰は『北の国から2002 遺言』の脚本で第21回向田邦子賞を受賞した。
『北の国から'87 初恋』からビデオ化されるようになり、兄妹の恋愛が描かれるようになった。ビデオやDVD、などの映像ソフトは遡って過去の作品も含めて、全てがソフト化された。この映像ソフト化がレンタルビデオを通じて、新たな視聴者を獲得したと言われる。また、『北の国から'87 初恋』は、シリーズ完結前にファンから「シリーズにおける最高の名場面は?」というアンケートで、ラストシーンの純が汚れたお札を見ながら富良野を旅立っていくシーンが1位に選ばれている。
『北の国から'95秘密』以降はハイビジョンで撮影。『北の国から'87 初恋』と『北の国から'92 巣立ち』は文化庁芸術祭作品賞を受賞。
なお、『北の国から』が制作されていない1986年には、フジテレビ制作で倉本聰がフィギュアスケートを題材にした映画『時計 Adiue I'Hiver』を監督している。蛍役を演じた中嶋朋子の成長を追いながら撮影するという『北の国から』と共通するコンセプトの作品。
- 北の国から'83 冬 (1983年3月24日放送)
- 北の国から'84 夏 (1984年9月27日放送)
- 北の国から'87 初恋 (1987年3月27日放送)
- 北の国から'89 帰郷 (1989年3月31日放送)
- 北の国から'92 巣立ち〈前後編構成、1992年5月22日、5月23日放送〉
- 北の国から'95 秘密〈2部構成、1995年6月9日放送〉
- 北の国から'98 時代〈前後編構成、1998年7月10日、7月11日放送〉
- 北の国から2002 遺言〈前後編構成、2002年9月6日、9月7日放送〉(テレビドラマとしての最終章)
[編集] シナリオ本
全作品のシナリオが理論社から刊行されている。倉本聰が執筆したベースのものであるため、実際の放映内容と異なる点もある。倉本聰は、この第1作の連続ドラマ版の小説化を理論社から依頼されるが、これを断り当時としては異例のシナリオ本として上下巻の2巻で全話のシナリオ収録して刊行された。これが路傍の石文学賞と小学館文学賞を受賞。さらに発行部数は40万部を数える商業的な成功もあり、本作のシナリオ本が契機となって、山田太一や向田邦子といった脚本家のシナリオが書籍化されるようになった。
以後、本作のシナリオ本の刊行は慣例となり、小説誌「小説新潮」に『北の国から'83冬』のシナリオが掲載されたこともあった。1994年時点ではスペシャル版のシナリオ本と合わせって90万部になっているという。
1993年には光村図書の中学二年生の国語教科書にシナリオが掲載された。
[編集] その他
[編集] 北の国から 記憶
2002年8月23日、8月30日放送。最終章「2002 遺言」の放送前に製作された総集編。2週にわたって「金曜エンタテイメント」枠にて放送。前編の「1980~1987」は、連続ドラマから「'87 初恋」まで、:後編の「1989~1998」は、「'89 帰郷」から「'98 時代」までとなっている。この作品で大凡のストーリーが理解できるものの、前後編4時間弱という時間の関係上、細かなストーリーは省略されている。
[編集] ドキュメンタリー"北の国から"
2002年9月9日放送。「2002遺言」の舞台裏を中心としたドキュメンタリー番組。語りは中嶋朋子(蛍)。
[編集] 5夜連続!アンコールドラマスペシャル「北の国から」
2003年12月16日~12月19日放送。ハイビジョン撮影がされていた「'95秘密」、「'98時代」、「2002遺言」を地上デジタル放送開始を記念して、初のハイビジョン版での放送。なお編成上の都合で時間枠が足りなかった「2002遺言・前編」については、冒頭で22年間を振り返る回想シーンが追加されている。
[編集] ゆく年くる年
民放で共同放送していた頃の大晦日のテレビ番組『ゆく年くる年』で、フジテレビが制作した1982年から1983年のものに、本作の黒板一家という設定で田中邦衛、吉岡秀隆、中嶋朋子の3人が出演した。
[編集] カルトQ2005~誇り~(北の国から)編
2005年10月17日(月)深夜1:19~2:14の登龍門ニューカマーズ枠で、カルトQ2005~誇り~(北の国から編)が放送された。
[編集] 再放送
現在は作品も、前述の通りDVD化されており、いつでも振り返ることが出来るが、そのDVD発売前は不定期に再放送が放映され、新作の放映前に前作の再放送があり、視聴者が前作を振り返るという狙いと共に、連鎖的な視聴者の獲得を狙うといった、局側の意図である。(これは別に本作品に限った訳ではないが)ただ、90年度前半期においては、ほぼ毎年3月の最終土曜日の夕刻の時間に近年の作品の再放送を放映するという、ある意味恒例ともいえる放映がされた。(特に4月を目前にした進学、就職時にダブらせ、’87年初恋や’89年帰郷といった、純や蛍が人生の新しい旅立ちをするという光景を放映する)
[編集] 主なスタッフ・出演者
[編集] スタッフ
- 原作・脚本:倉本聰
- 音楽:さだまさし
- 演出:<連続ドラマ>富永卓二、杉田成道、山田良明 <スペシャル>杉田成道(全作品とも)
- プロデュース:<連続ドラマ>中村敏夫、富永卓二 <スペシャル>中村敏夫('83~'84・2002 ※2002ではフジクリエイティブコーポレーションのプロデューサーとして参加)、山田良明('87~'98 ※2002ではアドバイザリースタッフとして参加)、清野豊('92~'95)、笹本泉('95~'98)、杉田成道(2002)
- 「2002遺言」のラストで制作に携わった全スタッフをロールスーパーで確認することができる。
[編集] 出演者
<連続ドラマ~>
- 黒板五郎:田中邦衛
- 黒板純:吉岡秀隆
- 黒板(笠松)蛍:中嶋朋子
- 黒板令子:いしだあゆみ
- 宮前(井関)雪子:竹下景子
- 井関利彦:村井国夫
- 中畑和夫:地井武男
- 中畑みずえ:清水まゆみ
- 中畑すみえ:塩月徳子⇒中島ひろ子(2002遺言)
- 北村清吉:大滝秀治
- 北村正子:今井和子
- 北村草太:岩城滉一
- 笠松杵次:大友柳太朗
- 笠松みどり:林美智子
- 笠松正吉:中澤佳仁
- 木谷凉子:原田美枝子
- 吉本つらら:熊谷美由紀(松田美由紀)
- 川島竹次:小松政夫
- こごみ:児島美ゆき
- 山本恵子:永浜三千子
- 成田新吉:ガッツ石松
- 松下豪介(クマさん):南雲 佑介
- 吉野信次:伊丹十三
- 本田好子弁護士:宮本信子
- 警官:平田満・斉藤晴彦
- 刑事:蟹江敬三
- スナックの客:石丸謙二郎
- 前田:梅野泰靖
<スペシャル>
- 沢田松吉:笠智衆
- 沢田妙子:風吹ジュン
- 時夫:笹野高史
- ラーメン屋の店員:伊佐山ひろ子
- 中畑努:六浦誠
- 北村(飯田)アイコ:美保純
- 飯田広介:古本新之輔
- 大里れい:横山めぐみ
- 大里政吉:坂本長利
- 中津完次(チンタの兄):レオナルド熊
- 中津チンタ:永堀剛敏
- 宮田寛次(シンジュク):布施博
- 先生:鶴田忍
- トラック運転手:古尾谷雅人
- 和久井勇次:緒形直人
- エリ:洞口依子
- 竹内先生:井川比佐志
- 松田タマコ:裕木奈江
- タマコの叔父:菅原文太
- 加納金治:大地康雄
- 財津医師:北村和夫
- 高木:渡部篤郎
- ビデオ屋の男:石丸謙二郎('92にて。連ドラで演じた役とは別)
- 純の小学校時代の同級生:西島秀俊
- 小沼シュウ:宮沢りえ
- 小沼周吉:室田日出男
- シュウの次兄:上杉祥三
- 黒木夫人:大竹しのぶ
- スナックの男:平泉成
- 高村結:内田有紀
- 高村吾平:唐十郎
- 高村弘:岸谷五朗
- 井関大介:いしい すぐる('92)⇒沢木哲(2002遺言)
- 笠松快:西村成忠(※中嶋朋子の実の長男)
- 清水正彦:柳葉敏郎
- 山下先生:杉浦直樹
- 三沢老人:高橋昌也
- 三沢夫人:根岸季衣
- 医師:串田和美
- 三平:山崎銀之丞
[編集] 主題歌
さだまさしの歌う有名な主題歌『北の国から~遥かなる大地より~』の誕生については、以下のような逸話がある。[4]
さだがコンサートツアーで札幌に行った翌日、さだと当時のバンドのギタリスト坂元昭二は富良野にある倉本の自宅に呼ばれ、ドラマの第1回・第2回のビデオを見せられた。感動したさだは倉本に感想を聞かれ、「これは大ヒットしますよ」と答えたところ、倉本に「じゃ、まさしが音楽やって」と言われてしまった。
さだは当初、自分は九州(長崎県)出身であり、北海道には北海道出身の人間(おそらく友人の松山千春や中島みゆきあたりを念頭に置いていたのだろう)がいるだろうと答えたが、倉本はそんなことは関係無いと答えた。問答の末、さだが承諾したところ、今度は「今作れ」といわれ、即興で作ったのである。実は倉本はさだにギターを持ってくるように、と言っており、最初から作らせるつもりだったのかもしれないと、後にさだは語っている。
なお、このテーマ曲は歌詞が無いことでも有名だが、さだと倉本は「ドラマのイメージを壊す」と作詞を断っている。1998年のNHK紅白歌合戦でさだがこの主題歌を歌うと発表されたとき、歌詞をつけて歌うのではないかという噂が流れたが、結局歌詞をつけて歌うことはなかった。ちなみにこの年、さだはこの主題歌をシングルCDで発売しているが、CDの歌詞カードには「スキャット」と一言だけ記されている。
のちに、テレビのトーク番組に出演したさだが明らかにした内容として、倉本宅での即興作成時、さだが北海道の広大な台地をイメージしたメロディーラインを「♪ああ~あああああ~あ(語尾下げて)」と発した際、倉本より「それいいね。で、その続きは?」と言われ、続けて「♪ああ~あああああ~(語尾上げて)」と発した。さらに倉本「続けて」。さだ「♪んん~んんんんん~ん、んんん、んんんんん~」これを聞いた倉本「いいね。これでいこう。」とそのまま決定。メロディーラインを即興で考え発しただけのつもりが、イントロのギターからAメロ・Bメロと、その時の即興メロディー案がそのまま採用されたとのこと。
上記のことを踏まえて、さだ自身がインタビュー取材やコンサートのトークで「僕が作った曲の中で、詞が一番素晴らしいのは『北の国から~遥かなる大地より~』です。なにしろ、すべてのことが『あ』と『ん』だけで表現されてますから! こんなに楽で完成度の高い詞はもう一生書けないでしょうね。』とネタにするのも最早お約束である。
2007年現在、この主題歌(および劇中BGMの「純のテーマ」など)は、バラエティ番組などで北海道のシーンのBGMとして使わたり、北海道日本ハムファイターズの応援団が使用していたりと、北海道を象徴する楽曲のように使われている。
[編集] 「北の国から」の使用楽曲
さだまさしが担当したサウンドトラックとは別に連続シリーズ、後のスペシャルも含み多数の楽曲が使用されたのも「北の国から」の特徴である。ジャンルは、クラシック音楽やフュージョンから、J-POPや演歌までと幅広いが、その理由については、次によるものと言われている。
- フィクションでありながらも、現実の時間とリアルタイムで同時進行するパラレルワールドという設定と時代考証的な見地から実際にヒットした楽曲の使用。(大晦日の描写に紅白歌合戦を使うのが具体例)
- 脚本の倉本聰や制作スタッフによる拘り、ならびに演出上の指定楽曲であるケース。
また傾向として、北海道が舞台であるために北海道出身である中島みゆきや松山千春の楽曲は比較的使われやすい。さらに特定アーティストに絡むエピソードとして次の逸話がある。
- 「'87初恋」では、尾崎豊の楽曲が多用されている。当時、「十代のカリスマ」と呼ばれて絶大的支持を受けていたのが尾崎であり、中学生であった純と大里れい(横山めぐみ)との恋愛模様を描くためには、尾崎の楽曲は社会現象的にも演出上欠かせなかったという一面もある。特に『I LOVE YOU』はその後、何度も使われ純の恋愛を描く上で象徴的な挿入歌として『北の国から』と切り離せない存在になっていく。また、純を演じた吉岡秀隆は、尾崎と交遊があり「オレのことを兄と思ってくれていいよ」と本人から言われるほどの仲だった。
- 「'92巣立ち」で「長溝剛だあ!」の名セリフと五郎(田中邦衛)自身が歌ったことで知られる歌は、長渕剛の『西新宿の親父の歌』(アルバム「JEEP」に収録)である。長渕と倉本は交友関係があり、「'89帰郷」では「乾杯」(1980年レコーディングのオリジナルバージョン)が、東京へ行く勇次(緒方直人)と螢(中嶋朋子)の富良野駅での別れのシーンでも使われている。さらにドラマとは直接の関係はないが1995年に長渕が、大麻取締法違反で逮捕され、後に釈放から不起訴処分になった時に倉本が富良野に呼び寄せている。
なお、番組内でのサウンドトラックを除いた使用楽曲をまとめたサイトがあるので詳細はこちらを参照のこと。
[編集] 逸話など
- 田中邦衛演じる黒板五郎のキャラクターは、小堺一機、石橋貴明(とんねるず)、原口あきまさ、香取慎吾(SMAP)らによく物真似されている。このうち、石橋はバラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげです』でのパロディ「ちょっと北の国から」が本家の宣伝に一役買ったとして、倉本から(相方の木梨憲武とともに)ドラマ「火の用心」の主役に抜擢された。石橋は本編への出演も熱望していたが、こちらはついにかなわなかった。ただし、「'98 時代」でテレビに彼が広末涼子に扮して歌う映像(「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「ほんとのうたばん」で実際に放送された映像)が映る場面があり、間接的には「出演」を果たしている。
- 同様な間接的出演を果たした人物に現在めざましテレビのキャスターを務める大塚範一がいる。「'92巣立ち」で大晦日のシーン、岩城滉一扮する草太が車(U11型日産ブルーバードバン)で黒板家に向う時のカーラジオから流れる音声として第42回NHK紅白歌合戦をNHKから許諾を得て使用したのだが、この時のラジオ実況を担当したのが当時NHKアナウンサーだった大塚であった。わずか数秒であるために本人も気がつかず、後年になって関係者から「大塚の声ではないか?」と本人に確認したところ「間違いない」と回答を得れたために明らかになった。
- 物語の特徴のひとつに大晦日の情景が描かれるケースが非常に多い。上記のNHK紅白歌合戦を取り入れたのは連続ドラマシリーズでも見受けられた。これは、正吉のもとに母親のみどりが年末年始の帰省をし久々の親子水入らずのシーンで八代亜紀の「雨の慕情」が使用されている。連続シリーズの放送的には1981年~1982年ではあるが、ドラマ内の設定が1980年12月31日であるため第31回NHK紅白歌合戦がベースになっている。(ただし、ドラマ内で映像は確認できず、これがNHKから借りた素材であるかは未確認。権利問題などでフジテレビ内のアーカイブ素材を使用した可能性もある。)
- また別年度の大晦日に放送されるテレビ映像や音声を使うケースでは、明石家さんまが出演していると思われる物が使われたり、系列局である北海道文化放送のローカル番組が使われており、ここでは山田英寿アナウンサーが間接的出演を果たしている。
- 北海道文化放送への制作協力という意味では、「'92巣立ち」内で草太とアイ子の結婚式をテレビ取材させるという名目で同局のロケ用ワゴン車(日産・キャラバンもしくは日産・ホーミー)(E24型)が登場する。日産自動車はスペシャルになってからのメインスポンサーでもある。
- 上記のように連続シリーズでの車両提供はトヨタ自動車であったが、五郎(田中邦衛)や中畑和夫(地井武男)の使用車両もスペシャルになってからは、日産車に変更されている。純(吉岡秀隆)と蛍(中嶋朋子)に関してはドラマ設定上の運転免許取得年齢が、日産がメインスポンサーになってからのために最初から日産車を劇中車として使用している。
参考:主なキャラクターの劇中使用車変遷
※五郎(田中邦衛)
トヨタ・スタウト(2代目RK45~101型)⇒ニッサン・ジュニア(横目4灯40系)⇒ニッサン・ジュニア(縦目4灯140系)
スタウトは、丸目4灯のために1963年式以降の車両と思われる。 また、ジュニアは途中から代替わりもしているが、どちらにしろ60~70年代に生産されたボンネットトラックであり現代では貴重な車両である。
※純(吉岡秀隆)
日産・テラノ(WD21型)⇒日産・ダットサントラック(D22型)
テラノは初期の2ドアモデル。劇用ナンバーは「旭」一文字であるため(劇用なので美術スタッフが制作した可能性が高いがリアリティを求めた結果と考えると)61~62年式のR3Mと思われる。さらにダットサントラックはダブルキャブ仕様。(「2002遺言」のみの登場)
※蛍(中嶋朋子)
日産・マーチ(K11型)
「2002遺言」のみの登場。99年11月で打ち切られたライトグリニッシュシルバーの外装色。グリル一体型のボンネット。 マルチリフレクターではない ヘッドライト。リアへッドレストのない5ドア。ホイールカバー装備から平成10~11年式のコレットと思われる。
※北村家のライトバン
トヨタ・コロナバン(T130系)⇒日産・ブルーバードバン(U11型) グレードは不明。
※中畑和夫(地井武男)
トヨタ・ランドクルーザー(BJ40系)⇒日産・テラノ(WD21型)⇒日産・サファリ(Y60型)
ランドクルーザーには、「中畑木材」の看板入り。また、テラノは純の仕様とは異なる4ドア。
- シリーズにおける最高の名場面と言われる「'87初恋」の純が汚れたお札を見ながら富良野を旅立っていくシーン。ここで登場する大型トラックは、スポンサーの関係から日産ディーゼル工業の車(レゾナ)であり、同様に「2002遺言」の冒頭で倒産してしまった旧・北村家から牛などを持ち出していくトラックも日産ディーゼル工業製の大型トラック(ビッグサム)である。しかし、「拾ってきた街」の住宅建築現場のクレーン付トラックは、車両手配ができなかった関係なのかいすゞ・フォワード(2代目)を使用しており、エンブレム類にはすべてガムテープ等で目隠しをしている。
- 芸能界にもファンが多く、ますだおかだの増田英彦は富良野でのドラマの足跡を辿るのではなく、東京での(特に「’92巣立ち」での純の東京の)生活の場面で登場するロケ地などを訪問するのが趣味であると語った(2006年7月21日放送の『ごきげんよう』にて)。また、雨上がり決死隊の蛍原徹は年に何度か富良野を訪れ、地元の住民からも歓迎されている。そんな縁もあり蛍原の希望で北海道美瑛町で挙式した。蛍原本人は「将来的には北海道に移住したい」とも話す。
- 長期間にわたるシリーズ全作品に出演したのは主役3人の他、地井武男、竹下景子、岩城滉一らがいる。
- 笠松正吉役の中澤は子役時代の後は芸能界を退き一般企業に勤める会社員となったが、本作だけは特別に出演を続けていた。しかし仕事との両立が困難となり、最後の『2002遺言』には、蛍へ宛てた手紙を読む声のみの出演となった。
[編集] 脚注
- ^ 「朝日新聞」朝日新聞社、2006年9月19日号。webページ版
- ^ 入場料は大人500円、子供300円。
- ^ 吉岡と内田は2005年に離婚。
- ^ 主に1993年リリースのさだのアルバム『逢ひみての』の解説より
[編集] 関連項目
- 優しい時間(同じ倉本聰脚本・富良野を舞台にした連続テレビドラマ)
- とんねるずのみなさんのおかげです、おかげでした
- 北の国からが放送される度にパロディコントが放送されれるのが恒例となっていた。地井武男やガッツ石松なども出演
[編集] 参考資料
- 読売新聞社芸能部編集『テレビ番組の40年』日本放送出版協会、1994年
- 倉本聰『愚者の旅 わがドラマ放浪』理論社、2002年
- 志賀信夫『映像の先駆者125人の肖像』日本放送出版協会、2003年
- 引田惣弥『全記録テレビ視聴率50年戦争』講談社、2004年
[編集] 外部リンク
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