さだまさし
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さだ まさし(本名・佐田雅志、1952年4月10日 - )は日本の歌手、シンガーソングライター。元グレープのボーカリスト。ラジオパーソナリティ、小説家、映画監督。長崎県長崎市生れ。國學院高等学校卒業、國學院大學法学部中退。血液型はA型。趣味はゴルフ。弟は日本人初のプロサッカー選手で、さだ企画社長の佐田繁理、妹は歌手の佐田玲子、息子は桐朋学園大学在学中のヴァイオリニスト佐田大陸である。
目次 |
概略
二人組のフォークデュオ「グレープ」でデビュー。2枚目のシングル『精霊流し』が全国的なヒットになり、一躍全国区となる。ソロになってからも、『雨やどり』、『関白宣言』、『道化師のソネット』、『防人の唄』、『北の国から』など数々のヒット曲・有名曲を生み出してきた。その叙情的で文学的な歌詩の世界は独自ものである。また、トークの軽妙さはテレビでもコンサートでもさだの大きな魅力となっているほか、近年では小説家としても活動している。
2006年10月現在、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手であり、その回数は約3460回に達している。
ファンとスタッフの間では「まっさん」という愛称が使われている。画家原田泰治との交友から、長野県諏訪市に居を構えているが、近年は、子供の教育の都合上、諏訪に居ないことが多い。
略歴
- 長崎市で佐田家の長男として生まれる。佐田家は元々島根県三隅町(現浜田市)の大地主の家系である。その次男坊だった祖父・繁治は中国大陸で諜報活動に従事したのち商工省の大臣秘書官を務めた経歴の持ち主であり、その繁治と結婚した祖母もまたソ連(現ロシア)のウラジオストックで料亭を営んでいたという当時の日本人女性としては異色の存在である。父・雅人は第二次世界大戦終戦後、長崎出身の戦友とともに復員し、そのまま長崎に住み着いた。その後、戦友の妹・喜代子と結婚し、雅志・繁理・玲子の三人の子をもうけている。雅志の幼少時は、父・雅人は材木商を営み、自宅は庭に小山があるような豪邸だったという。
- 3歳よりヴァイオリンを習い始め、毎日学生音楽コンクール西部地区大会で入賞するなどの上達ぶりを見せる。一方、父の事業が失敗し、一家は豪邸を失い小さな長屋住まいとなる。
- 小学校卒業後、ヴァイオリン修行のため単身上京。以後、葛飾区や千葉県市川市で一人暮らしを続けることになる。中学生時代に加山雄三やサイモン&ガーファンクルに影響され、ギターを奏でながら歌を作るようになる。その一方東京藝術大学付属高校(途中で東京都立駒場高等学校(現東京都立芸術高等学校の芸術科)に志望校を変更)の受験に失敗し、失意のなか國學院高等学校に入学。以来ヴァイオリンへの熱意を失う。ただし創造性とでも言うべきユニークな才能は高等学校在学中にもいかんなく発揮され、数多くの武勇伝や逸話を残している。
- 國學院大學中退(法学部へ入学も、殆ど大学には行かなかった)後、数々のアルバイトをしながらの生活を送るも、やがて肝炎を患ったことをきっかけに長崎に帰郷。1972年、高校時代からの友人吉田政美とバンド「グレープ」を結成し音楽活動を開始。やがて音楽プロデューサー川又明博によってスカウトされ、1973年には『雪の朝』でワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)より全国デビューした。
- 1974年、『精霊流し』を発表するが、まだ無名のフォークデュオであった為か、当初の売り上げは芳しくないものだった。しかし、名古屋の東海ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』の中で、蟹江篤子アナウンサーが担当曜日で毎週のように流し続け、これが助力となって放送エリアの名古屋地区のみならず、全国的なヒットとなった。この年の日本レコード大賞作詞賞受賞。
- 1975年11月にリリースした『無縁坂』もヒット。
- 1976年4月、自分たちのやりたい音楽と世間が望むイメージとのギャップを感じたことと、さだが体調を崩したこともあり、グレープを解散。同年11月、『線香花火』でソロ活動を始める。
- 1977年にシングル『雨やどり』がオリコンシングルチャート1位になるほどの大ヒットとなる。
- 1978年10月、個人レーベル「フリーフライト」設立。1979年1月、同レーベルから初のシングル『天までとどけ』をリリース。
- 1979年には『関白宣言』が150万枚を超える大ヒットとなった。他にも『案山子』、『道化師のソネット』、『天までとどけ』、『防人の詩』、『親父の一番長い日』、『驛舎』など、数々のヒット曲を放つ。
- 1980年、映画『翔べイカロスの翼』(主題歌は「道化師のソネット」。共演は原田美枝子)にサーカス団のピエロの青年役として主演、音楽も担当。一方、翌1981年にかけ、中国大陸を流れる大河を舞台にしたドキュメント映画『長江』(主題歌は「生生流転」)を制作(1981年11月公開)。映画自体は120館上映というヒットであったものの、それ以上に制作費を掛け過ぎてしまったため、約30億円もの負債が残った。この借金については自身31作目のシングル「建具屋カトーの決心~儂がジジイになった頃」の中の歌詞にも盛り込まれている。本人曰く「ガビ山からゴビ砂漠に向かってションベンして、借金して、島の王様で、昔は歌手、と言っても『嘘つけ、このハゲ!』なんか言われてしまうだろう」とのこと。さだは以後、借金返済のため年間100回以上、多い年には年に162回(1982年実績)ものコンサートを行なうようになる。また、この頃から大ヒットの反動から「暗い」「右翼」「左翼」「軟弱」「女性蔑視」など様々なバッシングを受けることになる。
- 1981年、フジテレビ系ドラマ『北の国から』の音楽を担当。歌詩の無い主題歌だが大変有名な曲となる。
- 1985年、ソロ・コンサート通算1000回(東京厚生年金会館)を達成。
- 1987年8月、故郷長崎市で「長崎から広島に向って歌う」無料平和祈念コンサート『夏・長崎から』を開催。以後2006年までの20年間毎年8月6日に長崎でコンサートを行い、地元市民だけはなく全国からファンが集まる長崎市の夏の一大イベントとなった。
- 1993年、ソロ・コンサート通算2000回(大阪フェスティバルホール)を達成。
- 1995年、長崎市に平和祈念のミュージアムを作る「ナガサキピーススフィア貝の火運動」を開始(2003年4月にナガサキピースミュージアム開館)。
- 1996年、長崎県県民栄誉賞を受賞。
- 2000年4月1日、福岡ダイエーホークス開幕戦にて君が代を独唱。ロンドン・ロイヤルアルバートホールにてコンサートを行う(日本人男性歌手では初)。
- 2001年9月、小説『精霊流し』を発表。後にNHKでTVドラマ化され、さらに映画化もされた。
- 児童書『おばあちゃんのおにぎり』発刊。2002年にひろすけ童話賞を受賞する。
- 2002年3月21日、ソロ・コンサート通算3000回(東京国際フォーラム)という前人未到の偉業を達成。9~12月、デビュー30周年記念コンサート・ツアー『MOON-BOW at THE 30th』を東京・名古屋・大阪にて各8夜構成で開催。グレープ・デビューからの時系列に沿って8日間掛けて足跡を辿って行くという趣向で曲目、バンド編成が日替わりのスペシャルコンサート。12月、小説集『解夏(げげ)』発表。2004年に映画化、フジテレビ月9枠でドラマ化(『愛し君へ』)。
- 2004年、長崎市栄誉市民となる(故人以外に贈られるのは初めて)。NHKが行った「紅白歌合戦出場歌手に関する世論調査」で15位にランクイン。現在でも多くの人から根強い支持を受けていることを証明した。12月、長編小説『眉山』発表。
- 2005年8月17日、FIFAワールドカップ予選日本対イラン」の試合にて君が代を独唱。9月6・7日、「ソロ通算3333回記念コンサート」を日本武道館にて2日間開催。同7日に32作目のオリジナルアルバム『とこしへ』発売。10月、サッポロビール「冬物語」で初のパッケージデザイン。
- 2005年、NHK紅白歌合戦で歌ってほしい歌のアンケート(スキウタ~紅白みんなでアンケート~)において、「関白宣言」が男性歌手の中で82位になり、今なおその人気が高いことを証明した。
- 2006年、1月1日未明にNHK総合テレビでさだ司会の生放送特番『新春いきなり生放送!!「年の初めはさだまさし」』が放送される。好評を博したため、5月・8月に続編が放送、翌2007年1月1日未明にも「2007年新春生放送 年の初めはさだまさし」が放送され、3月にも続編が放送されている。
- 2006年8月6日、最後の『夏・長崎から』を行う。その際に「来年は8月9日に広島から長崎に向かって歌うコンサートをやるよ」と宣言する。
- 2006年、『夏・長崎から』の活動に対し、日本レコード大賞・特別賞を受賞する。
『シンガーソングライター』さだまさし
中島みゆきと並んで「暗い」「重い」という評価を受けがちな彼の作品だが、それは詩に込められているメッセージが深いということの証左であろう(中島みゆきも同様)。人の生と死、愛情の強さ・儚さ、人の心の弱さ・強さ、社会への警告、平和と命について(「防人の詩」「前夜」「遙かなるクリスマス」「広島の空」)など、彼の放つメッセージは人の心の機微に強く働きかけるものであると言え、これが聞く者によっては心を試されているように感じるのか極端に毛嫌いされるケースも少なくない。さだのデビュー当初から一貫しているテーマは「無常観」、「寂静観」だが、これを哲学論、宗教論としてではなく「美意識」、「美学」として布置させている点が、さだがアーティストたり続けていられている所以であろうと言われている。これが顕著に表現された代表作と言えるのが「飛梅」「まほろば」「春告鳥」「修二会」などの日本の古典的、民族的なモチーフを用いた作品ではあるが、これら明示的なものだけの特徴だとするのは、さだの本質を見誤ることになる。
さだは長崎県出身で親族に原爆被災者がいることもあって、戦争のイデオロギー的善し悪し何如に関わらず起こる悲惨さ、凄惨さを痛感している故の平和を求める気持ちが強い(戦争に対するイデオロギー的賛否とは一線を画したもの。故に反戦主義者ではあるがイデオロギー色の強い反戦運動、反戦思想にも懐疑的態度を取っている)。また、祖父母が大陸に渡って活躍していたことから、中国大陸への強い郷愁(愛情)のようなものを間接的に受け継いでいると言え(「フレディもしくは三教街-ロシア租界にて-」はそれを表していると言えるだろう)、周辺諸国との友好を願う気持ちも強い(息子に「大陸」と名づけている位である)。その一方で、日本の将来を憂い、失われていく日本の伝統的な文化・道徳を大事にしようとする傾向がある。このため、平和祈念コンサートを行いながら、他方ではプロ野球の開幕戦やサッカーの国際試合で「君が代」を歌ったり、あるいは靖国神社への参拝を行う(自著に記載)など、一般的な日本の「右翼」・「左翼」の観念には当てはまらない言動を行うので、双方からの批判を受けることも多い。が、それに動じることなく、紅白歌合戦でも敢えて平和を問う曲目を取り上げ、人々にメッセージを放ち続けている。また、そういったメッセージ色が強い一方で、前述したように特定の思想・イデオロギー・宗教等を超越した向こうにある美学、美意識が一貫性のある柱として存在することが広く支持される所以であろうと思われる。
シリアスな曲が多い一方で、「恋愛症候群」「雨やどり」「関白失脚」(「関白宣言」のアンサーソング)のように半ばコミックソング的な要素のある曲も多く、両者が矛盾せずに、むしろ互いが互いを引き立てる「光と影」のような、いずれが欠けてもさだの世界ではなくなる存在感で定位しているのが、さだの魅力を読み解く重要な鍵であろうと思われる。これらの曲はライブで初披露され、と同時にライブ録音された客の笑い声が入った音源となっている。この手法(ライブで新曲を披露し、それを録音したものを作品としてリリースする)は、さだのお気に入りであるようである。更に、世間のイメージとは裏腹にロック調の楽曲やラップに挑戦した「がんばらんば」など、幅広い作風の楽曲を生んでいる。
メロディーの面では、西洋のポピュラー音楽やクラシック音楽の技法を駆使した作品が多い。彼は前述のように元々ヤッシャ・ハイフェッツに憧れるヴァイオリン少年(今でも、自分のコンサートでヴァイオリンを弾くことが多い)であり、またポピュラー音楽に目覚めたのも加山雄三やサイモン&ガーファンクルの影響であるなど、ビートルズやボブ・ディランに偏って影響された人が多い同世代の日本の他のシンガーソングライターとは一線を画す、彼の大きな特徴である。さだの場合、歌詞にばかり関心が行きがちだが、生み出されるメロディーの素晴らしさも、歌詩の無い「北の国から」が北海道を象徴する楽曲のように使われていることなどを見れば一目瞭然であろう(ちなみに彼の曲のほとんどは、メロディーが先に作られたものらしい)。
楽曲の傾向
実に多彩なテーマで曲を作り続けているさだであるが、ある程度の傾向、類似テーマ・形式・スタンス・題材のものが存在する。それが決してマンネリズムではなく、時代と共に少しずつ変化しているなど、新鮮な響きを以って受け止めることができるのが、さだの特筆すべき独自性でもある。この辺りは、さだが落語に造詣が深いことと無関係ではないと言われている。
例えば、(以下の分類は、相互に排斥し合うものではないが、また、これまで幾度と無く試みられていることであるが、)以下のような分類ができる。排斥し合うものではない、ということはすなわち、同時に複数のテーマに該当するものも多く、例えば単に「コミック」に分類していても、単なるコミックソングにとどまらないものばかりである。また、自身の楽曲の評価は常に仕入れており、『雨やどり』ヒットの頃に「軟弱だ!」といわれたことなどは未だにネタにしている。形式的に歌詩の表面から見えるだけの世界で分類を試みるのも、その楽曲の内包する世界のうちの一面だけを捉えているに過ぎない場合もあるので、注意されたい。さだワールドの奥深さを窺うことができるであろう。
- 失恋
- 向い風、本当は泣きたいのに
- 別れ
- 最終案内、つゆのあとさき、フェリー埠頭、記念樹、あなたを愛したいくつかの理由、デイジー、檸檬、加速度
- 思い出(学生時代・友人・恋)
- 木根川橋、吸殻の風景、歳時記、初恋、神様のくれた5分、春の鳥、ひまわり
- 思い出(家族)
- 転宅、無縁坂、秋桜、退職の日、薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク
- 追悼
- 精霊流し、フレディもしくは三教街-ロシア租界にて-、セロ弾きのゴーシュ、椎の実のママへ、みるくは風になった、極光、Bye Bye Guitar
- 哲学
- 防人の詩、しあわせについて、心にスニーカーをはいて、道化師のソネット、主人公、予約席、生生流転、修羅の如く、償い
- 反戦
- 祈り、広島の空、遥かなるクリスマス
- 時代警鐘
- 療養所、前夜(桃花鳥)、1989年渋滞、天然色の化石、警戒水位、女優
- 婚礼
- 秋桜、関白宣言、親父の一番長い日、僕にまかせてください、ヴァージン・ロード
- 親子
- 息子へ~父からの風~、娘へ~大和撫子養成ギブス篇~
- 旅情
- 飛梅、それぞれの旅、津軽、あこがれの雲南、バニヤン樹に白い月
- 日本のこころ
- まほろば、精霊流し、修二会
- 『夢』
- 夢の吹く頃、夢ばかりみていた、夢の樹の下で
- 激情
- 胡桃の日、破
- 友を語る
- 風に立つライオン、虹〜ヒーロー〜、ひとりぽっちのダービー
- 季節を語る
- ふきのとうのうた
- コミカル
- 朝刊、雨やどり、パンプキン・パイとシナモン・ティー、恋愛症候群、時代はずれ、建具屋カトーの決心、関白失脚、8つ目の青春
- 遠いあなたを想う
- 夜想曲、おそらくあなたに聴こえない小夜曲
- 愛の賛歌
- 天までとどけ、奇跡〜大きな愛のように〜、落日
- 故郷長崎賛歌
- 長崎小夜曲、長崎から、長崎の空
- 故郷・帰郷
- 案山子、望郷、驛舎、初雪の頃、君が帰ってくる
さだ自身が故郷長崎を幼少時代に離れたことから、望郷の歌、ふるさとと都会の距離感を歌う曲は数多い。
また、楽曲の主人公(語り部、一人称)が男女を問わず、また幅広い年齢層にわたることが、実際に多くの年齢層のファンに共感を得られることが人気の秘密であり、そのことがさだの作詩家としての才能を良く表している。
例えば前述した「婚礼」というテーマにおいても、「花嫁から母親へ(秋桜)」、「母親から花嫁へ(秋の虹)」、「花婿から花嫁へ(関白宣言)」、「兄から父親・花嫁へ(親父の一番長い日)」と立場を変え、さまざまな視点から楽曲に取り上げていることがわかる。
声の変化
他の歌手に比べ、さだまさしはデビュー時から今日まで、声の変化が著しい。
- 美声
- グレープとしてデビューした1973年(21歳)から1981年(29歳)までの歌声は、いわゆる「美声」というものである。楽譜通り歌い、言葉をあまりプツプツと切らない。年を重ねるに従い次第に声に磨きがかかり、歌い手としての全盛期を迎える。今日一般に言われているさだの名曲のほとんども、この時期に発表されたものである(精霊流し、案山子、関白宣言、主人公など)。
- 恐怖の声枯れ事件
- 1982年(30歳)の年始に、さだはのどをいためる(「恐怖の声枯れ事件」と呼ばれる、原因はのどに出来たポリープ)。これ以降さだは歌い方を大きく変える。微妙に言葉言葉の音をわざとはずしたり、かなり力を込めて歌ったり、鼻声にしてみたり。だがこれからの何年かが一番声に伸びがあり、また高・低音の幅がとても広い。とくに1985年発表のシングル『恋愛症候群』のラストや、翌86年に発表したセルフカヴァーベストアルバム『帰郷』などを聴くとそれを実感する。シングル『風に立つライオン』もこの頃(1987年)。
- 氷河期
- 1989年(37歳)の夏にさだは再びのどの調子を悪くし、いわゆる「氷河期」を迎える。高音が苦しくなり、いわゆる「ガラガラ声」が目立ち始める。しかしこの時期においても、そのガラガラを「渋さ」に変えて、シングル『奇跡』(1991年発表)などの名曲を生み出す。2006年発売のアルバム『美しき日本の面影』でセルフカヴァーされた「天然色の化石」もこの頃発表された(1990年)。
- 鼻濁音
- デビュー20周年を迎えた1993年もしくは翌94年から、さだは鼻濁音を使い始める。デビュー時とは別人のような個性的な歌声になり、ときどき高音が鼻にかかった弱い音になるのが特徴。だがこれにより声が再びよく伸びるようになり、渋さと声の幅、伸びが両立された。「修二会」「落日」などはこの頃に発表された。しかし、長年のどを酷使したせいもあり、しだいに高音が細く細くなっていく。
- オペラ(?)
- 2001年(49歳)声が伸びなくなって、さだは歌手として声の面でおそらく最大の危機を迎える。そこで編み出したのが「オペラ調高音」。とにかく太く太く歌う。大きな声を出すと高い音が出やすく、またのどそのものは堅牢になっているので、とにかくオペラ歌手のように声がよく伸びるという、ひたすら穏やかな歌声を勝ち取った。50歳を越えてから再び追い風にのったようで、さらなる活躍が期待される。コンサート回数も2007年には3500回(オリコン調べによる、3000回を超えている邦人のプロ歌手はさだまさしのみ)を超える予定。
『噺家』さだまさし
さだまさしは、歌から受ける印象とは違い明るく喋り好きな性格である。また高校・大学と落語研究会に所属していたため、その話術にも定評がある。ちなみに「人生は明るく、歌は暗く」がモットーだそうだ。ちなみに落研当時の高座名は「飛行亭つい楽」。
コンサートでは「トーク」や「噺(はなし)」と呼ばれるMC(曲との間の喋り)を、時には歌よりも長い時間繰り広げることでも有名であり、その内容はほとんど落語か漫談のようである(本人曰く「とある落語家が弟子に『さだまさしのコンサートに勉強しに行って来い』と言った」)。この歌もあの歌も売れなかったなど、自虐ギャグ多数。コンサートに来る客も、半ばトークを聞きたくて来ており、「今日はあまり喋りません」と言ったら客席から「えーっ!」という声が挙がったこともある。「ロープトゥ事件」、「博多のホテルボヤ事件」、「お父さんとポチ」、「妖怪カッ飛びジジイ」など、まるで落語の演目のように定番となっているネタも多く、1994年にファンクラブ会員向にオールリクエストコンサートを行った際には、歌は勿論どのネタを喋るかまでリクエストで決めるという、普通の歌手では有り得ないようなことまで行われた。A型である故にステージ上のトークではA型を持ち上げ、B型を貶めることもある(勿論、あくまでもネタである)。
このため、ほとんどのライブ・アルバムでは「トーク」までノーカットで収録されており、さらには「トーク」単体で音源や本としてリリースされているほどである。1994年から1997年にかけて『ステージ・トーク・ライブ 噺歌集』としてトーク(+インストゥルメンタル)のCD集が発売されたほか、2006年には『さだまさし トークベスト』というトークだけのベストアルバムまでリリースされ、「本業である歌のCDより売れている(笑)」とは本人の談。
また、その喋りの才能は、ラジオの深夜放送(文化放送『さだまさしのセイ!ヤング』1981年-1994年)のパーソナリティとしても遺憾なく発揮された。2006年の元日には「セイ!ヤング」時代の雰囲気をテレビで再現した『新春いきなり生放送!!「年の初めはさだまさし」』なる生番組をNHK総合テレビで担当した。放送時間は2時間強だったが番組内で歌われた歌はたった3曲で殆どの時間をトークですすめ、裏番組の番組名を読み上げたり、紅白歌合戦を暗に批判するなどして、ファン以外にも多くの支持を受けた。また同年5月6日深夜には同じコンセプトで『横浜から突然生放送! 大型連休もさだまさし』を同じくNHK総合テレビで放送したが、こちらは1時間の番組内で歌ったのは実質的に唱歌「ふるさと」1曲のみであった(ちなみに、横浜放送局からの放送となったのは「同局の開局80周年を記念して」とのこと)。どちらの番組もやはり自虐ギャグとして「低予算」を前面に押し出していた。これも好評だったため、さらに第3弾『長崎から突然生放送! 真夏の夜もさだまさし』が最後の『夏・長崎から』の前日である同年8月5日に放送され、第4弾『2007年新春生放送 年の初めはさだまさし』が2007年1月1日に放送された。さらに2007年3月18日には『真夜中なのに生放送 卒業式にもさだまさし』が放送された。 なお、2007年4月29日には『松山から生放送 大型連休もさだまさし』の放送が予定されている。
2005年6月9日にフジテレビで放送された『北野タレント名鑑』にて、「絶対に出ないだろう」という司会のビートたけしの声に反して、ノーギャラで嬉々として出演を了承するが、オヤジギャグを連発した上、最後まで顔が映らないまま番組が終了してしまう。だが、この事で、逆にさだのトークの面白さを再認識させる事となった。宇多田ヒカルはこの番組を見てさだに興味を持ち、それが元でさだは喋りだけで音楽番組『HEY!HEY!HEY!』(フジテレビ系)へ出演している。
小説家さだまさし
2001年、テレビ朝日で放送されていた『ほんパラ!関口堂書店』の番組企画をきっかけに、幻冬舎社長見城徹の指導のもと、処女作である自伝的小説『精霊流し』を刊行し、ベストセラーに。2002年には短編小説集『解夏(げげ)』を刊行した。
『精霊流し』はNHK・夜の連続ドラマとして2002年にドラマ化。映画化もなされた。『解夏』は映画化(2004年)され、さらにフジテレビ系ドラマ『愛し君へ』(2004年)の原作となった。
2004年には、第3作『眉山(びざん)』を発表。NHK-FMでラジオドラマ化され、漫画雑誌のシルキーでコミック化された。2006年には東宝製作による映画化が犬童一心監督のもと進行中である。
なお、さだは『精霊流し』以前にもアルバム『ADVANTAGE』と『自分症候群』に曲のタイトルを題材にした短編小説を歌詩カードに掲載している(後に、新潮文庫から『自分症候群』として出版)。
また、童話作家としても活動しており、自身の体験を基にした数冊の絵本を出している。コンサートのMCでもお馴染みの噺である、2作目の『おばあちゃんのおにぎり』は歌手として初めてひろすけ童話賞を受賞した。
さらにエッセイも数多く、毎日新聞や新潮社の雑誌『旅』(終了)、ダイヤモンド社の雑誌『TV Station』などへの連載も行っている。
ディスコグラフィー
シングル
- グレープ時代
- 雪の朝/虹がかかったら(1973.10.25)- デビュー曲
- 精霊流し/哀しみの白い影(1974.4.25)
- 追伸/ひとり占い(1974.10.25)
- ほおずき/残像(1975.3.25)
- 朝刊/交響楽(1975.8.25)
- 無縁坂/雲にらくがき(1975.11.25)
- ソロ以後
- 線香花火/指定券 [1976.11.25] - ソロデビュー曲
- 雨やどり/絵はがき坂 [1977.3.10] - オリコンシングルチャート自身初の1位獲得曲
- 吸殻の風景/もうひとつの雨やどり [1977.7.10]
- 案山子/SUNDAY PARK [1977.11.25]
- 桃花源/晩鐘 [1978.2.10]
- 檸檬/加速度 [1978.8.10]
- 天までとどけ/惜春 [1979.1.1] - フリーフライト設立後初のシングル
- 関白宣言/なつかしい海 [1979.7.10] - オリコンシングルチャート1位獲得曲
- 親父の一番長い日/椎の実のママへ [1979.10.12] - 日本初の12インチシングルとされる。同1位獲得曲。故・山本直純指揮・新日本フィルハーモニー交響楽団と共演したライヴ音源。
- 関白宣言/天までとどけ - 12インチシングル・カラーレコード(FASHION DISK) [1979.11.10]
- 道化師のソネット/HAPPY BIRTHDAY [1980.2.25]
- 防人の詩/とてもちいさなまち [1980.7.10]
- 驛舎/APRIL FOOL [1981.2.25]
- 生生流転/むかし子供達は [1981.9.25]
- しあわせについて/苺ノ唄 [1982.5.25]
- 長崎小夜曲/北の国から─遙かなる大地より~螢のテーマ [82.9.11]
- 退職の日/心にスニーカーをはいて [1983.1.25]
- 望郷/あなたが好きです [1983.5.25]
- それぞれの旅/シラミ騒動 [1984.5.10]
- 寒北斗/オレゴンから愛 [1984.11.28]
- 軽井沢ホテル/夢 [1985.3.25]
- 恋愛症候群/カーテンコール [1985.8.28] - 『オレたちひょうきん族』の『ひょうきんベストテン』で10週連続1位
- ONCE UPON A TIME/THE BEST FOR YOU [1986.4.25]
- 春女苑/デイジー [1987.2.10]
- 男は大きな河になれ/チャンス [1987.6.10]
- 風に立つライオン/道(はないちもんめ)/遠い祭 [1987.11.10] -12インチシングル
- (CD) 風に立つライオン/黄昏迄 [1988.3.25]
- (CD) 主人公/まほろば [1988.3.25]
- 時代はずれ/勇気を出して [1988.7.25]
- 夢の吹く頃/理・不・尽 [1988.10.25]
- 建具屋カトーの決心/あなたを愛したいくつかの理由(with REIKO=佐田玲子) [1989.6.1] -12インチシングル
- 修羅の如く/たまにはいいか [1989.11.17]
- 冬の蝉/破 [1989.12.21]
- 長崎から(with白鳥座)/長崎小夜曲'90 [1990.7.10]
- 息子へ~父からの風~/SAILING TOGETHER~いま船出のとき~ [1991.4.25]
- 奇跡~大きな愛のように~/ヨシムラ [1991.6.25]
- 娘へ~大和撫子養成ギブス篇~/神様のくれた5分 [1991.7.25]
- 糸電話(グレープ改めレーズンとして再結成)/新ふるさと物語 [1991.10.10]
- 君が帰ってくる/ありがとう [1992.4.10]
- “長崎から雲仙へ”SMILE AGAIN(さだまさし、都はるみ他) [1992.9.25]
- あなた三昧/風が伝えた愛の唄 [1992.10.25]
- 二千一夜/落日 [1993.7.25]
- 幸福になる100通りの方法/東京物語 [1993.10.25]
- ヴァージン・ロード/関白失脚 [1994.8.25]
- となりの芝生/ソフィアの鐘 [1994.11.30]
- 愛をみつけた(with佐田玲子)/風の谷から [1995.5.10]
- 烈/地平線 [1995.8.25]
- 名刺/さよならにっぽん [1995.11.13]
- Wonderful Love/花咲きぬ [1996.4.25]
- 絵画館/甘い手紙 [1996.10.25]
- 「家なき子レミ」オープニング・テーマ 愛について [1996.10.25]
- Dream~愛を忘れない~/案山子(アンコール) [1997.2.21]
- Birthday/煌めいて [1997.6.21]
- 夢一色/やすらぎ橋 [1997.11.21]
- ペンギン皆兄弟(ペンギンフィルハーモニー寒厳楽団) [1997.12.17]
- 北の国から 遥かなる大地より~螢のテーマ [1998.6.24]
- 君が選んだひと/チャンス [1998.8.21]
- ゆけゆけ!! ようかいキッズ/シラミ騒動 [1999.2.24]
- 桜月夜/歌紡ぎの小夜曲 [1999.3.25]
- 佐世保(with小田和正)/夢の夢 [1999.9.22]
- 21世紀の君達へ~A Song for Children(スティービー・ワンダー作曲)/奇跡~大きな愛のように~ [2000.4.26]
- 君を忘れない~タイムカプセル~/精霊流し [2001.8.29]
- 勇気凛凛/春待峠 [2002.4.24]
- 小さな手/北の国から/結のテーマ [2002.6.21]
- 大きな森の小さな伝説/空色の子守歌/聖夜 [2002.8.21]
- 精霊流し special maxi single [2003.2.19]
- いつも君の味方/たいせつなひと [2003.7.23]
- 人生の贈り物~他に望むものはない~ ソロ・ヴァージョン/人生の贈り物~他に望むものはない~(with楊姫銀) [2004.5.8]
- がんばらんば [2006.4.5]
※以上、シングル75作品(グレープ時代等を含む)をリリース。
オリジナル・アルバム
グレープ/レーズン
正式作品綴集GFW順
- グレープ
- わすれもの(1974年)
- せせらぎ(1975年)
- コミュニケーション(1975年)
- レーズン(グレープ再結成)
- あの頃について ~シーズン・オブ・レーズン~(1991年)
さだまさし・ソロ
正式作品綴集MFW順
- 帰去来(1976年) - ソロデビュー曲「線香花火」収録
- 風見鶏(1977年)
- 私花集(アンソロジー)(1978年) - ファンの間では人気第1位の「主人公」を収録
- 夢供養(1979年)- 第21回(昭和54年)日本レコード大賞ベスト・アルバム賞を受賞
- 印象派(1980年) - 服部克久プロデュース
- うつろひ(1981年)- 初期のLPには『嫁入新聞』が付録
- 夢の轍(1982年) - 裁判長が判決を言い渡す時に引き合いに出して話題となった「償い」収録
- 風のおもかげ(1983年)
- Glass Age─硝子の世代─(1984年)
- ADVANTAGE(1985年) - 斬新なポップなジャケット
- 自分症候群(1985年) - 初期のLPには、おまけシングルとして「もーひとつの恋愛症候群」が付録
- 夢回帰線(1987年)
- 風待通りの人々(1988年)
- 夢の吹く頃(1989年)
- 夢ばかりみていた(1990年)
- 夢回帰線II(1990年)
- 家族の肖像(1991年)
- ほのぼの(1992年)
- 逢ひみての(1993年)
- おもひで泥棒(1994年)
- さよなら にっぽん(1995年)
- 古くさい恋の唄ばかり(1996年)
- 夢唄(1997年)
- 心の時代(1998年)
- 季節の栖(1999年) - 他アーチストがさだまさしに楽曲提供。
- 日本架空説(2000年)
- 夢百合草(あるすとろめりあ)(2002年)
- 夢のつづき(2002年)- 映画『二百三高地』挿入歌「聖夜」収録
- すろうらいふすとーりー(2003年) - 「たいせつなひと」収録
- 恋文(2004年) - 「遥かなるクリスマス」収録。グレープの吉田政美が収録に参加。
- とこしへ(2005年) - 「冬物語」収録
- 美しき日本の面影(2006年)
ライブ・アルバム
- グレープ・ライブ 三年坂(2枚組/完全盤3枚組)(1976年/完全盤2005年)
- 随想録(エッセイ)(LP2枚組+アンコールシングル1枚→CD2枚組)(1979年)
- スペシャルライヴ(谷村新司/さだまさし)(LP2枚組→CD1枚に再編集)(1982年)-通称『夢ライヴ』
- 書簡集(10枚組)(1984年)-10周年コンサート
- 親展(2枚組)(1985年)-上記『書簡集』より抜粋したダイジェスト版
- 1000回記念コンサート・ライヴ -'85さだまさし-(カセット2本組→CD3枚組)(1985年)
- 十五周年漂流記(2枚組)(1989年)-昭和63/64年ゆく年くる年コンサート(東京ベイNKホール)
- 夏・長崎から'89(2枚組)(1989年)
- さだまさし白書~リサイタル'92~(3枚組)(1992年)
- LIVE二千一夜(2枚組)(1993年)-第2001回目のコンサート
- のちのおもひに(12枚組)(1994年)-20周年コンサート
- 交響詩(2枚組)(1995年)-シンフォニク・フォーク・コンサート
- 響の森 Twenty Five Reasons(3枚組) (1999年)-25周年コンサート
- 瑠璃光 -薬師寺ライブ2001-(3枚組)
- 燦然會~コンサート3000回達成記念集會~(2002年)
- 月虹 第一夜~第四夜(12枚組)(2003年)-30周年コンサート(前半)
- 月虹 第五夜~第八夜(12枚組)(2003年)-30周年コンサート(後半)
- 3333in日本武道館(6枚組)(2005年)
- 伝説の神田共立ライブ グレープラストコンサート(3枚組)(2006年)
ベスト・アルバム/コンピレーション・アルバム
- グレープのすべて/グレープ(1977年)-グレープのアルバム3作品セット企画
- グレープベスト16(1978年)-カセット企画
- さだまさしベスト16(1979年)-カセット企画
- ヒットコレクション(1980年)-カセット企画
- 昨日達…(イエスタデイズ)(1981年)
- グレープ/ザ・ベスト(1985年)
- 帰郷(1986年)-新録音
- さだまさし・谷村新司 夢コレクションI(1991年)
- 谷村新司・さだまさし 夢コレクションII(1991年)
- さだまさしシングルス全集 第1巻(1991年)
- さだまさしシングルス全集 第2巻(1991年)
- さだまさしシングルス全集 第3巻(1991年)
- さだまさしシングルス全集 第4巻(1992年)
- さだまさしシングルス全集 第5巻(1992年)
- さだまさしシングルス全集 第6巻(1993年)
- さだまさしベスト(1994年)-2003年に「ベスト デビュー30周年記念リマスター盤」として復刻
- ウルトラ・スーパー・ミラクル・ベスト「感動の素」(1997年)
- ウルトラ・スーパー・ミラクル・ベスト「恋愛の素」(1997年)
- ウルトラ・スーパー・ミラクル・ベスト「元気の素」(1997年)
- さだまさしシングルス全集 第7巻(1996年)
- さだまさしシングルス全集 第8巻(1998年)
- さだまさしシングルス全集 第9巻(1998年)
- 続・帰郷(1999年)-新録音
- 小説「精霊流し」の世界(2001年)
- 「さだの素」~さだまさしベスト・初級入門編~(3枚組)(2002年)-ウルトラ・スーパー・ミラクル・ベスト3作品を1パッケージにしたもの
- 初恋~Love Song Collection (2002年)
- 永遠まで~The Best For The Best Couple (2枚組)(2003年)
- 案山子~HOME SWEET SONGS (2003年)
- 償い~SONGS OF LIFE (2003年)
- 特集 雨の章~RAIN KEEPS SINGING (2003年)
- 特撰 夢の章~SONGS FOR DREAMS (2003年)
- 特集 虹の章~MELODIES OF RAINBOW (2003年)
- さだまさしベスト2~通(2004年)
- Only SINGLES~さだまさし シングル・コレクション~(4枚組)(2006年)
- さだまさし/グレープ ベスト 1973~1978(2枚組)(2006年)
- さだまさしベスト3~讃(2007年)
その他のアルバムなど(一部)
- ニイハオ!中国 さだまさしふれあいの旅(1983年)-(注:ニイハオは漢字)
- まっさんの落談寄席 私家版三國志英雄伝(カセット6本組→上下巻各2枚組)(1983年)
- 『さだまさしの語る子熊物語』(ナレーション)(1989年)
- にっぽん(唱歌・童謡集)(1992年)
- にっぽんII~通りゃんせ~(唱歌・童謡集)(1996年)
- さだまさしが歌う唱歌・童謡集~アルバム「にっぽん」より(2000年)-上記2作品を中心としたの再編集版
- ステージ・トーク・ライブ/噺歌集ライブ(全12巻)
- 北の国から~オリジナル・スコア・ヴァージョン(1998年/完全盤2004年)
- さだまさし 永六輔・中村八大を歌う(2001年)
- 木を植えた男 -緑百年物語-(2001年)
- さだまさしステージトーク大全 噺歌集CD(全18巻)(2005年)
- さだまさし トークベスト(2006年)
他人への主な提供曲
- 僕にまかせてください/鳳仙花/さよならコンサート(クラフト)
- ほたる列車(小柳ルミ子)
- とまどい(森谷泰章)
- セロ弾きのゴーシュ(森山良子)
- 秋桜/最後の頁(山口百恵)
- 短篇小説/「前略、ごめん」(桂木文)
- 君球界の王として(詩のみ)(永遠に王貞治を愛する会有志)
- 不良少女白書(榊原まさとし) - ダ・カーポ
- 心にスニーカーをはいて/記念樹(メモリアル・トゥリー)(白鳥座)
- カーテン・コール(高田みづえ)
- Déjà-vu(予知夢)(研ナオコ)
- 夢元気!?/本当は泣きたいのに(森川由加里)
- 夢(岩崎宏美)
- 好敵手(栗山英樹)
- 縁切寺(バンバン)
- ひとりぽっちのダービー(的場均騎手) - 関係者への配布のみ
- 星めぐり~Ave Maria(裕木奈江)
- 約束(小林幸子)
- ミスター~夢の名前(水島裕)
- あの人に似ている(高倉健&裕木奈江) - 中島みゆきとの共作。後にさだ自身と中島と二人でセルフカヴァー
- 終着駅 長崎(前川清)
- なにはともあれ(森進一・森昌子)
- さようならクリスマス(Viki) - 詩のみ
- 必殺!人生送りバント(坂上二郎)
- 銀色の少女(岡村孝子) - 詩のみ
佐田玲子(妹)への提供曲
- 初恋
- 破
- ひまわり
- 君を信じて
- 春の鳥
- 予約席
- 感謝状 - 曲のみ
- うたをつくろう - NHK趣味百科『さだまさし音楽工房』テーマソング (未発売曲)
タイアップ曲一覧
レコード(CD)に明記されているもの。
- 無縁坂 - NTV系放映ドラマ「ひまわりの詩」主題歌
- 雲にらくがき - 同「ひまわりの詩」挿入歌
- 桃花源 - TBS系TV放映ドラマ 水曜劇場「せい子宙太郎」主題歌
- 天までとどけ - フジテレビ「時よ,燃えて!」主題歌
- 道化師のソネット - 映画「翔べイカロスの翼」主題歌、日本航空JALPAK'80キャンペーンCM曲
- HAPPY BIRTHDAY - TBS系テレビ水曜劇場『なぜか初恋・南風」主題歌
- 防人の詩/聖夜 - 東映映画「二百三高地」主題歌
- 生生流転 - 映画「長江」主題歌
- 向い風 - 不二家ソフトエクレアTV・CMイメージソング
- むかし子供達は - クラヤ薬品TV・CMイメージソング
- しあわせについて - 東宝“創立50周年記念”映画「ひめゆりの塔」主題歌/「ダスキン・愛の店」CFイメージ・ソング
- 長崎小夜曲 - 電通労連・全電通近畿結成30周年記念
- 北の国から - フジテレビ系「北の国から」主題歌
- 望郷 - ポーラテレビ小説「おゆう」主題歌(TBS系)
- あなたが好きです - 松竹映画「ふしぎな國・日本」主題歌/1982~83年・民放ラジオ48社共同制作「ゆく年くる年」テーマ曲
- それぞれの旅 -あなたの故郷(くに)へ帰る鉄道はありますか? 国労キャンペーン・ソング
- オレゴンから愛 - フジテレビ系「オレゴンから愛」メイン・テーマ
- 下宿屋のシンデレラ - ナショナル洗濯機「愛妻号」イメージソング
- 軽井沢ホテル - まさしんぐWorldコンサート 恒例でがらし一座公演「軽井沢スイート」主題歌
- 夢 - 同「軽井沢スイート」劇中歌
- 春女苑 - TBS系テレビ 金曜ドラマ「親子万才」主題歌
- 男は大きな河になれ - 映画“次郎物語”主題歌
- チャンス - まさしんぐWORLDコンサート ミュージカル“RATS”メインテーマ/大牟田市制80周年記念委嘱イメージソング
- 遠い祭 - ヤマザキパン イメージ・ソング
- 星屑倶楽部 - 長崎「旅」博覧会テーマ・ソング
- 夢の吹く頃 - 日本テレビ系年末時代劇スペシャル『五稜郭』主題歌
- 建具屋カトーの決心 - 夜のヒットスタジオDELUXEライヴ
- たまにはいいか - ダスキン・愛の店・イメージソング
- 冬の蝉 - 日本テレビ系年末時代劇スペシャル「奇兵隊」主題歌
- 長崎から - 長崎旅博覧会・勝手に応援歌
- SAILING TOGETHER ~いま船出のとき~ - 信越放送 創立40周年イメージ・ソング
- 奇跡 ~大きな愛のように~ - トヨタ ニューカローラ CMメインテーマ
- 新ふるさと物語 - 福岡県福間町イメージソング(のちの福津市)
- ありがとう - トヨタ カローラ CMテーマソング
- SMILE AGAIN - 普賢岳 被災地チャリティーソング
- あなた三昧 - 常盤薬品工業(株)パスビタンD50 CMイメージソング
- 風が伝えた愛の唄 - ダイキン工業 CMイメージソング
- 二千一夜 - TBS系TV「ニュースの森」エンディング・テーマ
- 幸福になる 100通りの方法 - ダスキン創業30周年記念イメージ・ソング
- 東京物語 - 小津安二郎生誕90年フェア・テーマソング
- ヴァージン・ロード - TBS系テレビ全国28局ネット「ウェディングベル」エンディングテーマ
- 関白失脚 - ダスキンCMソング
- となりの芝生 - テレビ朝日系「クイズ!!庭つき一戸建て」エンディングテーマ
- 愛をみつけた - NHKドラマ新銀河「愛をみつけた」テーマ・ソング
- 風の谷から - 谷汲村イメージソング
- 烈 - 映画「藏」主題歌
- Wonderful Love - JAグループ「耕せニッポン」キャンペーンイメージソング
- 花咲きぬ
- 愛について - フジテレビ系世界名作劇場「家なき子レミ」オープニング・テーマ
- 帰郷 - 第12回 国民文化祭・かがわ'97 イメージソング
- Dream ~愛を忘れない~ - 1998長野オリンピック冬季競技大会公式メッセージソング
- Birthday - NHK総合テレビ『鶴瓶の家族に乾杯』テーマ曲
- 煌めいて - 長編アニメーション映画「栄光へのシュプール ~猪谷千春物語」テーマ・ソング
- 夢一色 - テレビ東京系「12時間超ワイドドラマ 家康が最も恐れた男 真田幸村」テーマ曲
- やすらぎ橋 - テレビ東京系「ドラマシリーズ・家族 魚心あれば嫁心」テーマ曲
- 若葉は限りなく生まれつづけて - ファンケルグループ・イメージソング
- 夢唄 - Panasonic DVDビデオ「一茶と歩む 信濃路俳句紀行」テーマソング
- ペンギン皆兄弟 - CCCアイドリング・コントロール・キャンペーン・ソング/ストップ・ザ・温暖化キャンペーンソング
- 君が選んだひと - マリエールCMソング
- ゆけゆけ!! ようかいキッズ - ヨーカイザー テーマソング
- 21世紀の君たちへ ~A Song For Children - NHKみんなのうた
- 城のある町 - 丸亀市制施行100周年記念イメージソング
- 木を植えた男 - 新潟21世紀記念事業 ミュージカル「緑百年物語」(新潟2001年宇宙の旅)より
- 遠くへ行きたい - 読売テレビ・日本テレビ系「遠くへ行きたい」主題歌
- きみを忘れない ~タイムカプセル~ - 小説『精霊流し』イメージソング
- 精霊流し - NHK連続ドラマ「精霊流し ~あなたを忘れない」主題歌
- 春待峠 - 読売テレビ「夢色歓彩」エンディングテーマ曲
- いつも君の味方 - FNS 27時間テレビみんなのうた「再会」テーマ曲
- たいせつなひと - 東宝洋画系映画「解夏」主題歌
- しあわせの星 - 佐世保市制一〇〇周年記念 ミュージカル『海のサーカス団』テーマ曲
- 愛 - 西日本新聞創刊130周年キャンペーンソング
主な著作
- ステージトーク集『噺歌集』全5巻(文藝春秋)
- ステージトーク集『さだまさし 話のアルバム』(新潮CD文庫)
- 『僕の愛読詩集』(新潮社カセット文庫)井伏鱒二との対談付
- さだまさしのセイ!ヤング(赤本・青本)(音楽之友社)
- エッセイ『本 人の縁とは不思議なもので…』
- エッセイ『時のほとりで』
- エッセイ『さまざまな季節に』
- エッセイ『ゆめいくみはっぴい(夢行身発飛)』全2巻
- エッセイ『風待煙草』
- エッセイ『せとぎわの魔術師』
- エッセイ『日本が聞こえる』
- エッセイ『まほろばの国で』(『日本が聞こえる』単行本第二弾)
- エッセイ『いつも君の味方』(2006年小説化)
- エッセイ『本気で言いたいことがある』(新潮社)
- エッセイ『美しき日本の面影』(新潮社)
- エッセイ『もう愛の唄なんて詠えない』(ダイヤモンド社)
- アルバムライナーノート集『自分症候群』(新潮社)
- 小説『精霊流し』
- 小説『解夏』
- 小説『眉山』
- 童話『ふうせんのはか』
- 童話『おばあちゃんのおにぎり』
- 童話『23時間57分のひとり旅』
- 歌詞と絵で綴るさだまさし絵本シリーズ『秋桜』
- 歌詞と絵で綴るさだまさし絵本シリーズ『償い』
- 歌詞と絵で綴るさだまさし絵本シリーズ『親父の一番長い日』
- 歌詞と絵で綴るさだまさし絵本シリーズ『案山子』
- ピクチャーブック『遙かなるクリスマス』
また、1981年にはアルバム『うつろひ』の発売に合わせて、『嫁入新聞』というパロディ新聞を発行している。
主な映像作品など
- 映画『翔べイカロスの翼』(主演・音楽、1980年)
- 映画『関白宣言』(原作・出演・主題歌、1980年)-主演・佐田繁理
- 映画『長江』(監督・主演、1981年)
- 映画『さだおばさん』(原田泰治原作 監督・音楽、1994年)-欽ちゃんのシネマジャックの1本として(アニメ作品)
- 映画『精霊流し』(原作・主題歌、2003年)
- 映画『解夏』(原作・主題歌、2004年)
主なラジオ番組出演
- 文化放送『セイ!ヤング』(グレープ時代)
- 同『さだまさしの全力投球』(1979年9月-1980年3月)
- 同『さだまさしのセイ!ヤング』(1981年10月-1994年3月、2007年4月2日)
- 同『有限会社さだまさし 大世界社』(1994年-1998年)
- 同『さだまさしのゆく世紀くる世紀(笑)」』(1999年-2001年・不定期)
- 同『さだまさしのセイ!ヤング21』(2001・2002年度月曜担当)
- 『さだまさしのトークシアター』(地方局向け番組。1990年代前半に放送)
- JFN『さだまさし 夢回帰線』(1990年代)
- 毎日放送『さだまさしの気まぐれ夜汽車』
主なテレビ出演
- NHK教育『さだまさし音楽工房』(作詞・作曲講座。1992年 共演:佐田玲子・服部隆之)
- 日曜劇場『末っ子長男姉三人』(TBS)最終回に本人役で出演。
- ドラマ『フードファイト』(日本テレビ)
- 鶴瓶の家族に乾杯(NHK総合テレビ、不定期にてゲスト出演)
- 徹子の部屋(テレビ朝日、数年に一度の割合で出演)
- メントレG(フジテレビ 2005年1月14日)
- 北野タレント名鑑(フジテレビ 2005年6月9日)
- たけしの誰でもピカソ(テレビ東京 2005年11月18日)
- スタジオパークからこんにちは(NHK総合テレビ 2006年5月11日)
- さんまのまんまスペシャル(関西テレビ 2006年10月4日)
- 新春いきなり生放送!!「年の初めはさだまさし」(NHK総合テレビ 2006年1月1日)
- 横浜から突然生放送! 大型連休もさだまさし(NHK総合テレビ 2006年5月7日)
- 長崎から突然生放送! 真夏の夜もさだまさし(NHK総合テレビ 2006年8月5日)
- 2007年新春生放送 年の初めはさだまさし(NHK総合テレビ 2007年1月1日)
- 真夜中なのに生放送 卒業式にもさだまさし(NHK総合テレビ 2007年3月18日)
この他、ミュージックフェア(フジテレビ系)にも度々出演している。
CM
- ダスキン(終了)
- ダスキンのCMにはかなり長期間出演しており、3分間のコント仕立てのCM「ダスキン100番100番劇場」などにも主演している。ダスキンのキャラとして定着し、子供達からは一時期『ダスキンのおじさん』と呼ばれるほどだった。
- 常盤薬品工業「パスビタンD」(1992年)
- ホールにエキストラ(『セイ!ヤング』で募ったファン)を入れて「あなた三昧」を歌うコンサート風のバージョンと、マネージャー廣田泰永とさだとの楽屋での掛け合いの2バージョンがオンエア。
- 長崎俵物(2005年-)ナレーションと音楽(案山子)
- 西日本新聞(2005年-)音楽(愛)
関連ミュージシャン
アレンジャー・バックメンバーなど
親交のあるミュージシャン
- 谷村新司
- さだ曰く「フォーク界御三毛(ごさんけ)」の長兄。日本武道館でジョイント・コンサートを行ったこともある。
- 南こうせつ
- ミュージックフェアなどで共演する機会も多い先輩。イベントなどで共演する度に「神田川」の前奏・間奏のヴァイオリン演奏を依頼され、その度にさだが「精霊流し」のイントロをわざと間違えて弾く、というギャグをかましている。
- 小田和正
- グレープ時代、北海道でオフコース(小田・鈴木二人体制時代)とのジョイント・コンサートを行ったこともある。
- 松山千春
- 「フォーク界御三毛(ごさんけ)」のもう一人。コンサートなどではお互いに悪口を言い合っているが、実はさだが松山の実家に遊びに行ったことがあるほどの仲である。「夜のヒットスタジオ」の最終回ではそれぞれコンサート先の地域のネット局から中継で顔を出し、例の如く罵倒合戦を展開し、司会の古舘伊知郎から「往年の(『笑点』における)小円遊と歌丸のようです」と揶揄された。
- 中島みゆき
- 「あの人に似ている」を共作。この曲は男の歌(さだ担当)・女の歌(中島担当)がそれぞれ同じコード進行の別メロディーで進行し、サビで一緒になるという複雑な構成になっている。これは、当初さだ・中島で作詩・作曲のどちらかをそれぞれ分担するというオファーになっていたものを、さだが「せっかく中島みゆきとやるのだから」と中島に提案し、あえて複雑にしたものである。その後、中島の要請で二人でのセルフ・カヴァーが実現し、中島のアルバム『おとぎばなし-Fairy Ring-』に収録されている。この時のインタビューではお互いに「ファンだ」と言い合っていた。また、妹の玲子のデビュー曲「くらやみ乙女」は中島が提供している。
- 森山良子
- 小林幸子
- さだのことを「お兄ちゃん」と呼んで慕っている。
- 加山雄三
- 中学時代、初めて歌を作るきっかけを作った人物(後述)。さだの憧れの人物の一人である。『夏・長崎から』で共演したことがある。
- 平原綾香
- 父親の平原まことが何度かさだのバックメンバーとしてコンサートに参加していることから、親子ともども親交があり、綾香自身もさだのファンであることを公言している。2006年の最後の『夏・長崎から』にゲスト出演。
脚本家・倉本聰との関係 「北の国から」のエピソ-ド
脚本家の倉本聰とは、公私共に仲が良く、お互い「先生」「まさし」と呼び合う仲である。そして人気ドラマとなった『北の国から』の主題歌である「北の国から~遥かなる大地より~」の誕生については、以下のようなエピソードがある。
- さだがコンサートツアーで札幌に行った翌日、さだと当時のバンドのギタリスト坂元昭二は富良野にある倉本の自宅に呼ばれ、ドラマの第1回・第2回のビデオを見せられた。感動したさだは倉本に感想を聞かれ、「これは大ヒットしますよ」と答えたところ、倉本に「じゃ、まさしが音楽やって」と言われてしまった。
- さだは当初、自分は九州(長崎県)出身であり、北海道には北海道出身の人間(おそらく友人の松山千春や中島みゆきあたりを念頭に置いていたのだろう)がいるだろうと答えたが、倉本はそんなことは関係無いと答えた。問答の末、さだが承諾したところ、今度は「今作れ」といわれ、即興で作ったのである。実は倉本はさだにギターを持ってくるように、と言っており、最初から作らせるつもりだったのかもしれないと、後にさだは語っている。
- なお、このテーマ曲は歌詩が無いことでも有名だが、さだと倉本は「ドラマのイメージを壊す」と作詩を断っている。1998年のNHK紅白歌合戦でさだがこの主題歌を歌うと発表されたとき、歌詩をつけて歌うのではないかという噂が流れたが、結局歌詩をつけて歌うことはなかった。ちなみにこの年、さだはこの主題歌をシングルCDで発売しているが、CDの歌詩カードには「スキャット」と一言だけ記されている。
- のちに、テレビのトーク番組に出演したさだが明らかにした内容として、倉本宅での即興作成時、さだが北海道の広大な台地をイメージしたメロディーラインを「♪ああ~あああああ~あ(語尾下げて)」と発した際、倉本より「それいいね。で、その続きは?」と言われ、続けて「♪ああ~あああああ~(語尾上げて)」と発した。さらに倉本「続けて」。さだ「♪んん~んんんんん~ん、んんん、んんんんん~」これを聞いた倉本「いいね。これでいこう。」とそのまま決定。メロディーラインを即興で考え発しただけのつもりが、イントロのギターからAメロ・Bメロと、その時の即興メロディー案がそのまま採用されたとのこと。
- 上記のことを踏まえて、さだ自身がインタビュー取材やコンサートのトークで「僕が作った曲の中で、詩が一番素晴らしいのは『北の国から~遥かなる大地より~』です。なにしろ、すべてのことが『あ』と『ん』だけで表現されてますから!こんなに楽で完成度の高い詩はもう一生書けないでしょうね」とネタにするのも最早お約束である。
- また、倉本氏が骨折したときのこと。さだはライブツアー中で見舞いにも行けず、倉本氏と再会できたのはギプスも外れてほぼ完治に近い状態であった。しかし、ギプスが装着されていた部分の体毛が以前より濃くなっていたことに気がつき、「まさし、おまえ頭を骨折しろ!」と叫んだとのこと。これも、さだお得意のステージトークの自虐ネタにしていると共に二人の仲の良さを証明しているものである。
その他
島
長崎県長崎市(旧琴海町)の大村湾内にある詩島(うたじま、 元は寺島を1995年4月1日改名)という小さな島を保有している。島には、「飛梅」という曲の舞台ともなった太宰府天満宮から勧請した「詩島天満宮」がある。現在、詩島のマスコットとして「詩之介」(デザイン:さだまさし)なるラブラドールのキャラクターが存在している。
余談ながら、この島はもともと無人島であったが、彼が電話加入を申請したためNTT西日本は莫大な経費を使い回線を敷設した。当然のことながら彼が支払ったのは電話加入権と月々の使用料のみであり、ユニバーサルサービスを提供する心意気としてNTT社内では語り継がれている。
最初に作った歌
さだが初めて歌を作ったのは上京してすぐの中学生時代、加山雄三の「君といつまでも」を聞いて衝撃を受け、すぐさま下宿先のお兄さんから借りたギターを使って(その時初めてギターを弾いたのだが、幼少時代からずっとヴァイオリンを弾いていたために比較的簡単に弾けたという)「君といつまでも」と全く同じコード進行の曲を作ったのが最初だという。なお、さだの誕生日は4月10日、加山は4月11日と、誕生日が1日違いである。
交友関係
- 笑福亭鶴瓶との親交は有名。現在は名番組として鶴瓶の代表作となっている鶴瓶の家族に乾杯は、NHKからさだまさしに持ち込まれた企画であった。初回はさだがホストで鶴瓶はパートナーであったが、コンサートによる多忙のため、番組の続編を鶴瓶に任せて、現在の形態となっている。このとき、さだは「鶴瓶ちゃんなら」ということで彼に司会をバトンタッチした程、お互いに信頼しあっている。なお、主題歌はさだが担当している。
- おすぎがまだ映画評論家としての地位を確立していなかった頃、彼の映画評論に感銘を受けたさだが自らのラジオ番組におすぎの映画評論コーナーをレギュラーで持たせていたことがあり、おすぎとさだの親交も厚い。
- 芸能人の友人も多いが、最も仲が良いのは中学生の時の同級生や高校の同級生、そして長崎にいた頃の小学校の同級生であり、今でも2週間おきに会って飲んでいる。とコンサートで話している。さだのコンサートで学生時代の話になるとその時の担任の先生や同級生の名前もファンに教えている。これほどアットホームな歌手はあまりいない。
- 東海ラジオアナウンサー・蟹江篤子を『蟹江おねぇさん』と呼ぶほど、公私ともに慕っている。
応援しているチーム
- 長嶋茂雄監督が1980年に解任されるまでは読売ジャイアンツのファンであったが、現在は東京ヤクルトスワローズのファンであり、優勝時にスワローズのナインが『さだまさしのセイ!ヤング』に電話出演したこともある。古田敦也(現選手兼任監督)とは毎年一緒に酒を飲む仲だという[1]。また、神宮外苑を舞台にした曲『絵画館』の歌詞には「スワローズのユニフォーム」というフレーズがある。その他、九州出身者として福岡ソフトバンクホークスの事も気にかけている様子である。(毎日新聞連載のコラムで「わがホークス」という表現を何度かしている。)
- また浦和レッドダイヤモンズのファンでもあり、1995年には「浦和花色木綿」というサポーターズクラブを結成している(かつてのバックメンバー坂元昭二も浦和サポーター)。浦和が2004年の第2ステージで優勝した時に、これがにわかにマスコミに取り上げられたために、事情を知らない一部の人間などから「便乗したにわかファンの売名行為」だとネット上で批判されたが、既にラジオ番組『有限会社 さだまさし大世界社』で三菱重工サッカー部時代から応援していたと公言しており(「浦和花色木綿」も既に結成されており、浦和レッズ発行のハンドブックにオフィシャルサポーターズクラブ代表者として掲載されており、認定カードが発行されている)、この批判は妥当とは言えない無責任なものである。そもそも、まさしの弟の佐田繁理は香港で1年間プロサッカー選手として活動していた(日本人初のプロサッカー選手である)こともあり、サッカーへの興味は昔から持っていたのである。
さだまさし研究会(さだ研)
- さだの熱心なファンは全国各地に多く、その特色のひとつとして、各地にファンの集まりである「さだまさし研究会(略称:さだ研)」なるものが結成され、一時期はブームにすらなった事もあった。もっとも本人は「俺の何を研究かが少し不安ですけど…。まぁ、研究されるような素材ではないですよ」と言っている。
- ただし一口に「さだ研」と呼ばれているが、その中身は各サークルごとに特色があり、さだまさしの私設ファンクラブのような集まりから、文化祭やサークル独自の演奏会がメインの音楽サークル、さだを肴に議論する酒飲みサークル、さだの歌に出てくる場所をたずねて小旅行をするサークル、喫茶店等でのお茶飲みサークル、会報が中心な文芸サークル(さだ研、という名前ではないが、さだをメインに取り上げて冊子を出している文芸サークルも存在し、現在も地道に活動を継続している団体も多い)、公園等でピクニックや屋外ゲームをするお遊びサークル、公民館等を借りてクイズをするサークル、鉄道好きなサークル…など他種雑多で、唯一の共通項が「さだまさしがきっかけで知り合った」だけの場合が多い。
- しかしこれは音楽や小説、ステージトークなどでのさだ本人の趣味や薀蓄のジャンルの広さと包容力の大きさにも関係しており、それだけにさだまさし本人の影響力が大きい証拠ともいえる。逆に、元々さだまさしには興味がなかったが、知り合いを通じて「さだ研」に入ってからさだまさしにハマったというメンバーも少なくない。
- また、かつて原宿にあったさだまさしの店「A・WEEK(ア・ウィーク)」には全国各地のさだ研の会報が置かれていて、そこでの交流があったり、夏の『長崎から』にサークルで参加することを最大の目標とし、幟を持参して参加して各団体の幟が一堂に揃って写真撮影する光景も見られた。
- なお「さだ研」の元祖は早稲田大学さだ研で、「さだ研の幟(のぼり)」の元祖は信州大学さだ研、社会人のさだ研の元祖は神戸市役所(現・神戸)さだ研、高等学校のさだ研の元祖は埼玉県立不動岡高校さだ研だったと言われている。セイヤングがあった頃は首都圏の中学校にもいくつか存在していたらしい。
- 「さだ研」が「セイ!ヤング」でブームになるきっかけは、450回記念の一環で行われた、東大・早稲田大・信州大の3大学対抗のさだにまつわるクイズの大会(東大・早稲田は四ツ谷・文化放送のスタジオで、信州大は電話での出演だった)。この大会は東大さだ研が圧勝。この番組企画の直後からあちこちで「さだ研を作りましょう」という葉書が番組に飛び込むようになっていった(また、番組側やさだ本人も「(周りにさだファンがいないから)さだファン同士で出会いがあるのならば」と、他の葉書とのバランスなどを見ながらかなり好意的にそれらの葉書を採用していたと思われる。特に首都圏のさだ研の場合は、地方にネットされていなかった文化放送のみの23:00-23:30の時間帯の、はがきコーナーに採用される事が多かった)。なお余談ではあるがここでの手ごたえがあったのか(勿論フジテレビ系の人気番組「カルトQ」の影響も大きかったのだが)1年後の1992年に550回記念で一般リスナー対象に「さだカルトクイズ大会」が行われる事になった。このクイズ大会も一般のさだファン同士やさだ研内でも「勉強会」や「情報交換」などが行われ、予選を経た決勝では、三多摩さだ研などの社会人系のさだ研のメンバーが大活躍していた。
- 基本的にさだ研の設立は、学生サークルの場合は同じ大学のさだファン同士で集まってのサークル設立が多いが、社会人や一部の学生団体は『セイ!ヤング』に「さだ研を作りたい」旨の葉書を投稿し、それで採用されて設立されたさだ研も少なくない(それゆえ『セイ!ヤング』では一時期、毎週のようにさだ研設立の葉書が読まれて一種のブームが巻き起こったほどである)。1990年代前半当時は最大で全国に40団体以上存在していたが、1994年の『セイ!ヤング』の番組終了とともにさだ研の数が激減し、現在活動しているのは15団体前後と思われる。
- 活動している(活動していた)主な「さだ研」
- 学生系(学校名を冠名にしているとおり、大学・高校等を本拠地にして学生中心に活動していた団体。ただしその大半は他大学の学生や社会人会員等の入会も許されていた)
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- 早稲田大学・・・いわゆるさだ研の元祖。たびたび『セイ!ヤング』では学園祭等の音楽ライブのお知らせの葉書が読まれた。基本的に他のさだ研と一線を画し音楽サークル系の活動をしている。
- 信州大学・・・『長崎から』で見られるようになった幟(のぼり)の元祖はここのサークル。
- 京都大学・・・学園祭の神出鬼没ライブ、『長崎から』の巨大幟等、非常に個性的な活動で知られた。さだのファンクラブの会報で「替え歌」のブームを作ったこともある。
- 東京大学・・・京大同様、独特の活動・個性的なメンバーで大々的に活動していた。余談だが『赤本』の公認サークルの中にサークル名が掲載されていた。
- 慶應義塾大学
- 千葉大学・・・大学の文化祭に「喫茶・秋桜」を出店し、ミニライブを開いたり実際にさだの歌の中に出てくるメニュー(パンプキンパイとシナモンティー、ミートパイとソーダ水など)を出して好評だった。
- 東京学芸大学・・・漫画『幕張サボテンキャンパス』にも、主人公が通う大学に「さだ研」が登場するが、作者のみずしな孝之は東京学芸大学卒のため、この東京学芸大のさだ研がモデルと推測される)
- 東北大学・・・東大・京大同様、活動・メンバーが個性的で知られていた。
- 日本大学・・・学生系さだ研では珍しく『セイ!ヤング』で募集告知をして設立された団体(学部が各地に散らばっているためと思われる)。「聖橋に檸檬を持って集合」というさだの代表曲「檸檬」にひっかけたユニークな募集告知を打った。なおこの団体は創立時より「我々はさだを"研究"はしてない」と、あえて「さだまさし研究会」ではなく「さだまさし親好会」、略して「さだ親」と名乗っていた。
- 立命館大学
- 関西大学
- 広島大学
- 中京大学
- 愛知大学
- 青山学院大学
- 國學院大學・・・さだの母校(法学部中退・殆ど通学していない)でもある。かつては東大さだ研同様、「赤本」にサークル名一覧に名前が載っていた公認サークルだった。
- 長野大学
- 新潟大学
- 神戸学院大学・・・通称「KGUさだ研」。2001年創設という大学系さだ研では最も新しい団体で、オン・オフラインとも活動が活発。
- 埼玉県立不動岡高等学校・・・高校さだ研の第1号。生徒会メンバーが中心になって設立。「セイ!ヤング」で「昼休みに右手にエービーロード、左手にハーベスト、口に赤いバラをくわえて職員室の前に集まろう」という葉書が読まれて、それを聞いた生徒たちが集まったのがきっかけ(当時の『セイ!ヤング』は東鳩とリクルートが番組スポンサーだった)。ここのOBの何人かが、のちに日大さだ親の発起人の一人や主要メンバーとなったり、國學院大學さだ研の主要メンバーとなった。
- 攻玉社中学校・高等学校
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- 社会人系(カテゴリー分けとしては、あくまでも「学校」を本拠地としていなかったサークル。この中には現役の学生が中心となって活動していた社会人サークルもあった)
- 神戸(兵庫)・・・社会人系さだ研の元祖。初期は「神戸市役所さだ研」と名乗っていた(発起人が市役所にお勤めの方だったかららしい)。一時期は100人以上の会員を擁する非常に大きなサークルだった。
- 高槻(大阪)・・・神戸に続いて2番目に設立されたさだ研。やはり数十人単位の大きなサークルだった。『セイ!ヤング』で、時折会員が報告する神戸と高槻の定例会の話題がきっかけで、首都圏にも社会人系さだ研ができるきっかけとなった。
- 日光(栃木)・・・当時日光在住の中学生だった発起人2名で作られたサークルだったが、会誌の質は随一のものだった。100人以上のさだファンの知り合いからアンケートを募り、『長崎から』で配布した会報に掲載した事もある。
- 足利(栃木)・・・インターネットを使って活動をしているさだ研の代表例のひとつ。ホームページの掲示板では県内外のさだファンで賑わっている。
- 目黒区(東京)・・・当時の『セイ!ヤング』の常連さんが中心となって設立された主婦中心のさだ研。首都圏での社会人系さだ研の第1号とも言われている。
- 三多摩(東京)・・・東京では80人近い会員を擁していた最大の社会人系さだ研。発起人が住んでいた小平市を中心に活動していた。1994年4月の『セイ!ヤング』放送終了翌日に活動を休止、近年、活動は『長崎から』に限定している。
- 福岡・・・オフライン全盛の頃は九州唯一のさだ研で、神戸・高槻に次ぐ規模のサークルだった。
- 福岡香椎(福岡)・・・2001年創立。福岡・佐賀・長崎などでのコンサートの前に『お茶会』なるミーティングが行われる。現在でオンライン・オフライン共にもっとも大々的に活動しているさだ研の一つ。ホームページはさながらさだ研のポータルサイトのような様相を呈している。
- 飯田(長野)・・・毎月の定例会では、さだの曲を1つとりあげて文学的研究をしているある意味本当の「さだ研」。ここもホームページ等の交流が中心のサークルで県外の会員を募集している。
- 成田(千葉)・・・初期のころから会報等で「さだ批判」をやっていた、私設ファンクラブとなりがちな社会人系さだ研では珍しいサークル。2002年に満10周年で解散し(もともと主要メンバーが多趣味でそれほどさだにこだわりがなかったと推測される)、現在も月一回のペースの定例会を中心に、江戸川区内でクイズサークルとして活動。2007年7月には定例会の回数が通算200回を突破する模様。
- 春日部(埼玉)・・・1991年に地元の中学生・高校生が中心となって設立(首都圏では第2号の社会人系さだ研であり、一リスナーが「セイ!ヤング」での葉書が読まれて設立した例としては首都圏では初)。現在は、10数年来交流が深い旧・成田と一緒に活動する事が多い。規模は主要メンバー数人のみの活動であるが、サークルとしては解散宣言しておらず、さだ研の中では最古参の類に入る。
- 北埼玉(埼玉)・・・当初は埼玉県栗橋付近で活動する予定だったサークル。創設時にセイヤングに葉書を出した際に、採用予定日を計算して公民館の会議室を予約していたのだが採用されずに翌日に会議室をキャンセルする羽目になったエピソードを持つ。よって少人数で活動し、三多摩さだ研等のイベントに顔を出すことが多かった。
- 出雲(島根)・・・黒地に白抜きの幟がトレードマークだった。
- 北海道・・・さだの40歳の誕生日(1992/4/10)に創立した。札幌の公共施設を借りてそこを中心に活動。会報名はズバリ『北の国から』。会報が100号を突破したサークルでもある。
- 岡山・・・後に主要メンバーの一人が佐田玲子のファンサイトを立ち上げることになったほど、さだまさしよりも佐田玲子の方がメインになっていった珍しいさだ研。
- 滋賀・・・1996年創立ながらネットでの活動も含めて活動10年目を超える。
- Nifty・・・パソコン通信で知り合ったメンバーで結成。実は一番参加人数が多いのではないか、と推測される。
- アスキー・・・Nifry同様、パソコン通信で知り合ったメンバーで結成されていた。なおこのような形では、「さだ研」とは名乗ってはいないが、「まっさんML」というメーリングリストのメンバーが集う老舗サークルもある。
- グッたいみすと・・・JTB時刻表の欄外投稿コーナー「グッたいむ」のその常連メンバーの中のさだファンたちが創設した。当然にさだよりも鉄道系の企画が多かった。通称「グッたいむさだ研」。首都圏・関西・東海の各地区で例会等が行われていたが、14年間の活動をもって2006年8月に解散、現在は関西・東海のメンバーを中心に「さだ」色を抜いた「時刻表友の会」というサークルでリニューアルされた。毎年『長崎から』の翌日に、平和公園にある長崎軌道犠牲者慰霊碑の前で「鉄道と平和を考える」という恒例企画が行われていた。
- インターネットさだまさし研究会・・・メーリングリストやホームページでの交流が中心の団体。
- 50年会(昭和50年代以降生まれファンのためのさだまさし研究会)・・・珍しく昭和50年生まれ以後という年齢制限があるさだ研。
- mixiさだ研・・・2006年の『長崎から』ではこのような団体の幟も見られた(mixiのコミュニティ「さだまさし」が期間限定で名乗っていたもの。テーマは「一生、長崎からします!」。これは人気番組『水曜どうでしょう』で実際に売られていたミニ幟の「一生、どうでしょうします!」のパロディと思われる)。
- 社会人系(カテゴリー分けとしては、あくまでも「学校」を本拠地としていなかったサークル。この中には現役の学生が中心となって活動していた社会人サークルもあった)
- 2007年現在、既存の学生系さだ研の多く(千葉大、青山学院、國學院、東大など)はすでに解散か、新入生がなかなか入ってこないために上級生のみ、もしくは現役学生がゼロに近いOB・OGのみの「OB会」のような活動になっている(日大、京大など)。『セイ!ヤング』の終了と共に学生世代のファン人口が激減したのに加え、安定的に新入生が入ってくるとは限らないために熱心な現役学生が卒業した後に継続してサークルを運営する世代が育たないというサークル自体の世代交代の難しさを物語っている(かつての全盛期の頃は「さだ研に入る」というのを目標に大学受験を突破したさだファンも少なからず存在していた)。既存の団体は入学式には幟を掲げて新勧でビラを撒くサークルもいくつかあったが、関心をもつのは新入生よりもその付き添いできた親の方だった、という笑うに笑えない話もあり、なおかつ新入生が加入する例は少なくなっており、既存の各団体の現役生は毎年頭を悩ませているという。
- 一方、社会人系サークルは、『セイ!ヤング』終了と同時期に活動停止・解散してしまった団体も多かったが、北海道・神戸・春日部のように10年以上も地道に続けている団体や、成田・グッたいみすとのようにサークルを10年続けて別の趣味をメインにしたサークルへの事実上の合併・組織改変を果たしてしまった団体もある。これは学生系サークルの場合だと大学キャンパスの教室や食堂等での定例会はメンバーが固定さえすれば容易に行える反面、社会人系サークルの場合は、団体名が「さだまさし研究会」では公共施設の会議室等を借りる事や、広報誌等で新規会員の勧誘もままならず、仕方なく文芸サークルやクイズサークル等のダミーのサークル名を使って活動していたサークルもあったという。それが興じて、現在は「さだ」よりも、むしろその代替手段で活動を行っていた方をメインにして逆に「さだ研」の頃よりも多角的に活動・盛況しているサークルもある。
- また逆に、『セイ!ヤング』等による「全盛期」を知らない団体、すなわち1994年4月の『セイ!ヤング』の放送終了後に設立された飯田・足利・滋賀・福岡香椎(かつて九州・福岡で、「福岡さだ研」という団体が存在していたが、解散した後にまったく別の「福岡香椎さだ研」という団体が設立された)の各さだ研のようにインターネットが普及したことによって地元会員以外のメンバーも掲示板などで集い、会員を増やしている団体や、さらにはインターネット上のみで活動し、盛況しているさだ研も存在する。
- 1990年リリースのアルバム『夢回帰線II』に収録されている「Song for a friend」の歌詩カードには、「コーラス:南カリフォルニア大学さだまさし研究会合唱部」という架空の団体名が記されている。
さすらひの自由飛行館
- 赤坂見附の地下鉄の駅のそばにあった、さだまさし経営のスナックのような店。
- 地上にはカーネル・サンダースのようなさだまさし自身の像が立っている。
- 地下に降りて行くとドアがあるが、そこはダミーのドアで、まごついていると横のところが開くようになっている。
- 壁には音響装置があり、ヘッドフォンでさだまさしの曲を聴くことができる。
- トイレの壁には「便訓」という張り紙が貼ってある。
- メニューには「あみんセット」(パンプキンパイ・シナモンティー・バラの形の角砂糖)や、アルバム『うつろひ』収録の「分岐点」にちなんだ「分岐点セット」(ミートパイとソーダ水)がある。
- 1980年オープン、1983年閉館。
この他、渋谷に「モンペトクワ」というレストランを友人と共同所有していた(2004年9月末で閉店。西村知美の夫である西尾拓美が店長をしていた)。また、現在でも五反田にバー「MONPETQUOI'S BAR」と「モンペトクワ ごはん屋」が、故郷長崎市に「自由飛行館」がある。
その他
- アルバムのクレジットなどでは、「作詞」ではなく「作詩」となっている。
- ファンクラブ「まさしんぐWORLD」の会員数は、現在約25,000人。
- 未だにコンサートの観客動員力は高く、チケットが発売後すぐに売切れてしまうことも多い(実際に、武道館で3333回記念コンサートを行った時は2日間分が9分で売り切れた)。ファンクラブの会員でも1人2枚しか先行予約できない。
- 前述のように仏教的なモチーフや日本の古典・民族的な題材を用いた歌も多く、太宰府天満宮や東大寺などの社寺仏閣の宮司・管長らとも親交がある。このためか、東大寺大仏殿・薬師寺・平安神宮など、寺社でのコンサートも数多く行なっている。
- シングル『親父の一番長い日』は演奏時間が12分30秒あり、2001年にN.M.L.の『ZERO LANDMINE』(演奏時間18分26秒)がオリコンシングルチャート1位を獲得するまでは、最も長いオリコンシングルチャート1位獲得曲(A面曲)であった。ちなみにB面の「椎の実のママヘ」は、「精霊流し」ができた経緯を描いている。
- 1970年代末、敬愛するポール・サイモンが「たかが音楽、いつだってやめられる」と言ったのにショックを受け、ニューヨークまで行ってサイモンにその真意を問い正したことがある。
- 私生活では眼鏡をかけておらず、眼鏡をかけることを「ひらがなになる」(佐田雅志→さだまさし)、「『さだまさし』になる」と呼んでいる。
- コンサートでは、最前列や舞台に近い客席なのにも関わらずわざと双眼鏡やオペラグラスで舞台を見ている客がいる。これは、さだがそういった客を発見すると「最前列(または三列目)での双眼鏡、やめてください(笑)」と指差してくれるのを、期待しているのだ。さだのコンサートでは、お約束とも言える風景である(まれに「二列目での双眼鏡、今日はOKです」の日もあるが、これはコンサートが盛り上がった時に使用される)。
- 過去、さだの一般的代表曲である「関白宣言」を下敷きとして、同名の映画が制作された。主演はさだの実弟・佐田繁理。彼はこれを含め数本の映画に出演している。なお、映画『関白宣言』にはさだ本人の出演シーンもある。
- 現在では、海外の大物アーティストが来日するときは当然のことになっているが、1980年代前半、中国へのコンサートの際、使用する音楽機材を運搬するために、日本航空のDC-8貨物機をチャーターしている。日本人アーティストで、貨物機をチャーターしたのは、後にも先にも、さだ以外、誰もいない。
- アルバム『印象派』収録の「聖野菜祭(セント・ヴェジタブル・デイ)」は、エンディングの途中に入る臨時ニュースがまぎらわしいとの理由で、発売後に放送禁止(特にラジオで)となっている。なお、グレープ時代の「朝刊」も放送禁止となっているが、これは曲中に交通情報の部分がありまぎらわしいからだとの理由である。
- 自らが企画した映画『長江』がヒットしたものの予算オーバーで多額の借金を作りコンサートで返済するようになって以降髪の毛が薄くなっている。その為ではないが他のミュージシャン、お笑い芸人に自前で髪の毛をネタにされるのを嫌がっていてモト冬樹が「関白宣言」の一節をハゲに置き換えたネタを披露されるやシュガーサーバーに入っていた砂糖をかけて「帰れ!!」と追っ払うほど。しかし腹は立てていない。また自虐ネタとしてはコンサートのトークなどでも良く使っており(「谷村新司、さだまさし、松山千春は『フォーク界御三毛』」など)NHKの『新春いきなり生放送!!「年の初めはさだまさし」』へゲスト出演した、スキマスイッチの常田真太郎(アフロヘアーがトレードマーク)が「そろそろ(アフロを)やめたい」と思わず本音を漏らした際にも「やれる時にやっておけ。『いつまでもあると思うな親と髪』!」と言っていた。
- 競艇の最高峰レベル・SGレースの決勝戦の時ファンファーレはさだが作曲したものである。
- 1987年の流行語になり、現在は広辞苑にも掲載されている「目が点になる」という言葉は、もともとさだのバックメンバーでギタリストの福田幾太郎(1983年に交通事故で急死)が使い始め、さだのバックメンバーやスタッフに定着したものである。これを、前述のようにさだと親交の深い笑福亭鶴瓶が使うようになったことから、全国へ広がっていったのだという。
- 妹の佐田玲子が近い将来結婚するのを念頭にした曲を作っている(「雨やどり」「秋桜(コスモス)」「親父の一番長い日」)が、自身が『関白宣言』のヒットが原因で小舅イビリに遭うのを誰もが恐れたからか実際の妹は独身のまま。そのため最近コンサートのトークで「妹の玲子が独身のままなのは俺にとって心もとない話だ。誰か妹を貰う勇気のあるヤツはいないのか? 何故なんだ? 結婚するともれなく『さだまさし』がついてきますのが嫌なのか? 安心しろ。俺は婿イビリはしないぞ。」と述べてそれが久しく芸能ニュースのネタとして取り上げられていたほど。また、さだまさしのセイ!ヤングで妹が未だ独身である事を気にかけ「結婚してほしい。できればお金持ちな男性と結婚してほしい。」と発言したらたまたま聞いていた妹から『聞い――――たぞ!!バカタレ――――――ッ!!!!』と生放送していた文化放送のスタジオへゲリラ電話をかけられて叱責されるという親切心がアダになったというエピソードがある。
- コンサートでのトークはソロデビューしてからの定番だがソロデビューした頃タモリがその事を肴にさだを誹謗した類の発言をした事があり、これが元で一時タモリとの関係が悪化しタモリの所属事務所にカミソリ入りの脅迫状が来たほどである。
- 吉田政美を招いたコンサートをするときは、吉田に有給休暇を取らせている。本人も「私の有給はあんたのためにあるんだ」と発言したことがある。
- グレープ時代にセイ!ヤングの司会をはじめて請け負ったおかげで番組が帯番組として終了して以降、さだの冠番組『さだまさしのセイ!ヤング』として継続される事となったが、これによって裏番組であるTBSラジオのパックインミュージックの聴取率低下に至ったため、永六輔から裏番組の司会として出演されるという形で報復を受けてしまった。その事と自分が靖国神社へ参拝するという永が聞いたら説教されそうな事項を抱えているため永との共演を避けるほど長年トラウマになっていたという。しかし永の代表曲「遠くへ行きたい」をカバーしたり、妹の佐田玲子が永がラジオでの仕事場にしているTBSラジオにも出演している事からトラウマは薄れている。もちろん仲が悪い訳ではなく、デビュー以前の長崎時代に宮崎康平(『まぼろしの邪馬台国』著者、『盲人重役』(城山三郎著)のモデル)から紹介を受けるなど縁は深く、故三波春夫が『夏・長崎から』に出たがっている、とさだに紹介したのも永六輔である。
- 『下宿屋のシンデレラ』は、当時ナショナル洗濯機「愛妻号」愛の詩作詞コンクールとして企画され、一般から詞を公募し大賞作品にさだが曲をつける、という経緯で生まれた曲である。その結果、ナショナル洗濯機を買うと『下宿屋のシンデレラ』シングルレコード(限定非売品。発行元:松下電器産業株式会社 洗濯機事業部)が付いてくるという、摩訶不思議なキャンペーンとなった。
受賞
- 長崎市政協力表彰(1989年)
- 長崎県民栄誉賞(1996年)
- 長崎市栄誉市民(2004年4月、「長崎の魅力を全国に発信し、イメージアップを図ったことへの貢献」が認められる)
役職
- 長崎ブリックホール名誉館長
- 諏訪市原田泰治美術館名誉館長
- カボス大使
- 平城遷都1300年記念事業協会評議員。
関連項目
- グレープ (ユニット)
- 佐田繁理(実弟)日本人初のプロサッカー選手、さだ企画社長
- 佐田玲子(実妹)歌手
- 佐田大陸(実子)ヴァイオリニスト(関連:「千の風」・塩谷靖子)
- チキンガーリックステーキ
外部リンク
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