北川博敏
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北川 博敏(きたがわ ひろとし 1972年5月27日 - )は、平成期(1990年代後半-)のプロ野球選手。現在はオリックス・バファローズの内野手である。兵庫県伊丹市出身。常に笑顔を絶やさないことから、阪神時代からの愛称はスマイリー。一部からは顔が似ていることから「アンパンマン」と慕われている。オリックス・バファローズの球団ホームページで公開されているブログを担当している。(毎月選手が交代する予定で北川は3ヶ月に1月の予定だったが、ずっと担当していた。)しかしシーズン終了後早川大輔が担当。
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[編集] 来歴・人物
- 1994年のドラフト2位で阪神タイガースに指名され、入団。チームの大先輩である安藤統男、佐野仙好がつけていた背番号9をもらう。打力のある捕手として嘱望され、入団した年のフレッシュオールスターゲームでMVPを受賞するなど期待されたが、ライバルに関川浩一(現東北楽天ゴールデンイーグルス)、矢野輝弘などがおり、1軍では思ったような成績が残せず、さらに2000年には野村克也監督の息子カツノリの加入で出場機会が減り、シーズンオフに投手の湯舟敏郎・山崎一玄と共に大阪近鉄バファローズへ交換トレード移籍。背番号は46となった。
- 梨田昌孝監督に認められて1軍に定着し、2001年4月にプロ初本塁打を放つ。5月27日の29歳の誕生日に生まれて初めてサヨナラ安打を放ち、初めてのお立ち台で涙を流した。この年のリーグ優勝に王手をかけた9月24日の西武ライオンズ戦では、9回裏に中村紀洋内野手の逆転サヨナラ2ランにつながる代打本塁打を松坂大輔から放つ。また9月26日のオリックス戦(大阪ドーム)で9回裏、吉岡雄二のヒット、川口憲史のツーベース、代打益田大介の四球で無死満塁の場面で、当時のルーキー大久保勝信から3点差をひっくり返すプロ野球史上初の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定お釣り無しホームランを放ち、12年ぶり4度目のパシフィック・リーグ優勝に大きく貢献。「ミラクル男」と呼ばれるようになった。日本シリーズでチームはヤクルトスワローズに1勝4敗と敗れ、残念ながら日本一を逃したが、全試合に出場を果たして14打数7安打.500の成績を残した。
- 2002年はオープン戦で負傷し43試合、打率.266、1本塁打、8打点と精彩を欠いた。
- 2003年5月25日には不振の中村紀洋に代わって自身初の4番に座りいきなり4安打3打点の大活躍をするなど打率.309、13本塁打、50打点の成績を残した。
- 2004年には本来の打撃を生かすため内野手に転向。開幕前に吉岡雄二内野手の負傷欠場もあり開幕からスタメンに名を連ね、タフィ・ローズ外野手の読売ジャイアンツ移籍やチームの身売り、合併問題といった雑音にもめげず、ストライキのあった2試合を除く133試合にフル出場し、打率.303、20本塁打、88打点の自己最高成績をおさめた。ちなみにこの年のパ・リーグで全試合出場を果たしたのは、北川以外では中島裕之(西武ライオンズ)と川﨑宗則(福岡ダイエーホークス)だけだった。
- 東北楽天ゴールデンイーグルスとの選手分配ドラフトで、2005年はオリックスに所属することとなり、背番号も23に変更することとなった。チームの主軸を努める一方、ムードメーカーとしても期待されている。打率は落ち込んだがチームで最高の打点をマークした。
- 2006年シーズンは主軸として活躍するがシーズン中盤ダイビングキャッチで右肩を損傷、その後選手生命を左右するほどの重症(右肩関節唇損傷)と判明する。しかし北川は、8月13日の対ソフトバンク戦まで出場を強行した(手術は17日に行われ、以後試合は欠場)。北川の怪我を押して出場を続けた主軸としての責任感と「他の選手たちにがんばってほしい。これまで出れてきたことが幸せ。」という趣旨の発言は、オリックスファンを感動させた。成績も離脱するまで2塁打を30本放ち、チームトップの打点をマークするなど安定した結果を残していただけに惜しまれる一年であった。
- 2007年は怪我で出遅れる事が予想されるが選手会長の任につき、チームを引っ張ることが期待されている。先述の通り、怪我での出遅れが予想されたが、開幕スタメンで出場。開幕2連戦では好調ぶりを見せている。
[編集] その他
- 兵庫県伊丹市出身のスポーツ選手で結成されているNPO法人「伊丹アスリートクラブ」に所属しており、シーズン中は「北川ホームラン基金」、シーズンオフにはイベントを行っている。
- ひょうきんな性格で知られており、現在のテーマ曲は逆転イッパツマン(タイムボカンシリーズ)のテーマである。
- いつも笑顔というのがトレードマークであるが、本人がオフのトークショ-で語ったところによれば、いつも笑ってるわけではなく、あれで表情に喜怒哀楽がついているらしい、見分け方は鼻をみてほしい、とのことである。
- 代打逆転サヨナラ満塁ホームランで優勝決定というあまりに劇的な幕切れから、9月26日以降たびたびこのホームランの映像がメディアに流された。このことで、ホームランの着弾点近くに広告を出していた大装が、「優勝決定ホームランの映像が繰り返し放映されたことで、うちの広告が何度も全国放送で流されて良い宣伝になった」ということで、北川に感謝を込めて10万円を贈呈した。(後述の球団側の発言に出てくる金額は、この話を受けてのものである)
- 歴史に残る2001年の優勝決定試合での代打逆転サヨナラ満塁優勝決定お釣り無しホームランについて、球団はその年の契約更改で「あの本塁打は10万円分の価値しかない」と言ったが、これはもちろんジョークで、この年北川は前年のほぼ倍となる大幅年俸アップとなっている。ただし球団は前半での活躍を評価しており、北川自身も本塁打のみが評価の対象となることを嫌っていた。
- 元々のポジションである捕手は長年務めていない。ただし、捕手を起用し尽した時に捕手を務めるケースは首脳陣・本人共に想定しているようだ。2005年8月の試合では先発捕手の日高剛が途中交代、的山哲也に9回裏代打を起用したために捕手がいなくなった。同点に追いつきそうだったため、北川がベンチで笑顔でマスクをかぶって準備し、的山からサインを教えてもらっているシーンがTVに映されていた。(ただしオリックスが追いつけず9回で試合が終了したため、捕手としての起用はなかった。)
[編集] 略歴
- 180cm、89kg
- 右投げ右打ち
- 血液型 A
- 球歴・入団経緯 伊丹市立荒牧中学校-志木市立志木第二中学校(転校)-大宮東高-日大-阪神(1995~2000)-近鉄(2001~04)-オリックス(2005~)
- プロ入り年度・ドラフト順位 1994年(2位)
[編集] 通算成績(~2006)
- 683試合出場 2074打数573安打 打率.276 64本塁打 306打点
[編集] 年度別成績(一軍)
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995 | 阪神 | 13 | 16 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .125 |
1996 | 阪神 | 28 | 29 | 4 | 6 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .207 |
1997 | 阪神 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
1998 | 阪神 | 8 | 18 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .056 |
1999 | 阪神 | 39 | 66 | 4 | 10 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | .152 |
2000 | 阪神 | 10 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
2001 | 大阪近鉄 | 81 | 200 | 27 | 54 | 14 | 1 | 6 | 35 | 2 | .270 |
2002 | 大阪近鉄 | 43 | 94 | 7 | 25 | 7 | 1 | 1 | 8 | 0 | .266 |
2003 | 大阪近鉄 | 99 | 317 | 57 | 98 | 23 | 1 | 13 | 50 | 5 | .309 |
2004 | 大阪近鉄 | 133 | 508 | 75 | 154 | 27 | 0 | 20 | 88 | 7 | .303 |
2005 | オリックス | 127 | 444 | 57 | 115 | 28 | 1 | 16 | 67 | 3 | .259 |
2006 | オリックス | 100 | 373 | 39 | 108 | 29 | 2 | 8 | 55 | 2 | .290 |
通算(12年) | 683 | 2074 | 272 | 573 | 133 | 6 | 64 | 306 | 19 | .276 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
オリックス・バファローズ / サーパス - 2007
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1 監督 テリー・コリンズ | 81 大石大二郎 | 83 神部年男 | 75 ジョン・ディーバス | 89 真喜志康永 | 74 松山秀明 | 85 別府修作 | 78 米村理 | 80 赤川貴弘 | 96 二軍監督 住友平 | 70 清川栄治 | 87 赤堀元之 | 76 大島公一 | 82 三輪隆 | 77 弓岡敬二郎 | 79 内匠政博 | 72 吉原孝介 | 88 安田昌玄 | 84 本屋敷俊介 |