富田駅 (大阪府)
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富田駅(とんだえき)は、大阪府高槻市にある阪急電鉄京都本線の駅。
JR西日本摂津富田駅とは約300mと比較的近いため、徒歩での乗換えも可能である。
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[編集] 駅構造
相対式2面2線のホームの間に上り用通過線1本を備えた地上駅。駅舎(改札口)は地下にある。エスカレータやエレベーターの設置はないが、係員呼出により外部と出入できるスロープが両ホームにある。
なお、京都方面行きホームは1982年から長らく仮ホームである。同年に着工した隣の高槻市駅の高架化事業に伴い、工事用地を確保するため高槻市駅の京都方面行きホームの待避線が撤去されたため、当駅の京都方面行きホームに市道を借り受けして待避線と仮ホームが設けられた。そのため階段から京都側のホームは幅がかなり狭い。高槻市駅の高架化が完成するまでの暫定処置のはずだったが、1993年に高架化工事が完成後したあとも市道として返還されるめどは立っていない。原状回復に費用と手間を要することや、本数は少ないものの、今でも富田駅で退避する列車の設定もあることから、今後も現状維持となる公算が大きい。1981年に当駅の地下駅舎化工事が完成したのは、当駅に退避線設置がされないと高槻市駅の高架化工事に着手できないためでもあった。
かつては、京都方面行きホームの京都寄りに定期券専用無人出口が設置されていた。かつて、阪急の多くの駅で見られた、駅付近の学校の学生や大きな企業の社員専用の自動改札機もない完全無人の出口であった。当駅の無人出口を使用できたのは、1981年に地下改札口が完成するまでは一旦構内踏切を渡って大阪行きホーム側に渡り、再び踏切を北側に渡る必要があった、阪急の線路より北にある学校と会社であり、大阪府立高槻養護学校の制服を着用した生徒と、松下電器産業の社章を着用した社員だけが出場時のみ利用できることになっていたが、完全に係員が無人のため実際には一般の乗客の使用や、入場での利用も目立った。乗客との信頼関係に基づき設置された出口であったが、その後乗車マナーの低下による不正乗車の増加やストアードフェアシステムの導入準備、なによりも地下改札口完成により踏切の使用が不要になったため、無人自動改札口となることもなく廃止された。
蛇足ではあるが、トイレは梅田方面行きホームにのみ設置されている。水洗式だが、老朽化に伴い2007年3月に改修・バリアフリー化された。
[編集] のりば
- ■京都(河原町)・烏丸・高槻市・嵐山方面行のりば
- ■大阪(梅田)・天下茶屋・神戸・宝塚方面行のりば
- ※のりば番号は設定されていない。
[編集] 駅周辺
- 北側
[編集] バスターミナル
小寺池図書館のとなりに高槻市営バスの回転場がある。
- 行き先:
- 津之江経由JR高槻南
- 芝生住宅
- 栄町
- 車庫前
[編集] 利用状況
2004年の1日平均の利用客は約21,491人(大阪府統計年鑑より)
[編集] 歴史
- 1928年(昭和3年)1月16日 新京阪鉄道淡路~高槻町間開通と同時に富田町駅として開業。
- 1930年(昭和5年)9月15日 会社合併により京阪電気鉄道新京阪線の駅となる。
- 1943年(昭和18年)10月1日 会社合併により京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の駅となる。
- 1957年(昭和32年)7月1日 富田町が高槻市に編入されたために富田駅に改称。
- 1981年(昭和56年)12月20日 地下駅舎が完成、使用開始となる。
- 1982年(昭和57年)11月27日 高槻市駅高架化工事に伴い、当駅京都方面行きホームに仮待避線を設置。11月ダイヤ改正より実際の退避が始まる。
[編集] 隣の駅
[編集] その他
既述の通り、JR東海道本線摂津富田駅とは約300mと比較的近いため、徒歩での乗換えも可能だが、JR・阪急の両社ともに乗換えならびに連絡の案内には両駅は書かれていない。ただし、出口の行き先案内にはJR摂津富田駅は北出口方面に表記されている。また、乗換えの検索ソフトでは両駅が表示される物も存在する。