日本工業大学付属東京工業高等学校
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日本工業大学付属東京工業高等学校 | |
過去の名称 | 東京工科学校、東工学園 ほか |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人日本工業大学 |
設立年月日 | 1907年12月18日 |
校訓 | 誠実 明朗 勤勉 |
教育方針 | 工業教育 |
創立記念日 | 6月29日 甲種学校に認可された1931年6月29日による。 |
創立者 | 古川武一 |
共学・別学 | 機械科 建築科 電子情報システム科 は男女別学(男子校) 国際工学科 理数工学科 は男女共学。 |
中高一貫教育 | 日本工業大学付属中学校 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
学科 | 機械科 建築科 電子情報システム科 理数工学科 国際工学科 |
学科内専門コース | Nコース・Aコース・Bコース |
所在地 | 〒153-8508 |
東京都目黒区駒場1丁目35-32 | |
電話番号 | 03-3467-2130 |
FAX番号 | 03-3467-2245 |
外部リンク | www.nit-tokoh.jp/ |
日本工業大学付属東京工業高等学校(にっぽんこうぎょうだいがくふぞくとうきょうこうぎょうこうとうがっこう、英称:Tokyo Technical High School Attached N.I.T.)は、私立の工業高等学校である。
目次 |
[編集] 概要
明治時代から工業に特化しており、日本工業大学に進学した場合は中・高・大と一貫した工業教育を受けることができる。普通科を設置せず、工業のみに特化した学校は少ないことから、首都圏における私立の工業高校は本校のみであると自称している。なお、日本工業大学は、東京工業大学とよく混同されるが、全く別の組織である。
99年間に渡り男子校を貫いてきたが、女子の工業進出にも対応するため、2006年度より国際工学科・理数工学科を男女共学化した。現状では共学化をしている学科における女子の比率は1割から3割程度であり、全校生徒数ベースでは1%に満たない。これに関しては、単なる少子化対策の一環ではないかと一部の保護者やOB、また少数の女子への優遇策(元々男子校向けに作られたキャンパスの大規模改修など)に不満をもつ生徒による批判も存在する。数年前までは教員が保護者向けの説明会で保護者からの共学化の質問に対し、「共学化する予定は全くない」等と発言していた。しかしながら、2006年には陸上部などにおいて女子が好成績をあげるなど、受け入れるための環境は整いつつある。
ブレザーの制服着用。日本橋三越などで購入できる。2006年度に新しい制服に変更された。 新制服の冬服は3つボタンのブレザーに青シャツである。
現在多数を占めている1998年度~2005年度入学までの旧制服は、ブレザーに白シャツの冬服に限れば評判は上々で、受験ガイドブックにも紹介されるほどであった。しかし、半袖の青シャツ+紺スラックス、ノーネクタイで構成される夏服は対照的に評判が悪く、「おじさんが着るような服」や「警察官の夏服」のような悪評も多かった。そのため、隠れて禁止されていたネクタイを締めたり、冬服用の長袖の白シャツを着たり、セーターを着ていた生徒も若干いた。
校則は特に頭髪指導が非常に厳しく、男女共にパーマメントやカラーリングは禁止で、特に男子は耳を完全に出し、襟足を短くする。細かい決まりが模式図付きで教室に張り紙がされていた。一部のコミュニティサイトなどにおいては、卒業生らがこの髪型を「東工カット」と呼び懐かしんでいる。頭髪検査が2ヶ月に1度ほど行われ、期日までに髪型を直さないと最悪の場合出席停止になる(2006年度からは多少耳に髪の毛がかかってもかまわなくなったが、生活指導員によっては不合格とされることもある)。
軍歌のような校歌が有名。朝礼などではしばしば代表者が前奏をアカペラで歌い、生徒がその後に続けて歌う。
2期制(前期・後期)のため、秋休み(秋季休業)がある。
[編集] 交通
周囲が住宅地であるため敷地が比較的狭い。
[編集] 教育方針
工業教育を柱とする。校訓は、誠実・明朗・勤勉。
再編・改革に伴い、様々な指導チーム・プログラムが組織されており、それらにはProject"x"といった名称が付けられている。例えば「Project Z」は他大学進学向けの、「Project S」は習得が比較的遅い生徒向けの支援チーム・プログラムであり、エントランスホール近くの自習室「TERAKOYA」の管理などもする。
[編集] 校舎
それまではいくつもの棟が並ぶ複雑な構造をした校舎で、暖房等も生徒が実習で製作した物を使うほどであったが、図書館と事務棟を除き2001年に全面的に新校舎に切り替わった。新校舎は本校OBが設計した。地上4階・地下1階建てで廊下は環状線のように1周できる構造である。その中央には、全校生徒を十分に収容できるほどのスペースは無いもののアリーナ(体育館)がある。校舎に存在する4ヶ所の吹き抜けによって風通しは非常に優れているが、その反面、雨の日は雨水が直接廊下の一部に入り込むこともある。雨水・冷風対策として吹き抜けを開閉式にできないのは建築基準法の定めによるもので、法解釈上、校舎とアリーナは別の建物である。
階段は3つ、それぞれ地下から屋上まで続いている。風水で階段のカラーを決めたという説もある。エントランスホールには1階から2階までの階段がある。エレベーターが1機存在するが、東工祭での荷物搬入時も含め生徒の利用は全面的に禁止されている。例外的に、骨折など負傷した生徒は利用することができる。
周囲は住宅地であるため、それに配慮した設計となっている。例えば周辺住民のプライバシーへの配慮として、校舎から家の中を見られないようにするため教室の窓ガラスは曇りガラス構造になっている。校庭の床も、ホコリの飛び散りが懸念される砂利ではなくスポンジ状の特殊な素材で作られている。また、アリーナが校舎に囲まれている設計は、騒音対策の一環と解釈することもできる。
校庭があまりにも狭く、ボールを思い切り蹴ることが出来ず、休み時間に充実した運動が出来ないと不満を持つ生徒も少なくはない。
地下は全面が実習工場となっており、機械・建築・電気の実習設備が整っている。廊下には実習作品の展示なども行われている。
早くからCADを導入し、CAD室などが設けられている。一方で、授業で使われるパソコンは依然としてWindows 98/Windows NT4.0環境レベルのマシンも多く、近年のブロードバンド環境の普及に伴うパソコンの高速化に対応できていないと指摘する声も多い。このため、多目的ホール横に新たなコンピュータ室を設けるなど、設備の更新を徐々にではあるが行っている。LinuxマシンなどUNIXベースの実習マシンは存在しないか、滅多に使わない。付属中学の全教室には11Mbpsの無線LANアクセスポイントが1教室につき2ヶ所ずつ設置されているが、高校部分の教室には無い。このためレポートの調べ物や、印刷物製作においては多少苦労する場面もある。
2007年中に100周年記念ホールが完成する予定。合唱団等を交えて100周年記念集会をする事が全校朝礼にて発表されている。
- 駒場キャンパス
- 4階~2階 - 教室、職員室など
- 1階 - メイン会議室、校長室、総務室、経理室、職員室、理科室、パソコン室、CAI室、CAD室、家庭科室、多目的ホール、校庭。
- 地下1階 - 実習室、ゴミ収集所等
- 赤倉研修所
- 下田研修所
- Nippon Institute of Technology Inter-Cultural Campus
- カナダアルバータ州ブレアモア 20th Avenue 13437に存在する研修所である。カナダ短期・長期留学で使用される。元々裁判所や教会だった地区を改装して使っている。(地名はクローズネストパスと通称される)
[編集] 学校生活
- 8時25分までに登校する。
- 遅刻とカウントされるのは30分からであるが、ゆとりを持たせるために5分早い登校時間を定めている。
- 正門、南門のどちらからでも登校が可能であるが、必ず生徒課の教員が立っており、服装のチェックなどが行われる(ネクタイなど、違反した物は担任へ報告される)。図書館横の通用口からの登校は禁止されている。放送委員会は朝の放送をしているが、選曲は毎朝たいてい同じオルゴール音等である。
- 朝のホームルーム(8時30分~8時45分)
- 担任からその日の連絡事項等が伝えられる。クラスによっては、読書や課題・レポートなどの時間に割り当てている所もある。全校朝礼がある場合、この時間に行われるが、アリーナは全校生徒を収容できないために、一部のクラスは教室で放送を通じて朝礼を聞く。
1時限は45分間。その後10分の休憩がある。
- 1時間目 (8時50分~9時35分)
- 2時間目 (9時45分~10時30分)
- 2時間目終了後の休み時間から、多目的ホールにて弁当販売予約の受付が始まる。料金は前払い制で、メニューはほとんど500円程度。
- 3時間目 (10時40分~11時25分)
- 4時間目 (11時30分~12時20分)
- 昼休みとなる。
- 弁当販売、揚げ物販売、パンの販売が行われる。委託業者は駒場商店街の太田屋、ランチハウス駒場と角屋の3店。弁当は持参も可能。自動販売機(全機生徒利用可能)が最も混み合う。1階にキリンビバレッジ、明治乳業、混合(大塚製薬など)、地下1階にネスレ、コカコーラの販売機がある。但し炭酸飲料の販売は禁止されている。弁当には野菜が少なく、全校生徒の公開アンケートで弁当販売に不満を持つ生徒がいるが、保健所等の指導の影響もあり、販売側も出来る限りの配慮をしている。
- 部活動所属者などはミーティングが行われる。放送委員会によるお昼の放送が行われる。
- 5時間目 (13時5分~13時50分)
- 6時間目 (14時00分~14時45分)
- たいていの日は6時間で授業が終了する。
- 7時間目 (14時50分~15時40分)
以後、補習や自習などでの残留が可能であるが、最大残留時間は18時までである。
図書館や自習室は常時開放。
工業実習の授業は毎週1回、3時限行われる。班が組まれローテーション式に地下実習室で実習を行う。終了した実習については1週間以内にレポートを提出する。(基本的にパソコンを使ってのレポート作成は禁止されている。)
土曜日は第二・第四の隔週が休みで、それ以外の週は4時間目までの午前授業である。
[編集] 進路
が存在する。この他に、就職やカナダへの留学も可能である。
6割以上が日本工業大学に進学している。希望すれば、2004年度開校の日本工業大学専門学校へ進学することも可能。それぞれ内部進学には、評定平均値3.5以上が必要である。なお、建築科は高校に比べて大学での人気が非常に高いため、本校建築科を卒業しても日本工業大学の建築科に推薦されない場合もある(Nコース)。
改革・再編の一環として、近年では工業教育のみならず多様な進路選択にも力を入れている。その一環として、「Project Z」と呼ばれる他大学進学指導チームが組織されており、コース選択者には独自の補習指導等がされる。どの科からも他大学を志望することができるが、特に理数工学科はProjectZへの参加を前提とした学科である(A・Bコース)。ただし特色として、他の進学校では当然のように行われている、大手予備校河合塾の全統模試を活用することだけが中心に説明されており、実現性があるのかは現在のところ定かではない。
また、カナダのアルバータ州に留学する「カナダ長期留学プログラム」を選ぶことも可能。希望者は原則としてNコースを選ぶが、A・Bコースからでも志望することができる。カナダでは、最初の1年はアルバータ州にある本校研修所でESL中心の学習をしながらホームステイをし、2年目は提携校であるen:Lethbridge_Community_College(レスブリッジ・コミュニティ・カレッジ)にて工業や経済、心理学などを学ぶ。2年目を修了した時点でカナダにおける短大卒業の資格が得られ、そのまま日本工業大学に編入するか他大学に進学、もしくは就職する道を選ぶことができる。
Webサイトや校内紙東工新聞によると、校長は将来進学型の学校を目指すとの方針を表明し、全校朝礼などでは普通科の設置をするとの発言もしている。理数工学科の卒業生の将来的な進路は、偏差値50以上の大学進学が半数になるのが目標と掲げている。
[編集] 学科
一・二類に属さない、中高一貫六年制の生徒も存在する(O・P組)。1クラス内に、機械・建築・電気科が共存。
電気電子科を卒業すると第二種電気工事士の一次試験が免除される。
2007年3月をもって上記学科を終了
- 2007年4月の学科構成(予定)
[編集] 学校行事
- 6月
- 前期中間試験 - 3年生修学旅行
- 7月
- 授業公開 - 交通安全講習会 - 3年生日本工業大学推薦夏期講習 - 各種資格検定講習会
- 8月
- 夏季休業 - 各部活動合宿
- 10月
- 秋季休業 - 後期始業式 - 芸能鑑賞会 - 科目選択ガイダンス - 体育デー(体育祭が中止になった場合)
- 12月
- 後期中間試験 - 冬季休業 - スキー教室
- 1月
- 入学願書受付 - 生徒会献血
- 2月
- 学年末試験 - 入学試験 - 課題研究発表会
[編集] 生徒会活動・部活動など
[編集] 運動部
- レスリング部
- アーチェリー部
- 体操競技部
- サッカー部
- 卓球部
- 野球部(硬式)
- バレーボール部
- 陸上競技部
- 山岳部
- 柔道部
- 剣道部
- スキー部
- 水泳部
- テニス部(軟式・硬式)
- ゴルフ部
- バスケットボール部
[編集] 文化部
[編集] 愛好会
[編集] 委員会
生徒会会長・副会長は毎年12月に選挙で決定する。2007年度は開校以来初めて、女子の生徒副会長が就任することが決定した。
[編集] 沿革
- 1907年12月18日 設立認可、校名、東京工科学校。設立者・古川武一(校主)、顧問・古賀廉造。初代校長に理学博士・徳永重康就任。校舎は小石川水道端町、元中国人教育のために創設された東京実科学校で、当時時局の変動により留学生が去ったためこの校舎を用いた。
- 1908年2月 開校、生徒数70名。季節に因み帽章は梅花を交錯する。今日の「工高」の二文字が「工科」となっていた。
- 1908年4月 学科は電工科、機械科、建築科、採鉱冶金科の4科。
- 1911年8月 校舎神田錦町3丁目24番地に移る。
- 1912年3月 土木科設置。
- 1913年1月 設立者(校主)を古賀廉造に変更。
- 1923年9月 関東大震災により、校舎全焼。
- 1923年12月 仮校舎落成、全員同校舎にて授業開始。
- 1927年1月 伯爵・大木喜福顧問に就任。
- 1931年6月29日 組織を変更し、財団法人東京工科学校設立。理事長に大木喜福就任。実業高校令工業学校規定による小学校卒業を入学資格とする5年制(甲種)の東京工業学校を設置、昼間部に機械科、夜間部に土木科を置く(夜間部は高等小学校卒、4年制)。
- 1935年3月 東京工科学校の校名を東京高等工科学校と改称、(学制を改めて、小学校卒を入学資格とする3年制の乙種工業学校とし、前記甲種工業学校と併設、昼間部に機械科、建築科を設置、夜間部は従来通りとする。)
- 1935年10月9日 法人名を財団法人東工学園と改称。
- 1939年12月 目黒区駒場に校地購入、2,444坪。
- 1943年8月 長野県上高地に健康修練所を開設。(1943~44年)
- 1943年12月 東京工業高校の学科を昼夜共に、機械、建築、土木の3科とする。
- 1945年2月 戦災により木造校舎、実習工場および設備、鉄筋コンクリート校舎1・2階全焼。
- 1945年4月 新学制により東工学園中学校を設置。(1947年4月1日認可)
- 1948年4月 東京工業学校を廃止、東京工業高等学校を設置(1948年3月10日認可)。
- 1948年4月 目黒区駒場町751番地の現在地に校舎落成、神田より駒場に移転。
- 1948年5月 東京高等工学科学校設置。(1948年5月13日認可)
- 1951年3月14日 法人名を学校法人東工学園と改称。(1951年3月7日認可)
- 1956年9月 木造校舎(6教室)落成。
- 1957年4月 全日制土木科を廃止。機械工作科を設置。
- 1958年5月 鉄筋第1校舎完成。
- 1958年11月 創立50周年式典を行う。
- 1959年8月 後援会、新潟県赤倉に土地8,000坪を購入。
- 1960年4月 東高学園中学校生徒募集再開。
- 1961年12月 新潟県赤倉に東工赤倉荘(鉄筋3階建て)完成。
- 1962年4月 全日制課程に電気科、工業計測科を設置、定時制課程に電気科を設置。
- 1964年5月 後援会、静岡県富戸に土地1,200坪購入、臨海施設富戸7月完成。
- 1964年12月 鉄筋第3校舎完成。
- 1967年4月 日本工業大学開学。(1967年3月25日設置認可)創立60周年を迎える。
- 1967年5月 東京高等工科学校を開校、普通高校卒業生を対象とした1年制の日本工業大学進学コースを開設。(1976年まで)
- 1968年11月 創立60周年記念式典を行う。
- 1969年9月 中華民国台湾高英高級工商職業学校と姉妹校盟約を締結。
- 1972年10月 地下トレーニングセンター(940m2)完成。
- 1972年12月 山形県米沢・天元台に日本工大セミナーハウス(651.31m2)完成。
- 1974年3月 定時制課程募集停止。
- 1975年10月 後援会売店(318m2)新築。
- 1977年4月 機械工作科を機械科に統合。第I類日本工業大学進学コースを新設。
- 1977年9月 東工赤倉山荘増築。(2,763m2)
- 1977年11月 創立70周年式典を行う。(於 日本工業大学)
- 1979年6月 文部省より研究開発学校に指定される。(1984年3月まで)
- 1981年9月 図書館・空調実験室完成。
- 1982年4月 日本工業大学大学院工学研究科修士課程設置。(1982年3月17日認可)
- 1983年5月 東工学園下田寮完成。(土地6,414m2)
- 1987年3月 日本工業大学大学院工学研究科博士課程設置。(1987年3月18日認可)
- 1987年4月 電子機械科を設置。(1987年1月10日認可)
- 1987年6月 創立80周年記念式典を行う。(於 帝国ホテル)全校舎に冷暖房工事を実施。
- 1987年6月 ミニSL国際フェスティバル開催。(於 日本工業大学)
- 1989年4月 電気科の学科名を電気電子科に改称。(1988年10月26日認可)
- 1990年4月 法人名を学校法人日本工業大学、高校名を日本工業大学付属東京工業高等学校、中学校名を日本工業大学付属中学校にそれぞれ名称変更。(1990年3月22日認可)
- 1992年4月 工業設計科を制御システム科に名称変更。(学年進行)
- 1995年4月 日本工業大学情報工学科設置。(1994年12月21日認可)
- 1997年6月 中学校、高校校舎改築工事着工。
- 1997年6月 創立90周年記念式典を行う。(於 日本工業大学)
- 2005年4月 設置学科を新設、変更。新たに理数工学科、国際工学科を設置。一類、二類制度を廃止し、電気電子科、建築科、機械科で募集し授業を開始した。(学年進行)
- 2006年4月 創立99年間男子校であったが、理数工学科(特進コース・マスターコース)・国際工学科にて男女共学化。
- 2006年6月 AEDをエントランスホールに設置。
- 2007年1月 防犯対策のため、防犯カメラと非常ベルが各階に設置される。朝礼においては附属池田小事件や、それに影響されて発生した2ちゃんねるVIP板等における"犯行予告書き込み"の対策であると説明された。
[編集] 今後の予定
- 2007年4月 - 創立100周年記念ホール完成予定
- 2008年4月 - 新たに普通科(特進コース/理数特進コース/総合進学コース)を設置予定(学年進行)
- 2008年4月 - 日本工業大学付属東京工業高等学校から日本工業大学駒場高等学校へ改名を予定
[編集] 著名な関係者
[編集] 出身者
- 二年進級時に退学したため卒業はしていない。入学してすぐにプロの歌手を志すことを決意し、早々と退学しようと考えたが、嫌いな教員を見返すため、あえて進級した上で退学している。参考リンク
- 本校を中退後、通信制のクラーク記念国際高等学校へ入学、卒業。
[編集] 教職員
- 大石和太郎 (元機械科教員)
- 東海道新幹線の一番列車や昭和天皇の特別列車を運転した元国鉄運転士。2005年5月のJR福知山線脱線事故発生時に読売新聞の取材を受けた際には、最大の事故原因は運転士の教育方法にあると指摘した上で「定時運行が最も安全」であると強調した。
[編集] 校歌
明治時代に制定された。そのため、「正しき国に技」など、ナショナリズムを強調する内容も含まれているが、特に問題視されたことはない。
文語的要素の混ざった歌詞であるため、4番まで完全に暗記している生徒は少ない。そのため全校朝礼などにおいては、1番と2番のみが省略されて歌われる。ピアノやCD音源も存在するものの、現在では正式な式典以外では前奏のコーラスから完全にアカペラで歌うことが恒例化している。
東京工業高校校歌
作詞 本田 信寿 作曲 堀内 敬三
同じ校歌が制定されている付属中学校のWebサイトに歌詞が記載されている。
[編集] 指摘されている問題点
本校では大森和夫校長就任後、カリキュラムの再編や授業体制の強化など、急速な改革が進んだ。 しかし、それにより新たな問題点や歪みが生じているとの声もある。 2003年頃には以下のような例が見られた。
- 上層部の指示により、生徒の積極的なノート取りを推奨する内容の張り紙を職員室に掲示していたが、生徒に対しては、効率的なノート取りに繋がる対策や環境作りが一切されなかった。そのため、以前は生徒が自分なりにわかりやすい方式で書いていたノートのチェック体制のみが強化され、適合しない生徒が不都合を得るなど混乱を招いた。
- 3年次の前期中間試験終了時、数学の授業体制が突如"数学IIIを行うクラス(理系向け)"と"数学Iの復習を行うクラス(センター試験受験者、文系向け)"へ習熟度別に分離された。本来3年次最初に行うものであるが、保護者には生徒の希望によるものだとの説明しかされなかった。
- 卒業式と同時期に、既に2月末までに決まっていた生徒の進路を校内紙に掲載していた。当時から「Project Z」が発足していたにも関わらず、国立大後期日程や私立大入試に取り組んでいる一部生徒への配慮がされていなかったと問題視された。また、2月末以降に進路が決定した生徒は、最終的に校内紙に掲載すらされずに卒業を迎えた。このようなミスは一般的な高校では見られず、受験生の取り扱いに慣れていなかった事の表れといえる。
- 東工祭開催時、生徒が模擬店を開くことが禁止され、完全に保護者が中心となって行われていた事が問題視された。この反動から、翌年は校長の意向もあり生徒の自主性を尊重したカリキュラム・東工祭となった。しかし生徒に重要ポストを任せすぎたためにかえって効率が悪くなり、再編の検討を迫られるなど悪循環に陥っているとする声がある。
- 東工祭において、工業高校色を前面に押し出しすぎたため、ものづくりに関係のない出し物は一切認められなかった。(一部生徒会を除く)
- 付属の日本工業大学に進学を希望しない生徒も、例外なく日本工業大学への進学テストを受験させられたり、日本工業大学への学内進学説明会に強制参加されていた。
- 英作文の授業なのにも関わらず、試験では英文法のみの問題を出題する授業が一部存在した(本校では「英語B」という科目である)。同時に授業の一部差し替えに対する教員の説明責任の欠落も指摘された。また、英文法の授業で準動詞の分野には触れられなかった。生徒の間では、教員の引継ぎ時の不手際や、難易度に配慮しすぎためではないかと原因が推測された。
- いわゆるゆとり教育施行直前の旧カリキュラムにおいて、新カリキュラムへの移行準備として、それぞれ2年、3年時に行うはずであった旧カリキュラムにおける数学Cの行列、数学Bのベクトル、数学IIの三角関数を1年時に先行して行っていた。この結果、2年になってから数学Bの教科書をほとんど使わなくなってしまい、多くの生徒が疑問を持った。その後、一部の教員が生徒に教科書を買わせたことを謝罪していたが、学校としては生徒や保護者に何の説明もしていなかった。
- 生徒総会時に、生徒側の質問に教員1人のみで対応しており、生徒会の意向を反映させる意思が無いことへの表れだと問題視された。
- 上層部の教員のほとんどが本学出身、あるいは一般受験の経験がない工業高校出身者のため、他大学への進学知識が乏しく、Project Z発足以前の受験指導はこれまで早慶外語ゼミの出張講義等にほぼ任せられていた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
学校法人日本工業大学関連
その他
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