虻田郡
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虻田郡(あぶたぐん)は、北海道西部、胆振支庁と後志支庁にまたがる郡。
1869年に北海道に11国86郡が設置されると、この地は胆振国虻田郡とされた。1897年に支庁制が施行されると室蘭支庁(1922年より胆振支庁)の管轄となったが、1899年に倶知安村が岩内支庁に移管された。1910年に岩内・寿都・小樽の三支庁を後志支庁に統合する際、虻田郡の一部がこれに編入された。
以下の6町2村を含む。
[編集] 沿革
- 1899年5月9日 - 郡内の倶知安村が室蘭支庁から岩内支庁に移管される。
- 1902年4月1日 - 二級町村制施行により虻田村と弁辺村が成立する。(2村)
- 1906年4月1日 - 二級町村制施行により真狩村と狩太村と倶知安村が成立する。(5村)
- 1910年3月1日 - 新設の後志支庁に倶知安村が岩内支庁から、真狩村と狩太村が室蘭支庁から移管される。
- 1910年4月1日 - 倶知安村から東倶知安村が分立する。(6村)
- 1915年4月1日 - 倶知安村が一級町村制を施行する。
- 1916年4月1日 - 倶知安村が町制を施行して倶知安町となる。(1町5村)
- 1917年4月1日 - 真狩村から喜茂別村が分立する。(1町6村)
- 1920年6月1日 - 虻田村から洞爺村が分立する。(1町7村)
- 1920年6月 - 喜茂別村が有珠郡徳舜瞥村(現在の伊達市大滝区)の一部の地区を編入する。
- 1922年4月1日 - 真狩村から真狩別村が分立する。(1町8村)
- 1922年8月 - 室蘭支庁が改称して胆振支庁となる。
- 1923年4月1日 - 東倶知安村が一級町村制を施行する。
- 1925年2月1日 - 真狩村が改称して留寿都村となる。
- 1932年6月1日 - 弁辺村が改称して豊浦村となる。
- 1938年4月1日 - 虻田村が一級町村制を施行する。
- 1938年10月1日 - 虻田村が町制を施行して虻田町となる。(2町7村)
- 1940年4月1日 - 東倶知安村が改称して京極村となる。
- 1941年12月1日 - 真狩別村が改称して真狩村となる。
- 1947年7月1日 - 豊浦村が町制を施行して豊浦町となる。(3町6村)
- 1950年9月1日 - 狩太村が町制を施行して狩太町となる。(4町5村)
- 1952年7月1日 - 喜茂別村が町制を施行して喜茂別町となる。(5町4村)
- 1962年5月1日 - 京極村が町制を施行して京極町となる。(6町3村)
- 1964年10月 - 狩太町が改称してニセコ町となる。
- 2006年3月27日 - 虻田町と洞爺村が合併して洞爺湖町となる。(6町2村)
[編集] 名前の由来
「虻田」の由来については虻田町の項目を参照。