近郊形電車
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近郊形電車(きんこうがたでんしゃ)とは、概ね大都市から50~200km前後の中距離を走行する列車向けの車両に対する呼称である。
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[編集] 概要
元来は日本国有鉄道(国鉄)の電車の用途による区分の一つであり、長距離客向けに座席数をある程度確保しつつ、乗降に要する時間を短縮するために出入口を片側3箇所に配置した仕様の車両をこのように区分していた。中距離輸送に適した車内設備と性能を持った電車といえる。
車体の構造としては、片側3箇所にドアを設けて、ドア付近には2~3人掛けのロングシート(横向きシート)を設け、ドア間にはクロスシート(ボックスシート)を設けるのが基本的な構成である(以下、本項ではこのような座席配置を「セミクロスシート」と記述する)。ラッシュ時における乗客の乗降しやすさと、昼間時の居住性を両立するためにこの構造が考え出されたもので、「通勤形電車」と「急行形車両」の中間的な構造といえる[1]。そのため、従来の車両に比べてシートピッチ(座席の前後の配置間隔)と座席の横幅を狭くして、通路の面積を広くとっている。
これらの車両は、東京・大阪の大都市圏の中距離電車(大阪圏の快速に相当する列車)といわれる、拠点駅から50~200km程度の範囲での運用が多いが、地方都市圏では都市間を結ぶ普通列車に充当されるケースが多い。これは、通勤形電車では駅間が長距離となり、居住性が確保しづらいことと、電車化する際に新車を製造する先を東京・大阪の大都市圏に行い、その際に比較的状態がよい車両を地方に持っていくという方式が多かったためである。
現在では扉数は3箇所とは限らず、座席も様々である(後述の「実情に合わせた変化」・「分割民営化後」も参照)。
[編集] 近郊形電車の歴史
[編集] 基本構成の確立
国鉄でこのタイプの車体を最初に採用したのは、1935年製のモハ51形電車である。従来の2扉クロスシート車と3扉ロングシート車の長所を併せ持つ形式として製造された。戦時色が濃くなると、これらは全てロングシートに改造されていったが、戦後の混乱が落ち着いてくると徐々にセミクロスシートに復元される車も現れ、モハ51の戦後版ともいえる70系電車が1951年に登場すると、このタイプの電車は、都市近郊輸送の主役となっていった。
1961年には常磐線、鹿児島本線電化用に401・421系電車が登場し、それまで片開きであった扉を両開きとして、現在に連なる近郊形電車の基本的フォーマットを確立した。また、この形式から正式に「近郊形電車」という区分が設定されている。翌1962年にはその直流版である111系電車が横須賀線に登場し、1963年からは111系に高出力電動機を採用した113系電車、寒地向け勾配線用の115系電車などが登場している。
これらの近郊形電車はおよそ20年間にわたって基本設計を変えることなく、標準系列としてマイナーチェンジを繰り返しながら製造され続けた。
[編集] 実情に合わせた変化
しかし、この基本構成はもともと大都市近郊の事情に合わせたものであり、電車運転線区の拡大に伴い実情に合わなくなってくるケースが見られ、概ね1970年代末頃からはそれまでの全国一律の統一的仕様ではなく、基本的な設計思想は引き継ぎながらも使用地域の輸送事情に適合させる例が登場する。
1967年に登場した711系電車では、北海道の苛酷な気象条件を考慮し、近郊形電車ながら前後2扉、デッキ付きで座席は戸袋部分を除きクロスシートとなった。しかしこれは特殊な例であり、他地域ではこれ以降も引き続き113系・115系や415系などの標準仕様車両が投入されている。
1978年に製造された417系電車では、地方都市での普通列車に使用される前提で両開き2扉セミクロスシートという構造が採用された。これは地方都市で用いられていた一般形気動車に準じた接客設備であり、地方都市向け近郊形電車の標準形として確立し、その後に製造された713系・413系・717系電車にも受け継がれたが、その後は国鉄財政事情の悪化が進み、地方都市向け電車の多くを特急・急行形電車の改造・転用で賄うこととなったため、結果的にこの仕様の車両は少数の製造にとどまっている(次項「#他用途の車両からの転用」を参照)。
並行私鉄との激しい競争にさらされていた関西地区では、1979年に新快速用として117系電車が投入された。この車両は、並行私鉄の特急車両が転換クロスシート装備であり、それまで新快速に使用されていた153系電車のボックスシートでは見劣りがするため、2扉車体に転換クロスシートを装備した仕様を採用したもので、ロングシートは全くなかった。
一方、関東地区では、郊外の住宅地の拡大により増え続ける乗客を捌くため、1982年には415系電車に普通車すべての座席をロングシートとした車両が製造された。また、1985年には415系電車で、セミクロスシートの車端部をロングシートとした車両も登場している。この仕様は、国鉄分割民営化を視野に入れた新型車両である211系電車でも採用された。
このほか、1982年には使用線区を飯田線に特化し、同線の事情に合わせて設計された119系電車が、四国島内の電化が実施された1986年には四国島内向けの121系電車が、瀬戸大橋線開業が間近となった1987年には同線向けに117系に準じた2扉車体・全席転換クロスシートの213系電車が、それぞれ製造されている。
[編集] 他用途の車両からの転用
また、国鉄末期に設備投資が抑制されていた時代には、余剰となった他の用途向けの車両を近郊形に改造する工事も行なわれている。
1984年に、当時東北・上越新幹線の開業により余剰となった特急形寝台電車581・583系電車を近郊形に改造し、419系・715系電車が登場した。この車両は、2扉セミクロスシートという状態にはなっていたものの、特急形車両時代の客用扉はそのまま流用、洗面台のあった部分も完全に撤去するわけではなくカバーをかけただけと、最小限の改造だけで使用されることになった。
また、特急への格上げにより余剰となった交直流急行形電車についても、交流電化区間の機関車牽引の客車列車を電車に置き換えるため、転用するための改造が行なわれている。改造内容は、急行形車両では1m幅の客用扉が2つあったため、車両の出入口付近をロングシート化したり、出入台との仕切扉を撤去するなどの小規模な改造を施工した。これらの改造は「近郊形化改造」とも呼ばれた。一部では、417系電車と同等の車体へ載せ替えも実施されたが、少数にとどまっている[2]。
国鉄最末期の1986年には、郵便・荷物列車の廃止に伴い余剰となった郵便荷物用電車を改造したクモハ123形電車も登場している。郵便荷物用電車は単行(1両)運転が可能であり、この特性を生かして閑散路線における合理化を図り、ワンマン運転も可能な車両として改造された。
[編集] 分割民営化後
国鉄分割民営化後は、近郊形車両はそれまで以上に地域ごとの実情が反映されるようになった。
1988年にはJR北海道において、3扉車体で転換クロスシートという国鉄時代には採用されていなかった新しいレイアウトを持つ721系電車が製造された。この3扉転換クロスシートの構造は他社にも波及し、翌1989年、同様の構造を持つ車両としてJR西日本では221系電車を、JR東海では311系電車を、JR九州では811系電車をそれぞれ製造している。その後もJR西日本の223系電車、JR九州の813系電車、JR四国の6000系電車、JR東海の313系電車など、JR東日本を除く各社で同様の接客設備を持つ車両が製造されている。また、JR四国においては、クロスシートとロングシートの配置を工夫し、適度な収容力を確保した7000系電車を1990年に登場させている。
一方、JR東海の中央西線や、JR東日本の東京圏など、混雑緩和が主要命題となった地区では、逆に全ての座席がロングシートとなり、収容力を増大させた車両が増加した。JR東日本においてはこの考えがさらに進み、1994年に登場したE217系電車では片側4扉の車体が全面的に採用されるとともに、ロングシートを装備した車両も製造され、車体の面では通勤形電車とほとんど差がなくなってしまった。さらに、2000年に登場したE231系電車では、「近郊形電車」と「通勤形電車」を統合した「一般形電車」となり、一部セミクロスシート車を組み込んでいるか全車両ロングシート車であるか、またトイレの有無等、若干の仕様や性能の違い以外は基本的に同一の車両であり、近距離路線と中距離路線の双方に投入されている。
JR東日本では1993年以降、首都圏だけでなく地方都市圏においても701系電車やE127系電車など、ロングシート車の投入を進めた。JR東日本以外でも、JR九州の815系電車やJR東海の313系2000番台など、地方都市圏用でありながら一部の車両をロングシートで増備したケースも見られる。
[編集] 注記
- ^ 性能的にも、高速性能と加減速性能を両立するため、電動車の歯車比は通勤形(5.60or6.07)と急行形(4.21)の中間の4.82とされている。ただし最近ではモーターの出力が大きくなったこともあり、通勤車と同じ歯車比を採用しているものもある。
- ^ 国鉄457系電車・国鉄413系・717系電車の項も参照されたい。
[編集] 関連項目
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