国鉄113系電車
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国鉄113系電車(共通事項) | |
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113系2000番台(名古屋駅) | |
起動加速度 | 1.6km/h/s(MT比1:1時)km/h/s |
営業最高速度 | 100km/h(高速化改造車は110km/h)km/h |
設計最高速度 | 100km/h(高速化改造車は110km/h)km/h |
減速度 | 3.0km/h/s(常用最大)
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全長 | 20,000mm |
全幅 | 2,956mm |
全高 | 4,077mm |
車両重量 | 31.6t(クハ111) ~38.6t(モハ113) |
軌間 | 1,067mm |
電気方式 | 直流1,500V |
歯車比 | 1:4.82 |
駆動装置 | カルダン駆動方式 |
制御装置 | 抵抗制御 |
ブレーキ方式 | 発電ブレーキ・電磁直通ブレーキ |
国鉄113系電車(こくてつ113けいでんしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が開発した直流近郊形電車。また、本稿では113系の設計のベースとなった国鉄111系電車についても解説する。
目次 |
[編集] 車両概説
[編集] 111系
湘南電車(東海道本線東京地区普通列車)には1950年代末期から1960年代初頭にかけて80系と153系が使用されていた。しかし両形式は片開きの2ドア・デッキ付き構造でラッシュ時の客扱い能力に難があり、打開策として3ドアの近郊形電車を投入することになった。これが111系である。
1960年に常磐線用に開発された交直流電車である401系の直流専用型というべき位置付けで、出力100kWのMT46系直巻電動機を搭載することも共通する。
台車は、電動車用は401・421系用と同一のDT21B形であるが、付随車用台車はブレーキ頻度の高さを考慮して、401・421系に使用している踏面ブレーキ式のTR64形ではなくディスクブレーキ式のTR62形とされた。
前面形状については、同時期に製造されていた401・421系と同じ高運転台構造とされた。前照灯は落成時点では大型タイプで、のちに前面強化工事と併施で小型のシールドビームに改造された車両もある。また、クハ111形のうち静岡・神戸方(偶数向き)に連結される車両は、床下に電動空気圧縮機(CP)を搭載することから、300番台に区分されている。
相前後して出力120kWの強力型モーターMT54系が開発されたため、直流近郊形電車もこれを搭載した113系に移行し、111系の新規製造は1962年~1963年と短期間に終わっている。
1962年に東海道本線用として大船電車区と静岡運転所に導入され、秋には横須賀線にも進出した。この際には前面にスカ色のヘッドマーク形行先表示板が取付けられていた。1974年以降、113系0'番台(後述)の投入によって大船電車区車は広島運転所へ転出し、その後は東海道本線静岡地区と山陽本線広島・下関地区で集中使用された時期が長かった。これらは国鉄末期から廃車が始まっていたが、1987年の予讃本線の電化に際して一部(モハ111/110-13・24・36、クハ111-6・11・28、303・317・323)が4両編成3本を組んで四国(高松運転所)に転用され、そのまま四国旅客鉄道(JR四国)に承継された。JR化後の1988年に車籍が8両復活したが(モハ111/110-3・4、クハ111-2・10・27・29)、この時に車籍編入されたクハ111形は上り向き用の0番台ばかりであったため、同年2両(10・11)が下り向きに方転改造されてクハ111形3000番台(3001・3002)となった。JR四国の111系は独自塗装を施すとともに、集約分散形AU101形を用いて冷房化改造も受けて主にラッシュ時の列車に使用されてきたが、老朽化により6000系や後述の113系改造車に置換えられて、2001年3月に全車が運用を終了した。
現在、クハ111-1が佐久間レールパークに保存され、また、モハ111/110-1が浜松工場で保管されている。
[編集] 形式
順番は過去からの慣例に準じる。
- モハ111形
- モハ110形とユニットを組む電動車(M)で、主制御器、主抵抗器、電動発電機(MG JR四国車は冷房改造時に撤去)を搭載する。
- モハ110形
- モハ111形とユニットを組む電動車(M')で、パンタグラフと空気圧縮機(CP)、サイリスタインバータ(SIV JR四国車のみ)を搭載する。
- クハ111形
- 111・113系を通しての制御車(Tc)である。3位側隅にトイレと、偶数向車のみCPを持つ。同時期に登場した115系と異なり、奇数(東海道本線基準で東京駅方)向が0番台(Tc)、偶数(神戸駅方)向が300番台(Tc')と区別されているが、非冷房車は奇数向・偶数向双方に使用が可能な両わたり構造となっている。
[編集] 113系
1962年(昭和37年)に先行開発された上記の111系をもとにモーター出力を強化したもので、1963年から1982年にかけて約2,900両もの多数の車両が製造され、主に本州内の平坦で温暖な地域の路線で広く普通列車から快速列車に用いられた。また、関連系列として寒冷・急勾配路線用の115系がある。
JR移行後の現在も東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・四国旅客鉄道(JR四国)の各社に多数在籍しており、主に普通列車に運用されている。
113系の形式における新造車および改造車は以下の通りである。ただし、グリーン車については後述する。なお、順番は過去からの慣例に準じる。
[編集] 新造形式
ここでは、113系の新造時から存在する形式を紹介する。
- モハ113形
- モハ112形またはクモハ112形とユニットを組む電動車(M)で、主制御器と主抵抗器を搭載する。111系でM車が搭載していた電動発電機(MG)は、主回路機器容量増大にともないM車がぎ装上輻輳するため、113系ではM'車に搭載車が変更された。
- モハ112形
- モハ113形またはクモハ113形とユニットを組む電動車(M')で、パンタグラフ、MGおよび空気圧縮器(CP)を搭載する。
- クハ111形
- 111系の「クハ111形」参照。
- サハ111形
- 付随車で、400・1500・2000・7000番台と5801以外はトイレを持つ。クハ111形と合わせて111が付番された。2000番台の登場時まで地上用のサハは5両しか製造されなかったため、1000番台初期製造車を転用したり、モハからの改造車やサハ代用のクハが多く存在した。現在急速に廃車が進んでいる。
[編集] 改造形式
ここでは、113系が改造された時に発生した形式を紹介する。
- クモハ113形
- モハ112形またはクモハ112形とユニットを組む制御電動車(Mc)である。改造車のみで、すべてモハ113形を種車とする。
- クモハ112形
- モハ113形またはクモハ113形とユニットを組む制御電動車(Mc')で、こちらも改造車のみである。すべてモハ112形を種車とする。
- クハ113形
- JR四国が購入したクハ111形0番台に付与した形式である。
- クハ112形
- JR四国が購入したクハ111形300番台に付与した形式である。
[編集] 新規製造車詳説
ここでは、新規に製造された113系の番台区分を地上線向と地下線向に分けて解説する。改造車両の番台区分については次節を参照のこと。
[編集] 地上線向け
[編集] 0番台(初期車)・0'番台(新製冷房車)
定員 | 座席63(クロス36・ロング27)・立席49(先頭車) 座席76(クロス48・ロング28)・立席52(中間車) |
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保安装置 | ATS-P.SW.ST | ||
備考 | 111系も同一 |
1963年(サハ111形のみ1969年)から製造され、当初は東海道本線東京地区および横須賀線に投入され、1964年には京阪神地区にも投入された。構造上は111系のモーター出力を増強したのみで、外観的にもほとんど変化はなく、相互に連結も可能である。付随車および制御車については111系そのままで、形式および番号も111系の続番であり、これはその後の113系に共通している。ただし先頭車の雨樋が乗務員室扉上まで延長された点が異なる。また屋上のベンチレーター(通風器)の形状、配置が数次にわたって改められている。これは401・421系及び403・423系でも同様の変遷が見られる。
なお、横須賀線の0番台車については東京駅の地下ホーム乗入れにともなう難燃化対策の必要から1970年代以降すべて後述の1000番台車に置換えられている。
1970年に冷房試験車が京阪神地区に投入されている。これは103系の場合とは違い改造車であったが、試験の結果は良好で、国鉄時代は一部車両に対しほぼそのままの様式で冷房改造が進められた(後述)。
また、国鉄時代には寿命延長とサービスアップを兼ねた特別保全工事が行われたほか、前述の冷房改造や前面構造強化などの改造工事もJR化後に至るまで長期にわたって行われた。特にJRになってからの改造は会社・地域毎に差異が多く見受けられ、個々の車両の特徴ともなった。
地下乗入仕様車を重点的に登場させるため0番台の製造は1969年で中断となった。1974年に製造が再開するが、これ以降製造された車両は製造時からの冷房搭載車となり、車体構造が後述の1000'番台に準拠することなどから、非公式の呼称ではあるが「0'番台」と区別されることが多いため、1000番台の項を合わせて参照のこと。なお、0'番台に相当するサハ111形は-5の1両のみであった。
東海道本線・伊東線・伊豆急行線・房総地区各線・阪和線などで長きにわたって使用されてきたが、近年は老朽化により千葉以遠の房総各線で使用されている幕張車両センターの0・1000番台初期車について国府津車両センターの0'・1500・2000番台への置換え(2006年10月から高崎車両センターの211系も加わる)が進行中である。1990年代後半から2000年代初頭にはその転用の際にリニューアル工事を施工された車両も存在したが、113系自体が製造終了後20年以上経過し、余命を考慮して2007年現在では新規施工は中止されている。なお、東海道本線東京口で使用されていた編成については2006年3月17日に運用を終了した。また、静岡地区で使用している編成も2007年3月17日で定期運用を終了した。
[編集] 700番台
1974年から1976年に製造された湖西線用の寒地向仕様車で、全車が新造時から冷房装置を搭載して落成した。113系の走行装置に115系300番台の車体を組合せたものと見ることができ、客用扉の半自動対応化、前面タイフォンへのシャッター設置、スノープラウ設置が他の113系と比べて目立つ相違点である。
国鉄の分割・民営化時には全車がJR西日本に承継された。1991年からは後述の高速化改造が施工され、全車が番号に5000を加え5700番台となった。その後高速化対応を解除し、原車号に戻った車両も存在している。2003年3月からは舞鶴線と、2003年(平成15年)3月15日より電化された小浜線にも使用されるようになり、2007年現在では湖西線の他に山陰本線京都口(嵯峨野線)や草津線で運用されている。
小浜線では125系がワンマン運転を行っているのに対し、113系は4両編成でありワンマン運転用設備を装備していないことからワンマン運転は行わず、運用されるダイヤも限定されていた。 その後、2006年(平成18年)9月24日に北陸本線湖西線の長浜・永原~敦賀間の直流電化への切替に伴うダイヤ改正で125系が増備され予備車が共通化された事から2006年10月20日をもって小浜線の営業運転を終了している。
[編集] 2000番台
113系2000番台 | |||
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定員 | 座席60(クロス36・ロング24)・立席49(先頭車) 座席72(クロス48・ロング24)・立席52(中間車) |
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保安装置 | ATS-P.SW.ST |
1978年から製造された0番台の直系にあたる温暖地向仕様の番台区分で、クロスシート部の座席間隔(シートピッチ)の拡大(1,420mm→1,490mm)・形状変更とこれに伴う窓の割付の変更、座席定員の減少などがなされている。2007年現在もJR東日本・東海・西日本に多数在籍している。奇数向先頭車のクハ111形2100番台は-2145までがトイレなし、-2146以降はトイレ付きである。また後期に製造された分は屋根上冷房装置横のランボード(歩み板)などの構造が201系量産車に準じている。
1980年から登場のサハ111形2000番台のうち、2001~2007・2009~2012・2025は1983年~2000年に当時の大船電車区と幕張電車区に配置されて横須賀・総武快速線で1000'番台に混じって使用されていたが、すでに地上用でも115系300番台以降、車両の耐火基準はA-A基準に沿って製造されていたため、問題はなかった。
東海道本線東京口での営業運転終了に伴い、国府津車両センターから幕張車両センターへの転属車は一部の先頭車を除いてすべて2000番台が対象である。状態の良い車両については房総各線で継続使用し、逆に状態の悪い老朽車については順次解体されている。また、JR東海所有の車両についても313系3次車への置換えに伴い、2006年8月から廃車が開始され、2007年3月までに定期運用は終了した。
[編集] 2700番台
1980年に製造された700番台のクロスシート部のシートピッチ拡大車で、全車がJR西日本に承継し、現在はリニューアル改造を行っている。なお新製は1度しか行っていない2700番台であるが、国鉄時代、またJR西日本に於いて2000(7000)番台に耐寒・耐雪強化を行い、2700(7700)番台の続番に改造された車両も含まれている。
[編集] 地下線向け
[編集] 1000番台(初期車)・1000'番台(冷房準備および新製冷房車)
定員 | 座席63(クロス36・ロング27)・立席49(先頭車) 座席76(クロス48・ロング28)・立席52(中間車) |
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保安装置 | ATS-P.SW |
1972年に開業した横須賀・総武快速線東京地下駅前後の地下区間(錦糸町~品川間)直通を目的に、これに先立つ1969年から製造された、運輸省(→国土交通省)A-A基準の難燃構造を採用した、地下区間乗入対応車両である。A-A基準に適合するよう、パッキン材などごく一部の部品に使用していた木材をすべて廃し、窓やカーテン、床板、腰掛などの材料を難燃性・不燃性材料に変更したほか、火災発生源となりうる抵抗器などの一部機器・回路に発火防止対策を施した。
1972年3月までに落成した車両は外観上0番台とほとんど変わらない。ただしクハ111-1017~1025・1332~1339は落成時より前照灯がシールドビームとされた。
しかし、開業間近の時期に地下区間の信号がATCに変更されたため、同年4月以降に製造される地下区間向け車両にはATC装置を設置し、あわせて冷房装置搭載などの各部の大幅改良を施すことになった。この設計変更で先頭車両の助士席後部にATC装置を搭載(一部は準備構造)し、あわせて運転士側も後方に拡大され、急行形電車と同様の構造となり、従来車では前照灯と幌枠の間にあったタイフォンが下方に移設され、後位側面窓上に行先表示器が付き、側窓もユニット構造となり、屋根が冷房搭載準備構造とされるなど、大きく外観が変わった。トイレは引続きクハとサハの3位側に設置したが、地下線の清浄化と保線作業者の影響を考慮して循環式汚物処理装置を設置した。設計変更されたのはモハ113/112-1055、クハ111-1026/1340、サハ111-1020以降の車両で、初期製造車と区別するために1000'番台と呼ばれることがある。のちに新製時から冷房装置を搭載した車両も登場している。新製冷房車のMGは冷房・制御電源を一体化した160kVAの容量のものを搭載した。これにともないモハ112形車体側面中央扉の熱海側戸袋窓上部に、MG用冷却風取入口を設けた。
この車体構造は、1974年以降に製造される地上用の新製冷房車(0'番台)や115系300番台および415系0'番台でも採用されている。ただし、115系300番台以降の車両と異なり前面強化構造とはなっておらず、後年、前面強化工事が強固に推進されることとなる。地上用の113系や115系、415系については、前照灯がシールドビーム化されたものの、タイフォンは前照灯と幌枠の間にあるほか、ATCの装備は考えられていないため、先頭車両の助士席後部の窓配置は従来車同様となっており1000'・1500番台のそれとは異なっている。
長きにわたって横須賀・総武快速線および房総地区ローカル列車の主力車両として使用されてきたが、東京地下駅への乗入れ用に使用されたのは1000'番台車のみである。初期製造車はもっぱら房総地区(総武本線・成田線・鹿島線・外房線・東金線・内房線)や東海道本線東京口ローカルなどの地上区間で使用されていたが、総武快速線と横須賀線は1999年にE217系に、房総地区は2006年10月に211系3000番台に置換えられて消滅。東海道線も更新工事施工の上最後まで残っていたサハ111-1015が2005年にE231系に置換えられている。
国鉄の分割・民営化時にはほとんどがJR東日本に承継された。初期車のごく少数は国鉄時代に中京圏・近畿圏に転属し、JR東海・西日本に承継されたが、両社の車両は既に全車が廃車されている。JR東日本所属車はこの初期車を中心に更新された。また、初期車のうち国鉄時代から房総地区で使用されていた車両は冷房装置がなかったが、民営化後に集約分散型冷房装置AU712形を2基搭載して冷房化された。
横須賀・総武快速線は全面禁煙としたため、当時の幕張電車区と大船電車区に新製配置された1000'番台には当初から灰皿が取付けられていなかった。幕張配置の1000'番台付属編成は当初から房総各線の普通列車にも使われていたため、列車により全面禁煙であったり喫煙可能であったりする現象が1997年3月のJR東日本管内普通列車全面禁煙まで続いた。
1000′番台は1994年に横須賀・総武快速線に後継車のE217系が登場し、それに置換えられることよって1999年までに同線から撤退した。一部編成が房総地区や東海道線東京口のローカル列車用に転用され、東北本線(宇都宮線)でも一時的に使用された。既に半数以上が廃車されているが、房総地区に残存する一部車両はリニューアル工事が施工されている。なお、横須賀・総武快速線の基本編成に連結していたクハ111-1111は1999年12月に営業運転から離脱するのに合せて、11月11日にイベント列車として使用された。
海沿いなどを長く走るため車体などの傷みも激しく、国府津車両センターからの転属車などによって状態の悪い車両から置換えが始まり、既に初期車は消滅している。
[編集] 1500番台
定員 | 座席60(クロス36・ロング24)・立席49(先頭車) 座席72(クロス48・ロング24)・立席52(中間車) |
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保安装置 | ATS-P |
1000番台の改良増備型として1979年から製造された番台区分で、車体設備を2000・2700番台と同様にクロスシート部のシートピッチを拡大した地下区間仕様の車両である。国鉄の分割・民営化時には全車がJR東日本に承継された。地下区間にE217系が運用開始してからは主に房総地区の普通列車に使用されている他、一部が2005年度まで東海道本線東京口で使用されていた。
奇数向先頭車クハ111形1500番台のうち-1504までがトイレ非設置、-1505と-1506はトイレ設置車である。1505は幕張車両センターで運用番号表示器のLED化を実施している。なお先頭車は助士席後部にATC機器の搭載スペースを確保するため地上用とは窓配置が異なり、また前照灯とタイフォンが他の番台(シールドビーム車)と比べて若干高い場所に位置している。車齢も他の113系より若い1500番台であるが、近年一部車両がリニューアル工事を施工された一方、国府津車両センターに所属していたサハ111形1500番台については転用先がなく廃車が進んでおり、電動車・制御車についても傷みが激しいこともあり、2005年までに廃車・解体されている。
[編集] 改造車
本系列は、長きにわたり大量に製造されたほか、JR各社へ移行後も使用されていることから、地域や時代のニーズに合わせた改造工事が多数施されている。
[編集] 国鉄時代
- 800番台
- 1986年に福知山線宝塚駅~福知山駅間および山陰本線福知山駅~城崎駅(→城崎温泉駅)間の電化開業に伴い、0番台車にドアの半自動化などの寒冷地対策(ただしグローブ形ベンチレーター取付車のベンチレーター交換は施工せず)、および一部の車両の先頭車化改造を施工した番台区分である。改造施工は大船・吹田・鷹取・小倉の各工場と広島車両所・幡生車両所(名称はいずれも当時のもの)。
- 国鉄時代には4両編成9本と2両編成14本の64両が登場した。戸閉機械が従来のTK4形のままで半自動化されるため、開閉時にかかる力が115系よりも大きくなる事から、同様にTK4形で半自動化した103系仙石線転用車や105系可部線用改造車に準じて客用扉の取手が大型化されている。2両編成はすべてモハ113・112形の先頭車化改造車で、一部を除いて冷房改造を同時に施工している。冷房電源用として、MGは食堂車の廃車発生品の70kVAの容量のものに交換されている。また、長距離運用を考慮してクモハ112形にはトイレを設置している。水タンクは床下および屋上が機器で輻輳しているため、トイレの隣に水タンク室を設けて設置している。
- 当時の国鉄の苦しい財政状況から各地の余剰車をかき集めて施工したため、クハ111形の前面形状などはバラバラであった。4両編成の一部は改造後、車両不足を補うため日根野電車区に貸出され紀勢本線を中心に運用され、その後福知山運転所に返却された。全車JR西日本が承継し、主に福知山線と山陰本線で使用されている。
- 1991年、七尾線の電化にともない2両編成は3本を除いてユニットを分割され、クモハ113形は415系800番台に改造。クモハ112形は追加改造されたモハ113形・クハ111形各10両と組んで新たに3両編成化されたが、2000年から2001年にかけてクハ111形を外したうえでモハ113形の先頭車化、およびワンマン運転対応のため3800番台(後述)に改造された車のほかは大半が廃車され、現在は下関車両管理室に転属したクハ111形2両(811・812)のみ残存している。
- モハ113/112-135・134・81・80・163・175・169・160・72・115・145・148・219・230→クモハ113/112=801~814
- モハ113-69・48・146・82・63・101・54・83・86・66・31・30・15・18・164・168・111・12・55→モハ113-801~819
- モハ112-69・48・146・82・63・101・54・83・86→モハ112-801~809
- クハ111-129・384・148・396・114・445・118・376・78・369・112・398・50・467・94・334・95・390・66・68・151・172・442・451・471・432・435・490→クハ111-801~828
- クハ111形は、国鉄改造車(801~818)は、奇数向は奇数、偶数向は偶数番号が付与されているが、JR改造車(819~828)ではこの体系は崩れている。
- 非冷房車の冷房改造(国鉄施工分)
- 試作冷房改造
- 1970年、試作冷房編成が京阪神地区に投入された。同時期に誕生した103系試作冷房車は新製車であったが、113系は在来車の改造車で、サロ112形を含む次の8両が改造種車に供された。
- 東京←クハ111-52+モハ113-55+モハ112-55+クハ111-360+サロ112-14+モハ113-15+モハ112-15+クハ111-369
- クハ111形には冷房電源用110kVA MGを搭載して各車両に冷房電源を供給した。
- 空調装置はクハ111-360とモハ112-15に東芝製AU73X形、モハ112-55とクハ111-369に日立製作所製AU74X形、クハ111-52とモハ113-15・55に三菱電機製AU75X形を搭載して比較することとした。モハ113・112形には扇風機も併用している。サロ112形にはAU13E形を搭載したが、同時期のサロ165形・サロ455形のAU13E形搭載車が5基だったのに対し6基搭載とした。
- 試作冷房車編成は量産化改造ののち編成を解かれ、モハ112形は15がモハ414-810、55がモハ414-804、モハ113形は15がモハ113-813を経てクモハ113-3813、55がモハ113-819を経てクモハ113-3819に改造。クハ111形は52がクハ415-801、360がクハ415-807、369がクハ111-810(2005年廃車)へと改造されている。
- 1971年度冷房改造
- 試作冷房車の使用実績から、冷房装置は小型軽量化にウェイトを置いたAU75X形が標準機種として選定され、通勤形とは異なり扇風機は省略されたがこれを基本としてAU75系として上記3社の手で量産が開始された。冷房電源用MGは、のちの量産冷房車とは異なり、偶数向きクハ111形に容量110kVAのものを搭載して給電する方式をとっている。
- このグループのモハ113形・クハ111形0番台が113系800番台に、クハ111形300番台とモハ112形が、のちに415系800番台のクハ415形とモハ414形の改造種車として活用されている。
- 量産形冷房改造
- クハ111形の方向転換
- サハ111形300番台
- 房総各線で運用している6両編成の一部を4両編成とするために先頭車を捻出する必要があり、1984年と1985年に当時余剰となっていたサハ115形300番台4両を改造して登場した番台区分である。外観は115系時代と全く変わらず、115系の特徴である半自動扉対応の取手などもそのままであった。このため、当番台の側扉開口幅は他車より狭い1,100mmとなっている。301~304が在籍し、全車が国府津電車区(→国府津車両センター)に配置され、東海道本線東京口基本編成にサハ代用で組込まれていたクハ111形に代わって運用されたが、横須賀・総武快速線へのE217系投入による同線からの1000・1500・2000番台の転入に伴い、1995年から1999年にかけて全車が廃車された。この中で302と303がトイレ対向部を除いてロングシート化改造を受けていた。
- サハ111形400番台
- サハ111形300番台と同じ理由で1986年と1988年にモハ113・112形を電装解除して登場した番台区分で、401~404が存在し、奇数号車がモハ113形(273・1058)、偶数号車がモハ112形(273・1058)からの改造車である。サハ111形0・1000番台との相違点は電動車からの改造のため、車体妻面の主電動機への冷却風取入口が存置されている他、モハ112形からの改造車は電動発電機冷却風取入口の存置やパンタグラフを撤去した跡が残っているなどの特徴があった。403・404は、種車のモハ113・112-1058が冷房準備車だったために扇風機のスイッチ跡が残っていた。
- 前述のサハ111形300番台と同様に東海道本線東京口で運用され、のちに全座席ロングシートに改造されたが、300番台と同じ理由で403以外は1998年に、403も2000年に廃車された。
- クハ111形1200番台
[編集] JR東日本
- モヤ113形
- ロングシート化改造
- 車両更新改造
- リニューアル改造
- その他
- JR東日本ではクハ115形からの改造編入車(271~275・570~574)が存在した。サハ111形300番台と同じく扉の半自動扱いのための取手などもそのままであった。
[編集] JR東海
- 5000番台
- 非冷房車を数多く抱えていた113系の冷房化率を向上させるため、1988年にJR東海所有の0番台のうち電源を直流600Vとした集約分散型C-AU711D形インバータ冷房装置と、クハ111形に専用電源である静止型コンバータ(SCV)を搭載した車両に付した番台区分である。モハ112形の制御用20kVA MGは従来のままとしている。番号は原番号に+5000、ただしSCV搭載車は+6000である。これとは別に新製冷房車および国鉄時代に冷房改造した電動車ユニットに連結した非冷房クハ111形(この時点で冷房制御スイッチを取付けてあり、電動車ユニット単独での冷房装置の動作は可能としていた)の冷房化にもC-AU711C形冷房装置を搭載した車が存在した。電源はモハ112形のMGによるため改番はされていない。2000年までに全車が廃車されており、現存しない。
- ATS-P形搭載にともなう改造(600・700番台)
- 東海道本線東京口でのATS-P形使用開始に伴い、1993年と翌年、同地区でJR東日本車と併結運転を行う113系0'・2000番台にATS-P取付改造が施工された。これに合わせて110km/h運転対応のブレーキ力向上が同時に施工されている。改造施工車は、奇数向クハ111形は700番台、それ以外の車両は600番台に改番されている。後年、偶数向クハ111形は側面行先表示器が撤去されてその部分には当板が施されている。また、トイレは偶数向クハ111形のみの使用と改められ、奇数向クハ111形のトイレは業務室扱として閉鎖された。のちに一部のクハ111形はこの装備を撤去して元番号に復帰した。
- クモハ113形2000番台
- クハ111形2200番台
- クハ111形2300番台
- 1999年に不足する奇数向クハを補うためにクハ111形2000番台を方向転換改造した番台区分である。1両のみの改造で、元2033の2333が静岡車両区に在籍している。トイレスペースとCPは残存しているが、ともに使用を停止している。
- モハ112形8000番台
[編集] JR西日本
[編集] 高速対応車
最高速度120km/h対応の221系の登場で、1991年より快速・新快速がスピードアップするのに伴い、運行の障害にならないように台車に増圧装置および応荷重装置を取付け(2000・2700番台は整備)、制輪子を交換するなどして高速域からの減速力が強化された車両である。台車バネやモーターなどについては特に改造前と変化がない。
対象となったのは向日町運転所(現・京都総合運転所)・宮原運転所(現・宮原総合運転所)・網干電車区(現・網干総合車両所)・日根野電車区に配置されていたすべての113系で、これにより最高速度が110km/hに上がり、施工車は未施工車と区別するために以下のように改番された。1992年以降、一部の電動車はブレーキてこ比の変更が実施されており、さらに改番が発生している。
- 改番方法
- 元番台・・・改造内容→改番方法=結果
- 0番台
- 高速化→0+5000=5000番台
- てこ比改造→5000+1000=6000番台
- 700番台
- 高速化→700+5000=5700番台
- てこ比改造→5700+50=5750番台
- 800番台
- 高速化→800+5000=5800番台
- 2000番台
- 高速化→2000+5000=7000番台
- てこ比改造→7000+500=7500番台
- 2700番台
- 高速化→2700+5000=7700番台
- てこ比改造→7700+50=7750番台
[編集] リニューアル車
113系リニューアル車 | |||
---|---|---|---|
定員 | 132(44)(トイレ付き先頭車) 132(50)(トイレ無し先頭車) |
||
保安装置 | ATS-P.SW |
221系および223系の相次ぐ増備で接客設備の差が問題になったこと、短期間で113系全車を新車に置換える経済的余裕がなかったことから、1998年より車両の大規模更新と座席の総取替を行う「体質改善40N」と呼ばれる工事が施工されたものである。対象は状態の良い車両で、必然的に車齢の若い2000・2700番台が多く選ばれたが、一部に0'番台(新製冷房車)や700番台への施工例もある。リニューアルに伴う改番は行われていない。
新造後40年以上の使用ができるように屋根の張上化・一部外板、機器のステンレス化・屋根上通風器の撤去・風洞取替・窓支持の変更(私鉄のような銀色枠)・窓サッシの交換(下段固定・上段上昇の黒色サッシ、ほぼ換気用で一部の狭い窓は固定)などで徹底した腐食対策が行われ、外観が著しく変化した。車両によっては行先表示器のLED化やドアの押ボタン式半自動扉化もなされている。
室内も座席を223系2000番台と同タイプの転換クロスシート(ただし補助席はない)に交換・内壁をクリーム色、床を茶系のものにそれぞれ張替・荷棚のパイプ化・蛍光灯へのカバー設置でイメージアップが図られた。運転台部分もガラスの取替などの整備が行われている。なお、種車によって車端部の形状が若干異なるが、定員の違いはない。
これらにより新車と同様にリフレッシュされたが、改造費用が高くつくことから、2002年以降は費用節約のため窓や雨樋の形状変更を省いて工事を簡略化した「延命30N」と呼ばれるメニューに移行した。また、同時期にリニューアル対象外の先頭車は雨水の浸入等の対策として、前面窓支持のHゴムを金属板とコーキングで覆っている。
新車が大量に投入されたJR神戸・京都線と新車が全く存在しない嵯峨野線向けの工事であるが、これらの車両が所属する京都・宮原・網干の各総合車両所以外に、日根野電車区(阪和線を管理)の一部の状態の良い車両が工事施工の上で網干などの未更新車と交換となった例がある。また、京都所が比較的編成単位で大半の車両に行ったのに対し、宮原・網干所では初期車を多く保有していたこともあってごく一部の車両に限られ、編成中1~2両のみがリニューアル車ということも少なくなかった。
その後、JR神戸・京都線からの撤退に合わせ、網干車と宮原車は編成替えが行われ、F編成(4両×10本・日根野)とT編成(8両×3本・宮原)の統一リニューアル編成が組成されている。このうちT編成に組み込まれるサハ111形(7000番台・元網干車)の6両は撤退後に唯一廃車を免れたJR西日本最後のサハ111形であったが、福知山線脱線事故後の混乱の中で休車となる車両が出現している。
[編集] ワンマン運転対応車
[編集] 舞鶴線電化関連
以下の4形式が改造によって登場した。
- クモハ113形300番台
- クモハ113形800番台
- クモハ112形300番台
- クモハ112形800番台
1996年の山陰本線園部~福知山間の電化に伴い、1995年にモハ112・113形0'番台に廃車の運転台を取付けてワンマン運転対応改造並びに寒冷地対策を実施した番台区分で、クモハ113・112形で2両編成を組む。運転台側の客用扉が前方へ移設されており、2枚の戸袋窓が連続して並ぶのが外見上の特徴ともなっている。6編成12両が改造され、福知山運転所電車センターに配置された。改造当初は一時的に岡山地区で使用された実績もある。
京都~園部間で4両編成(京都総合運転所所属)と併結運転を行うため、自動解結装置が増設されている。その後、応荷重装置の取付で番号に5000を加えて5300番台となった。なお、改造途中で計画変更が生じたため、欠番が発生している。クモハ112-304と309は2パンタとなっている。
800番台は300番台と同じく1996年の山陰本線園部~福知山間電化に伴い1995年に、800番台車のうち2両編成で残存していた3編成をさらに改造した番台区分である。
種車が寒冷地対応車両であったため、改造はワンマン運転対応と自動解結装置の増設のみとなっている。その後、300番台同様、応荷重装置の取付で番号に5000を加え、5800番台となっている。クモハ112-803(→5803)は2パンタとなっている。
[編集] 福知山線・山陰本線向け
以下の2形式が改造によって登場した。
- クモハ113形3800番台
- クモハ112形3800番台
2001年3月のダイヤ改正で福知山線篠山口~福知山間及び山陰本線福知山~城崎(→城崎温泉)間の一部列車がワンマン運転化されたのに伴い、800番台3両編成をワンマン運転対応改造した番台区分である。クハ111形は廃車のうえでモハ113形+クモハ112形のユニットを種車とし、2両での走行ができるようにモハ113形に運転台が取付けられた。
新設された運転台は簡易なもので、非貫通の切妻形状に中央上部に前照灯、3枚の平面窓という、通勤型に近い構造となった。窓下には腰部いっぱいに補強板が取付けられ、尾灯部分だけが切欠かれているという過去に例のない形態で、補強板が警戒色の黄色に塗られていることも相まって、いささか武骨かつ異様な外観を呈している。
一方で最初から先頭車であったクモハ112形(国鉄時代にモハ112形に運転台を設置した先頭車化改造車である)には、車内に運賃箱が設置された以外特に大きな改造は行われておらず、座席等の客室設備も種車の物が流用されている。クモハ112-3805・3811・3814は2パンタとなっている。なお、改造時期によって細部に微妙な形状の差が見られる。走行区間のほとんどの駅に自動券売機が設置されているために、整理券発行機は設置されていない。
[編集] 紀勢線ワンマン化関連
以下の2形式が改造によって登場した。
- クモハ113形2000番台
- クモハ112形2000番台
紀勢本線(きのくに線)御坊~紀伊田辺間のワンマン運転用として、7000番台の電動車ユニットから改造された番台区分である。 改造の際に高速化対応工事が解除され、千の位が2に戻された。車番が2058号ユニットから始まるのは元の番号の下3桁がそのまま使用されたためである。前面はやはり切妻形状だが、103系リニューアル車に近いものにされ、体質改善40Nリニューアルも同時に施工されているが、座席配置はセミクロスシートのまま変更されていない。
[編集] 115系への改造
[編集] 415系800番台への改造
1991年(平成3年)の七尾線電化にあたり、本系列の一部は交流機器の搭載工事を受け交直流近郊形電車に改造された。同線は直流電化とされたが、乗入区間である北陸本線金沢~津幡間が交流電化区間であり、投入車両は交直流電車であることが求められた。そこで、JR西日本は本系列の余剰車に交流機器を搭載し、交直流電車の415系800番台への改造を行い同線へ投入した。
詳細は国鉄415系電車を参照のこと。
[編集] JR四国
113系JR四国車 | |||
---|---|---|---|
定員 | 座席48(オールクロス)・立席83(クハ112) 座席44(オールクロス)・立席85(クハ113) 座席52(オールクロス)・立席82(モハ112) 座席56(オールクロス)・立席87(モハ113) |
||
保安装置 | ATS-SS.SW |
JR四国には分割当時、113系は1両も配属されていなかったが、当初計画されていた6000系の増備に代えて老朽化した111系の置換のために、1999年にJR東日本で廃車となった0'番台4両編成3本12両と、その他部品提供車として車籍なしの3両が譲渡された。
譲渡車は、部品提供車1両(クハ111-507)が幕張電車区所属車である他はすべて東海道本線及び伊東線で使用されていた国府津電車区の所属車であり、一部はロングシート改造車が含まれていたが、JR西日本のリニューアル工事施工車が利用客から好評であったことから、譲渡時に各部に徹底的な更新が実施され、内装材の交換、座席の転換クロスシートへの交換などの内装関係と補助電源装置の静止型インバータ化とこれにともなうパンタグラフの2基化などの機器関係の更新、窓サッシの黒色化、雨樋形状の変更が行われた。
JR西日本車と異なり前面にも改造が加えられ、前照灯および尾灯形状が角型のものに変更され、種別・行先表示器部分にも前照灯2灯が増設、行先表示器は貫通扉下部に移設された。また乗務員保護のために窓下の鉄板が厚くされ、内部に衝撃吸収材を埋込むと同時に、貫通路部分の窓が拡大されている。
この改造の際に同社の6000系と同様の方式の中間車乗務員室がモハ112形に設置されたことなどもあり、座席数は西日本のリニューアル車より少ない。中間乗務員室は6000系のそれより若干広くなっている。
車体色も3編成3様のカラーリングであり、第1編成は青系、第2編成は赤系、そして第3編成は黄系となった。
1両に片側3箇所あるドアには1つずつ、合計で3つの、それぞれ違う音が3回鳴るドアチャイムが設置された。それぞれの音には、ずれがあるため、乗務員がドア操作をした場合は混ざってずれた音が3回鳴る。
また、従来111・113系の制御車はクハ111形であったが、新形式のクハ113形(元クハ111形0番台)・クハ112形(元クハ111形300番台)が与えられ、中間車のモハ113・112形も旧番を踏襲せず、それぞれ1番から付番された。113系モハの1・2番ユニットはJR西日本に、モハの3番ユニットはJR東海にそれぞれ承継されていたが、1・2番ユニットは当時高速化改造を受け-5001と-5002に改番されており、また3番ユニットはすでに廃車となっていたため、車番の重複は発生していない。
第1・第2編成は2000年、第3編成は2001年から営業運転を開始した。全車が高松運転所に在籍し、高松近郊の予讃線・土讃線・本四備讃線(瀬戸大橋線)・宇野線で普通・快速列車を中心に運用されている。JR西日本管内で運用される時はドアは季節に関わらず自動である。
車番対照は以下の通りである。
- 第1編成:クハ111-223+モハ113-257+モハ112-257+クハ111-532→クハ113-1+モハ113-1+モハ112-1+クハ112-1
- 第2編成:クハ111-198+モハ113-270+モハ112-270+クハ111-529→クハ113-2+モハ113-2+モハ112-2+クハ112-2
- 第3編成:クハ111-222+モハ113-272+モハ112-272+クハ111-528→クハ113-3+モハ113-3+モハ112-3+クハ112-3
- 部品提供車:モハ113-285+モハ112-285+クハ111-507
[編集] グリーン車
111・113系は、東海道本線東京口や横須賀線・総武快速線、京阪神地区など大都市近郊で使用されたことからグリーン車(一等車)が製造されたことも特徴となっている。使用線区の事情から設備の豪華さよりも定員が重視される傾向があり、特別二等車をベースとする特急・急行用のグリーン車とも違った発展を遂げた。111・113系用として新製された車両の他、数多くの改造編入車を含めて特に国鉄末期に改造編入された車両にはユニークなものが多かった。
なお、上記の通り定員重視のため、シートピッチ(座席間隔)は原則として970mm、特急・急行グリーン車からの改造車は1,160mmである。
[編集] サロ111形 0・1000番台
111・113系オリジナルのグリーン車(一等車)で、1962年~1964年に45両が製造された。形態はサロ153形に類似するが、車掌室がないため定員は4名多い64名で、座席はサロ110形0・900・1000番台とほぼ同様の回転式クロスシートだが、座席背面は化粧板で処理されており、台車もコイル(金属)バネのTR62形を履いている。新製時は非冷房であったが、1972年~1977年に全車冷房改造が実施された。冷房装置は分散形AU13E形を6基搭載している。また1972年から横須賀線の東京地下駅への乗入れのため18両が難燃化改造を実施されて1000番台に改番された。24両がJR東日本に承継されたが、老朽化のため1993年に全廃された。
[編集] サロ110形 0・900・1000番台
153系のサロ153形からの改造車で、サロ165形の新造投入により捻出されたサロ152形による準急列車のリクライニングシート化にともない111・113系用とされたものである。1965年~1968年にステンレス製車体試作車の900番台(2両)を含めて63両全車が改造された。シートピッチは970mmで車掌室付きのため定員はサロ111形より1列分少ない60名、台車は空気バネのTR58形である。東海道本線東京口と横須賀線の他に京阪神地区でも使用された。側面塗分線は当初153系時代のままであったが、のちに111系に合せている。1972年から冷房改造が開始されたが、全車には及ばなかった。1972年改造車3両(43・46・49)は、伊東線・伊豆急行線用として20kVA MGを搭載して自車のみの給電とした。編成を組む普通車はこの時点では非冷房車のままである。1973年から冷房化が本格的に推進されたが、同年以降の改造車は冷房電源をモハ112形から給電する方式に変更された。1972年改造車は1977年にモハ112形から給電する方式に変更され、その際にMGは撤去された。サロ111形と同様に同年から東京地下駅乗入れ対応のため0番台車7両に難燃化改造が実施されて1000番台に改番された。このうちサロ110-1004・1005・1007は計画番号にとどまり、実際に改造工事は行われずに欠番となっている。1980年にステンレス車の900番台車が京阪神地区のグリーン車廃止時に東京に転出せずに廃車になったのを皮切りに廃車が進み、16両がJR東日本に承継されたが、これも老朽化のため1992年に全廃された。
[編集] サロ112形
153系の急行用一等車(グリーン車)からの改造で、1967年~1969年と1975年にサロ152形30両全車(0・100番台)とサロ163形1両(7→サロ112-51)の計31両が改造された。種車のリクライニングシートをそのまま装備しており、定員は48名と少ない。当初は京阪神地区のみで使用されたが、後に一部が東海道本線東京口でも使用された。113系への転用が開始される前にこのうちの15両が冷房改造されていたが、大半が非冷房車で、転用後に3・14の2両が冷房改造されたものの結局全車には及ばなかった。また下降窓という車体構造上、雨水が浸入しやすかったため車体の腐食が早く、1979年までに全廃された。
[編集] サロ113形
1973年~1974年に横須賀・総武快速線用に17両が新造されたもので、全車が地下対応の1000番台とされ、新製時からAU13EN形冷房装置を6基搭載している。急行用グリーン車に準じてリクライニングシート(サロ165形などで使用されたものと同タイプながらテーブル廃止・難燃化を図っている)を1,160mm間隔で装備しているため、定員は48名と少ない。計画では成田空港利用客を当込んでいたが、開港の遅れにより大船電車区配属車は横須賀線で、幕張電車区配属車は1000'番台冷房車と組んで1973年の房総夏季輸送(房総夏ダイヤ)期間に運転の臨時急行「なぎさ」「みさき」、および臨時快速「青い海」の一部列車に使用された。しかし幕張所属車は夏季輸送終了後は休車となり、1974年に横須賀線グリーン車の冷房化率向上のため大船電車区へ貸渡ののち転属している。前述の通り定員が少なく乗客の着席需要に応えられなかったため、1976年には全車が京阪神地区(高槻電車区・宮原運転所)に転出した。1980年の京阪神地区快速のグリーン車廃止および横須賀・総武快速線の直通運転開始によって再び関東(幕張電車区)に戻り、全車がJR東日本に承継されたが、1998年末に全廃された。
[編集] サロ110形 1200番台
1976年~1981年に88両が製造された国鉄近郊形グリーン車の決定版である。定員が少なく不評であったサロ113形の反省を受けて、シートは特急普通車並みの簡易リクライニングシートとし、定員を増加させた上で60名とされた。形式は新製時点で111・113系用の形式がすべて埋まっていたため、車掌室付きで定員が同じサロ110形が与えられた。客室側窓はサロ113形同様二段上昇式のユニット窓とし、前位寄車端部は戸袋窓とした。1978年9月の車両塗装・標記規定変更により、1979年登場の1220から、側面窓下のグリーン帯を最初から省略して登場し、在来の車両も工場入場時にグリーン帯を抹消している。全車がJR東日本に承継されたが、東海道本線から113系が撤退したのに伴い2006年に全廃された。
[編集] サロ110形 特急形改造車
国鉄末期の設備投資が抑制されていた折、老朽化したサロ110(0・1000番台)・111形の置換え用に新幹線開業や編成短縮によって余剰となった特急形グリーン車が転用された。これらは客用扉を増設し、非常時の換気のため一部の窓を中折れ式に開閉可能にした程度で車体はそのまま利用された。そのため車体断面形状が他車と全く異なっており、編成中で非常に目立っていた。改造種車も181系・183系、485系・489系と多岐にわたり、定員やトイレの有無など仕様もまちまちであったが、後述の急行形改造車と共にサロ110形(300・350・1300・1350番台)に編入された。また、定員やトイレなど設備上の問題から、これら特急形電車からの改造車は必ずサロ110形1200番台とペアで編成が組まれていた。ただし、登場後しばらくの間、特急形からの改造車2両で組み込まれたことがあり、屋根高さが3段になっていることが話題になった。定員が少ないため特に常連客からは大不評であり、外観が特異なために、定員が少ないことが一般利用者にも分かりやすいことから、利用者の中にはこの車両が来ると乗車を控えて次の列車を待つ光景も見られた程である。
東海道本線東京口と横須賀・総武快速線で使用されてきたが、後者は地下仕様として1000番台に付番されている。全車がJR東日本に承継されたが、横須賀・総武快速線のE217系置換えで余剰となった2階建グリーン車の東海道本線への転用により、1998年末までに全廃された。
[編集] 301
1983年に登場したサロ180-1001の改造車である。定員52名。種車のトイレおよび洗面所部分に客用扉を増設したため、トイレは設置されていない。また車体構造の都合により行先表示器も設置されなかった。オリジナルが181系であるため、他の特急形改造の車両と比べても一際低い車体が特徴的であったが、1990年に廃車された。
落成当初は静岡運転所配置だったが、国鉄時代の最後のダイヤ改正(昭和61年11月)で国府津電車区に転属された。
[編集] 302・303
1983年に登場したサロ181形の改造車であるが、種車が元々サロ481形改造の1050番台車であったため、形態的には後述の350・1350番台と変わらない。定員48名。トイレ・洗面所付き。1991年に全廃された。
[編集] 351~362・1351~1358
1983年から1986年に登場したサロ489・481形の改造車である。定員48名。350番台はトイレ付きだが、1350番台は改造時にトイレを閉鎖している。種車の製造時期の違いから冷房装置に差異がある。前述の302・303を含めてサロ481・489形の改造車は、元の出入台にあったステップを改造時に埋込んでいる。
356・357・359・360は、サロ124・125形と連結されるために方向転換された。 1997年に全廃された。
351~358は静岡運転所に、359~362国府津電車区に配置されたが、351~358は国鉄時代の最後のダイヤ改正(昭和61年11月)で国府津電車区に転属された。
[編集] 304~311・1301~1305
1987年に登場したサロ183形の改造車である。0番台からの改造車が304~、1000番台からの改造車が1301~をそれぞれ名乗る。定員48名。種車のトイレ及び洗面所部分に客用扉を増設したため、トイレおよび行先表示器は設置されていない。またサロ183形時代の車内販売準備室および車販コーナーが撤去されずに残っていたのがこのグループの最大の特徴である。1300番台のうち1305のみは、1988年の落成当初は湘南色に塗装して、田町電車区→国府津電車区に配属されて東海道本線で使用されたが、1991年に大船電車区に転属して横須賀線系統に使用されている。
このグループの1302が1998年7月に廃車され、ユニークな特急形改造グリーン車は消滅した。 305・306・307は、サロ124・125形と連結されるために方向転換された。
[編集] サロ110形 急行形改造車
前述の特急形改造車と同様の事情によって165系から改造されたものであるが、2種2両のみの存在であった。
[編集] 501
1983年にサハ165-7を格上げ改造したもので、塗分位置(113系と165系とでは若干異なる)の変更と行先表示器の追加を除けば後述の401と同様外観は種車とほとんど変わらない。1200番台と同等の簡易リクライニングシートを装備している。座席と窓の間隔は合っていない。サロ110形であるにもかかわらず車掌室はないが、定員をオリジナルのサロ110形と合せたため、その分シートピッチは1,010mmに拡大されている。定員60名。トイレ・洗面所付き。1990年に廃車された。
[編集] 401
1985年に登場したサロ165-130の改造車である。定員48名。トイレ・洗面所付き。塗分位置(改造当初は塗分がサロ165形時代のままであった。ちなみに、サロ112形も当初は同様であった)の変更と行先表示器の追加、自車用の冷房電源用MGと回送運転台の撤去を除けば外観は種車とほとんど変わらない。形態的には回送運転台用ライトの有無と2段式のユニット窓(165系時代に下降窓から改造)以外は前述のサロ112形と変わらないが、既に廃形式であったため、サロ110形に編入された。1992年に廃車となった。
[編集] サロ124・125形
国鉄の分割・民営化後に登場した2階建車である。老朽化が進み、取替時期に来ていたサロ110・111形の置換えにあたり、乗客の着席需要が旺盛な事から同時期に登場した211系の2階建グリーン車サロ212・213形と同じ車体を採用して座席定員の増加を図ったものである。これにより定員はサロ110形1200番台の60名に対して90名と30名増となり、実に1.5倍に増加している。車掌室付きでトイレなしのサロ124形が1988年~1990年に29両、トイレ付きのサロ125形が1990年に5両製造された。将来的には、車掌室とトイレを向合せた形で2階建グリーン車を2両連結する事としていたが、投入当初は両形式とも4号車に組込まれ、2階建+平屋の組合せとした。このため、サロ125形は引通しを両ワタリとして方向転換のうえで使用している。
サロ212形などとの相違点は、連結相手が異なることからブレーキ装置など構造が異なる他、サロ124-1~8は485系などからの発生品であるTR69系空気バネ台車を改造して使用している事が挙げられる。なお、9以降は211系と同様の新造のボルスタレス台車のTR235形に変更されている。
サロ124形のうち横須賀・総武快速線に投入された9~14、25~29は東海道本線のサロ124形と異なり、成田空港利用者輸送に対応して後位出入台側の一列を荷物置場に変更しており、定員は4名少なかった。また前述の通り台車がこのグループから新造のものに変更された。1994年~1999年のE217系投入時に全車が東海道本線に転属し、荷物置場を撤去して4名分の座席を増設した。また帯色が湘南色に変更されたが、東海道本線に新製投入されたサロ124形とカラーシートの貼り方が異なっているため、見分が付く。これは後述のサロ212形への改造に際しても変っていない。サロ125形は全5両が東海道本線に投入された。
1996年以降は国府津車両センターに全車が在籍していたが、2004年から同センター配置の113系がE231系に置換えられることになり、捻出された2階建グリーン車はサロ212・213形100・1100番台に改造された。
- 100番台車は田町車両センターの平屋+2階建グリーン車(サロ211+212形・サロ210+213形)を高崎車両センターに転用するために投入され、側面行先表示器をLED化して、東海道本線東京口用に引続き使用されている。
- 1100番台車は100番台と同じ改造に加え、寒冷地対応改造を施して東北本線(宇都宮線)・高崎線の上野口用で高崎車両センター所属の211系に組込まれて使用されている。
車両需給の関係で、一部のサロ124形は、方向転換のうえ、車掌室をトイレ・洗面所に改造してサロ213形へと改造されている(100番台8両・1100番台4両)。 また種車がサロ124-1~8のものは引続きTR69系台車となり、サロ212・213形への改造後は両車ともTR69系台車を装備した車両同士での組合せも登場している。
[編集] 国鉄分割・民営化後
国鉄の分割・民営化後は多くの車両が承継された。また最近では一部の車両がオリジナルカラーに塗替えられたりしている。
[編集] 東日本旅客鉄道
JR東日本では、発足当時に以下の線区で用いられた。
そのうち、総武快速線と横須賀線については1994年~1999年にE217系に置換えられ、一部編成が房総地区や東海道本線東京口の他、E231系が投入されるまで暫定的に東北本線(宇都宮線)でも使用されたことがあった。東海道本線については1987年当時は最長で浜松まで直通したが、その後静岡までに短縮され、2004年10月改正で沼津までの直通となった。また、国府津車両センターに所属する東海道本線東京口の車両は2004年10月から2006年3月17日までに、E231系への置換えでほぼ全車が廃車され、車歴が浅い一部の車両(94両)は幕張車両センターに順次転属された。その際に捻出された2階建グリーン車は東海道本線用のサロ212・213形100番台、宇都宮線・高崎線用のサロ212・213形1100番台へ改造の上それぞれの211系に順次連結された。なお、最後まで国府津車両センターに在籍していたのは基本編成4本(K47・51・57・69編成)と付属編成5本(S81・96・102~104編成)の計9本であった。S96編成は2006年4月26日に、中原電車区から疎開してきた103系のT1編成と共に、長野総合車両センターへ廃車・回送され、ここにJR東日本に在籍した113系湘南色車が消滅した。また、2004年11月まで東京口で使われていたJR東海所有の付属編成(静岡車両区所属のT100番台編成)も、翌2007年3月17日をもって運用を終了した。
現在では、JR東日本管内で湘南色113系は全く見られなくなった。
現在113系が使われているのはすべて千葉支社管轄の茨城県の鹿島線と千葉県内の総武本線(千葉以東)・成田線(成田~我孫子間を除く)・内房線・外房線・東金線となっている。これは千葉支社管内の労働組合動労千葉がE231系等の新型車両導入に強固に反対しているためである。初期車も国府津車両センターからの車歴の若い車両によって置換えているが、さらにE231系の増備で捻出された211系3000番台が高崎車両センターから転入し、2006年10月21日から運用を開始した。これにより、すでに廃車・回送されている編成も存在しており、淘汰されて横須賀色も消滅するのも時間の問題となってきた。
廃車された一部の車両は四国旅客鉄道(JR四国113系)と伊豆急行(200系)に譲渡されている。このうち伊豆急行譲渡車については東京急行電鉄からの8000系譲渡に伴い、既に113系から改造された全編成が廃車されている。また、2006年1月まで在籍していた国府津車両センターのK48編成のうちモハ112・113-1506の2両については、運用終了後に大宮総合車両センターへ回送され、京葉線で運用していた103系クハ103-713(ケヨ302編成)と共に同センターに留置され、5月27日の同センターの一般公開時に展示された。
[編集] 東海旅客鉄道
2007年5月現在、JR東海の113系は静岡車両区と神領車両区に所属している。いずれも後継車両への置換えが進み、2007年3月17日をもって定期運用を終了した。
- 静岡車両区
- 4両編成5本(20両)・3両編成2本(6両)の計26両が在籍。
- 東海道線(熱海~豊橋間)、御殿場線(御殿場~沼津間)で運用されていた。最後までオリジナルの113系が多く残っていた地区だったが、2006年10月から大垣車両区より転属された211系5000番台や、新たに投入された313系により順次置換えが行われ、2007年3月17日を最後に定期運用を終了した。なお、最終運用列車は下りが三島22時00分発静岡行829M(静岡23時11分着)・上りが浜松19時55分発静岡行826M(静岡21時07分着)であった。
- かつて東海道本線東京口で付属編成として、また伊東線・伊豆急行線内の普通列車として使用された静岡車両区T100編成(旧T編成)は、2005年10月から廃車が始まり、既に半数以上の車両が廃車されており、2007年4月現在で3編成のみとなっている。
- T100編成は2004年10月16日のダイヤ改正まではJR東日本の基本編成と併結して東京駅まで乗入れ(早朝の東京発静岡行き1本のみJR東海車での単独運用)ていたが、これについてはJR東日本サイドでE231系新製によって余裕の出た113系基本編成を4両に組替の上でT100編成を置換えている。実際には組替時期の関係で付属編成が不足していたためJR東日本への貸出として一部が12月まで運用された。この改正で同時に211系を含めて沼津~島田間からグリーン車連結編成による運用が消滅している。なおT100編成は奇数側先頭車のトイレは業務室扱いとして閉鎖され、編成中のトイレを一か所としていた。2003年GWに臨時列車(臨時「大垣夜行」として8両編成で東京・品川~大垣間を営業運転した経歴がある。
- 神領車両区
- 6両編成3本(18両)と4両編成1本(4両)の計22両が在籍する。いずれも2000番台であり、1999年のダイヤ改正において、大垣車両区より転属となった車両である。なおこれらの車両のほとんどは70系の置換え用として新製され、新製時の1978年には神領電車区(現在の神領車両区)に配置されていた。
- 中央本線(名古屋~中津川間)でラッシュ時を中心に使用されたが、2006年11月10日をもって定期運用を終了し、313系増備車に置換えられた。現在は臨時列車としての運用のみが行われている。
- ATS-P形を装備しない車両であるにもかかわらず、2001年夏に臨時列車として品川~大垣間を営業運転した経歴がある。このとき、JR東日本管内では併設しているATS-SN形を使用して運行された。
[編集] 西日本旅客鉄道
JR西日本では、以下の路線で使用されている。ただし2005年4月25日の福知山線脱線事故の影響でATS-P形対応・非対応車の転配属が頻繁に行われており、記述とは異なる状態になっている可能性がある。
- 東海道・山陽本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)
- 1990年代から221系と223系の増備により徐々に数を減らしていき、2004年10月16日のダイヤ改正で最後まで残っていた網干~大垣間の2府3県にまたがるロングラン運用とそれに使用されていた網干総合車両所所属の7両編成+4両編成および4両編成+7両編成の11両運用が消滅した。
- 宮原総合運転所もかつては琵琶湖・JR京都・JR神戸線担当だったが、現在はもっぱら福知山線車両の管理を行っている。
- 東海道・山陽本線での運用撤退を前に、「リバイバル新快速」として、2004年10月10日に117系と共に使用された。使用されたのは網干総合車両所のK8編成7両で、運用にあたっては、新快速運用時代の種別プレートの掲示、車体のJRマークの消去、トップナンバー車の連結、乗務員が国鉄の制服を着用など、可能な限り国鉄時代への復元がなされていた。なお、この編成は現存しない。
- 湖西線・草津線
- 京都総合運転所の車両のうちL編成を中心に運用しており(C編成も運用される場合がある)、リニューアル車も多く在籍する。また、先頭車両のみを改造した編成も在籍する。近年では221系もしくは223系の運用も増えている。
- 阪和線・紀勢本線(きのくに線)
- 日根野電車区所属。網干と京都からの転属によりすべてリニューアル車に置換えられた時期もあったが、2007年現在は半数ほどが福知山線のリニューアル未施工の編成と再交換されている。これらはいずれもリニューアル車に置換えられる前に当区に配属されていた車両であり、実質的には出戻りの形となっている。また御坊~紀伊田辺間のローカル運用ではワンマン用の2000番台(Ⅱ)の2両編成が使用されている。
- 山陰本線(京都~園部間、嵯峨野線)
- 京都総合運転所の車両のうち電気連結器を装備したC編成が京都口を中心に、またワンマン運転と寒冷地運転に対応した福知山運転所電車センターの5300・5800番台編成が115系R編成と共通で園部以遠を中心に運用している。
- 2008年度以降、JR京都線・JR神戸線・琵琶湖線・湖西線に223系新区分番台が増備されるため、これらの路線で運用している221系の転用により置換えられる予定である。また、これとは別に223系2連が16本配置される。
- 福知山線(JR宝塚線)
- 福知山運転所電車センターの800番台が運用終了した後、わずかに京都総合運転所のC編成が運用されていた。2月の高校入試日には多客対応で福知山運転所電車センターの小浜色編成が運用されたほか、2005年6月19日以降は宮原総合運転所に集約されたリニューアル色・湘南色・阪和色・小浜色・瀬戸内色といった各色の車両がATS-P形未搭載の117系に代わって運用された。編成は4両および6両。
- 転入当初は編成毎に色が統一されていたが、パンタグラフ2基搭載車連結、リニューアル車比率の均衡といったことから複雑な編成替えが行われ、更に2006年春以降は冬季の半自動扉扱いの必要性から日根野電車区との間でリニューアル編成のトレードが行われた。現在はリニューアル色と湘南色の編成が運行されている。
- 小浜線
- 小浜線専用の4両編成(W編成3本)がラッシュ時を中心に運行されている。ATS-P形を装備しているW2編成が2005年6月から一時期福知山線(JR宝塚線)の応援編成となって宮原に貸出され(それまでも不通により分断されていた宝塚~福知山間での運用実績あり)、代りに通常のリニューアル編成を借入れていたが2005年秋に解消された。福知山運転所電車センター所属であったが、2006年10月に小浜線運用を終了した現在は4連1編成が残り、4連2編成は京都総合運転所をベースに使用されている。
- 赤穂線・伯備線・宇野線(岡山地区)
- すべて日根野電車区の余剰車で構成されており、岡山電車区電車センターに所属していた。ATS-P形を装備していたため、全車がアーバンネットワークに再転用され、2005年6月19日から福知山線(JR宝塚線)の運用に入ったのち、2006年10月までに全車が古巣の日根野電車区に戻っている。
- 山陽本線(下関地区)
JR西日本では大半の車両に最高速度を110km/hにする高速化工事を行い、車番が5000~7000台になった車両が大半を占めている。福知山線(JR宝塚線)での運用ではブレーキてこ比改造の関連で高速仕様を外された車両が発生している。
[編集] 伊豆急行
200系は、JR東日本で余剰となった車両を、伊豆急行へ譲渡したものであった。このうち113系を種車とする車両は、青い塗装をまとっていた。
[編集] 塗装
111・113系の登場当初の塗色は投入路線の在来車両のそれを踏襲したものであった。したがって東海道本線用には緑とオレンジ塗分の「湘南色」、横須賀線用には青とクリームの「横須賀色(スカ色)」を採用した。しかし、運用範囲が拡大するに連れ、カラーバリエーションも増えてきている。特に民営化後のJR西日本エリアで顕著である。
[編集] 湘南色
111・113系にとって最初の塗色で、先代の80系・153系に準じ、緑に窓周りをオレンジとした。国鉄の分割・民営化後は緑はJR東日本、オレンジはJR東海のコーポレートカラーにもなった。なお、JR東日本所属車とJR東海所属車とでは色調に若干の違いがある他、車体色ではないが、JR東海所属車は1995年頃より床下の機器・台車等の塗装を灰色に変更していた。
東海道本線を中心に運用したが、京阪神地区は2004年10月16日のダイヤ改正で草津線に乗入れる列車などの一部を除いて運用終了しており、関東地区でも2006年3月18日のダイヤ改正で運用を終了した。また、JR東海でも313系増備車への置換えで115系と共に2007年3月17日限りで運用を終了した。また京都地区ローカルの路線では当分の間残る予定ではあるが、福知山線と山陰本線については221系と223系新区分番台車(2両編成)への置換え計画がある。湖西線と草津線で運用される車両も223系新区分番台の増備によって置換えられる予定である。
[編集] 横須賀色
当初横須賀線系統の113系も湘南色であったが、誤乗が多く、また70系に塗っていた青+クリームの塗装が好評であったことから、1964年から113系にも引継ぐこととなった。当初は塗分線が違っていた(後述)ものの大きな変更もなく長年にわたって使われてきた。愛好者の間ではスカ色ともいわれている。
現在、横須賀線・総武快速線からは撤退したものの、千葉支社管内の総武本線(千葉~銚子間)・我孫子~成田間を除く成田線・外房線・内房線・東金線ではまだ多くの車両が運転されている。ただ、2005年以降に東海道本線から撤退した車両、2006年秋以降に東北本線(宇都宮線)・高崎線から211系への置換えがそれぞれ行われるため、初期車は入替に廃車される予定である。また定期列車として総武快速線両国~千葉間で内房・外房線方面への新聞輸送列車(2331M)が夕刊新聞の発行される平日・土曜日に運転される。千葉駅到着後は内房線方面14時28分発安房鴨川行き、外房線方面14時11分発安房鴨川行き(いずれも4両×2の8両編成)に分割される。なお、当然ながら夕刊の発行されない日祝日・年末年始は運休となる。このような場合は幕張車両センター~千葉間の回送列車(回6267M)として運転され分割される。
[編集] 阪和快速色
国鉄の数少ない地域色で、153系ブルーライナーにならった灰色(灰色9号)にスカイブルー(青22号帯用特色)の帯を巻く。この青22号帯用特色の塗料は上記153系共々、国鉄時代から検修を担当してきた吹田工場にだけ配備されてきた関係で、鷹取工場(のちに網干総合車両所へ移管)、後藤工場(現在の後藤総合車両所)等の他工場からの出場車では、通常の青22号の帯色で代用されていた(その後吹田工場へ再塗装のため入場する事例が複数報告されている)。この色調を逆転させたのが飯田線119系の登場時の塗装(青22号の地色に灰色9号の帯)である。1972年、阪和線に新快速が設定されたのと同時に登場し、新快速が快速に統一された1978年10月以降もそのままの色で使用されていた。なお新快速は専用のヘッドマーク(前述の153系のものとは別デザイン)を装備していた。
長年阪和線(主に快速電車)・紀勢本線(一部和歌山線)の113系はこの塗色で使用されてきたが、221系・223系の増備で余剰となったリニューアル編成が転入してきたために2005年4月をもって一旦同線からは撤退し、岡山電車区に貸出された。しかし阪和線や大阪環状線での運行に必要だったATS-P形保安装置を標準装備していたことで2005年6月には再び関西地区に呼び戻され、京都・滋賀地区での使用を経てJR宝塚線(福知山線)で使用された。この際、国鉄時代に天王寺鉄道管理局管轄の電化路線で唯一、離れ小島的位置づけであるがゆえ入線できなかった草津線へも、1980年の同線電化後25年の歳月を経て入線を果たした。2005年度冬季期間中は阪和快速色のみの6連が組まれたりしたが、翌4月以降は、再び阪和線・紀勢本線での運用に復帰したりと動きが激しい。現在は4連1編成と先頭車2両、中間車2両の8両だけが残る。
- 余談だが同色をまとっていたJR西日本で唯一の元1000番台車であるクハ111-6310は他線に転じることなく2004年6月に廃車になった。
[編集] JR西日本リニューアル色
リニューアル工事を受けた車両のみに施されているJR西日本の標準塗色である。線区に関わらずベージュに窓周りを茶とし、さらに同社のコーポレートカラーの青色が入る。このカラーリングは愛好者の間で「カフェオレ」、「カプチーノ」などと呼ばれている。
[編集] 福知山ローカル色
3800番台の塗色である。福知山色を基本にしているが、旧色を意識してか青と黄の帯を入れ、代わりに緑の帯を省くことで識別を容易にしている。
[編集] 嵯峨野色
嵯峨野線(山陰本線京都~園部間の愛称)山陰本線の京都口(京都~福知山)で使用される2両編成のみに施されている塗色である。湘南色を基本に窓下のオレンジと緑の境目にクリームの帯が入る。1998年の園部駅~福知山駅間の電化開業の際に登場した塗装で登場当初からワンマン運転を行っていた。リニューアル改造された車両も在籍しているため、当初よりは数を減らしている。2006年度から221系への置換えで消滅する予定である。
[編集] 小浜色
小浜線のラッシュ輸送用に配備された車両に施された塗色である。リニューアル色と塗分は同じだが、茶を緑に、青を白にそれぞれ変えることで同線専用色としている。ベージュもリニューアル色と微妙に異なるものになっている。
福知山運転所電車センターに4両編成3本12両のみが所属。毎年2月の高校入試シーズンには福知山線篠山口~福知山間での増車運用にも就いた。 その後2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故の影響で、完全復旧までの期間には同線宝塚~福知山間で運用、完全復旧後はATS-P形搭載の1編成が宮原総合運転所に貸出され2005年秋まで運用(S-35編成)。同年冬には小浜線の運用に復帰した。2006年10月には再度旧S-35編成が宮原総合運転所に貸出され、S-40編成として福知山線運用にショートリリーフされた。
2006年10月21日ダイヤ改正で小浜線の運用を125系3連・4連に譲渡して終了。1編成は福知山運転所で波動用に存置されているが、1編成は福知山線で使用されていたS-40編成共々京都総合運転所へ移動。同所L-15編成・L-16編成として同色では初の8連を組成し、それまでの同所M1編成8連が組成替えを経て播但線運用に転じた穴埋めに山陰本線(嵯峨野線)京都~園部間での運用を開始した。
また、11月25日からは冬季霜取りパンタ搭載車限定の371/372仕業にて、L15編成のみ草津線と湖西線での運用を開始。11月30日からは霜取パンタも上昇させて使用している。
(L15編成:←草津 クハ111-7756・モハ112-5719・モハ113-5719・クハ111-7706 柘植→ L16編成:←草津 クハ111-7752・モハ112-7702・モハ113-7702・クハ111-7702 柘植→)
[編集] 和歌山オーシャン色
2000番台(Ⅱ)に塗られた和歌山支社の新しい標準色で、オーシャングリーンにラベンダーの帯が入る。紀勢本線御坊~紀伊田辺間におけるワンマン運転用車両である。ただし所属は大阪支社日根野電車区であるため早朝深夜には阪和線日根野~紀勢本線御坊間でもその姿が見られる。この他の日根野所属の車両はリニューアル色のままのため、今のところ同系列で唯一の存在である。
[編集] 瀬戸内色
山陽本線のうち広島以西で主に見られる塗色である。この地域は115系で運行されているが、一部の編成にクハ111形が組込まれている。広島、下関の113系のみで構成された編成は抑速ブレーキを装備していなかったため、山陽本線瀬野以東の運用には基本的には入っていなかった(その当時でも呉線経由で糸崎までの運用には就いた)が、2003年に動力車を115系に組替えた際、クハ111形の主幹制御器も115系同様の抑速ブレーキつきのものに交換。その後は他の115系編成との共通運用となっている。 2005年に日根野電車区から岡山電車区電車センターへの転属車両の一部がこの塗装に塗替えられたため、8両増えている。それらの編成は今では一部組成を変更して2005年6月に関西地区に呼び戻され、宮原総合運転所配置を経て2006年10月までに元の配属先であった日根野電車区に戻った。一時期に福知山運転所電車センターからの転入車で正面窓周りが茶色のままの車両(後述)が在籍して話題となった。
[編集] JR四国リニューアル色
111系の代替としてJR東日本からJR四国に譲渡された車両に施された塗色である。編成毎に配色が変えられており、現在は青+緑、ピンク+赤、黄+オレンジの3パターンが存在している。
[編集] 過去に見られた塗装
[編集] 初期横須賀色
横須賀色は当初塗分線を湘南色と同じにしていた。しかしクリーム色の面積が多くなり過ぎてしまい、締りがないという意見が国鉄内外で多くあったために、現在の青比率が高い塗分に変更されている。
[編集] 横須賀鉄仮面
JR東日本では、成田線踏切事故で運転士が殉職したことから踏切事故などでの乗務員の保護のためにステンレス板(一部鉄板で施工した例もあり)を前面に追加する工事を積極的に進めた。この工事は電車区などで行われたが、短期間で工事を竣工させるため、ステンレスに塗装は施されず、テープの帯のみとなったが、工場入場時に塗装を施したため現在は見られず、さらに置換えによってこの工事を施工した車両そのものが減少している。当時乗客からは「なぜ前面が銀色なのか?」と話題になった。
[編集] 関西線快速色
阪和色の色違いで、こちらは朱色(朱色3号)の帯を巻く。名前の由来は、1973年に関西本線の湊町~奈良間が電化された際に快速電車で使用されたことによる。かつては奈良市の春日大社の柱の色にちなんで「春日塗り」とも呼ばれた。鳳電車区(1978年10月日根野電車区に移管)に配属され、関西本線と、1980年からは桜井線・和歌山線(王寺~五条間)でも使用された。予備編成を共用していた関係で阪和線・紀勢本線にも入線した。1984年9月以降は奈良電車区へ移籍し(その後も臨時列車運転時の車両借受や転属車発生により見られる時期があった)、奈良線や和歌山線(五条~和歌山間)、紀勢本線和歌山~和歌山市間でも使用された。1994年3月の営業運転終了後は、同年9月の関西国際空港開港までの期間、関空特急「はるか」運行に携わる線見のための乗務員訓練列車として使用された。 1995年1月の阪神大震災発生に伴い、JR神戸線の完全復旧までの間、迂回路となる福知山線での列車本数増発のため再度営業運転に抜擢され、6両編成で使用された。さらにその後は休車中の2両を復活させて4両編成2本が組成され、山陰本線京都~園部間で使用された。 現在はいずれも103系・105系・117系・221系に置換えられたか、あるいは他地域色に塗装変更されたため現存しない。なお、関西本線から大阪環状線に直通する快速には先頭車の前面に特製のヘッドマークを掲出して運転していた。
[編集] 旧福知山色
1986年11月1日の福知山線全線電化開業と同時に登場し、雪中でも容易に識別できるように、黄5号に青20号のライン(福塩線105系と同色)を巻いていた。事業用車とまぎらわしく不評だったのか、4年足らずで下記の新福知山色に塗替えられている。
[編集] 新福知山色
クリーム地に茶と緑のラインが入る。宮原総合運転所所属の117系原色編成の塗装に同系300番台福知山色編成で採用された帯色を組合わせたものである。転属や廃車により急速に数を減らし、2004(平成16)年をもって福知山線(JR宝塚線)から撤退している。その後もクハ3両が吹田工場に留置されていたが、脱線関連の運用増加時も使用されることなく解体された。同線での運用当時に共通運用であった115系4連(福知山運転所電車センターK13編成)がこの色のまま下関車両管理室へ転属、C-43編成として活躍を続けていたがこれも2007(平成19)年3月に瀬戸内色に塗替えられ消滅した。
一時期存在した前照灯が4灯の先頭車や、415系800番台の先行落成車もこの塗色をまとっていた。
[編集] 四国色
111系がJR四国に譲渡された時に施された塗色である。アイボリーホワイト(クリーム10号)にJR四国のコーポレートカラーの水色(青26号)の帯を巻いていた。また5編成のうち4編成がユニット窓に改造された。運用終了時には1編成が湘南色に戻されて111系としての最後を飾っている。現在1両が多度津工場で保管されており、同工場での事故復旧訓練などに使用されている。
[編集] 白浜パンダ色
紀勢本線沿線にある「アドベンチャーワールド」(和歌山県白浜町)のパンダをPRするために、2002年~2004年に当時の日根野電車区F402編成(クハ111-5176以下4両)に施された塗色である。車体全体をピンク塗装にすると共にパンダのイラストが多数貼付されていた。かなりの人気車両だったが、同線の他の車両と共に廃車となり、現存しない。
[編集] 伊豆急行色
伊豆急行200系として活躍した元113系に施された塗色で、青ベース(元115系には赤ベースもあり)に白の斜めストライプである。ストライプの入り方は先頭車と中間車では異なっている。元115系に施されたものも含め2006年までに廃車となっており、現存しない。
[編集] ぶどう色
営業運転において使われたことはなかったが、1999年に品川駅で開催された「アニメドリームトレイン1999」の会場用として2両のクハ111形(1060・1375)がこの色に塗装された。これは松本零士の漫画「銀河鉄道999」に登場の旧型客車に似せるための措置で、同時に内装もそれらしく見せるためにロングシート部分を撤去した。習志野電車区(当時)で廃車予定であった103系を同色に塗替えて中間車としたものと、JR西日本から借入れたC62形2号機と組合せた。車両の展示目的より、アニメ関連イベントの実施会場を目的としたため走行は一切考慮せず、連結器形状の異なる機関車とは連結しないままであった。イベント終了後は元々廃車予定車だった事もあり、103系とともにそのまま解体されている。115系では身延線80周年記念塗装の編成に誤ってぶどう色+白帯に塗られた例があった。詳細は「115系」を参照。
[編集] 関連商品
国鉄113系電車はNゲージ鉄道模型として関水金属(KATO)、TOMIX(トミーテック)から1500番台と2000番台が、グリーンマックスからは0番台と0'番台(商品名はJR111(115)系初期型とJR113(115)系量産冷房車となっている)のキット、ウインからは0'番台の塗装済キットと完成品、マイクロエースからは0番台阪和線色・関西線色や1000番台横須賀鉄仮面など、路線や年代を特定した商品が数タイプ製品化されている。また、Bトレインショーティーでも製品化されている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- JR東日本公式サイト
- JR東海公式サイト
- JR西日本公式サイト
- 113系近郊型電車‐塗装紹介
- 阪和電気鉄道‐日根野、和歌山区の113系解説
- SHIKOKU'S World‐四国の113系解説
- Featuring train‐車内の様子
- 113系初期型形態分類