国鉄117系電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国鉄117系電車(こくてつ117けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流近郊形電車。
国鉄117系電車 |
|||
---|---|---|---|
起動加速度 | 2.0km/h/s(MT比2:1時) 1.7km/h/s(MT比1:1時) |
||
営業最高速度 | 110km/h(西日本車は115km/h) | ||
設計最高速度 | 115km/h | ||
減速度 | 3.5km/h/s(通常) 5.0km/h/s(非常) |
||
定員 | 座席60・立席8(先頭車) 座席64・立席8(中間車) 座席60・立席6(トイレ付き先頭車) 127(トイレ付き先頭車300番台) 129(トイレ無し先頭車300番台) 139(中間車) |
||
全長/全幅/全高 | 20,000mm/2,946mm/4,066mm | ||
重量 | 31.3t(トイレ無し先頭車) 43.3t(モハ116型) 43.7t(モハ117形) |
||
軌間 | 1,067mm(狭軌) | ||
電気方式 | 直流1,500V(架空電車線方式) | ||
モーター出力 | 120kW(MT54D)×4=480kW(電動車1両あたり) | ||
歯車比 | 17:82=1:4.82 | ||
制御装置 | 抵抗制御・直並列組合せ制御・弱め界磁制御(CS43A・電動カム軸接触器式) | ||
駆動装置 | 中空軸平行カルダン撓み継手方式 | ||
ブレーキ方式 | 発電ブレーキ・電磁直通ブレーキ 抑速ブレーキ |
||
保安装置 | ATS-SW、ST |
目次 |
[編集] 概要
1979年(昭和54年)から1986年(昭和61年)までに216両が製造され、1987年(昭和62年)の国鉄の分割・民営化時には、西日本旅客鉄道(JR西日本)に144両、東海旅客鉄道(JR東海)に72両がそれぞれ承継された。
[編集] 製造の目的
京阪神地区の東海道本線・山陽本線で運行している新快速には、1972年(昭和47年)からそれまでの113系に代えて153系を投入した。153系は113系と異なり冷房装置を搭載していたが、製造初年が1958年(昭和33年)と古く、座席がボックスシートであり、並行する阪急電鉄京都線と京阪電気鉄道本線の特急車両がいずれも転換クロスシートを採用していたのに比べると見劣りしていた。本来は急行形として設計された車両であり、デッキを有する客室構造はラッシュ時の輸送に難点があった。
117系は153系のこうした問題点を解消し、京阪神地区の新快速の輸送事情に適合し、なおかつ並行私鉄に対抗しうるレベルの接客設備を備えた車両として設計した車両である。それまで一貫して車両の標準化を推進してきた国鉄が、地域の事情に応じた車両を設計・製造した嚆矢ともなっているが、接客設備自体は1975年(昭和50年)に北九州地区に投入されたキハ66系を元にしている。
京阪神地区のほか、のちに名古屋地区にも投入された。
その後に製造された本系列と類似の接客設備を持つ車両としては、1981年(昭和56年)に関東地区に投入した185系、1983年(昭和58年)に広島地区に投入した115系3000番台、1987年(昭和62年)に岡山地区に投入した213系が挙げられる。
[編集] 構造
※ここでは製造当時の構造について述べる。
[編集] 車体
鋼製ながら、各種の腐食対策が施された車体構造である。2007年(平成19年)現在、後述する115系3500番台への改造車も含めて全ての車両が現存している。
全長20mの車体に片側2か所の半自動対応(名古屋投入分は省略)の両開扉を設置する。側面は戸袋部を除いて4枚1組のユニット窓が並び、中間車で(21D122221D12、Dはドア、1は戸袋窓)という独特の形態である。側面形状はキハ66系・阪急電鉄2800系に類似している。
前面も独自のもので、「鼻筋」の通った湘南型風の形状に高い運転台、4灯の前照灯、中央に列車種別表示器とタイフォン(警笛)を有している。類似の形状は157系以外存在しない。また、併結運転のため連結器には国鉄初となる自動解結装置と電気連結器が採用されている。
塗装にはベージュ(クリーム4号)にマルーン(ぶどう2号)の帯が入る塗装である。このベージュとマルーンの2色塗装は1935年から京都~神戸間に運転されていた急行電車に使用されていた52系や、戦後の1950年(昭和25年)に製造された80系の塗装と似た色である。従来、国鉄の近郊形電車は電気方式が同じであれば同一の塗装を施すルールとなっていたが、本系列ではそのルールを打破し、系列専用色が採用された。このマルーンは新快速、ひいてはJR西日本のアーバンネットワークのイメージカラーとして221系他多数の車両にも使われている。
[編集] 台車・機器
電動機は113系などと共通のMT54系を装備し、歯車比も従来の近郊形と同様の1:4.82とされたが、台車は近郊形標準のコイルバネ台車を使わず、急行形で使用実績のある空気バネのDT32系を採用し、最高速度は従来の100km/hから110km/hに引き上げられた。M車比率の高い編成のため起動加速度も私鉄車両に引けを取らない。主制御器は381系や417系で実績のあったCS43系で、勾配抑速ブレーキ付きである。
[編集] 車内設備
室内は全席転換クロスシート(隅部のみ固定式。座席間隔は910mm)で、窓と座席の間隔は全て一致しており、室内には木目調の化粧板が使われるなど、接客設備は急行形を上回るほど上質なものである。
[編集] 基本形式・番台区分
編成はMT比4M2T(TcMM'MM'Tc')の6両が基本とされ、制御車と中間電動車という国鉄の標準的な構成であり、各派生番台も含め中間付随車は存在しない。
[編集] 形式
- モハ117形(1~60、101~106)
- 主制御器、主抵抗器等を搭載する電動車(M)。前位寄りにパンタグラフを搭載する。モハ116形とユニットを組んで使用される。
- モハ116形(1~60、101~106)
- 電動発電機(MG)、空気圧縮機(CP)等の補助機器を搭載する電動車(M')。モハ117形とユニットを組んで使用される。
- クハ117形(1~30、101~112)
- 奇数(東海道本線基準で東京寄り=東)向きの先頭に連結される制御車(Tc)。本形式のみ、側面の種別・行先表示器を装備しない。名古屋地区向けの22以降はトイレを装備する。
- クハ116形(1~30、101~103、201~209)
- 偶数(東海道本線基準で神戸寄り=西)向きの先頭に連結される制御車(Tc')。200番台を除いてトイレを装備する。
[編集] 0番台
1979年から製造された基本番台である。1980年までに6両編成21本(126両)が宮原運転所(現・宮原総合運転所)に投入され、153系と交代した。
1982年には東海道本線名古屋地区の快速に使用されていた153系の置換え用に6両編成9本(54両)が製造され、大垣電車区に配置された。117系は当時としては異例ともいえる構造の電車で、大阪鉄道管理局が国鉄本社の反対を押切って、私鉄との対抗上強引に導入したいきさつもあり、他地区への導入は国鉄本社としては拒否し続けたものであった。しかし、当時の名古屋鉄道管理局長・須田寛が国鉄本社に強力に働きかけたことや、この車両の導入で快速の編成を8両から6両に減車して153系を76両淘汰し、差引22両の電車を削減できるというメリットがあることから、名古屋地区に限って投入することになったものである。京阪神地区用とは扉の半自動機能(戸閉機械は従来車と同一)および自動解結装置の省略、クハ117形にもトイレを設置するなど若干の仕様の違いがある。こちらも並行する名古屋鉄道名古屋本線との競争という事情があっての投入であった。
[編集] 100・200番台
国鉄の分割・民営化直前に実施された1986年11月1日のダイヤ改正にともなう、京阪神地区の新快速増発用および名古屋地区の編成短縮(6両→4両)による快速増発用に投入された増備車で、京阪神地区用は6両編成3本(18両)、名古屋地区用は先頭車のみ18両(クハ117形、クハ116形各9両)、計36両が投入された。クハ117形は、0番台では名古屋地区向けの増備車からトイレ付きに変更されていたが、京阪神地区向けは従来車に合わせて再びトイレなしに変更された。また名古屋地区向け車は、すでにクハ117形にトイレが設置されていた関係上、ペアを組むクハ116形は100番台をトイレなし仕様に変更した200番台を起こして投入した。
4年ぶりの増備であることから、各部の設計が変更されている。車端部のデッドスペースを減らして扉回りの立席スペースが拡大され、側窓はユニット構造のまま下降式の1枚窓となった。これに伴い台枠部の防錆構造が強化されたほか、床面高さが下げられている。台車は205系などと同様の軽量で構造が簡素なDT50C形、TR235B形のボルスタレス台車になり、座席もバケットタイプを採用するなどの変更がある。その他の仕様は各地区向けの仕様に準じている。
名古屋地区向けは編成短縮と同時に神領電車区に転属し、中央西線快速の増発用にも充てられた。
[編集] 民営化後の状況
[編集] JR西日本
京阪神地区では、221系の投入により1990年(平成2年)3月10日のダイヤ改正から新快速が115km/h運転を始めた関係で、1990年に全車最高速度を115km/hに引き上げる改造を受けた。しかし、221系の増備により余剰が生じるようになったことと、1991年(平成3年)3月16日のダイヤ改正から新快速が早朝深夜を除いて120km/h運転を開始した関係で、同年からは他線への転用が進んだ。福知山線(JR宝塚線)への転用改造、編成短縮による奈良線、湖西線、草津線、山陽本線岡山地区の快速「サンライナー」への転用、編成短縮による余剰車については115系との併結改造を実施した。加えて新快速がアーバンネットワークの中心に位置づけられたことに伴って乗客数が増加したことにより、片側2扉6両編成(ラッシュ時は12両編成)で120km/h運転ができない117系では日中とラッシュ時の新快速運用をこなすことが困難になり、1991年3月16日のダイヤ改正からダイヤと輸送力に余裕がある早朝と深夜のみの運用となった。そして、1999年(平成11年)5月11日のダイヤ改正から223系運用の新快速が一部時間帯において西明石~草津間で130km/h運転を開始したのに伴い、1999年5月10日限りで新快速運用から完全に撤退した。
その後、2004年(平成16年)10月10日に「リバイバル新快速」として一日限りではあるが、再び運用に就いた。JRマークを消したC1編成とC16編成を連結した12両で運転され、登場当時の前面種別幕が使われた(誤乗車を防ぐため側面は「臨時」と表示)。
また、2000年(平成12年)に221系による丹波路快速の運転開始に伴って福知山線(JR宝塚線)での運用を縮小し、同年3月からは日根野電車区にも300番台の福知山色4両編成2本が配属され和歌山線でも使用を開始した。2001年(平成13年)には221系によるみやこ路快速の運転開始に伴って奈良線での運用から撤退し、2002年(平成14年)3月からは日根野電車区所属車の運用範囲が阪和線日根野~和歌山間、紀勢本線(きのくに線)和歌山~紀伊田辺間にも拡大、同時に和歌山線ではワンマン運転も開始され、塗装も和歌山色に統一された。
その後、トイレをクハ117形にも増設し、バリアフリー対応化改造を施した上で団体用にも使用される編成が存在する。度重なる転配により、100・300番台の混結となった編成も存在している。
2005年(平成17年)4月25日に発生したJR福知山線脱線事故の影響により、福知山線(JR宝塚線)で運用していた編成がATS-Pの対応改造を受けないまま2005年6月18日限りで同線から撤退し、その多くは一時的に山陰本線(嵯峨野線)、湖西線、草津線のローカル運用に、更にその玉突で100番台4両編成3本が岡山電車区へ貸出され、岡山地区各線や米子地区での多客臨時列車として使用された。岡山電車区貸出編成は、その後さらに下関車両管理室へ又貸となり、2005年秋以降、九州旅客鉄道(JR九州)から乗入れていた415系の運用を置換えている。下関車両管理室にはその後300番台4両編成2本も貸出され、100番台4両編成3本と合せて5本20両の配属となった。
[編集] 300番台への改造
JR西日本に承継された車両のうち、221系の増備に伴い余剰となり、1990年以降福知山線(JR宝塚線)へ転用したグループ。塗装は白に緑帯となった。
ラッシュ時に運用するには2扉構造が災いして乗降に時間がかかり、遅れの原因になったため、扉から中央寄りの転換クロスシートをロングシートに変更して床面積を増やし、定員増を図った。それに伴いブレーキに応荷重装置を追加している。1992年(平成4年)・1993年(平成5年)・1995年(平成7年)に計58両が改造された。車両番号は元番号+300。これの先行改造として、座席を一部撤去した車両が存在した。
しかし、それでもラッシュに対応し切れなくなり、ラッシュ時には逆方向の福知山方面や早朝深夜の運用をメインとするようになった。2000年3月からは4両編成2本が日根野電車区へ転じて和歌山線でも使用を開始した(日根野区には制御車のみ300番台の4連の編成が1本存在する。塗装は全て同じ)。JR福知山線脱線事故の後に同線にATS-Pを設置したことを機に2005年(平成17年)6月18日限りで対応改造を受けないまま同線から撤退し、宮原総合運転所から京都総合運転所(嵯峨野線・湖西線・草津線などの運用)に転じた。一部は岡山電車区を経て下関車両管理室へ貸出され、前述の100番台と共通の運用に入っている。
- 新旧番号対応
- モハ117/116-3~16・19・20・41・42→モハ117/116-303~316・319・320・341・342
- クハ117/116-2~8・10・18・20・21→クハ117/116-302~308・310・318・320・321
[編集] 岡山地区への転用
まず、1992年に0番台4両編成6本(24両)が岡山電車区に転用され、白に赤のグラデーションに塗り替えた上で快速「サンライナー」などで使用されている。これらは1999年にワンマン運転対応改造を施工したが、車内で運賃を収受しないことから運賃箱などは設置していない。転用車は次のとおり。
- E1 Tc 9 - MM'18 - Tc' 9
- E2 Tc11 - MM'22 - Tc'11
- E3 Tc13 - MM'26 - Tc'13
- E4 Tc15 - MM'30 - Tc'15
- E5 Tc17 - MM'34 - Tc'17
- E6 Tc19 - MM'38 - Tc'19
その後、2005年6月にJR福知山線脱線事故の影響により、100番台4両編成3本(12両)が宮原総合運転所から岡山電車区へ貸し出しとなり、E11~E13編成として岡山地区でのローカル運用を主体に一部は快速「サンライナー」にも使用されたほか、米子地区での多客輸送臨時列車としても使用されたことがあった。
この際、岡山電車区は同車に装備されていたトイレの循環式汚物処理装置の抜き取り設備はなく、トイレ使用停止状態で使用された。ただし、米子地区での運用時には運用上の拠点となった後藤総合車両所が循環式汚物処理装置の抜き取り設備があったため、トイレは一時的に使用可能状態となった。このことが運用上の制約を生む結果となり、2005年10月までに100番台4両編成3本は下関車両管理室へ又貸しすることになった。
[編集] 115系3500番台への改造
1992年に「サンライナー」転用にあたり、短編成化(6両→4両)によって発生する余剰中間電動車を岡山・広島地区で使用されている115系の先頭車と混結できるよう、制御回路を改造したものである。併せて前述の117系300番台と同様に、扉から中央寄りの転換クロスシートの一部をロングシートに変更している。
これらの改造で形式がモハ115・114形3500番台に改められている。当初11ユニット22両が改造されたが、2001年に3ユニット6両が追加改造され、計28両を115系に編入した。詳細は当該項目を参照していただきたい。
- 新旧番号対応
- モハ117/116-17・21・23・25・27・29・31・33・35・37・39・303・315・316→モハ115/114-3501~3514
[編集] 紀勢本線・和歌山線への転用
2000年3月に、福知山線(JR宝塚線)用の300番台4両編成2本が福知山色のまま日根野電車区へ転属し、G801編成、G802編成として和歌山線全線で使用されるようになったのが始まりである。それまでの和歌山線専用の同区113系湘南色車(G416編成・G417編成)による朝夕ラッシュ時の運用をそのまま移管する形で運用された。なお、運用の間合いで阪和貨物線(関西本線(大和路線)久宝寺~阪和線杉本町間の貨物線・現在は休止中)の路線維持回送列車(錆取り列車)としても使用されたため、同線と関西本線王寺~久宝寺間、阪和線杉本町~鳳間でも休止前日まで恒常的に走行風景を見ることができた。
運用上の常駐先であった新和歌山車両センターのトイレ汚物処理設備が同車の循環式に対応しておらず、トイレは使用停止とされていた。2編成配置2運用使用であったため、日根野電車区での検査実施時には同区113系(阪和色車または湘南色車)が代走した。
2001年3月、宮原総合運転所所属車による奈良線運用が消滅したため、同所0番台のC14編成6両1本も原色のまま日根野電車区へ転属前提で貸し出された。このうち4両がG803編成として上記300番台編成の検査代走を113系に代わって担当した。
同年12月、宮原総合運転所所属福知山色300番台TcTc'308の2両と、上記日根野区貸し出しのG803編成から漏れた端数ユニットMM'40の2両にワンマン運転対応改造を施工、オーシャングリーン地にラベンダー帯の外部塗装となって日根野電車区へ配属され、翌2002年1月から和歌山線で使用を開始した。その後同区配置の残りの編成も順次ワンマン運転対応改造工事施工と併せてこの塗装に変更され、宇部線「きらら博」臨時快速列車用に宮原総合運転所から下関地域鉄道部下関車両管理室へ貸し出されていたC12編成4両1本も加わり、同年3月には4両編成5本の陣容(G801編成~G805編成)となった(運用範囲は前述)。
この際、運用上の拠点も循環式汚物処理装置を扱える日根野電車区になったことから、トイレも使用可能となった。同年11月、所属が新和歌山車両センターに移り、阪和線と紀勢本線御坊~紀伊田辺間での定期運用が消滅したが、この際に各編成のトイレの汚物処理装置を循環式からカセット式へ交換することでトイレ使用可能状態を維持している。
- 転用車は下記のとおり。括弧内は日根野電車区所属の2002年3月時点での編成番号
- G1(G801) Tc12 - MM'24 - Tc'12
- G2(G802) Tc14 - MM'28 - Tc'14
- G3(G803) Tc308 - MM'40 - Tc'308
- G4(G804) Tc318 - MM'305 - Tc'318
- G5(G805) Tc320 - MM'341 - Tc'320
[編集] JR東海
民営化直後は、JR東海名古屋地区都市圏輸送のフラッグシップとして重用された。しかし、混雑の激しい中央西線ではその車体構造ゆえ乗客をさばききれなくなり、1988年には3扉ロングシートの新製車211系5000番台に置換えられて撤退し全車が大垣電車区に転属した。東海道本線においては、後継の311系の登場によりメインの新快速を同系に譲ったものの快速用の主力として使用されたが1999年(平成11年)の運転速度引き上げにともなって東海道本線の日中のダイヤは最高速度120km/hまたは211系5000番台3両編成(2M1T)並の高加速性能が要求されることとなり、これに対応できない117系は日中の運用をほぼ失うこととなった。
2007年(平成19年)現在の運用は、朝晩のラッシュ時における金山~米原間の快速が中心であり、おもに4両編成を2本連結した8両編成で運転される。その他、日中には浜松~豊橋や大垣~米原間の運用が見られるが、ほとんどの編成は大垣車両区や熱田駅、大府駅、豊橋駅構内などに留置されていた。一方、2006年に313系の追加増備が行われ、同社の113系は淘汰される計画であるが、本系列には具体的な置換え計画はなく、名古屋地区でしばらくは使用される予定である。
2006年10月改正以降は大垣~米原間の日中の普通運用の大半が117系となった。
塗装は全車ともJR東海のイメージカラーである白にオレンジ帯に塗変えられた。塗替当初は雨樋に1本、窓下に2本の計3本の帯が入っていたが、その後の塗装簡略化により窓下に1本を引くのみになっている。