駒澤大学附属苫小牧高等学校
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駒澤大学附属苫小牧高等学校 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人駒澤大学 |
設立年月日 | 1964年4月18日 |
創立記念日 | 4月18日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 仏教専修科 |
所在地 | 〒053-8541 |
北海道苫小牧市美園町1-9-3 | |
電話番号 | 0144-32-6291 |
FAX番号 | 0144-32-6521 |
外部リンク | 公式サイト |
駒澤大学附属苫小牧高等学校(こまざわだいがくふぞくとまこまいこうとうがっこう、略称:駒大苫小牧、駒苫)は、駒澤大学系列の曹洞宗立の男女共学の高等学校である。
特に、野球部、サッカー部、アイスホッケー部、スケート部、吹奏楽部の活動が盛んである。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 設置学科
- 普通科
- 総合コース - 総合的な授業編成で進学就職両方に対応。3年生向けに自動車免許取得授業もある。
- 大学進学コース - 駒澤大学などの私立大学や専門学校への進学を目指す授業編成を展開。
- 国公立大学進学コース - 国公立大学進学を目標とする5教科重視のコース。
- 体育コース - 各運動部の在籍者が対象のコース。授業で部活動を行う。
- 文化コース - 各文化部の在籍者が対象のコース。授業で部活動を行う。
このほか、寺院後継者には、普通科に在籍しながら、研修を行う仏教専修科がある。
[編集] 野球部
[編集] 歴史
- 2004年8月22日 第86回全国高等学校野球選手権大会で初優勝。北海道の高校としても初の優勝であった。チーム通算打率の大会記録(.448、174打数78安打)をつくる。
- 2004年9月29日 苫小牧市から郷土貢献者表彰と体育協会特別表彰を受賞。
- 2004年11月3日 苫小牧市から文化賞を受賞。
- 2005年8月20日 第87回全国高等学校野球選手権大会で2度目の優勝、57年ぶり6校目(戦後初・学制改革後初)の連覇を達成。
- 2005年10月26日 岡山県国体で優勝。
- 2005年11月1日 苫小牧市から郷土貢献者特別表彰を受賞(2004年に苫小牧市は郷土貢献者表彰を授与したが、通常表彰は1度のため、2005年の連覇時に規則を改正して特別表彰を新設している)。
- 2005年11月15日 明治神宮野球大会で優勝、三冠を達成。
- 2006年3月2日 野球部員の3年生10人が卒業式の後に苫小牧市内の某飲食店で飲酒・喫煙し補導されていたことが発覚。第 78回センバツ高校野球への出場辞退、監督・部長の辞任、校長の辞職へと波及した。
- 2006年5月1日 この日付けで香田前監督が監督に復帰することが決まった。
- 2006年8月21日 - 第88回全国高等学校野球選手権大会決勝戦再試合で、早稲田実に敗れ、中京商(現中京大中京)以来の夏3連覇の達成はならなかった。公式戦連勝記録は48、夏の甲子園全国大会の連勝記録は14でストップ。
- 2006年9月25日 プロ野球ドラフト会議2006で田中将大選手は横浜・楽天・オリックス・日本ハムの指名を受け、抽選の結果楽天が交渉権を得た。
- 2006年11月1日 苫小牧市から2年連続となる郷土貢献者特別表彰を受賞。
- 2006年11月11日 野球部員による喫煙が発覚。学校側が調査し、事実が判明した。駒大苫小牧は9日に北海道高野連を通じて、日本高野連に事実関係を報告。15日に行われる日本高野連の審議委員会で話し合われる。
[編集] スタッフ
[編集] 春の甲子園の成績
- 2005年
- 2006年の大会では夏春連覇が期待されたが、3年生の飲酒事件が起こり、出場が決まっていながら辞退するという事態が起こった。
[編集] 夏の甲子園の成績
- 2004年
※詳細
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
済 美 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 10 |
駒大苫小牧 | 1 | 0 | 2 | 3 | 0 | 3 | 3 | 1 | x | 13 |
[審判](球)岡本(塁)桂・小山・窪田
- この年の決勝は壮絶な打撃戦・両チーム合わせて39本のヒット・23得点。ホームランも2本出る等と最終決戦の名に相応しい好ゲームと成ったが最後は6・7・8と毎回得点を挙げた駒大苫小牧に軍配が上がった。済美は最終回に2アウト1・2塁というチャンスがあり、4番の鵜久森淳志(現、北海道日本ハムファイターズ)に打席が回ってきたが初球を打ち上げ、ショートフライでゲームセット。
- 2005年
- 同大会では57年ぶり6校目の2連覇を達成。“北国の高校は夏の大会では勝てない”というジンクスを完璧に払拭し揺るぎ無いものとした。
- しかし大会終了後の8月22日、大会前の6月2日および8月7日に野球部部長が部員に対して殴るなどの暴力をふるったという事実を、校長・教頭らが8月9日には確認していたにも関わらず、日本高校野球連盟などに報告せず隠していたことが発覚し、快挙に水を差される形となった。しかし2005年8月27日に全国優勝と秋の大会出場が認められた。日本学生野球協会審査室会議は9月21日、野球部長の期限付謹慎と野球部への警告と処分を下した。
- 2006年
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 計 | |
駒大苫小牧 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
早 稲 田 実 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
[審判](球)赤井(塁)長谷川・日野・小山
-
- 8月21日 ●(再試合)3-4 早稲田実 (西東京)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
駒大苫小牧 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 3 |
早 稲 田 実 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | x | 4 |
[審判](球)赤井(塁)長谷川・日野・小山
- この年、駒大苫小牧は中京商(現・中京大中京)以来の73年ぶり3連覇を目指した。3回戦、準々決勝と粘りの逆転勝ちをして観客を魅了した。決勝戦は、駒大苫小牧のエース・田中将大投手と、早実のエース・斎藤佑樹投手の投手戦となった。20日の試合では延長15回引き分けで決着がつかなかった。翌日の決勝再試合ではこの試合で4連投となった早実斎藤投手の前に3対4で惜敗、駒大苫小牧は3連覇を逃してしまった(決勝最後の勝負は偶然的にも早実が斎藤・駒大苫が田中だった)。しかし、北国のチームが3年連続決勝進出はまさに快挙であり、この決勝戦は歴史に残る一戦となった。田中将大は試合後「全力でやったので悔いはないし、涙も出てこなかった。」と語った。
- ちなみに夏の甲子園の決勝戦で、引き分け再試合になったのは1969年(昭和44年)大会の松山商(愛媛県)と三沢(青森県)の決勝戦以来・37年振り2回目。この時は延長18回制だったので15回に縮小されてからは初めての決勝引分け再試合である。この時は松山商が再試合で勝利を収めて優勝している。
- 又、2005年夏の南北海道大会支部予選1回戦から2006年夏の甲子園準決勝・智弁和歌山戦まで「公式戦48連勝」を記録した。
[編集] 国民体育大会の成績
- 2005年(岡山県「晴れの国おかやま国体」)
- 2006年(兵庫県「のじぎく兵庫国体」)
- この試合田中将大投手は13奪三振を奪い松坂大輔投手(西武)の高校通算423奪三振を抜き429奪三振とした。
- この試合田中将大投手は11奪三振を奪い通算440奪三振とした。
[編集] 明治神宮野球大会の成績
- 2002年
-
- 11月16日 ●1回戦1-11 遊学館(石川)
- 2005年
[編集] 8.9の悲劇
8.9の悲劇(はちてんきゅうのひげき)とは、2003年の第85回全国高等学校野球選手権大会において南北海道代表駒大苫小牧高等学校が岡山県代表倉敷工に大きくリードしながらその試合がノーゲームとなり、再試合で敗退したことを指す通称である。
当時駒大苫小牧は春夏通じて4回目の出場、初勝利を狙っていた。またこの試合は1999年以来4年越しの北海道勢の選手権通算50勝目もかかった試合でもあった。
試合は3回まで駒大苫小牧が8-0と大きくリードしていた。しかし不運にも4回裏攻撃中、台風10号による降雨でノーゲームとなった。翌日に行われた再試合は前日の打ちすぎで体力を消耗したのか、駒大苫小牧が倉敷工業に2-5で惜敗、甲子園を去る。この敗戦は駒大苫小牧ナインはもちろん、北海道の人々や全国の高校野球ファン(当時はまだ北国の高校という色眼鏡で見られていたこともあり)の心に深く刻み込まれることとなった。皮肉にもこの台風はその後北海道を直撃し、日高地方に大きな被害をもたらした。
名称の由来は再試合が行われた8月9日から。ただし日本では一般的に、8月9日とは長崎に原子爆弾による核攻撃が行なわれた日を指す。この通称はあくまでも特定の高校野球ファンにのみ認知されている言葉である。
(参考)日本野球規則4・10(c)では、審判員が試合の途中で打ち切りを命じたときに正式試合となる回数を5回と定めているが、高校野球特別規則により7回とされているため、高校野球においては、雨天、台風などの自然災害を理由として試合が途中で打ち切られる場合、7回終了を迎えなければノーゲームとなる。なお7回を終了しその後9回終了を迎えなかった場合は、コールドゲームとして試合成立となる。
- 駒大苫小牧 8 - 0 倉敷工(4回降雨ノーゲーム)
1 | 2 | 3 | 4 | 計 | |
倉敷工 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
駒大苫小牧 | 0 | 7 | 1 | 0x | 8 |
[審判](球)小山(塁)東条・福住・野口
- 倉敷工 5 - 2 駒大苫小牧(再試合)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
倉敷工 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 |
駒大苫小牧 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
[審判](球)小山(塁)東条・福住・野口
しかし、この降雨ノーゲームという不運な敗戦を機に、駒大苫小牧は翌04年夏、翌々05年夏と、北海道勢の高校野球界にとって史上初の大きな歴史を作る事となったのである。
[編集] アイスホッケー部
苫小牧市はアイスホッケーどころとして知られており、駒苫アイスホッケー部も忘れてはならない。
1994年から2002年までインターハイ9連覇を達成。2003年こそ優勝を逃したが、2004年から2007年まで4連覇。優勝回数は25回に上る。また、2006年より創設された選抜でも初代王者となり、高校アイホ界の王者として君臨している。
野球部が甲子園を制覇するまでは駒苫と言えばアイホと言われる程でもあった。
地元の王子製紙はもちろん、アジアリーグに参加する国内チームにもOB多数。
[編集] 出身者
- 橋本聖子(スピードスケート選手・アルベールビルオリンピック銅メダリスト、自転車競技選手・夏季五輪日本代表、参議院議員)
- 山本宏美(スピードスケート選手・リレハンメル五輪銅メダリスト)
- 田畑真紀(スピードスケート選手・冬季五輪日本代表、元王子製紙所属)
- 岩本裕司(アイスホッケー選手・元雪印乳業所属)
- 桜井邦彦(アイスホッケー選手・昭和63年全国高等学校総合体育大会優勝メンバー、長野五輪代表、王子製紙所属)
- 加藤謙如(元プロ野球選手、元オール苫小牧選手兼コーチ)
- 佐々木孝介(第86回全国高等学校野球選手権大会優勝時の六番遊撃手で主将を務める。)
- 現在は駒澤大学で遊撃手を務める。
- 林裕也(第87回全国高等学校野球選手権大会優勝時の一番二塁手で主将を務める。)
- 田中将大 東北楽天ゴールデンイーグルス投手。(第87回全国高等学校野球選手権大会優勝投手。第88回全国高等学校野球選手権大会準優勝時エース。大会前まで主将を務める。2007年3月卒業)
[編集] 系列校
- 駒澤大学
- 苫小牧駒澤大学 - 当高校とは位置が全く別なので注意が必要である。
- 駒澤大学高等学校
- 駒澤大学附属岩見沢高等学校
[編集] 関連書籍
- 大旗は海峡を越えた 駒大苫小牧野球部の軌跡(ISBN 4-8172-0232-7)
- 全国制覇駒大苫小牧 2004夏甲子園熱闘ドラマ(ISBN 4-89453-313-8)
- めざせ三連覇!駒大苫小牧野球の挑戦(ISBN 4-89453-387-1)
- 胸を張れ 駒大苫小牧準優勝 2006夏 甲子園(ISBN 4-89453-391-X)
- 早実vs.駒大苫小牧(ISBN 4-02-273116-8)
- 栄光のマウンド 早実vs駒大苫小牧(ISBN 4-8124-2919-6)