鳥栖市
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[編集] 概要
九州を代表する交通都市の一つ。鉄道では長崎本線と久大本線(久留米駅から乗入れ)が、道路では長崎自動車道と大分自動車道が交差している。江戸時代には長崎街道轟木宿と田代宿の宿場町でもあった。
経済では福岡都市圏の一角であり、2000年度の国勢調査で、鳥栖市は福岡市の5%圏域(総人口の約5%が福岡市へ通勤・通学している)である。但し、福岡都市圏では、行政や商業の中心地は福岡市、交通の中心地は鳥栖市というように分担されている。
名目上は佐賀県や旧肥前国に属しているが、鹿児島本線と国道3号の沿線なので、筑前国(旧福岡県)や筑後国(旧三潴県)という色が濃い。このため、「福岡県鳥栖市」と錯覚する人が、地元の九州にも数多く存在している。
[編集] 地理
筑紫平野(佐賀平野)に位置し、南の境を筑後川が流れる。低地は水田に利用され、その中に市街地がある。北西部は脊振山地の東部にあたる。
[編集] 歴史
[編集] 江戸時代
藩政において、現在の市域東部は対馬府中藩の飛び地で「田代領」と呼ばれ、長崎街道田代宿の宿場町であった。又、鳥栖市街地には、同じく長崎街道轟木宿の宿場が置かれていた。
田代宿には、対馬府中藩の米倉や代官所が設置されていた。又、朝鮮通信使の立ち寄る場所であり、応接の為の施設も備えられた。藩主の宗氏が、朝鮮との貿易で朝鮮から輸入した漢方薬の実物と知識が豊富に供給された事と、収入源を確保する目的から、領民には薬の製造を副業とする者が増え、次第に他領でも行商するようになった。江戸時代後期には日本四大売薬の一つと数えられ、九州の薬商の大半を田代産の薬が占める程であった。
[編集] 明治期以降
- 1874年:佐賀の乱が勃発。市内朝日山において、政府軍と反乱軍の戦闘が行われた。
- 1889年4月1日:町村制により、以下の各村が発足。
- 1896年3月26日:郡制施行により、上記各村は全て三養基郡に属する。
- 1907年3月19日:轟木村が町制を施行し、鳥栖町となる。
- 1936年2月11日:田代村が町制施行し、田代町となる。
- 1954年4月1日:鳥栖町、田代町、基里村、麓村、旭村が対等合併して市制を施行し、鳥栖市が発足。
[編集] 行政
- 市長:橋本康志(はしもとやすし。任期満了日:2011年3月14日)
[編集] 国家機関
- 麓刑務所(女子収容施設):鳥栖市山浦町
[編集] 経済
交通の要衝なので、九州の主要都市へのアクセスも便利な位置にある地の利を生かして、工場の誘致が積極的に行われている。
[編集] 工場を置く主な企業
- ブリヂストン鳥栖工場
- 久光製薬九州本社・鳥栖工場
- アイリスオーヤマ鳥栖工場
- リンガーハット鳥栖工場
- 東京エレクトロン九州 佐賀事業所
- キユーピー鳥栖工場
- 読売新聞鳥栖工場(九州オール印刷)
- 毎日新聞九州印刷センター
- パナソニック ファクトリーソリューションズ鳥栖事業所
- 関西酵素鳥栖工場
- あじかん鳥栖工場
- パナソニック コミュニケーションズ佐賀事業場
- 日清製粉鳥栖工場
- 積水化学工業鳥栖駐在
- コカ・コーラウエストジャパン鳥栖工場
- フランスベッド九州工場
- 東洋新薬鳥栖本部・工場
[編集] 本社を置く企業
- ヨコオ(鶏肉加工品メーカー)
- 森永デザート
- 久光製薬(九州本社)
[編集] 健康
- 平均年齢:39.9歳
- 年少人口割合:16.2%
- 生産年齢人口割合:67.7%
- 老年人口割合:16.1%
[編集] 学校
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- 小学校
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[編集] 交通
[編集] 鉄道
- 中央駅:鳥栖駅
- 九州旅客鉄道(JR九州)
※ この他、久大本線も鳥栖駅に乗り入れしている。
[編集] 道路
[編集] 名所
[編集] 娯楽
[編集] スポーツ団体
[編集] 出身有名人
- 緒方孝市(プロ野球選手)
- 川崎徳次(プロ野球選手)
- 小山慶一郎(NEWS)
- 権藤博(プロ野球選手)
- 孫泰蔵(実業家)
- 孫正義(実業家・ソフトバンク創業者)
- 原尞(作家)
- 古澤憲吾(映画監督)
- 松雪泰子(女優)
- 向井秀徳(ミュージシャン)
- 吉田稔(騎手・名古屋競馬場所属)