いすみ鉄道いすみ線
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いすみ線(いすみせん)とは、千葉県いすみ市の大原駅から、千葉県夷隅郡大多喜町の上総中野駅までを結ぶいすみ鉄道の鉄道路線。旧国鉄の特定地方交通線(木原線)を引き継いだ路線である。
外房線大原駅から分岐して房総半島内陸部に入り、上総中野駅で接続する小湊鉄道線とあわせて横断線を形成する。本来は、久留里線と結んで大原~木更津間を結ぶ鉄道(改正鉄道敷設法別表第48号)として計画されたものであり、木原線という路線名も木更津の木と大原(現・いすみ市)の原から取られたものであったが、上総中野~上総亀山間は建設されなかった。
目次 |
[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):26.8km
- 軌間:1067mm
- 駅数:13駅(起終点駅含む)
- 複線区間:全線単線
- 電化区間:全線非電化
- 閉塞方式:特殊自動閉塞式(電子符号照査式)
- 交換可能駅:3(上総東、国吉、大多喜)
- 車両基地所在駅:大多喜駅
[編集] 運転
全ての列車が普通列車で、ワンマン運転を実施している。全線通し運転の列車の他、大原駅~大多喜駅・大多喜駅~上総中野駅間の区間列車が運転されている。
ほぼ毎時1本の運行で、不定期列車や学校休み期間運行の列車もある。
[編集] 歴史
いすみ線の歴史は、1912年、大原~大多喜間15.5kmに開業した千葉県営人車軌道大多喜線(軌間609mm)にさかのぼる。しかし、路線は勾配が多く、人力で押す方式では人件費が嵩んだため、1921年に個人に払い下げられた後、1922年には夷隅軌道に譲渡され、ガソリンカー4両が投入された(このガソリンカーは日本でも初期の導入例の一つだが、全長僅か3m強、20馬力で定員10名の木製超小型車であった)。その後も経営状況は良くなく、国鉄木原線の建設が決定したことから、補償金85,000円を受け、1927年9月1日に夷隅軌道は廃止された。
1930年には木原線が開業したが、沿線は人口希薄地帯で輸送量は多くなく、合理化のため早くから気動車が投入された。この気動車は戦時中には周辺で産出される天然ガス動力となったこともある。1954年からは小型のレールバス(キハ10000形)が一時的に投入されたこともある。
1981年に国鉄再建法施行により第1次特定地方交通線に指定され、1987年に東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された後、1988年にいすみ鉄道に転換された。第1次廃止対象路線としては、最後の転換であった。
- 1930年4月1日 - 木原線大原~大多喜間(15.9km)開業。
- 1933年8月25日 - 大多喜~総元間(6.4km)開業。
- 1934年8月26日 - 総元~上総中野間(4.6km)開業。(全通・26.9km)
- 1937年2月1日 - 東総元駅、西畑駅開業。
- 1960年6月20日 - 西大原駅、新田野駅、小谷松駅、久我原駅開業。
- 1974年10月1日 - 貨物営業廃止。
- 1981年9月11日 - 廃止承認。(第1次廃止対象特定地方交通線)
- 1987年4月1日 - 国鉄民営化により東日本旅客鉄道に承継。
- 1988年3月24日 - JR木原線廃止。いすみ鉄道いすみ線開業。
[編集] 駅一覧
この書体の駅には始発終着の列車が存在する(2006年4月現在)
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
大原駅 | 0.0 | 東日本旅客鉄道:外房線 | 千葉県 | いすみ市 |
西大原駅 | 1.7 | |||
上総東駅 | 5.2 | |||
新田野駅 | 7.4 | |||
国吉駅 | 8.8 | |||
上総中川駅 | 11.9 | |||
大多喜駅 | 15.8 | 夷隅郡大多喜町 | ||
小谷松駅 | 18.2 | |||
東総元駅 | 19.6 | |||
久我原駅 | 20.8 | |||
総元駅 | 22.2 | |||
西畑駅 | 25.1 | |||
上総中野駅 | 26.8 | 小湊鐵道:小湊鉄道線 |
[編集] その他
- 開業以来、慢性的な赤字に悩まされ続けており、存続の危機に瀕している。2007年に存廃の結論が出る予定。
- 一方で大多喜町は大多喜・上総中川間に設置する新駅の建設費を2007年度予算に計上すると2007年2月21日付けの読売新聞で報じられた。これは、2006年10月の増便に続く積極的な乗客獲得策であるといえる。
- 現在、小湊鉄道線との乗り換え駅である上総中野駅では、一応、両線の線路は繋がっており、この線路を繋げて相互乗り入れする話が持ち上がっている。
- 近年、各駅の駅名標を新しいタイプのサインへ交換した。基本的なデザインはJR東日本の駅名標と同一。(但し帯の色が違う)
- JR木原線時代、地元住民グループが廃止を阻止するためJRによる乗降者数調査日を狙い無用であるにも拘らずわざと乗降。乗降者数を不正につりあげ路線の実態把握を不能にする活動として問題となった。