久留里線
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久留里線(くるりせん)は、千葉県木更津市の木更津駅から君津市の上総亀山駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
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[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):32.2km
- 軌間:1067mm
- 駅数:14駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 最高速度:65km/h
- 閉塞方式:タブレット閉塞式
- 交換可能駅:横田・久留里(以前は馬来田も交換可能だった。)
- 千葉支社管轄。
[編集] 運行形態
データイムは2両、朝夕ラッシュ時が3~4両で運転される。ただし、土日祝日および学校の長期休暇シーズンは、ラッシュ時間帯は減車される。使用車両はキハ30形とキハ38形であるが、キハ38形が転属してからはキハ30形による単行運転は無くなっている。運転頻度は1時間に1本ほどである。この路線は関東鉄道への譲渡車を除くキハ30形がJR路線で使われている最後の路線である。
主な乗客は地元高校の高校生で、若干ながら木更津駅乗換えの通勤客もいる。平日ラッシュ時には上下線とも都市圏通勤電車並みに混雑する(大半の乗客は高校生)。
また、動労千葉(JR東日本千葉支社に強い影響力を持っている労働組合)のストライキのため、一部運休や終日運休になる事が多い路線としても知られる。
また、2007年4月にちばデスティネーションキャンペーンの一環としてびゅうコースター風っこを使用した臨時普通列車「風っこくるり号」が運転されている。
[編集] 使用車両
いずれも千葉運転区木更津支区所属。
[編集] 沿線風景
木更津駅を出発するとすぐに大きく東方にカーブする。しばらくは農地と住宅地が点在する平地を走る。小櫃川に付かず離れずという感じでしばらく路線は続く。東横田駅からは南方にコースを変える。徐々に標高は高くなり、起伏が目立つようになる。久留里駅からは山間地に入り、小櫃川沿いの急な流れや、急な崖など、また上総松丘~上総亀山間では当線には2ヶ所しかないトンネルが現れ、終点上総亀山駅に到着する。
[編集] 歴史
久留里線は、千葉県が道路事情の悪さをカバーするため、県内各地に建設した県営鉄道の一つで、建設当時は軌間762mmの軽便鉄道であった。1922年に制定された改正鉄道敷設法別表第48号の予定線に「千葉県木更津ヨリ久留里、大多喜ヲ経テ大原ニ至ル鉄道」があげられたことから、1923年に国へ無償譲渡され、鉄道省の久留里線となった。1930年には、1067mmへの改軌が完成し、1936年には上総亀山まで延伸されたが、その先へ伸びることはなかった。この延伸区間は、太平洋戦争中の1944年に不要不急線として休止され、戦後の1947年に復活するという経過をたどっている。
なお、予定線の大原側は、木原線(現在のいすみ鉄道いすみ線)が1930年に開業している。
- 1912年12月28日 【開業】千葉県営鉄道久留里線 木更津~久留里 【駅新設】清川、中川、馬来田、小櫃、久留里
- 1915年7月1日 【駅名改称】中川→横田
- 1921年7月10日 【駅新設】俵田
- 1923年9月1日 【無償譲渡・国有化】久留里線 木更津~久留里(22.7km) 【駅名改称】清川→上総清川
- 1930年8月20日 【改軌・762mm→1067mm】木更津~久留里(22.6km) 【改キロ】小櫃~俵田(-0.1km)
- 1936年3月25日 【延伸開業・全通】久留里~上総亀山(9.6km) 【駅新設】平山、上総松丘、上総亀山
- 1937年4月20日 【駅新設】東横田、下郡、上総山本
- 1944年12月16日 【休止】久留里~上総亀山(-9.6km) 【駅休止】平山、上総松丘、上総亀山
- 1947年1月20日? 【駅休止】東横田、下郡、上総山本
- 1947年4月1日 【営業再開】久留里~上総亀山(9.6km) 【駅営業再開】平山、上総松丘、上総亀山
- 1956年4月1日 【駅営業再開】下郡
- 1956年7月1日 【駅廃止】上総山本
- 1958年4月1日 【駅営業再開】東横田
- 1961年3月1日 【駅新設】祇園
- 1974年10月1日 【貨物営業廃止】久留里~上総亀山(-9.6km)
- 1976年10月1日 【貨物営業廃止】木更津~久留里(22.6km)
- 1978年10月2日 【臨時乗降場新設】東清川
- 1987年4月1日 【承継】東日本旅客鉄道 【臨時乗降場→駅】東清川
[編集] 駅一覧および接続路線
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 備考 | 駅所在地 | |
---|---|---|---|---|---|
木更津駅 | 0.0 | 東日本旅客鉄道:内房線 | 千葉県 | 木更津市 | |
祇園駅 | 2.6 | ||||
上総清川駅 | 4.2 | ||||
東清川駅 | 6.1 | ||||
横田駅 | 9.3 | 交換可能駅 | 袖ケ浦市 | ||
東横田駅 | 10.8 | ||||
馬来田駅 | 13.9 | 木更津市 | |||
下郡駅 | 15.2 | 君津市 | |||
- | 廃止 | ||||
小櫃駅 | 18.2 | ||||
俵田駅 | 20.0 | ||||
久留里駅 | 22.6 | 交換可能駅 | |||
平山駅 | 25.7 | ||||
上総松丘駅 | 28.3 | ||||
上総亀山駅 | 32.2 |
[編集] こぼれ話
地元では「パー線」(久留里がクルリ→くるくるパーからパー線など)と呼ばれ親しまれている。久留里線程度の運転頻度の他線区の場合「5時汽車、6時汽車」(5時の汽車、6時の汽車と言う意味)と呼ばれるが、久留里線の場合「5時パー、6時パー」と呼ばれる。
当線で使用されている車両は古いものが多い(一番車齢が若いキハ38形も1986年~1987年製で20年以上が経とうとしている。しかしこれも完全な新製車ではない)。にも関わらず、新型車両の投入や電化が2005年現在も行われない理由として動労千葉の強い反発があるとも言われている。しかし車両の老朽化が進んでいることから、将来的に置き換えられる可能性は高い。
なお、ロックバンドのくるりは、この久留里線から名づけられたというのは誤りで、結成当時の京都の地下鉄の案内板の矢印の形からきている。