きんさんぎんさん
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きんさんぎんさんは、記録的な長寿で話題となった双子姉妹、成田きん(1892年8月1日 - 2000年1月23日)、蟹江ぎん(1892年8月1日 - 2001年2月28日)の愛称。旧姓は矢野。100歳を過ぎても元気な姿は「理想の老後像」と言われ、国民的アイドルとして慕われた。
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[編集] 来歴
1892年(明治25年)8月1日、愛知県愛知郡鳴海村(現在の愛知県名古屋市緑区)で矢野家の長女・次女として産まれた。きんとぎんの二人が一卵性双生児であることも検査で確認されている。
1991年、数え年百歳を迎え、西尾武喜名古屋市長から二人揃って長寿の祝いを受けたことが新聞に紹介される。その後ダスキンのテレビCMに起用され、「きんは100歳100歳、ぎんも100歳100歳」(ダスキンの問い合わせ電話番号が「100番100番」であったことから)で全国的に有名になり、双子のお婆さんとして親しまれた。AMラジオ局・ニッポン放送のAMステレオ放送開始宣伝にも出演。1992年の新語・流行語大賞にも選ばれた。
1992年2月、「きんちゃんとぎんちゃん」(作詞:松本礼児、作曲:穂口雄右)でCDデビューし、浦辺粂子の持つ、日本での最高齢レコードデビュー記録を大幅に更新した。なお、この曲はオリコンで39位を記録し、オリコン史上最高齢でのチャートイン記録となった。
1993年にはNHK紅白歌合戦に応援ゲストとして出場した。また東海テレビ制作のフジテレビ系金曜ドラマシアター(→金曜エンタテイメント、現・金曜プレステージ枠)「名古屋嫁入り物語」シリーズに特別出演したほか、敬老の日スペシャルゲストとして「笑っていいとも!」にも登場している。
百歳を越えて初めて確定申告を経験した。参議院の国会質問においても取り上げられるなど話題になり、日本国外でも報道された。1993年には春の園遊会に招かれている。放送大学の平澤彌一郎教授による足の裏の調査を受けた。このことを契機として、きんは放送大学の科目履修生となり、平澤教授の講義を履修した。全国各地でイベントに参加するなど、亡くなる直前まで芸能活動や慰問を続けた。 NHKの「週刊こどもニュース」のタイトル文字は2005年まで二人が書いたものを用いていた(2005年以降の題字は松井秀喜が書いたもの)。
姉妹はマスコミに取り上げられる前、重度の認知症患者であった。しかしマスコミに取り上げられるにつれ様々な著名人やレポーターの取材を受けたり、全国各地を旅行する為に筋力トレーニングに励んだ結果、レポーターの質問やドラマでの出演時の台詞を覚えるまでに認知症が改善した。この事実は認知症を改善する為の事例として医学会でも注目され、認知症を発症しない為には常に新しい経験と刺激・下半身を中心とした筋力トレーニングによる脳への刺激が有効である事が実証例として注目されている。
[編集] 成田きん
[編集] 蟹江ぎん
- かにえ ぎん、双子の妹。2001年2月28日に死去。享年108。妹ではあるが先に出生したのはぎんの方である。当時でも法(太政官令)に従えば、ぎんが姉になっていた。しかし当時は後から出生したほうを姉とする慣習が強かったため、ぎんが妹になったと思われる。成田きんが死去した事で非常なショックを受けたのか認知症が再発し、晩年は非常に寂しい余生を送った。
- 死因は老衰。
[編集] その他
- 2001年のエイプリルフールのジョーク記事として、東京新聞に「きんさんぎんさんの三つ子の妹『どうさん』を移住先のブラジルで発見した」という記事が掲載された。
- 「尊敬する政治家」として二人とも地元選出の海部俊樹の名を挙げていた。
[編集] CD
- きんちゃんとぎんちゃん(1992年2月21日)
- きんさんぎんさんの101回目の誕生日(1992年7月17日)
- きんさん・ぎんさんがえらんだ よいこにきかせたいわらべうた・日本の唱歌(1992年10月21日)
- 名古屋平成音頭(1998年11月21日)
[編集] 関連書籍
- 『きんさんぎんさんに母を見た』(村上允俊・著)(1992年6月)