なぎら健壱
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なぎら 健壱(なぎら けんいち、1952年4月16日 - )は、日本のフォークシンガー、俳優、タレント。 東京都中央区銀座出身。 本名・柳楽健一(読みは芸名と同じ)。旧芸名・なぎらけんいち。
弟子は、中里トシ、田代ともや、プロフェッサー佐藤。
長男は、ヒップホップユニットのREMのボーカル、eito.08(柳楽詠人=なぎら・えいと=)。
2006年10月にリニューアルされる月刊アスキーの編集長に就任する予定(もちろんアスキーのジョーク)。
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[編集] 来歴
中央区銀座から、幼少期に葛飾区に転居、葛飾区立末広小学校卒業、葛飾区立金町中学校卒業、東京都立本所工業高校卒業。
高石友也に感化され、アングラフォークに目覚める。後に五つの赤い風船の西岡たかしや、高田渡、加川良に影響を受ける。1970年岐阜の中津川で行われた全日本フォークジャンボリーにアマチュアとして飛び入り参加し(ひがしのひとしも同じく参加している)ライブ盤に収録された。
1972年アルバム『万年床』でデビュー。
1976年日本青年館でのライヴ録音作『永遠の絆』は、司会のタモリ、生田敬太郎、大塚まさじ、加川良、斉藤哲夫、シバ、高田渡、友部正人、よしだよしこ、渡辺勝らが盛り立てた、70年代なぎらの集大成的作品。
1976年日活「嗚呼!!花の応援団」での薬痴寺先輩役で注目を浴び、俳優としても定評がある。
1990年代後半以降、カントリー、ブルーグラス色の強い作品を発表。またタレントとしてバラエティ番組にも多く出演。東京・下町の庶民文化への造詣が深く、下町の街紹介などでも注目されている。 現在も吉祥寺、横浜などを中心にライブ活動を続け、時に地方公演も行う。
TV番組やライブの曲間に語る話には常軌を脱したものが多く、「いい加減なことを言う」「平気で(ネタとして)嘘を言う」キャラクターと言われているが、本人は「実際に見た話。<おかしなもの>にアンテナを張っているから見える」と語り、自らの本職を「語り部」と称している。また、本人は「嘘は高田純次さんの方が上」とも言っている。
余談だが、タモリから、「瓶ビールの似合う男」と言われたことがある。
自転車、落語、プロレス、バイオリン演歌、死亡記事スクラップなど、幅広くアンテナを張り行動している。とりわけリスナーとしてカントリーミュージックに傾倒し、日本の芸能界では唯一のアラン・ジャクソン(アメリカのカントリーシンガー)ファンクラブの会員と言われる。また同じ下町出身で同世代の漫画家の秋本治とも親交が深い。
[編集] パソコンとの関わり
- 2006年10月、『月刊アスキー』(アスキー)編集長に就任する。
- 1980年代に、当時としては珍しくパーソナルコンピュータを購入していた。当時愛用していた機種は日本電気製「NEC PC-8801」。なぎらは当時を振り返って、「一太郎というワープロが、まだバージョン1か2」「フロッピーは(中略)5インチ」「マシン語なんかも、憶えようとした」と語るなど、傾倒していたことを窺わせる。なお、長年MS-DOSを使いCUIに親しんできたなぎらは、GUIベースのWindowsシリーズが発売されると「かえって裏切られた気がして」一時PCから離れたという。(参考:伊藤隆太郎「なぎら健壱編集長!?」『アエラ』Vol9、No45、朝日新聞社、2006年9月25日、p81)
[編集] 主な曲
[編集] シングル
- 悲惨な戦い
- 大相撲の架空の立会いで起きたハプニングと、それが引き起こしたパニックをネタにしたコミックソング。
- オリコン38位を記録するが、相撲協会を気遣い自主規制される。放送禁止になったといわれるが、放送禁止という言葉は俗語である。しかし90年代には、日本テレビでライブ放送された。2006年に山下達郎のラジオ番組でフルバージョンで放送。現在は「歌詞の内容もシャレで通じる」という理由から放送が可能になったと説明があった
- ライヴでは時を経るごとに歌詞が変わり、自著に収録された最長バージョンではユリ・ゲラーまで登場している。
- 2007年2月21日発売のエレックレコードシングルボックスにてB面曲と共に紙ジャケで再発売されている。
- 葛飾にバッタを見た
- なぎらの代表的歌唱スタイルであったトーキング・スタイルの名曲。初期はメロディがあったが、「悲惨な戦い」同様、時を経るごとに歌詞・内容が変わり、トーキングとなる。下町に住む素朴さを誇らかに描いたが、現在は「当時とは生活・心境が異なる」という理由で殆ど歌うことがない。しかし、2000年の30執念(周年)コンサートでは、状況が一転する[葛飾にバッタを見た・2000]が歌われた。
- 2007年2月21日発売のエレックレコードシングルボックスにてB面曲と共に紙ジャケで再発売されている。
- いっぽんでもニンジン
- 「ひらけ!ポンキッキ」挿入歌。『およげ!たいやきくん』オリジナル盤の片面で、両面ジャケットがあるため、B面ではなく、両A面が正しい。買取契約をしたため、本人は3万円しかもらえなかったと語っている。無理問答の連鎖のような歌詞。
- そらとぶさんりんしゃ
- 流れ者に捧げる詩
- おかしいゾウ
- フーセンのドラ太郎
- ドラ太郎音頭
- (こちらも「フーセンのドラ太郎」の曲で、みなみらんぼう氏の作。このレコードから名前の表記が芸名が「なぎらけんいち」から「なぎら健壱」となる)
- アーパー・サーファー・ギャル
- ラブユー東京スポーツ
- 東京の夕刊紙東京スポーツの大げさな見出しと内容のギャップをネタにしつつ、東京スポーツに対する愛情を表現したコミックソング。が、東京スポーツ側は、大まじめに「これは我々を賛美しているのだろうか?」と会議を行ったらしい。曲名は黒沢明とロス・プリモスの『ラブユー東京』のパロディーだが、曲調は全くの別物。B面の『下町(まち)』はまじめに下町への郷愁をうたっている。
- カンポ節(漢方胃腸薬のCMソング)
- ひとり渚で
- いつか風になって
[編集] アルバム
- 万年床(ビクター)
- なぎらけんいちの奇癖(ビクター)
- 葛飾にバッタを見た(URC)
- 街の風になって(URC)
- さすらいのばくち打ち(ワーナー・パイオニア)
- フォークマン・ブラザース(CBSソニー)
元おかあさんといっしょ歌のお兄さん坂田おさむとのデュオ。
- 永遠の絆(ワーナー・パイオニア)
- 青春ラリアート(ライヴアルバム)(フォーライフ)
- この夜に(EMI)
- 中毒(フォーライフ)
- Whoopee Water Band Vol.1(シールズ)
- 日輪
- 下町のこころ〜東京のこっち側〜(アンサンブル)
- 裏技(テイチクエンターテインメント)
[編集] 主な出演番組
[編集] TVドラマ
- さすらい刑事旅情編 (テレビ朝日)
- こころ (NHK連続テレビ小説)
- 2年B組仙八先生 (TBS)
- ときめきざかり (フジテレビ)
- フーセンのドラ太郎(フジテレビ)ドラ太郎役
- 静かなるドン(日本テレビ)生倉新八役
[編集] CM
[編集] バラエティ
- タモリ倶楽部(不定期)
- ギルガメッシュないと(レギュラー出演)
- 出没!アド街ック天国(不定期。下町地区が紹介されるときのみ)
- 音楽バラエティ・なぎらTV あの時代を語れ(2006年10月から歌謡ポップスチャンネルでMC担当)
[編集] ラジオ
- くにまるワイド ごぜんさま~(文化放送、第二金曜)
- 伊集院光 日曜日の秘密基地(TBSラジオ、不定期)
- なぎら健壱のまっかちん仮面(ラジオ日本、放送終了)
[編集] 映画
- 『嗚呼!!花の応援団』シリーズ(薬痴寺先輩 役)
- 『ゴジラ2000 ミレニアム (Godzilla 2000)』(1999年)
- 狼少女
[編集] 著作
- 流れ者の幸福(KKベストセラーズ)
- 旧題「笑って悲しく泣いて死ぬ」
- 日本フォーク私的大全(筑摩書房)
- 東京酒場漂流記(ちくま文庫)
- 下町小僧(ちくま文庫)
- なぎら健壱の味勝負四十番(廣済堂出版)
- 東京の江戸を遊ぶ(ちくま文庫)
- ぼくらは下町探検隊(ちくま文庫)
- 歌い屋たち(文藝春秋)
- 東京のこっちがわ(岳陽舎)
- 町のうしろ姿(岳陽舎)
[編集] 関連書籍
- 伊藤隆太郎「なぎら健壱編集長!?」『アエラ』(Vol9、No45、朝日新聞社、2006年9月25日、p81)
[編集] 外部リンク
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