東京スポーツ
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東京スポーツ(とうきょうスポーツ)は、東京スポーツ新聞社が発行する日本の夕刊スポーツ新聞。略称は「東スポ」。原則日曜・祝日は休刊。年末年始は12月28日頃に250円の新春特大号が発売され、以後正月三が日が過ぎるまで休刊。「飛ばしの東スポ」の異名を取る。
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[編集] 概要
かつては右翼の大物で、暴力団からプロレス界まで幅広く顔が利いた児玉誉士夫(元A級戦犯。CIAの命令により自由民主党に資金を提供し政界の黒幕となり、ロッキード事件で脱税と外国為替管理法違反で起訴される)がオーナーだった。そのためか産経新聞と同様に日付欄は「平成18年(2006年)」のように元号(西暦)と表記している。
創刊当時からプロレスをはじめとする格闘技に詳しく、他に競馬・風俗関係の記事に強い。1980年代半ばまで赤い見出しとインクで手が汚れるプロレス新聞として知られた。1面に来るのはたいていプロレスの記事であった。夕刊紙であるが故、野球等の記事では試合速報は他社と競争にならない(他の夕刊タブロイド紙は球界内部の事情などが主)。
その後「紫色のにくい奴」(夕刊フジの『オレンジ色のニクイ奴』にあやかって?)をキャッチフレーズに青紫の見出しの紙面に刷新。ビートたけしが客員編集委員に就いてから、「日付以外は全て誤報」(浅草キッド談)といわれるほど娯楽性を重視していて、「“ガセ”の東スポ」という異名も持つ。
ただ近年はセリエAやメジャーリーグ・ゴルフのPGAツアーなど、日本人スポーツ選手の海外進出が本格化したことに伴い、時差の関係から(特に米国開催の試合について)スポーツ紙の中で最も早く海外スポーツの試合結果を伝えられるケースが多いという特性を生かし、それら海外の試合に関する記事に力を入れるようになったため、娯楽性の強いゴシップ記事は減少傾向にある。
ビートたけしは現在も月に1度、1面と最終面に直近の話題についてジョークを交えて談話として掲載している。週刊ポスト「世紀末毒談」に近い体裁。同じ月1度の間隔で野球評論家の広岡達朗の寄稿も掲載している(東京スポーツの契約評論家でないため、特別寄稿としている)。
格闘技に関しては前日の結果の記事掲載が開催翌日の夕方(朝刊地域は翌々日)となることから、朝刊専売のデイリースポーツ(九州・北海道と、東海地方一部除く)を併読していた読者もいた。詳しくはその項を参照。新日本プロレスの放送がゴールデンタイムから外され、プロレスのマイナー化が進むにつれプロレスが1面に来ることはめったになくなり、芸能ゴシップ記事が増える。
競馬に関しては、開催前日の競馬面だけは質の違う紙(他の競馬新聞に使用しているもの)を使用する。月曜に開催される場合は通常はフジ・ゲンダイと共に休刊する日曜に発行する。
1988年6月以前は日刊スポーツ本社工場(東京都中央区築地)で印刷されていたが、現在はスポーツニッポン東京本社が入居する東日印刷(毎日新聞系の印刷会社。毎日新聞、スポニチの他創価学会の機関紙聖教新聞も印刷)本社ビル(東京都江東区越中島)に本社・編集局を構えている。印刷も東日印刷が行っている。
[編集] エピソード
「聖子輪姦」「人面魚重体」「大仁田爆死」「フセイン陰金大作戦」「ダイアナ大胆乳」等、一面の奇抜な見出しが特徴。夜の街の怪しい求人欄でもおなじみ。この様な独自紙面作りなどを紹介した「東スポ伝説」(1990年にフジサンケイグループの出版社・扶桑社から発行)は人気文庫となる。ただしゴシップ系記事でも稀に事実を記載することがある。
三浦和義から名誉毀損で訴えられた際に、一審の東京地裁において「東スポの記事を信用する人間はいない」という東スポ側の主張が認められ勝訴したという伝説がある。ただし三浦が控訴し、二審の東京高裁で逆転敗訴の判決が下りこれが確定しているので、結局は敗訴している。またこの二審では、判決公判において裁判長が「報道機関が自ら『記事を信用する人間はいない』と主張することは、報道機関としての存在そのものを自ら否定していることに他ならない」と、出席した東スポ関係者にお説教する一幕もあった。
1963年にジョン・F・ケネディが暗殺された際、他の新聞は全てこのニュースが一面に掲載された中、唯一『ブラッシー血だるま』を一面に掲載した事は、今では伝説となっている。
1989年の昭和天皇崩御の翌日の一面は「ブッチャ-流血」だった。
1994年にアイルトン・セナが事故死した際、やはり他のスポーツ新聞の一面はこのニュースで持ちきりであったのだが、ファンの期待通り、東スポの一面は前日の新日本プロレス福岡ドーム大会で行なわれたアントニオ猪木 vs グレート・ムタであった。
1997年にいち早く宗教団体「摂理」(当時はモーニングスター)の問題と危険性を報じていたこともあり、東スポならではの問題提起と先見性があると注目している人も多い。
2000年のシドニーオリンピックの現地取材の際は、「東京スポーツ」という首都名を冠した名称のためか、現地関係者に「日本の一流スポーツ新聞」と勘違いされ、他紙よりも好待遇を受けた。(※欧米系諸国では首都名は国の中央政府を意味することがある。例:「ワシントン=米国連邦政府」)
2005年に全日本プロレスがケンドー・カシンこと石澤常光に対し世界タッグ王座ベルト返還を求める民事訴訟を起こしたが、このとき全日本側は証拠品として東スポを提出している。(石澤は不定期の人生相談コーナーを持つなど東スポ誌面に数多く登場しており、石澤が問題のベルトを所持していること、全日本を中傷する言動を繰り返していること等の証拠とされた)しかし裁判長には東スポの証拠能力を認めてもらえず却下される。
また、2006年にマイケル・ジャクソンが8年ぶりに来日した際の取材にて、取材拒否されたのは有名な話である。これは以前に「マイケル、まだらチンポ」との見出しを掲載したためと思われる。
[編集] 沿革
- 1958年4月16日:国民タイムス社より「国民タイムズ」創刊(「やまと新聞」「新夕刊」の後継紙)。
- 1959年2月16日:国民タイムス新社が「国民タイムズ」を承継。
- 1960年4月1日:国民タイムス新社が「国民タイムズ」を廃刊。替わりに「夕刊東京スポーツ」が創刊。
- 1962年9月:「東京スポーツ」に改題。以降、全国紙体制を確立すべく、大阪(堺)、九州(福岡・下関)、中京(名古屋)に進出。
- 1988年8月:現在の東京・越中島に本社を移転(社屋はスポーツニッポン新聞社と同じ場所)。
[編集] 発行地域
発行する地域によって題字が異なる。配送の事情により夕刊紙ながら、他の朝刊紙とともに翌朝に店頭に列び販売されている地域もある。
- 東京スポーツ
関東地方、静岡県(大井川以東)、山梨県、長野県(除南西部)、新潟県、東北地方、北海道
東海3県、静岡県西部地区、長野県南西部、滋賀県東部、北陸地方
近畿地方(三重県と滋賀県東部を除く)、中国地方(山口県と広島県安芸地方を除く)、四国
※ かつては系列社で「北海道スポーツ」も存在した。(道新スポーツとは関係がない)
[編集] 創刊年月日
[編集] 東京スポーツを題材にした楽曲
- ラブユー東京スポーツ(作詞・作曲・歌:なぎら健壱)
[編集] 主な所属記者
[編集] 関連項目
- プロレスマスコミ
- 江尻良文-夕刊フジ編集委員。元は東スポの記者だった。
- プロレス大賞
- ストロング小林 - プロレスラー。国際プロレス離脱後一時東京スポーツ所属だった。
- 東京スポーツ映画大賞 - ビートたけしが審査委員長を務める映画賞
- 東京スポーツ杯2歳ステークス - 寄贈賞を出している競馬の重賞競走
- ウイニング競馬 - データ協力および競馬担当記者が出演している
- 夜な夜なニュースいぢり X-radio バツラジ(TBSラジオ)-番組内のバツラジヘッラインニュースのコーナーで本紙の1面の見出しを紹介している(1面でないときもある)
- 小橋建太 - ゲーセン特訓やサウナ特訓など特訓シリーズが名物であった。
- 松井秀喜 - 東スポの愛読者として有名。
- 大田クルー - リーダーのサットンが東スポファンで、彼らのポッドキャストで記事を紹介している。
- AV OPEN~あなたが決める!セルアダルトビデオ日本一決定戦~ - 東スポとソフト・オン・デマンドが主催するアダルトビデオのコンテスト。
[編集] 外部リンク
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