エルナン・クレスポ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
エルナン・ホルヘ・クレスポ(Hernán Jorge Crespo、1975年7月5日 - )は、アルゼンチン出身の同国代表、セリエA・インテル所属のサッカー選手(FW) アルゼンチン代表として2006年7月現在、ガブリエル・バティストゥータ(54得点)、ディエゴ・マラドーナ(34得点)に次ぐ32得点を挙げている同国屈指のストライカー。
目次 |
[編集] プレイスタイル
ずば抜けて高い能力があるわけではないがストライカーに求められるすべての技術が備わっている万能フォワード。左右両足どちらでのボール扱いも苦手とせず正確で強烈なシュートを放つことができ、敵のディフェンスラインの裏を突く鋭い飛び出しに優れ、高い打点からのヘディングも決められる。運動量も非常に豊富で守備にも献身的。
絶妙の飛び出しをオフサイドと判定されると、頭を抱えこんだり両手を大きく広げて「どうして?」とオーバーアクション気味にアピールするのも彼の特徴のひとつ。
[編集] 経歴
1993年から1996年までアルゼンチン国内リーグの強豪リバープレートでプレー。イタリアに渡り1996年から2000年までセリエAのパルマで、2000年から2002年はラツィオに所属し初年度に得点王を獲得するなど在籍2年間でリーグ戦計39得点と大活躍。しかし2002年に移籍した先のインテルでは振るわず、2003年はイングランドプレミアリーグのチェルシーに活躍の場を移すも出場機会に恵まれなかった。2004年はセリエAのACミランにレンタル移籍。アンドレイ・シェフチェンコ等とコンビを組んでその年のUEFAチャンピオンズリーグ準優勝に貢献するなど本来の輝きを取り戻す。本人はそのままミランへの残留を望んだが、翌シーズンはレンタル元のチェルシーに呼び戻され、ディディエ・ドログバと同じポジションを競わせる形で使われた。 2006-2007年シーズンよりレンタル移籍でインテルに復帰。同じくその年にユヴェントスから移籍してきたズラタン・イブラヒモビッチと強力な2トップを形成し、セリエA新記録となるリーグ17連勝に貢献するなどリーグ戦独走の原動力になっている。
[編集] 代表として
1996年にはアトランタ五輪を、1998年にはフランスW杯、2002年には日韓W杯、2006年にはドイツW杯を経験する。
[編集] 所属チーム
- リバープレート(アルゼンチン) 1993-1996
- パルマ(イタリア) 1996-2000
- ラツィオ(イタリア) 2000-2002
- インテル(イタリア) 2002-2003
- チェルシー(イングランド) 2003-2004
- ACミラン(イタリア) 2004-2005
- チェルシー(イングランド) 2005-2006
- インテル(イタリア) 2006-
インテル - 2006-2007 |
---|
1 トルド | 2 コルドバ | 4 サネッティ | 5 スタンコビッチ | 6 マクスウェル | 7 フィーゴ | 8 イブラヒモビッチ | 9 クルス | 10 アドリアーノ | 11 グロッソ | 12 ジュリオ・セザル | 13 マイコン | 14 ヴィエラ | 15 ダクール | 16 ブルディッソ | 17 ココ | 18 クレスポ | 19 カンビアッソ | 20 レコバ | 21 ソラーリ | 22 オルランドーニ | 23 マテラッツィ | 25 サムエル | 36 ファウタリオ | 50 マールフィ | 51 ボヌッチ | 52 ベレ | 57 フィルコル | 61 スラヴコフスキ | 77 アンドレオッリ | 79 カリーニ | 91 ゴンサレス | 99 フートス | 監督 マンチーニ | |
カテゴリ: サッカー選手に関するスタブ項目 | アルゼンチンのサッカー選手 | リバープレートの選手 | パルマの選手 | ラツィオの選手 | インテルの選手 | チェルシーの選手 | ACミランの選手 | FIFA100 | 1975年生