サイパン島
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サイパン島(Saipan Island)は、アメリカ合衆国の自治領である北マリアナ諸島の中心的な島であり、首都ススペ(susupe)も同島にある。
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[編集] 地理
北緯15°15'東経145°45'で熱帯性海洋気候となり、平均気温は27℃である。面積は122km²、人口58,000人。付属島としてマニャガハ島がある。サイパン島の北にはファラリョン・デ・メディニラ島、南にはサイパン海峡を挟んでテニアン島(TinianIsland)がある。
[編集] 歴史
[編集] スペイン統治時代
1521年3月6日にマゼランがヨーロッパ人として初めてマリアナ諸島を発見し、1565年にはマリアナ諸島の領有を西欧諸国に布告した。それ以降3世紀に渡りスペインの統治下にあった。
1668年にイエズス会のサンヴィトレス神父を長とする伝道使節団がマリアナ諸島のグアム島に来訪して以来、マリアナ諸島全域で住民のキリスト教化が始まった。当初はその布教は順調であったが、島民の旧習に干渉する神父たちに次第に島民は反感を抱くようになり、1670年1月にサイパン島で島民による伝道師殺害事件が起きた。この事件がその後十数年に及ぶスペイン=チャモロ戦争の発端となり、スペインは軍隊を派遣して島民を虐殺した。
その後、1695年にスペインはサイパン以北のマリアナ諸島の島民をサイパン島に強制移住させた。だが、すぐにそれらの島民も1698年にサイパン島に元からいた住民と共にグアム島へ強制移住させられ、サイパンは一時無人島となった。
しかし、1815年にカロリン諸島のサタワル環礁から、酋長アグラグに率いられた一団が移住し、さらにスペインはチャモロ人の帰島を認めたため再び同島は有人島となった。
[編集] ドイツ統治時代
1898年、米西戦争でスペインの支配は終わりドイツに売却される。ドイツは開拓を放棄し、同島を流刑地に選んだ。
[編集] 日本統治時代
1914年7月、第一次世界大戦が勃発し、10月14日には連合国側であった日本が赤道以北の南洋諸島全体を占領した。1920年には国際連盟の委任統治領となり、同島には南洋庁サイパン支庁が置かれ、サイパン島は内地から南洋への玄関口として栄えた。
1943年8月の時点での人口は日本人(台湾人、朝鮮人含む)29348人、チャモロ人、カナカ人3926人、外国人11人となっていた。
[編集] 第二次世界大戦
第二次世界大戦中は、日本軍司令部があったこともあり、1944年6月の米軍上陸の際には住民を巻き込んでの激しい戦闘によって多数の犠牲者を出した。現在でもバンザイクリフ(Banzai Cliff)やスーサイドクリフ(Suicide Cliff)など島のあちこちに戦争の名残が残っている。(サイパンの戦いを参照)
[編集] 戦後
1945年、日本の敗戦により同島は米軍の軍政下に置かれたが、1947年に国際連合のアメリカ合衆国信託統治領となった。1981年1月9日、アメリカ合衆国内の自治領、北マリアナ諸島としてアメリカ合衆国内に留まったが、北マリアナ諸島以外は次々と分離独立していった。
戦後60年にあたる2005年6月27日~6月28日にかけて天皇と皇后が戦没者を慰霊する為、史上初めて友好親善でない慰霊目的だけの海外訪問が行われれた。
[編集] 現況
常夏の熱帯性気候で、日本から3時間程度で行ける(行きは成田を夜遅く出てサイパンに深夜に到着、帰りは未明にサイパンを出て成田に早朝に到着する便が多い)ため、日本人を対象にしたマリンレジャー(スクーバダイビング、釣り、潜水艦などによる水中展望など)やテニアン、ロタ島観光などを中心にした観光産業が中心となっている。
訪れる観光客の大多数は日本人であり、少数だが韓国人がそれに次ぐ。ホテルや土産物屋など殆どの場所で日本語が通じるが、市中の商店や居酒屋、食堂などの多くは韓国人が経営している。
あまり知られていないが、サイパンは関税や消費税などの間接税がかからないため、全島で免税で買い物ができる利点がある。
[編集] ボージョーボ人形 BO JO BO Wishing Doll
マリアナ諸島の先住民チャモロ族の間で古くから親しまれていた願掛け人形。ボージョーボ(Bo jo bo 和名ウジルカンダ)と現地で呼ばれているツタ性の植物の種を体や頭部に使い作られている。その手足の組み方で様々な願いが叶うとされている。 日本の某テレビ番組で取り上げられてから爆発的な人気となった。
[編集] 交通
日本からは成田・関西・中部の各空港から直行便が運航しているが、日本航空(JALウェイズ)が全ての便の廃止を決めたため、アメリカ系の航空会社(ノースウエスト航空、コンチネンタル航空(コンチネンタルミクロネシア航空))のみとなっている。直行便以外では、グアムを経由してサイパンに入るコースが多い。
島内では九州産業交通の現地法人であるサイパン産交が貸切バス事業を行なっていたが、九州産業交通の産業再生機構活用による事業再編の一環として売却されている。