タリン
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タリン(Tallinn)は、バルト海に面するエストニアの首都。旧称はレバル(Reval)。人口約40万。
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[編集] 歴史
1219年、デンマーク王バルデマー2世が十字軍を率いて侵攻し、ここにトームペア城を築いた(タリンとはエストニア語で「デンマーク人の都市」という意味である)。1285年にはハンザ同盟に加わった。1341年デンマークはバルト海東海岸地域の植民地を銀貨13,000マルクでドイツ系リヴォニア騎士団に売却し引き上げた。これ以降、20世紀になるまでドイツ人の影響が残る。しかし、1561年リヴォニア騎士団は解体し、1583年エストニア(エストラント)はスウェーデンに割譲され、その後、現エストニアのリヴォニア北部も支配下に入る。その後、大北方戦争によりロシア帝国の支配下に入った。1918年にエストニアが独立するとその首都となった。しかしその後ソ連の陰謀などによりソ連領となる。1980年代後半、ソ連の崩壊の兆しとともに独立の気運が高まり、1988年、タリン近郊の「歌の原」に約30万人(当時エストニア全土の人口は約150万人)が集い、ソ連により禁止されていたエストニアの民謡などを歌う事件があった。これによりますます独立の気運は高まり、翌年には独立を達成した。このことからエストニアの独立は「歌による革命」とも言われることがある。
[編集] 経済
資本主義社会への移行、EU加盟などを機にして、タリンの経済は大きく変貌を遂げた。第一に、西側資本の流入が挙げられる。とりわけ、隣国フィンランド企業のタリンへの進出が盛んで、百貨店のストックマンがショッピングモールを開業させた。また、北欧資本のホテルの開業も相次いでいる。
[編集] 名所、旧跡
トームペア城を中心に広がる旧市街は13世紀建造の聖ニコライ教会など歴史的建造物が多く、タリン歴史地区として1997年ユネスコ世界遺産に登録された。
[編集] アクセス
- 船
フィンランド湾を隔てて向かい合うヘルシンキとは高速船でわずか1時間半程度の距離である。フィンランドよりも物価(特に酒類)が安いため、タリン市内へ多くの買い物客が訪れる。
- 陸路
サンクトペテルブルク、リガなどには鉄道が通じていたが、エストニア国鉄の路線運行見直しにより、リガへの直通列車の運行は休止している。ローカル線も廃止された区間が多く、ロシア国内への長距離列車を除いて、利用価値があまりない。その反面、長距離バスは充実している。国内、バルト三国内の路線の外、ドイツやイギリスへの路線もある。ラトビアの首都リガからは、バスで約5~6時間。
- 飛行機
市内から4km、ウレミステ湖の東岸にあるタリン空港(ウレミステ空港)には、エストニア航空の国際線のほか、ヨーロッパの主要エアラインが乗り入れる。
[編集] 姉妹都市
[編集] 外部リンク