デ・トマソ
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デ・トマソ(DE Tomaso)は、1959年に企業名デ・トマソ・アウトモビリ(De Tomaso Automobili)としてイタリアモデナに設立された企業。アルゼンチン出身のアレハンドロ・デ・トマソ(Alejandro de Tomaso)が創業した。アレハンドロは技術者でも、新事業を積極的に立ち上げることに野心を燃やす実業家でもなく、レーサーとして腕を鳴らした人物だった。2003年にアレハンドロが亡くなり、会社は2004年5月に解散している。
目次 |
[編集] 歴史
参戦年度 | 1961 - 1963 , 1970 |
---|---|
出走回数 | 10 |
コンストラクターズタイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1961年フランスGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1970年アメリカGP |
デ・トマソ社ははじめから、市販車の生産をしていたわけではなかった。起業してからの数年間はフォーミュラマシンの自社製作にほとんどを費やしていた。しかも、コンポーネント製作もフレームに限っての話で、エンジンや駆動系は市販のものを搭載していた。
1961年にはアルファ・ロメオを、1970年にはコスワースのエンジンをそれぞれ搭載してF1に参戦したが、結果を残せず早々に撤退している。1970年の参戦の際にはのちにウィリアムズF1チームを創設するフランク・ウィリアムズがチームの運営を行っていた。
デ・トマソは1963年に3台の試作車を発表。このうちの1台であるヴァレルンガ1500は、オープンカーからアルミ製クーペボディに変更して市販され、世界初のミドシップ・ロードカーの1台として名を知られるようになった。
1966年、2台目の市販車はマングスタで、フォード社と開発した最初の車だった。デ・トマソ初期においてフォード社は、経営判断にかかわるような重要な影響を与えていた。マングスタではエンジンを米国フォード製4.7リッターV8にしている。マングスタのボディワークはギアでおこなわれている。ギア社は1967年にアレハンドロが購入していた(これは1970年にフォードに売却されている)。マングスタは400台程製作された。ランボルギーニやフェラーリに外観で対抗できたイタリアンスーパーカー [1] と認める人も多い。 マングスタの後継として、1971年にパンテーラを出す。フォード製5.8リッターV8エンジンにボディはギア社だった。米国ではフォードのリンカーン、マーキュリーの契約ディーラーで販売された。パンテーラは皆が認めるスーパーカーとなった [2] ばかりでなく、デ・トマソ史上最大の生産台数を記録し商業的にも成功した。フォードとの契約期間であった1971年から1973年の間には6,128台がモデナで生産されてた。
1970年代初頭のオイルショックのため、後ろ盾であったフォードが手を引き、フォード向けのパンテーラ生産は1973年で終了している。通常の自動車でも厳しい時代となったこの時期にスポーツカーにとっては冬の時代となりスポーツカーメーカーは会社解散に追い込まれるところもあった。しかし、デ・トマソはマセラティ社、イノチェンティ社、ベネリ社を次々と買収し、事業拡大という経営手腕によって乗り切ろうとした。この時期には、マセラティのビトゥルボが商業的に成功を見た。イノチェンティはBLMC製Miniにダイハツ製エンジンを搭載した小型車も生産している。
デ・トマソは1970年代以降、リファインを繰り返しながらパンテーラ、高級サルーンのドーヴィル、ドーヴィルの車体を短縮したGTカー、ロンシャンなどを販売していた。新たに一から設計された車両として1994年になってようやくグアラを登場させた。しかし、グアラは少量生産で継続されたのみ。次いで、会社は、FR2シーターのスポーツカー、ビグアの開発に賭けることとしたが、度重なる商標権の移動などでデ・トマソとしての販売には至らず、最終的にはクヴェール・モデナ社によってマングスタという車名で販売されることで世に出ることができた。しかしながらマングスタも短命に終わり、MGローバー社のクヴェール・モデナ買収によってMG XpowerSVの基礎となった。
パンテーラの生産を打ち切った1993年、創始者のアレハンドロが病に冒され入院。療養していたものの、2003年5月21日、心不全が原因で他界。2004年5月、会社はアレハンドロの遺族によって解散された。
[編集] 過去の車種
- ヴァレルンガ
- マングスタ
- パンテーラ
- ドーヴィル
- ロンシャン
- クヴェール・マングスタ
- グアラ
[編集] 注記・参考
[編集] 関連項目
- イタリア車
- フォード・モーター
- マセラティ
- ダイハツ・シャレード
- F1コンストラクターの一覧
- チェ・ゲバラ(アレハンドロのアルゼンチン時代の知人といわれている)