マセラティ
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参戦年度 | 1950 - 1960 |
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出走回数 | 70 |
コンストラクターズタイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 2 (1954 , 1957) |
優勝回数 | 9 |
通算獲得ポイント | 6 |
表彰台(3位以内)回数 | 37 |
ポールポジション | 10 |
ファステストラップ | 13 |
F1デビュー戦 | 1950年イギリスGP |
初勝利 | 1953年イタリアGP |
最終勝利 | 1957年ドイツGP |
最終戦 | 1960年アメリカGP |
マセラティ(Maserati)はイタリア・モデナ市の自動車メーカー。日本総輸入代理店のコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドではマセラティと表記。
目次 |
[編集] 歴史
- 1919年アルフィエーリ・マセラーティが創立。
- 1965年にシトロエン傘下になる。
- 1974年にプジョーと業務提携を結ぶ。
- 1975年にプジョーとの契約を撤回、デ・トマソ傘下になる。
- 1993年にフィアット傘下になる。
- 1997年にフィアット傘下のフェラーリ傘下となる。
- 2005年にフィアット直轄となる。東京モーターショーには、フェラーリ、コーンズ・アンド・カンパニー両社と合同ブースを設け出展。現在のCEOはカール・ハインツ・カルプフェル
[編集] 代表的な車種
[編集] 現行生産
- クアトロポルテ(Quattroporte)
- スパイダー
- クーペ
[編集] 生産終了
- ブーメラン(Boomerang) - 1971年、1972年ジェネーブ・ショー発表。(マセラティ・ボーラ)ベースの試作車
- 3500GT(3500GT)
- セブリング(Sebring)
- ミストラル(Mistral)
- クアトロポルテ(Quattroporte)
- ロイヤル(Royal)
- メキシコ(Mexico)
- ギブリ(Ghibli)
- インディ(Indy)
- ボーラ(Bora)
- カムシン(Khamsin)
- メラク(Merak)
- キャラミ(Kyalami)
- クアトロポルテIII(Quattroporte III)
- ビトゥルボ(Biturbo)
- 420
- カリフ(Karif)
- ギブリII(Ghibli II)
- 3200GT
- グランスポルト(Gransport)
- シャマル(Shamal)
- MC12
[編集] 共同開発
- クライスラー TC バイ・マセラティ
1980年代に、アメリカのクライスラー社の会長でイタリア系アメリカ人のリー・アイアコッカと、当時のマセラティのアレッサンドロ・デ・トマソ社長との個人的な関係を元に共同開発が行われた。
クライスラーの量産型スポーツクーペのル・バロンに、マセラティ製のエンジンとイタリア製の本皮内装が奢られ、1987年から1989年にかけて数千台が生産され主にアメリカ国内で販売されたが、高価なために販売は振るわなかった。なお、大量に売れ残ったことから、販売は1991年まで行われた。
[編集] 「Spyder」
イタリアのスポーツカー・ブランドなどではオープンカーにスパイダーという名称を用いるが、フェラーリがspiderというスペルを用いるのに対し、マセラティでは伝統的にspyderと表記する。いずれも幌型の軽量4輪馬車を指す名称から転用されたもので、どちらかが正しいというものではない。元来はspiderであったと考えられるが、現在では嗜好の問題でしかない。最近ではマセラティだけでなくspyder表記のケースが多いようである。
[編集] 著名なオーナー
=== 日本 ===
=== 海外 ===
- ミハエル・シューマッハ
- フェリペ・マッサ
- ルーベンス・バリチェロ
- ルカ・ディ・モンテゼモロ
- ジャン・トッド
- ニコラス・ケイジ
[編集] 関連項目
- サーキットの狼
- スーパーカー
- ルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ
- プリンス・ビラ
- 北方謙三
- あぶない刑事フォーエヴァー/まだまだあぶない刑事 - 劇中に覆面パトカーとして登場する
- 免許がない! - 劇中に登場
- モータースポーツ
- F1コンストラクターの一覧
- CSI:科学捜査班 - シーズン4の劇中に登場